作品番号・日付の喪失(1)

 『新校本宮澤賢治全集』の第三巻には、「春と修羅 第二集」およびその関連作品が、第四巻には「春と修羅 第三集」およびその関連作品が収録されています。
 収録作品の分類基準について、同全集の「凡例」には、次のように書かれています。

第三巻・第四巻には、主として専用の細罫詩稿用紙に書かれた口語詩のうち、作品番号と日付けのあるものを、各詩篇の最終形の日付け順に(最終形に日付けが付されていない場合は、作品番号によって補正する)配列する。作者によって、「春と修羅 第二集」と指定された期間の日付けをもつ作品を第三巻に収め、「春と修羅 第三集」と指定された期間の日付けをもつ作品および「詩ノート」(第三集初期形態)を第四巻に収める。作品番号も日付けもない口語詩のうち、「春と修羅 第二集」作品の発展形とみられるものを「第二集補遺」として第三巻に、「第三集」作品の発展形とみられるものを「第三集補遺」として第四巻に収め、そのどちらにも属さない作品を「口語詩稿」として第五巻に収める。

 おそらくこの「凡例」の根底にあるのは、「賢治の口語詩においては、作品番号と日付の存在が重要である」という考え方です。
 自分の詩の一つ一つに、「作品番号」と「日付」を付けるというのも、他の詩人にはあまり見られない賢治独特の作法だと思いますが、後世の読者である私たちも、作品番号・日付が「付けられている作品」と、「付けられていない作品」とを区別して、上記のように分類・配列し、享受しているわけです。

 この分類方法の結果として私たちは、作品番号と日付が付けられた「春と修羅 第二集」「春と修羅 第三集」所収作品を、何となく彼の口語詩の「メイン・ストリーム」のように受けとめる一方、各々の「補遺」や「口語詩稿」の作品は、「傍流」にあるものと見なしてしまいがちです。
 しかし考えてみると、「第二集補遺」「第三集補遺」に分類されている作品形態は、「第二集」「第三集」の作品形態に対して、作者がさらに推敲を加えたものなのですから、通常ならばこちらの方こそ作者の最終的な意図を反映した形態として、より重視すべきとも言えるでしょう。けれども従来の宮沢賢治全集ではそうせずに、あくまでも「作品番号・日付が付けられている状態での最終形」を重視するわけです。

 私は、このような宮沢賢治全集の方針に反対なわけではなく、むしろ現行の全集の、「作品番号と日付の順に配列された詩を、時系列に沿って読んでいく」というスタイルには、長年の愛着を感じますし、これによって作者の内面世界が、眼前に展開していくような気分も、味わわせてもらっています。
 そして、このような分類・配列のための不可欠の拠り所となっている、賢治の「作品番号」「日付」というのは、本当に不思議なものだと感じるとともに、いったいこれらの存在にはどんな意味があるのだろうか?という大きな疑問も湧いてきます。

 この疑問の答えは、なかなか簡単に出そうにはありませんが、ここではもう少し基本的な問題から、考えてみることにします。

 その問題の一つは、「「口語詩稿」に属する作品は、最初から作品番号・日付がなかったのか、それとも推敲過程のある段階でそれらを失ったのか?」ということです。
 これについては、「春と修羅 第二集補遺」や「春と修羅 第三集補遺」の作品は、ある段階までは「第二集」や「第三集」の作品として作品番号も日付も持っていたのに、さらに推敲を加えられるうちにそれらを失っていったわけですから、「口語詩稿」の作品も、これと同様のプロセスを経て生まれてきたのではないか、という仮説を立ててみることができます。
 「第二集補遺」「第三集補遺」の作品には、作品番号・日付を持つその先駆形が残されているのと同じように、「口語詩稿」の作品にも、かつてはそのような先駆形が存在していたのだが、たまたま何らかの理由で失われてしまったのだ、と考えるわけです。
 この場合、作品番号と日付を持った「口語詩稿」作品の先駆形は失われている以上、それに付けられていた作品番号は、現在の「春と修羅 第二集」や「春と修羅 第三集」(および「詩ノート」)では、「欠番」になっているはずです。

 この仮説には、それなりに説得力があるように思われ、たとえば「口語詩稿」に属する「発動機船 一」や「発動機船 三」の例を見てもそうです。
 「春と修羅 第二集」には、「発動機船 [断片]」という、作品番号と日付を持った作品断片が収められており、「春と修羅 第二集補遺」には、「発動機船 第二」という作品番号も日付もない作品が収められています。
 「発動機船 一」も「発動機船 三」も「発動機船 第二」も、時間こそ違えど同じ発動機船の描写であると考えられ、いずれも作品番号も日付も持っていないところは同じなのですが、「口語詩稿」と「第二集補遺」に所属が分かれている理由は、「発動機船 第二」は「ラッパ」が出てきていることで「発動機船 [断片]」の発展形と全集編集者が判断したのに対して、「発動機船 一」と「発動機船 三」には、「発動機船 [断片]」と共通する描写が認められず、発展形とは認められないからです。
 しかし、「発動機船 一」も「発動機船 三」も、「発動機船 [断片]」と同じ船における体験を描いた作品である以上、「発動機船 第二」が「発動機船 [断片]」の発展形であるならば、「発動機船 一」や「発動機船 三」にも、作品番号や日付を有する先駆形があったのではないかと想定するのも、自然なことと言えるでしょう。
 このあたりの作品番号の状況を見ると、「〔水平線と夕陽を浴びた雲〕[断片]」が三四八、「発動機船 [断片]」が三五一、発動機船を降りてからと思われる「旅程幻想」が三五六ですから、これらの間の欠番に、発動機船を描いた作品があったと考えることは可能です。

 先週取り上げた「軍馬補充部主事」という「口語詩稿」の作品について、信時哲郎さんが書いておられることも、欠番との関係も含めた上記のような仮説に沿うものと言えるでしょう。

 先行作品である「軍馬補充部主事」は黄罫(22 0行)詩稿用紙に書かれているが、この用紙は昭和に入ってから使われたもので、大正十三年には使用されていない。従って「軍馬補充部主事」は大正十三年の取材を昭和に入ってから書き換えたものだということになる。これに先行する作品は見あたらないが、ちょうど「春と修羅 第二集」の作品番号で言うと七九~八五の間に欠番があり(期間で言えば大正十三年四月二八日~五月三日の間)、初期の段階の原稿はここに属していたのだと思われる。

(信時哲郎『宮沢賢治「文語詩稿 五十篇」評釈』p.414)

 すなわち、「軍馬補充部主事」の先駆形として、七九~八五の間のいずれかの作品番号を持ち、1924年4月28日~5月3日の間の日付を持った草稿が、かつては存在していたものの、その後失われたのだろうと、推測しておられるわけです。前回も述べたように、1924年4月29日に花巻農学校の職員生徒一同は軍馬補充部六原支部に遠足に行ったという記録がありますので、この時に賢治が他の「春と修羅 第二集」の作品と同じように、作品番号と日付を有する草稿を書いたと考えるのは、ごく自然なことと思われます。

 この仮説についてさらに検討するために、「口語詩稿」の各作品が着想された時期が、『春と修羅』「春と修羅 第二集」「春と修羅 第三集」のいずれの期間に属しているのかということについて、考えてみます。
 「口語詩稿」の全ての作品について、その着想時期を明らかにすることはなかなか困難ですが、その内容から推測すると、だいたい下の表のように考えられるように思います。

題名 着想時期

阿耨達池幻想曲

第二集?

発動機船 一

第二集

発動機船 三

第二集

こゝろ

第二集?

〔めづらしがって集ってくる〕

不明

心象スケッチ 林中乱思

第三集

〔鉛いろした月光のなかに〕

第三集

〔爺さんの眼はすかんぼのやうに赤く〕

第三集

法印の孫娘

第三集

第三芸術

第三集

第三集?

蕪を洗ふ

第三集

〔何かをおれに云ってゐる〕

第三集

〔こっちの顔と〕

第三集

〔そもそも拙者ほんものの清教徒ならば〕

第三集

〔おぢいさんの顔は〕

第三集

〔鳴いてゐるのはほととぎす〕

第三集

密醸

第三集

毘沙門天の宝庫

第三集

火祭

第三集

第三集?

三月

第三集

牧歌

第三集?

地主

第三集?

会見

第三集?

事件

第三集

憎むべき「隈」辨当を食ふ

第三集

病院の花壇

第三集

〔まぶしくやつれて〕

第三集

〔あしたはどうなるかわからないなんて〕

第三集

保線工夫

第三集?

会食

第三集

〔まあこのそらの雲の量と〕

第三集

〔この医者はまだ若いので〕

第三集

〔みんな食事もすんだらしく〕

第三集

休息

第三集?

〔四信五行に身をまもり〕

第三集

〔湯本の方の人たちも〕

第三集

来訪

第三集

春曇吉日

第三集

冗語

第三集

〔しばらくだった〕

第三集

軍馬補充部主事

第二集

〔熊はしきりにもどかしがって〕

第三集

第三集?

第三集?

〔もう二三べん〕

第三集

〔馬が一疋〕

第三集?

〔職員室に、こっちが一足はいるやいなや〕

第三集

審判

第三集

〔あかるいひるま〕

第三集

〔高原の空線もなだらに暗く〕

第二集

〔あらゆる期待を喪ひながら〕

不明

〔黄いろにうるむ雪ぞらに〕

第二集?

 すなわち、「口語詩稿」に属する作品が54篇あるうちで、着想が「第二集」の時期と推測されるものが7篇、「第三集」の時期と推測されるものが45篇、不明が2篇、ということになります。
 すなわち、「第三集」の時期のものと思われる作品が、圧倒的に多くなっています。

 時間の関係で、今回はここまでとして、次回にはそれぞれの時期における作品番号の「欠番」の数について、見てみたいと思います。

「〔みんな食事もすんだらしく〕」
「〔みんな食事もすんだらしく〕」下書稿(一)(『新校本全集』第五巻口絵)