「春と修羅 第二集」所収の「嬰児」という詩は、当初「下書稿(一)」の第一形態では、「触媒」と題されていました。
五二
触媒
一九二四、四、一〇、
なにいろをしてゐるともわからない
ひろぉいそらのひととこで
まばゆい黝と白との雲が
つぎからつぎと爆発する
(あすこに海綿白金がある)
それはひとつづゝヘリオスコープの照面を過ぎて
いっぺんごとにおまへを青くかなしませる
(雲なら済むも済まないも
みんなこっちのかんがへだ)
風は緑褐に膨らんだ
おそろしい杉の梢を鳴らす
空に浮かぶ「黝と白との雲」が、上空の風によって流され、次々と太陽の前を通り過ぎていきます。太陽を横切る際に、雲は急に激しく輝くので、まるで爆発が起こったかのように見えるのでしょう。賢治はこれを、「あの雲は実は海綿白金で、これが触媒となって爆発が起こっている」という風に、化学実験のように見立てているのです。
実際のところ、水素と酸素の混合気に海綿白金を触れさせると、その触媒効果によって爆発的に反応が起こり水蒸気が発生しますが、賢治は盛岡高農時代に、この種の実験を経験していたのではないでしょうか。

これが「下書稿(二)」以降になると、題名は「嬰児」と改められ、前稿では「おまへを青くかなしませる」として一瞬だけ登場していた幼な子に、焦点が当てられます。
下記は、最終の「定稿」の形態です。
五二
嬰児
一九二四、四、一〇、
なにいろをしてゐるともわからない
ひろぉいそらのひととこで
縁のまばゆい黒雲が
つぎからつぎと爆発される
(そらたんぽぽだ
しっかりともて)
それはひとつづついぶった太陽の射面を過ぎて
いっぺんごとにおまへを青くかなしませる
……そんなら雲がわるいといって
雲なら風に消されたり
そのときどきにひかったり
たゞそのことが雲のこころといふものなのだ……
そしてひとでもおんなじこと
鳥は矢羽のかたちになって
いくつも杉の梢に落ちる
春のひと時、賢治はこの幼な子と、広い空の下で風に吹かれつつ一緒に過ごしているのでしょう。「おまへ」と呼びかけ、いろいろ教えてやっている様子からすると、親戚の子か何かでしょうか。「そらたんぽぽだ/しっかりともて」と、摘んだタンポポの花を優しく手渡しています。
ところでこの子は、雲が太陽の前を通り過ぎるたびに、なぜか「青くかなしませ」られているようです。
賢治が一方的に話しかけているところからすると、まだ言葉もしゃべれない赤ん坊なのではないかと思うのですが、そんな小さな子が、遠い空の雲の様子を眺めていちいち悲しんだりすることがあるのでしょうか。
これはおそらく、雲が薄くなって強い光が差す「爆発」の時に子供は眩しさに顔をしかめ、太陽が隠されてあたりが暗くなった時には顔色が「青く」なるという、刻一刻と変わる子供の表情を、賢治があたかもその感情の動きのように、見立てているのではないかと思います。
そして作品では次行以降も、上記と同じく「〈言葉を話さない存在〉が持つ〈こころ〉というものを、その〈見かけ〉から解釈する」というアプローチが、引き続き展開されていきます。
すなわち、「雲なら風に消されたり/そのときどきにひかったり/たゞそのことが雲のこころ」というのが、〈雲〉の〈こころ〉に対する賢治の解釈です。そのような動きをするのが雲という存在の「常態」であり、自然の「摂理」なので、いちいち悲しむ必要はないのだと、子供に言い聞かせています。
そして、さらにその次の行では、「そしてひとでもおんなじこと」と、この見方が人間にも敷衍されます。定稿の形態では、人間の場合は具体的にどう「おんなじ」なのかわかりませんが、「下書稿(二)」では、いったん次のような文言がブルーブラックインクで書きかけられ、その後削除されています。
そしてひとでもおんなじこと
いまは黄いろなたんぽぽを握り
あしたはなにか
いろいろ立派な名前のついた
さういうふものをとらうとして
それがとれずに
人間も幼い頃は、お前のようにたんぽぽを握るくらいだが、大きくなると「いろいろ立派な名前のついた」ものを取ろうとして、結局それが取れずにやはり悲しむのが、人の性だというわけです。大人が取ろうとする「立派な名前」のものとは、名誉とか地位とか人からの評価などでしょうか。
さらにこの部分に関しては、「下書稿(二)」の欄外には、次のような言葉が鉛筆で書き込まれ、また消しゴムで消されています。
ああ坊主、雲のこゝろといふものはな日がさせばひかり風がふけばとんで
暖くなったり乾いたりするとぽかっと消える そいつが雲のこゝろなもんだ
おまへもおれもおんなじことさ
「おまへもおれもおんなじこと」と記されていたことからすると、「いろいろ立派な名前のついた」ものを取ろうとして取れないというのは、賢治自身の自嘲でもあるかもしれません。
この作品と同じく、「〈言葉を話さない存在〉が持つ〈こころ〉を、その〈見かけ〉から解釈する」というアプローチの例として、その名もずばり「こゝろ」という作品が「口語詩稿」にあります。
こゝろ
光にぬるみ
しづかに析ける
そのことそれが巌のこゝろ気流にゆらぎ曇ってとざす
それみづからが樹のこゝろだ一本の樹は一本の樹
規矩ない巌はたゞその巌
ここでは、「巌」と「樹」の〈こころ〉が描かれています。日光で温められ膨張した岩石が劈開すること、あるいは曇って光合成が低下すると木の葉は気孔を閉じること、このような自然の営みが、巌や樹の〈こころ〉だというのです。
最後の二行は、生物として「個体」という単位を持つ〈樹〉と、それを持たない〈巌〉とを、対比しているのでしょうか。
さらに、「〔温く含んだ南の風が〕(下書稿(二)手入れ形)」には、次のような一節があります。
……
蛙のなくといふことが
すこしも擬人でないやうに
ながれるといふそのことが
たゞもう風のこゝろなので
稲を吹いては鳴らすと云ひ
蛙に来ては鳴かすといふ……
ここでは、「流れる」という動きこそが「風」の本質であり〈こころ〉だとされます。
さらに、風に吹かれて稲が鳴るのも稲の〈こころ〉であり、蛙が風に吹かれて鳴くのも蛙の〈こころ〉だということになるでしょう。
ちなみに、この箇所の少し前には、やはり「……」で囲まれ字下げされた、次のような箇所があります。
……風が蛙をからかって、
そんなにぎゅっぎゅっ云はせるのか
蛙が風をよろこんで、
そんなにぎゅっぎゅっ叫ぶのか……
ここでは、「蛙を風が鳴かせている」のか、あるいは「風で蛙が鳴いている」のか、すなわち蛙の鳴き声の主体性は、風の側にあるのか蛙の側にあるのか、という問題が提起されています。
これに対しては、「どちらも同じこと」というのが、賢治の答えなのではないでしょうか。
人間というのは、自分には「我」という主体性があって、何でも自ら考えて決断し、行動しているように思っています。しかし仏教の見方では、実は「我」という存在はなくて、自分の意志でやっているつもりの行動でも、過去からの「業」によって規定された事象が、ただただ展開していっているだけとも言えるのです。この世の全ての現象は、原因があって結果があるという因果の連鎖(=縁起)であり、その鎖の中の特定の一つの輪だけを取り出して、そこに「自由な主体性」があると言えるものではありません。
風も蛙も、ただ因果の法則に従ってそれぞれの動きを連ねているのであって、そこにあるのは風や蛙の「我」ではなく、ただ「縁起」です。
賢治が、上に挙げた作品において例示している「雲」や「巌」や「樹」や「風」の〈こころ〉も、私たちが普通に考えるような意味で、何かを感じたり、感情を抱いたり、考えたり、意志決定をしたりするような「心」ではありません。それらはただ、この世界にあって外界に反応し、自らの「性」に従って、個々の動きが展開されていくという「現象」です。そして『大乗起信論』などの世界観では、「現象」よりも普遍的な存在は、全ての衆生を包含する集合的な〈こころ〉=「衆生心」=「真如」です。
賢治が「嬰児」において、「そしてひとでもおんなじこと」と書いたのは、「我」という幻想にとらわれて、自らの自由で動いているつもりの人間に対しても、実はそうではなくて、空に漂う「雲」と同じなのだという認識を、記したのではないでしょうか。
赤ん坊の手にたんぽぽを渡すと、彼はそれをぎゅっと握るでしょう。しかしその行動は、何か具体的な目的や意図があってのことではなく、手に触れたものを握ろうとする原始的な反射(把握反射)です。
人間は大人になってからも、「いろいろ立派な名前のついた」ものをその手に握ろうとしますし、その主体的な意図や理由として、様々なもっともらしい御託を並べることもできますが、結局はただ己の「業」や「性」によって、そうしているに過ぎないとも言えるのです。
※
このように、動物だけでなく植物や無機物にも〈心〉があるとする考え方は、「汎心論」と呼ばれます。賢治は、このような世界観を仏教等で勉強して学んだというよりも、それは次のような青年期の短歌に見るように、理屈以前に彼の元来持っていた感性だったのだろうと思います。
32 黒板は赤き傷受け雲垂れてうすくらき日をすすり泣くなり。
59 ブリキ鑵がはらだゝしげにわれをにらむつめたき冬の夕暮のこと
69 西ぞらの黄金の一つめうらめしくわれをながめてつとしづむなり
そしてこのように「全ての存在に心がある」という前提が、仏教的に「全ての存在がみな成仏する」という信念につながったとしても、それはごく自然なことに思えます。
「ねがはくはこの功徳をあまねく一切に及ぼして十界百界もろともに仏道成就せん。一人成仏すれば三千大千世界山川草木虫魚禽獣みなともに成仏だ。」(1918年5月保阪嘉内あて書簡63)
「わが成仏の日は山川草木みな成仏する。」(1918年6月保阪嘉内あて書簡76)
もともとインドの仏教では、「心を持つ存在=有情」には成仏の可能性があるが、「心を持たない存在=無情」には成仏の可能性はないと考えられていました。しかし、日本の平安時代の天台学僧安然は『斟定草木成仏私記』という著書中で、有情であれ無情であれ、全ての存在が成仏する=「草木国土悉皆成仏」ということを主張しました。
末木文美士著『草木成仏の思想』によれば、安然は「心」という概念を、一般的な「慮知心」のみならず「草木心」などを含む、よりひろい範囲に拡張することによって、有情と無情の区別を撤廃し、草木も成仏するのだと論じたのです(同書pp.65-71)。
賢治が、植物や無機物など、様々な存在の〈こころ〉を感じていたことは、このような思想にも通じるもののように思います。
|
草木成仏の思想: 安然と日本人の自然観 |

コメント