政次郎の「資本主義の精神」

政次郎は理財家ではあるが、求道の人である。

(『新校本宮澤賢治全集』第16巻年譜篇p.16)

宮沢政次郎

30歳頃の宮沢政次郎
Wikimedia Commonsより)

 宮沢賢治の父政次郎が併せ持っていた、「経済人」としての側面と、「宗教人」としての側面について、『新校本全集』年譜篇は、上のように記しています。

 計算高い商売人であることと、敬虔な信仰者であることは、普通に考えると正反対の人間的性質のように思われますので、上の表現でもこの二つの側面は、「~ではあるが」という、「逆接」によって結ばれています。
 また政次郎自身も、「自分は仏教を知らなかったら三井、三菱くらいの財産は作れただろう」と言っていたということですが(『新校本全集』年譜篇p.15)、これもやはり、宗教と商売は相反する方角を向いた営みであり、なかなか両立しにくいものだという考えに立った言葉でしょう。

 しかし、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』によれば、元来プロテスタントの倫理は厳しい禁欲を説き、金儲けや利潤追求などは敵視していたはずなのに、実際には近代資本主義を生み出す母胎になったという、大いなる逆説が、現に起こったというのです。
 すなわち、18~19世紀のヨーロッパやアメリカでは、宗教性と経済性は対立するどころか、実は前者が後者を強力に推進していた歴史があったのです。

 ……となると、ひょっとしたら宮沢政次郎の内面においても、信仰者であることと商売人であることは、矛盾し対立することではなく、何らかの相補的な役割を果たしていたのではないか?とふと思ったのが、本日の記事のきっかけです。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
マックス ヴェーバー (著), 大塚 久雄 (翻訳)
岩波書店(1989/1/17)
Amazonで詳しく見る

 この問題について考えるために、まずマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の論旨を、おさらいしておきます。

 ウェーバーによれば、近代資本主義が勃興し発展していく過程においては、まずマルティン・ルターが聖書の新訳において導入した「天職(Beruf="召命"の意味もある)」という概念が、大きな役割を果たしたということです。ルターは、神が人間に与え給うた「天職」を、個々人が神聖なものとして受けとめ、それに専心することが、神の栄光への奉仕であるとしました。

 次いで、この職業観の土台の上に大きな働きをしたのが、カルヴァン派の重要教義である「予定説」です。
 従来カトリックの教義では、人間はこの世で神の愛を実践する「善行」を積めば、罪が清められて、救いの恩寵に近づくことができるとされていました。これに対して、カルヴァンの「予定説」によれば、最後の審判において救われる人間の選別は、神によってもう「既に決定されている」ので、人間が現世でいくら善行を積んだとしても、今さらそれが神の決定を変えることなど、ありえないのです。そして人間は、最後の審判の日まで、自分が救済される運命にあるのか否かを、知ることさえできないのです。
 これは人間にとっては非常に恐ろしい事態で、いくら救われたいと強く願ったとしても、この世でそれに役立つような手段は何もなく、人は自分の運命も知らないままに、ただ生きていくしかないのです。

 ここでカルヴァン派の信徒は、「自分はいったい神の救いに選ばれているのか?」「どうしたらその選びの確信が得られるのか?」という苦悶にさいなまれることになります。ウェーバーによれば、当時の牧師はこのような悩める信徒を、次のような二つの方法によって導いたということです。

その一つは、誰もが自分は選ばれているのだとあくまでも考えて●●●、すべての疑惑を悪魔の誘惑として斥ける、そうしたことを無条件に義務づけることだった。自己確信のないことは信仰の不足の結果であり、したがって恩恵の働きの不足に由来すると見られるからだ。
〔中略〕
いま一つは、そうした自己確信を獲得する●●●●ための最もすぐれた方法として、絶えまない職業労働●●●●●●●●●をきびしく教えこむということだった。つまり、職業労働によって、むしろ職業労働によってのみ宗教上の疑惑は追放され、救われているとの確信が与えられる、というのだ。

(岩波文庫『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』pp.178-179)

 上記の後者の方法によって、ルターが称揚した「天職」に邁進することは、信徒たちが疑念や不安を斥けて救いの確信を得る上で、必須の道筋となったのです。
 そしてさらに、ここに「世俗内禁欲」という規範が重ねられることによって、敬虔な信仰と禁欲とが、結果的に利潤追求や蓄財を導くという、不思議な逆説の回路が開かれることになります。

人間は神の恩恵によって与えられた財貨の管理者にすぎず、聖書の譬話にあるしもべのように、1デナリにいたるまで委託された貨幣の報告をしなければならず、その一部を、神の栄光のためでなく、自分の享楽のために支出するなどといったことは、少なくとも危険なことがらなのだ。〔中略〕人間は委託された財産に対して義務を負っており●●●●●●●●、管理するしもべ、いや、まさしく「営利機械」として財産に奉仕するものとならねばならぬという思想は、生活の上に冷やかな圧力をもってのしかかっている。財産が大きければ大きいほど、神の栄光のためにそれをどこまでも維持し、不断の労働によって増加しなければならぬという責任感もますます重きを加える。

(岩波文庫『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』p.339)

プロテスタンティズムの世俗内禁欲は、所有物の無頓着な享楽に全力をあげて反対し、消費を、とりわけ奢侈的な消費を圧殺した。その反面、この禁欲は心理的効果として財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放った。利潤の追求を合法化したばかりでなく、それをまさしく神の意志に沿うものと考えて、そうした伝統主義の桎梏を破砕してしまったのだ。

(岩波文庫『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』p.342)

 このようにして、プロテスタンティズムの禁欲主義は、元来は金銭欲や利潤追求とは対極にあったにもかかわらず、まずは予定説によって伝統的な「善行」を無効化し、次いでその合理性によって機械のごとく神の財産に奉仕し、その増殖に励むことを、正当化したのです。

 ところで上述の、プロテスタント的な意味での「禁欲」とは、東洋の修行者がするように、性欲を断ったり食事を制限したり、その他の苦行を行うようなことではありません。それは、無駄な消費をできる限り抑え、瞬時も休まず天与の職業の崇高な目標に奉仕するという、「行動的禁欲(active Askese)」と呼ばれる生活規範です。
 上で見たようにウェーバーによれば、このような行動規範こそが、近代資本主義の土台を形成したのです。
 下記は、このウェーバーの歴史的著作の、終わり近くの一文です。

 近代資本主義の精神の、いやそれのみでなく、近代文化の本質的構成要素の一つというべき、天職理念●●●●を土台とした合理的生活態度は──この論稿はこのことを証明しようとしてきたのだが──キリスト教的禁欲●●●●●●●●の精神から生まれ出たのだった。

(岩波文庫『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』pp.363-364)

 以上のようなプロテスタンティズムの倫理に対して、政次郎の信仰内容は、どんなものだったのでしょうか。
 ご存じのように、宮沢家は先祖代々真宗大谷派の安浄寺の檀家で、しばしばその総代も務め、政次郎の周囲には、浄土真宗の篤い信仰が充ち満ちていました。『新校本全集』年譜篇には、次のように描かれています。

宮沢家は日常生活が仏壇で規制されているといってよいほど、どっぷりと仏教(浄土真宗)的環境の中にある。キンはのべつに称名し、政次郎の姉ヤギは賢治に「正信偈」や「白骨の御文章」を子守唄とした。朝夕の勤行おつとめは欠かさない。

(『新校本宮澤賢治全集』第16巻年譜篇p.16)

 浄土真宗の教理において、まず何よりも特徴的なのは、阿弥陀に全てを委ねる「絶対他力」の思想です。
 われわれ愚かな一般人は、「自力」によって悟りに到達することなど到底不可能である一方、阿弥陀如来は全ての衆生を救済するという願を立て、それを実現して仏になった存在なので、われわれは基本的に何もしなくても、必ず阿弥陀如来によって救われるのだ、それは既に決定しているのだと、ひたすら信じるのです。すると、この世における善行や悪行は、その人の救済とは無関係なので、「善人なをもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」ということになるわけです。
 救済は既に決定しているにもかかわらず、信者が「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えつづけるのは、阿弥陀にわれわれの救済を願ったり祈ったりしているのではなく、絶対的な救済者である阿弥陀如来に対して、ただただ感謝を表明しているのです。

 これはある意味で、カルヴァンの「予定説」に、非常に似ています。予定説では一部の者だけが救われるのに対して、阿弥陀は全てを救ってくれるという違いはあるものの、どちらにおいても救済は既に決定しているので、こと救済の有無に関しては、人間が現世で善行を積んだり何かの犠牲を払ったりする必要は、全くないのです。

 このことは、現世の生活における「合理性」の尊重という、双方に見られる特徴につながっています。
 「Aという行為をすれば、宗教的力によってBという結果が得られる」という教えがあるとすれば、それは広い意味で「呪術」と言えます。
 プロテスタンティズムにおいては、もしもそのような現象があるとすれば、「人間が神を動かしている」という畏れ多いことになるので、それはあり得ないと断定します。カトリック教会が販売した「贖宥状(免罪符)」なるものも、教会が一種の呪術の片棒をかついでいたわけですが、これに対する反対運動が宗教改革の一つの契機になったのは、ご存じのとおりです。
 一方、浄土真宗から見ても、呪術や祈祷などは「自力」の行いであり、そんなものに頼るのは馬鹿げたこととして、一切を否定しています。

 すなわち、プロテスタンティズムにおいても浄土真宗においても、神や阿弥陀の絶対性を「信ずる」という一点においては、理屈を超えた大きな跳躍が必要ですが、それ以外の部分においては、ひとえに合理性が重んじられるところが、共通した特徴と言えます。

 さて、ここまでのところは、浄土真宗全般について言えることですが、政次郎個人の信仰についてさらに詳しく検討するためには、彼が当時の浄土真宗系の様々な団体の中で、具体的にどのような人々の教えに最も親しみ、信奉していたかということを、押さえておく必要があります。

清沢満之

清沢満之
Wikimedia Commonsより)

 そこで、政次郎が実際にどんな僧侶に教えを乞うたり、講習会に招いたり、書簡のやり取りをしたのかを見てみると、真宗大谷派の僧侶で明治中期~後期に活躍した、清沢満之という人物と、その門人たちが浮かび上がります。
 政次郎は、清沢が亡くなる前年の1902年に、東京で清沢を訪問したということですし、その門人である暁烏敏、多田鼎、近角常観らを、花巻の仏教講習会に招いて講話を聴いています。1906年には暁烏敏が講師となって、清沢満之の絶筆である『我信念』を講じています。また近角常観とは、後々まで長く、家族ぐるみで書簡のやり取りをしていました。
 清沢満之とその門人たちが展開した浄土真宗の思想運動は、彼らが刊行していた『精神界』という雑誌の名前から、「精神主義」と呼ばれますが、政次郎の浄土真宗信仰の核心は、この清沢らの「精神主義」にあったと言ってよいでしょう。

 清沢満之は、1863年に名古屋で生まれ、14歳で得度して真宗大谷派の僧侶となり、1887年に東京帝国大学文学部哲学科を首席で卒業しました。続けて東大の研究院(大学院)に進学しますが、翌年に東本願寺の依頼で京都府立尋常中学の初代校長となり、京都に転居しました。
 京都では宗教哲学の研究を行いつつ、自ら「ミニマム・ポシブル」と呼ぶ極端な禁欲生活を行いましたが、1894年に体を壊して結核に倒れます。療養後、1895年に東本願寺の宗門改革運動に立ち上がりますが、保守派との争いに敗れて、いったんは僧籍を剥奪されてしまいます。この処分は、1898年の蓮如上人遠忌の大赦にて解かれました。
 1899年に、清沢は居を東京に移して私塾「浩々洞」を開き、1901年には、暁烏敏、多田鼎、近角常観、佐々木月樵ら門人たちと、雑誌『精神界』を創刊し、活発な言論活動を展開します。清沢らの唱導する教学や思想は「精神主義」と呼ばれるようになり、宗教界や思想界に大きな影響を与えていきました。しかし翌1902年に、11歳の長男と妻を相次いで亡くし、東京の居宅を引き払って、自坊のある三河に帰ります。
 そしてまもなく清沢自身も、持病の結核が日を追うごとに悪化し、絶筆となる『我信念』を著した6日後、1903年6月に39歳で亡くなりました。

 さて、清沢満之の宗教思想の根幹は、絶筆の『我信念』に記している「私の信念は〔阿弥陀如来の〕無限の慈悲と無限の智慧と無限の能力との実在を信ずるものである」という言葉のように、阿弥陀如来への絶対的な信仰にあると言えるでしょう。
 以下では、プロテスタンティズムの倫理と比較するために、この根幹からすると少し枝葉の方の部分に、注目して見ていきます。

 まずは、清沢の思想における、職業観です。

   四一。我職業を愛重せよ

 我職業は天與の任務なり。之を愛重せざるは天與を辱むるものなり。若し我職業に對して不備の念の生ずるあるは、是れ忘念の善心を害せんとするものなり。當に勉めて之を拂掃すべし。玉に積るの塵は時に之を拂拭するを要するなり。若し其素撲は根本的に琢磨を加へて、其光輝を發せしめざるべからず。如何なる職業も、其正當なる所に付て之を観察せば、畢竟絶對無限の價値あるに至るなり。

(清沢満之『懺悔録』p.216)

 すなわち、己れの職業は天与の任務であり、職業を愛し大切にしないと、天を侮辱することにもなってしまうということです。職業意識をよく磨き抜けば光輝を発し、絶対無限の価値があるというのです。
 これはまさに、マルティン・ルターが人間の職業について、それは「天職(Beruf)」であり、神からの「召命」であると位置づけたことと、重なり合います。
 政次郎は高等小学校を卒業すると、自分の進路など考える暇もなく、父の家業を手伝わされて商人になり、以後ずっと己れを商売に捧げてきました。もしかしたら自分の人生について、これでよいのかと迷った時もあったかもしれませんが、「我職業は天與の任務なり。之を愛重せざるは天與を辱むるものなり」という職業観は、そのような迷いも払拭してくれるものだったのではないでしょうか。

 また清沢の次のような言葉は、仏教的には「業」の深い職業とされてきた、商売や漁猟に携わる者にも、救いを与えたことでしょう。

 一度如來の慈光に接して見れば厭ふべき物もなければ、嫌ふべき事もなく、一切が愛好すべきもの、尊敬すべきものであつて、この世の事々物々が光りを放つやうになる。〔中略〕
 此に至ると道德を守るもよい、知識を求むるもよい、政治に關係するもよい、商賣するもよい、漁獵をするもよい、國に事ある時は銃を肩にして戰争に出かけるもよい、孝行もよい、愛國もよい、工業もよい、農業もよい、即ち、「資生産業皆これ佛教」で、「佛教は日用の處、穿衣喫飯の處、撒屎放尿の處、行住坐臥の處に在り」である。

(清沢満之『精神講話』pp.146-147)

 ここで清沢が特に、「商売するもよい、漁猟をするもよい」と書いているのは、親鸞の『唯信鈔文意』にある、次の箇所を意識したものでしょう。

はよろづのいきたるものをころしほふるもの、これは獵師れうしといふものなり、はよろづのものをうりかふものなり、これはあきびとなり、これらを下類げるいといふなり、かやうのあしきひと獵師れうしさまのものは、みないしかはらつぶてのごとくなるわれらなり。

(近角常観校訂『唯信鈔・唯信鈔文意』pp.16-17)

 親鸞は、猟師や商人を「下類」と言い、しかし実は石・瓦・礫のような「われら」全員が、その同類なのだと述べています。
 もしも政次郎が、商人としての利益の追求に葛藤を感じることがあったとすれば、ここで清沢満之が「商売するもよい」「資生産業皆これ仏教」と書いてくれていることは、大きな救いになったのではないかと思います。

 さて次には、清沢満之の思想における現実主義的・進歩主義的な的な側面について、見てみます。
 「精神主義」という呼称からは、「物質的・現世的なものは重視しない」という姿勢を想像するかもしれませんが、実際には清沢の思想は、非常に現実主義的で、「万物の発達進歩」や「福利の増進」を、賞揚するものだったのです。

   三七 人生

 人間にありて人生を厭ひ人生に背くは不當の事たるなり、吾人が人生を尊重せざるべからざることは言を待たざるなり。然れども其所謂人生なるものは如何なるものたるべきや、
〔中略〕
然れば其意味とは果して何事ぞや、吾人の發達進歩なり、世界の發達進歩なり、萬物の發達進歩なり、此等の發達進歩は既に其徴證を吾人の左右前後に提起しつゝあるにあらずや、此徴證を實驗しつゝも、尚人生を以て無意味なりと云はんとするものあるか、吾人は之に與する能はざるなり。

   三八 活動は必ずしも進化作用にあらず

 吾人は發達進歩を以て萬有成立の最大要義なりと信ず、而して其發達進歩が活動を必要とすることは言を待たざる所なり、故に吾人人生に在りても、活動は重大の要件なること論なきなり。

(清沢満之『修養時感』pp.84-86)

 浄土信仰と言えば、「厭離穢土 欣求浄土」という言葉が思い浮かびますが、これは「穢れた現世など早く離れて、浄土へ行きたい」と願うもので、厭世的な思想の表現です。しかし清沢満之はこれと対照的に、「人生を厭ひ人生に背くは不当の事たるなり」と述べ、われわれの人生の意味は、「万物の発達進歩」にあるのだと言うのです。
 上の『修養時感』が刊行された1903年には、一高生の藤村操が「万有の真相は不可解」との言葉を遺して華厳の滝から身を投げ、世間を驚かせましたが、彼らのような「煩悶青年」とは対極にあるような、楽観的な現世肯定です。

 また、「精神主義」という名称からは、「沈思黙考し内省する」ような、静的な生活態度を連想するかもしれませんが、学生時代の清沢は、「挙動は甚だ活発で、走る、相撲をとる、衣服の損じていないことは稀で、たびたび学校の先生に叱られていた」(山本伸裕『清沢満之と日本近現代思想』p.50)ということです。
 後生の清沢満之の思想にも、このような行動的・活動的な側面が、色濃く表れています。

   五七。福利の増進

 福利の増進は進歩の大目的なり。故に之を普遍的に云へば、吾人は一般に福利増進の事に從事せざるべからず。而して此に積極的と消極的の二面あり。所謂精進の法と、忍辱の法との二者なり。

(清沢満之『懺悔録』pp.232-233)

   一八。精進の心

 勇往邁進とか、勇猛精進とか、驀直進前とか云ふ樣な言句は澤山ある言葉で、何れも皆吾人に必要なる德行を教ふるものと傅へらる。其事は如何なることかと云ふに、つまり何事でもずつとやれと云ふのである。なんでもないことである、ずつとやる丈のことである。然るに此なんでもないことが甚だ六か敷い。年を取りて、智慧や經驗が増すに從ひ、愈六か敷くなることである。此でよいかしらん、此ではわるいかしらん、やるがよいかしらん、やめるがよいかしらん。〔中略〕
 如何にして吾人は此苦悶を免かれ得べきであるか。智識や經驗は、此苦悶を取り去る所の道具ではないどうすればよいか。驀直進前するがよい、ずつとやればよい、彼れ此れ思はぬがよい、善だの惡だの是だの非だのと妄想分別に陥るからいけない。

(清沢満之『精神講話』pp.124-126)

 ここで清沢が推奨している「精進」という行動理念は、プロテスタンティズムにおける「行動的禁欲(active Askese)」という態度に、非常に似ているのではないでしょうか。
 もともと仏教において「精進」とは、「仏道修行に励む」ということですが、「精進料理」という言葉に表れているように、そこには「禁欲」が深く関わっています。そして清沢は上記「精進の心」にあるように、「何事でもずっとやる」こと、「驀直進前」することが、「精進」の基本原理だと言うのです。
 これは、プロテスタンティズムにおいて、「不断の労働」こそが「行動的禁欲」の実践であるとされたことに、似通っています。

 そして、ここで上の「五七。福利の増進」に戻ると、この「精進」と「忍辱」こそが、「福利の増進」に資するのだと、清沢満之は述べているわけです。
 ここには、「行動的禁欲が、利潤追求や蓄財を合理化する」という、プロテスタンティズム倫理が孕む逆説との、興味深いアナロジーあるように、私には思えます。

 ……ということで、以上をまとめてみると、清沢満之の「精神主義」という思想は、天与の職業を絶対無限の価値あるものとして受け入れるよう求め、人生の意味は万物の発達進歩にあると考え、そのためにひたすら精進して福利の増進に努めることを、推奨するものと言えます。そしてくしくもこれは、マックス・ウェーバーがプロテスタンティズムに見出した行動倫理と、共通するものを多く持っています。

 ただしウェーバーの論旨は、プロテスタンティズムの倫理が先に存在して、これが近代資本主義の形成に大きな役割を果たしたというものであるのに対して、宮沢政次郎においては、清沢の思想が先にあってその後商人になったわけではなく、高等小学校を出たらすぐに商売の世界に入り、清沢満之の思想に親しんでいったのは、それより後のことだったと思われます。しかしそれでも、清沢の思想が持っている合理性、勤勉性、禁欲的な活動性と発達進歩への信頼は、政次郎が終生迷いなく商業活動に邁進し、積極的に事業を拡大していく上で、大きな精神的拠り所となったのではないかと、考える次第です。

 浄土真宗は、呪術や祈祷を否定するなど合理主義的・現実主義的な姿勢が特徴ですが、賢治が自らの超常体験について家族に語った際に、政次郎が「そんな怪しい話をするな」と戒めたのも(書簡153)、そのような思想の表れでしょう。これに比べると、鎌倉新仏教の中でも日蓮の教えは、遙かに超現実的で、「法華経を信ずる者は諸天善神に守護してもらえる」とか、「法華経を信じなければ国が乱れ外国に攻められる」など、「呪術的」な色彩が充ち満ちています。
 ファンタジックな傾向の強かった賢治にしてみれば、現実的な浄土真宗や清沢満之の思想よりも、不可思議な力を積極的に肯定する日蓮の教えの方が、少なくともその感性には合っていたのではないかと思います。

『精神界』
『精神界』(山本伸裕『清沢満之と日本近現代思想』p.71より)