先日、杉浦静さんの著書『宮沢賢治 生成・転化する心象スケッチ』が刊行されました。
宮沢賢治 生成・転化する心象スケッチ 杉浦静 (著) 文化資源社 (2023/11/10) Amazonで詳しく見る |
収録された論考はいずれも精緻で含蓄があり、1993年刊の『宮沢賢治 明滅する春と修羅』以降30年間の、杉浦さんの研究の集大成となっています。とりわけその中の、「「永訣の朝」の生成──おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに」に、あらためて感銘を受けました。
賢治の作品や生涯/ハイパーリンクされた詩草稿/賢治が作った歌曲/全国の文学碑…
先日、杉浦静さんの著書『宮沢賢治 生成・転化する心象スケッチ』が刊行されました。
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収録された論考はいずれも精緻で含蓄があり、1993年刊の『宮沢賢治 明滅する春と修羅』以降30年間の、杉浦さんの研究の集大成となっています。とりわけその中の、「「永訣の朝」の生成──おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに」に、あらためて感銘を受けました。
「宮沢賢治学会イーハトーブセンター功労賞」とは、「宮沢賢治の存在と作品に触発されて、多年に渉り様々な普及や研究活動を重ねてきた個人または団体を対象に」、その功績を顕彰するために、同センターが2016年に設けた賞です。第8回となる今年度の受賞者は、「栃木・宮沢賢治の会」と「米澤ポランの廣場」でした。
どちらの団体も、賢治作品の読書会を根幹に据えて、長年にわたり工夫をこらしつつ、息の長い研究・普及活動を積み重ねられた成果が、今回の受賞に至ったのだと拝察します。去る9月22日に花巻で行われた賞贈呈式後の懇親会の場では、両団体の皆さんといろいろ賢治談義に花を咲かせることができて、貴重な時間を過ごさせていただきました。
下の写真は、賞贈呈式における「栃木・宮沢賢治の会」の、「受賞者あいさつ・活動内容紹介」の一コマです。
先日掲載した「五がつははこだてこうえんち」の中に、「螺のスケルツォ」という言葉が出てきますが、これはいったい何なのでしょうか。
夜ぞらにふるふビオロンと銅鑼、
サミセンにもつれる笛や、
繰りかへす螺のスケルツォ
「セロ弾きのゴーシュ」の草稿欄外には、「猫のアベマリア」「かくこうのドレミファ」「狸の子の長唄」「鷺のバレー」などと、動物たちが奏でる音楽が並べられていて面白いですが、「螺のスケルツォ」となると、ひょっとして小さな貝がスケルツォを演奏するのでしょうか?
そこで、こういう謎にぶつかった場合の常として、原子朗さんの『定本 宮澤賢治語彙辞典』を調べてみると、「スケルツォ」の項目には次のような説明があります。
スケルツォ 【音】scherzo(伊) 諧謔曲。従来、交響曲等の第三楽章に用いられていたメヌエットの代わりに、ベートーヴェンが好んで使った技法。快活な曲。詩[凾館港春夜光景]に、浅草オペラをイメージして「夜ぞらにふるふビオロンと銅鑼、/サミセンにもつれる笛や、/繰りかへす螺のスケルツォ」とある。「
螺 」(音はラ)は殻が左巻きの貝の総称で、上にくりかえすがあるゆえ、さんざめく夜景からスケルツォのリズムの繰り返しを貝殻の左巻きにたとえたもの。サミセンは三味線(シャミセンの誤記ではない)。
「凾館港春夜光景」の一部に萩京子さんが作曲した「五がつははこだてこうえんち」を、VOCALOID の歌と様々な楽器で演奏してみました。
五がつははこだてこうえんち
宮澤賢治作詩・萩京子作曲
……五がつははこだてこうえんち、
えんだんまちびとねがひごと、
うみはうちそと日本うみ、
りゃうばのあたりもわかります……
夜ぞらにふるふビオロンと銅鑼、
サミセンにもつれる笛や、
繰りかへす螺のスケルツォ
あはれマドロス田谷力三は、
ひとりセビラの床屋を唱ひ、
高田正夫はその一党と、
紙の服着てタンゴを踊る
去る9月21日に、「関西宮沢賢治の会」が比叡山延暦寺で毎年行っている賢治忌法要に参加して来ました。
今年は、花巻の賢治祭と同様、雨のために碑の前ではなく屋内での開催となりましたが、下の写真のように、延暦寺の高僧の方々の読経によって、しめやかに執り行われました。
宮澤賢治の作品は幻想的であるとよく言われますが、そもそも文学が「幻想的である」というのは、いったどういうことなのでしょうか。
この一見とらえどころのない問題について、理論的なアプローチを行っているのが、ツヴェタン・トドロフという人の『幻想文学論序説』です。
幻想文学論序説 (創元ライブラリ) 文庫 ツヴェタン・トドロフ (著), 三好 郁朗 (翻訳) 東京創元社 (1999/9/16) Amazonで詳しく見る |
本書におけるトドロフの定義によれば、「幻想とは、自然の法則しか知らぬ者が、超自然と思える出来事に直面して感じる『ためらい』のことなのである」というのです。(p.42)
1926年(大正15年)1月から3月まで開講された「岩手国民高等学校」において、同校主事を務めた高野一司は、宮澤賢治と深い関わりを持つことになりました。
この二人の間の興味深いエピソードとして、『新校本全集』第16巻(下)年譜篇には、次のような記載があります。
国民高等学校の主事は県社会教育主事の高野一司で、はじめから仲がよく、留守の時は賢治が代理をした。このふたりがあるとき猛烈な雪合戦をはじめ、ついには組み打ちになって雪の上をころげまわった。しばらくしてふたりは頭からぼやぼや湯気を上げ、洋服の雪を払いながら笑い合った。このような烈しい賢治の姿を見たことは初めてであったと、農学校、国民高等学校の生徒であった平来作は言う(関『随聞』一八一頁)。
高野主事については「文語詩篇」ノートに「偽善的ナル主事、知事ノ前デハハダシトナル」ともあり、あるいはそこで公憤があらわれたと見られなくもない。(p.331)
「はじめから仲がよく」と見られていた一方で、時に烈しい組み打ちをしたり、後に「偽善的」などと評したりするというのは、実際のところ賢治はこの人物に対して、どういう感情を抱いていたのでしょうか。
今回はこの高野一司という人の生涯について、少し調べてみました。
この9月22日~23日、花巻で宮沢賢治賞・イーハトーブ賞の贈呈式と、宮沢賢治学会イーハトーブセンターの定期大会が開かれましたので、参加してきました。
今年の宮沢賢治賞は、法政大学教授の岡村民夫さん、宮沢賢治賞奨励賞は東北大学名誉教授の大内秀明さん、イーハトーブ賞は作曲家の中村節也さんとテノール歌手の福井敬さんです。
大内さんは残念ながらご欠席でしたが、岡村さんと中村さんは、それぞれに示唆に溢れた魅力的な記念講演をして下さいました。そして福井さんは、表彰の後に賢治の「精神歌」と「種山ヶ原」を、さらに午後には「特別公演」として、「剣舞の歌」、「牧歌」、「星めぐりの歌」に続き、アンコールとしてプッチーニの「トゥーランドット」よりアリア「誰も寝てはならぬ」を歌って下さいました。その圧倒的な歌唱は、私にとっても忘れられないものとなりました。
会場では録音等は控えましたので、当日の記録のかわりに、ここにはYouTubeから福井敬さんの「誰も寝てはならぬ」を貼っておきます。あの殺風景な「なはんプラザ」のホール一杯に、この輝かしい歌声が響きわたったのです。
宮沢賢治研究会より、『[評釈] 宮沢賢治短歌百選』が刊行されました。
これは、九百首余りあるという賢治の短歌の中から代表作百首を選び、「宮沢賢治研究会」の会員が分担して解説を付けたもので、一見コンパクトながら590頁にも及ぶ浩瀚な一冊です。私も二首分だけ、分担執筆させていただきました。
万葉集研究でも著名な歌人佐佐木信綱は、1898年(明治31年)に歌誌『心の花』を創刊し、短歌結社「竹柏会」を結成しました。これ以来現在も刊行を続けている『心の花』は、今年で125周年となり、これは現存する短歌雑誌の中で最も長い歴史を持つということです。
賢治の親友保阪嘉内は、この短歌結社「竹柏会」の同人でした。1921年(大正10年)6月に甲府で行われた、竹柏会山梨支部の発会記念の会にも出席しています。(下写真は、甲府瑞泉寺で行われた竹柏会山梨支部発会記念会、保阪嘉内は後列左から2人目。山梨県立文学館『宮沢賢治若き日の手紙』p.64より)