劇団民藝「風紋─この身はやがて風になりても─」

 劇団民藝による、宮沢賢治を題材とした舞台「風紋─この身はやがて風になりても─」の公演を、見に行ってきました。紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAにて、2月6日~14日の間、上演されていました。

劇団民藝「風紋─この身はやがて風になりても─」

 作者は、NHKの2023年の朝ドラ「らんまん」の脚本でも知られる長田育恵氏で、登場人物は以下のとおりです。

宮澤 賢治 東北砕石工場技師。36歳。死の二ヵ月前。

夏井 巳喜雄 仙人峠駅駅舎兼旅籠の主人。アヤの舅。

夏井 アヤ 仙人峠駅駅舎兼旅籠の手伝い。巳喜雄の義理の娘。

松峯 大悟 仙人峠を根城にする運び屋。

桐島 三郎 遠洋漁業帰りの漁師。

工藤 俊作 都市からの失業者。実は特高警察。

志村 町子 元浅草金龍館の踊り子。

小畑 キミ 貧村から売られる少女。

保阪 嘉内 賢治の盛岡高等農林学校時代の友人。

宮澤 トシ 賢治の妹。24歳のときに肺病で亡くなる。

 舞台は、次のような設定で始まります。

一、峠➀
一九三三年(昭和八年)七月三〇日、夕刻。
外は嵐。昨日の深夜から降り続いている。
岩手軽便鉄道終着の仙人峠駅、その駅舎兼旅籠。
〔中略:仙人峠の説明〕
この駅舎兼旅籠は、峠越えする旅人たちの補給所となっている。
入口を入ると、土間と座敷。
土間には、水桶と掃除用具、旅行客用のベンチなど。
座敷は居間としても使われており、僅かな家財道具がある。
宿帳をつけるための座卓、筆や筆記用具。
片隅には仏壇。仏壇には壺が飾られている。
(のちにわかるが、壺には貝殻がいくつも入っている)
座敷から別座敷に続く廊下。宿泊者はそちらに泊まる。
炊事場などもそちらにある。
駅舎兼旅籠の主人は夏井巳喜雄。その義理の娘アヤ。
巳喜雄の息子でアヤの夫の邦彦は、三月に三陸大津波で亡くなっている。

(『悲劇喜劇』Mar.2026 No.839 p.141)

 激しい嵐の中、岩手軽便鉄道の最終列車が、終点の仙人峠駅に着きました。さまざまな乗客が、駅舎併設の旅籠に入ってきますが、あと一人列車に乗っていたはずの、大きな鞄を持った男が見当たりません。旅籠の主人が探しに行くと、その男は駅のベンチで気を失って倒れていました。
 乗客たちも手伝って旅籠に運び込み、とりあえず座敷の布団に寝かせ、身元を調べるために大きな茶色の鞄を開けてみると、肥料の入った砂袋やレコードや原稿用紙の間から、「東北砕石工場 技師 宮澤賢治」と書いた名刺が出てきました。

 その後まもなく、仙人峠を越える道は落石のために通行止めになり、さらに岩手軽便鉄道の仙人峠駅の手前でも、線路が浸水します。乗客たちは、進むことも退くこともできなくなって、山中の小さな宿に閉じ込められてしまったのです。
 宿の座敷では、桐島や松峯たちが行う博打、不審な失業者工藤俊作とその彼女町子の痴話喧嘩、釜石に売られて行く貧しい少女キミの身の上話、遠洋マグロ船漁師の桐島が未亡人夏井アヤに寄せる恋心などの、群像劇が繰り広げられる一方、熱にうなされる賢治の夢の中には、妹のトシや親友の保阪嘉内も登場します。
 賢治は、旅籠で働く夏井アヤの献身的な看護で意識を取り戻しますが、花巻の名士の息子と知った主人が自宅に連絡しようとすると、頑なに拒否します。このあたりの様子は、1931年9月に東京で高熱を出して倒れた時、周囲の人が自宅に知らせようとすると、やはり断固拒否したという史実を彷彿とさせます。

 賢治が旅籠主人の巳喜雄とアヤに語ったところでは、彼が重病を押して無茶な旅をしようとした理由は、釜石にいる教え子から、3月の津波で畑が海水をかぶったので助けてほしいと頼まれて、土質調査と肥料設計のために行くのだということでした。
 死を前にしたこういう無茶な献身は、実際の死の前日に一人の農民が肥料の相談に来て、家族の制止も聞かずに長時間相談に乗ったというエピソードを思い起こさせます。劇中でも巳喜雄とアヤが、こんな体でこれ以上の旅行は無理だと止めますが、賢治は言うことを聞きません。

 印象的だったシーンの一つは、お互いに深い喪失を抱えた夏井アヤと賢治の、中盤あたりの会話です。
 アヤの夫の邦彦は、この年3月の昭和三陸大津波で行方不明になり、アヤは今も釜石の海岸に夫を探しに行っては、空しく貝殻を拾って帰り、仏壇の壺に入れつづけています。賢治は、自分も10年ほど前に妹を若くして亡くし、その妹の行方を探すために、樺太の終着駅まで行ったことを語ります。
 未亡人となったアヤに、漁師の桐島は酔って恋心を打ち明け、松峯も「死んだ人はさ、帰ってこねぇよ」と言って前を向くことを勧めますが、賢治は「忘れられませんよ。いなぐなっでねえんですから。ただちっと、俺だぢから見えねぐなっだだけで……」と言って、まだ喪失を受け容れられないアヤの心情を、肯定し支持します。

 後に旅籠主人の夏井巳喜雄が語ったところでは、津波の日に息子の邦彦はたまたま非番で、巳喜雄が釜石に行く用事を頼んだばかりに、津波に遭ってしまったのだということです。巳喜雄の顔には自責の念が浮かんでいます。
 津波の2~3日後、巳喜雄とアヤが邦彦を探しに釜石に行き、知人から聞いたところでは、邦彦はいったんもやい舟につかまって助かっていたものの、親子が流されているのを見て、その二人を舟に乗せるために自分は降りて木切れにつかまっていたところ、松の木にぶつかって行方がわからなくなったということでした。
 この部分は、「銀河鉄道の夜」において、タイタニックと思しき客船に乗っていた家庭教師と子供二人が、他の小さな子供たちに救命ボートへの乗船を譲って、客船とともに沈んだ、という箇所を思い起こさせます。

 邦彦を釜石に行かせてしまった巳喜雄は、そのことをずっと悔やんでいましたが、賢治が特高刑事の工藤俊作と議論する中で言った、「自分は結局何も実現できず、情けない状態でもうすぐ死んでいくけれども、たとえ死んでも、まことの道の実現を願いつづける」という趣旨の言葉に何かを感じたようで、後で「さっきのあんたの言葉聞いたら、俺ァはじめて──あいづ、やりきったんだろうなぁ。悔いはねえんだろうなぁっで──あいづはもう……ここさはいねぇ気がして……」という心境に至ったことを吐露します。

 最後近く、賢治は大きな鞄から原稿用紙を取り出し、アヤの前で「グスコーブドリの伝記」の、終わりの部分を読み始めます。ブドリが火山島に一人残って、サンムトリ火山を爆発させる場面です。アヤも続けて原稿用紙を手に取り、朗読を引き継ぎます。
 そして幕切れの、「次の日、イーハトーヴの人たちは青ぞらが緑いろに濁り、……たくさんのブドリやネリたちは、その冬を楽しく過ごすことができたのでした。」の部分は、トシが舞台に登場して朗読します。
 読み終えたトシは、「何も──ひとり、死ななくてもいいのにね。」と、苦笑しつつつぶやきます。賢治は照れるように、「いいんだ。みんなの本当の幸いのためだから。」と答えます。さらにトシが、「誰もがきっと言うよ。もっと上手いやり方はないのかって。こんなのは、」と突っ込むと、賢治は「これは、ただ……俺の夢。わがままだ。」とうつむきました。

賢治 ……ずっと、おめぇに謝りたかったよ。

トシ なして?

賢治 たったひとり逝かしちまったこと。おめぇは迷いもなく青く澄んだ道を辿っていった。俺はおめぇをその道さ誘ったくせに、薄暗い迷いの中をいづまでも彷徨ってる。……嘘つきの罪人つみびとだ。

トシ 兄さんはもう赦されてる。ううん、最初から、罪人なんかでねえよ。

賢治 でも俺は、悔いばっかりだ。

トシ その悔いが、お話しさなったんだべ?

賢治 ──、

トシ 兄さん。願いはね、生きてる者だけの特権じゃねえよ。花や風、星ひとつになって見えなくなった者たちも、愛する人のために願うよ。わたしも兄さんに言いたかった。この星の──青い空と海の中、島々からなる小さな国の、東北にあるイーハトーヴ。そごさ住む、私の兄さんが守られますように。──兄さんの願いが叶いますように。

トシ、原稿を賢治の元に返す。海の方へ還っていく。

賢治 トシ、俺もじきに行くから、待っててけろ。

トシ 来なくていい。……でも怖がらないで。ここの空はね、晴れ渡ってるよ。

トシ、去る。

波の音が消えていく。

原稿を読んでいたアヤ、顔を上げる。

アヤ 宮澤さん、あなたは作家だったのね。

賢治 はい、本は詩と童話が一冊ずつ、ほんの自費出版で出したようなもんだけんど。妹とは──トシとは、北の果てさ行っても会われねがった。んだども、あいづはずっとここさ居たんだ。……ここさ居る。

いつのまにか、窓から光が差し込んでいる。

アヤ ああ、夜が明けるね。

賢治とアヤ、窓の外を見る。

(『悲劇喜劇』Mar.2026 No.839 pp.181-182)

 四日目の朝、空は明るく晴れ渡り、仙人峠駅に留め置かれていた人々は、それぞれ出発して行きます。賢治は、運び屋の松峯に駄賃を弾み、釜石まで馬で送ってもらって、さらに松峯が教え子の畑に入って作業をする約束を取り付けました。仙人峠のてっぺんの様子を語るところでは、詩「」の一節が引用されます。
 皆が去った後、賢治が使っていた布団をアヤが片付けようとすると、そこには『注文の多い料理店』と題された一冊の本が残されていました。それは、忘れ物なのでしょうか、それともアヤへの贈り物なのでしょうか……。

 本作のテーマの一つは、賢治にとってのトシの夭折・保阪嘉内との別離、夏井アヤと巳喜雄にとっての邦彦の行方不明という、三者の深刻な「喪失体験」を、それぞれがどのように受けとめていくか、ということだったと思います。
 その受容のための一つの道筋は、賢治が上の引用部の最後で「あいづはずっとここさ居たんだ。……ここさ居る」と述べているように、「死者は、実はいつもそばにいる」という、「共存」の感覚にあるのではないかと思います。アヤが釜石の浜辺で拾ってくる貝殻も、そのような共存の「依り代」でした。賢治の作品から読みとれる、このような「死者との共存感覚」については、私も以前に「宮沢賢治のグリーフ・ワーク」(『宮沢賢治研究Annual』Vol.26, 2016)という文章などで考えてみたことがありました。

 また、喪失の苦しみは、そこに「生存者の罪悪感サバイバーズ・ギルト」が結びついている場合に、さらに痛切なものになってしまいます。賢治がトシに「謝らなければならない」と言っているのもこの感情ですし、巳喜雄が「自分があの日、邦彦に用事さえ頼まなければ……」と自分を責めているのもそれです。
 この根深く困難な感情に対して本作では、「生者の視点だけでなく、死者の視点から眺めてみる」という転換による昇華が示されているように、私には感じられました。賢治に対して、すでに死者であるトシは、赦しとともにそもそも罪人ではないと告げ、巳喜雄は邦彦が「やりきったんだろうなぁ。悔いはねえんだろうなぁ」と思っているだろうと、死者自身の気持ちを実感します。
 この「死者からの視点」を、生者がしっかりと掴める場面は、現実には稀有で貴重な瞬間ですが、ひとたびこれが訪れるや、思わぬ力を発揮するものです。

 さて、作者の長田育恵氏が宮沢賢治を題材とするのは、2012年の「青のはて」、2017年の本作の前身に次いで、三作目だということです。上の作品紹介中でいくつか記したように、この作品からは賢治の伝記的事項に対する細かい目配りや、作品からの適確な引用や翻案など、作者の賢治への造詣の深さが感じられます。賢治の「最後の手紙」である、1933年9月11日付け柳原昌悦あて書簡488からの引用も随所に散りばめられており、この手紙を読んだことのある人は、台詞を聞いているとあちこちでじんとくるでしょう。

 ところで、本作で賢治の鞄の中に入っていたレコードは、劇中では「読めねえ! 横文字だあ!」ということで明らかにされませんでしたが、『悲劇喜劇』の3月号に掲載されている脚本によれば、これはリヒャルト・シュトラウス作曲の交響詩「死と変容」だったということです。
 この「死と変容」のレコードは、実際に賢治が1931年9月に東京で倒れた際に、トランクに入れて持参し、友人の菊池武雄に「形見みたいなものだ」と言って贈ったという代物で、こういうところにも、芸の細かい設定が施されていると感じます。
 「死と変容(Tod und Verklärung)」は、若い頃から病弱で何度か死にかけたというリヒャルト・シュトラウスが、自らの体験を作品化したものと言われており、病人が死との闘いで疲れ、人生を回想するうちに、平穏な死と浄化(Verklärung)が訪れる、という構成になっています。
 R. シュトラウスの曲では、浄化されるのは死に行く者でしたが、この劇では、生者の方が浄化され、変容していく……という感じです。

 最後におまけとして、下記はゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団による、「死と変容」の名演です。