鈴木輝昭作曲「薤露青」

 例年は「賢治祭」や宮沢賢治学会イーハトーブセンターの総会および関連行事が行われるこの時期ですが、今年は賢治祭も学会行事も中止になってしまいましたので、ひたすら家にこもって、鈴木輝昭氏作曲の「薤露青」を、パソコンに打ち込む作業をしていました。
 これはとても先鋭的で美しい響きの曲で、パソコンで演奏するのはなかなか大変だったのですが、ひとまず連休中に出来上がった演奏を、お聴きいただければ幸いです。

 「tin…」「tun…」という特徴的な響きは、北上川の夜の大気に漂う「銀の分子」を象徴するものでしょうか。
 私は以前からこの曲が大好きで、「あゝ いとしくおもふものが……」のところなど、何度聴いても胸にこみ上げてくるものがあります。

無伴奏同声合唱のための 宮澤賢治の詩による《薤露青》(鈴木輝昭 作曲)

一六六  薤露青
                 一九二四、七、一七、
みをつくしの列をなつかしくうかべ
薤露青の聖らかな空明のなかを
たえずさびしく湧き鳴りながら
よもすがら南十字へながれる水よ
岸のまっくろなくるみばやしのなかでは
いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から
銀の分子が析出される
 ……みをつくしの影はうつくしく水にうつり
   プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は
   ときどきかすかな燐光をなげる……
橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは
この旱天のどこからかくるいなびかりらしい
水よわたくしの胸いっぱいの
やり場所のないかなしさを
はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ
そこには赤いいさり火がゆらぎ
蝎がうす雲の上を這ふ
  ……たえず企画したえずかなしみ
    たえず窮乏をつゞけながら
    どこまでもながれて行くもの……
この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや
うすい血紅瑪瑙をのぞみ
しづかな鱗の呼吸をきく
  ……なつかしい夢のみをつくし……

声のいゝ製糸場の工女たちが
わたくしをあざけるやうに歌って行けば
そのなかにはわたくしの亡くなった妹の声が
たしかに二つも入ってゐる
  ……あの力いっぱいに
    細い弱いのどからうたふ女の声だ……
杉ばやしの上がいままた明るくなるのは
そこから月が出やうとしてゐるので
鳥はしきりにさはいでゐる
  ……みをつくしらは夢の兵隊……
南からまた電光がひらめけば
さかなはアセチレンの匂をはく
水は銀河の投影のやうに地平線までながれ
灰いろはがねのそらの環
  ……あゝ いとしくおもふものが
    そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
    なんといふいゝことだらう……
かなしさは空明から降り
黒い鳥の鋭く過ぎるころ
秋の鮎のさびの模様が
そらに白く数条わたる


 私は高校生の頃からなぜか小林秀雄の文章が好きになれなくて、受験勉強の際にもなるべく避けていたのですが、その後何かの折に、坂口安吾が「教祖の文学」という評論において、小林秀雄のことを痛烈に批判しているのを読み、ひそかに溜飲を下げたものでした。
 この坂口安吾の「教祖の文学―小林秀雄論―」には、宮澤賢治の「眼にて云ふ」が引用されていて、小林秀雄が賞揚する西行や実朝の短歌や徒然草を「三流品」とこき下ろす一方で、賢治のこの詩のことは「まるで品物が違ふ」と絶賛してくれていましたので、賢治ファンとしてはいっそう嬉しい気持ちがしたものです。賢治と安吾の二人を並べると、作風も本人の生き方も全く対照的な路線ですので、安吾が賢治を賞賛するというのはちょっと意外な感じもしましたが、安吾の一面について新たな目を開かれる思いもしました。

 ところで実は、「教祖の文学」で坂口安吾が引用している「眼にて云ふ」のテキストは、現在の全集等に掲載されているものとは、かなり異なっているのです。


異空間・異時間の認識

 「銀河鉄道の夜」のプリオシン海岸で、牛の祖先の化石を発掘している大学士とジョバンニは、次のような会話をします。

「標本にするんですか。」
「いや、証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたといふ証拠もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかといふことなのだ。わかったかい。……」

 ここで大学士は、化石を発掘する目的を、「標本にする」ためではなくて、「証明するに要る」のだと言っています。
 では、何を証明するためなのでしょうか。

 普通に考えると、古生物学者が太古の化石によって証明しようとするのは、昔の生物の体の形態とか、生態とか、現在の類似種との系統関係とか、あるいは当時のその場所の気候や環境などかと思います。しかし、大学士の答えはそうではなくて、「ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ」と言うのです。
 何かちょっとわかりにくい理屈ですが、これはいったいどういうことなのでしょうか。


 ちょうど1か月前の7月23日に、賢治が修学旅行で見学した「滋賀県立農事試験場」の場所を探る記事を掲載していましたが、その後コメントにてご指摘をいただき、旧東海道との位置関係について、再検討をしました。その結果、前回の推定場所はかなりずれていたらしいことがわかりましたので、調査しなおした結果を、ここにあらためて掲載いたします。


伊与原新『青ノ果テ』

 例年ならイーハトーブに出かけているお盆休みですが、今年はどこへ行くあてもなく、せめて本の世界で旅ができたらということで、花巻を舞台とした青春ミステリー『青ノ果テ──花巻農芸高校地学部の夏──』を読んでみました。

青ノ果テ :花巻農芸高校地学部の夏 青ノ果テ : 花巻農芸高校地学部の夏
伊与原 新 (著)

新潮社 (2020/1/27)

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 型破りの童話「〔ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記〕」の終章で、世界裁判長のネネムは、サンムトリ火山の噴火について次のように述べます。

「……僕の計算によると、どうしても近いうちに噴き出さないといかんのだがな。何せ、サンムトリの底の瓦斯の圧力が九十億気圧以上になってるんだ。それにサンムトリの一番弱い所は、八十億気圧にしか耐へない筈なんだ。それに噴火をやらんといふのはをかしいぢゃないか。僕の計算にまちがひがあるとはどうもさう思へんね。」

 ネネムが居並ぶ判事たちの前でこのように自説を開陳した直後に、実際サンムトリ火山は物凄い噴火を始め、感極まった上席判事は、「裁判長はどうも実に偉い。今や地殻までが裁判長の神聖な裁断に服するのだ」と言います。他のみんなも「ブラボオ、ネネム裁判長。ブラボオ、ネネム裁判長」と歓声を上げ、これに気をよくしたネネムは「正によろこびの絶頂」において立ち上がり、自讃の歌を高く歌い出します。そしてその歌は、次のように締めくくられます。

いまではおれは勲章が百ダアス
藁のオムレツももう食べあきた。
おれの裁断には地殻も服する
サンムトリさへ西瓜のやうに割れたのだ。

 これに続いて、部下の三十人の判事や検事たちも一緒に立ち上がり、「フィーガロ、フィガロト、フィガロット」などと叫びながら、皆で狂喜乱舞を始めるのですが、以上の経過を読んできてちょっと気になるのは、「ネネムの意志と火山噴火の関係」です。


SSL認証とURL変更

 インターネット接続の安全性を高めるため、当サイトはこのたび SSL 認証を取得しました。
 これに伴って URL も、従来の「http://www.ihatov.cc/」から、「https://ihatov.cc/」に変わりました。頭が「https」になっているのがポイントです。(www は、あってもなくても結果は同じなのですが、簡略化のために、この際「なし」で統一することにしました。)

 旧 URL を入力しても自動的に新 URL に転送されるので、そのままでも問題なく見ることはできるのですが、当サイトをブックマーク登録していただいている方におかれましては、お手数ですが「https://ihatov.cc/」に直しておいていただければ幸いです。その方が、多少とも円滑に表示されると思います。

 この新 URL でアクセスしていただくと、ブラウザ上部の URL 欄の左に「錠前」のアイコンが表示されると思います。通信が暗号化されている印です。


サイト内検索設置

 ページの右上の方に、新しい「検索窓」を設置しました。

 今回の「検索」では、ご覧のように入力窓の下に、「サイト内全文検索」と「詩テキスト検索」という2つのラジオボタンが付いていて、このいずれかのボタンを選択することによって、検索を行う範囲を変えられるようになっています。
 当サイト内には、「宮澤賢治全詩一覧」や『春と修羅』草稿一覧「第二集」草稿一覧「第三集」草稿一覧などからリンクされている、賢治の全詩作品のテキストがアップロードされているとともに、過去のブログ記事や、「歌曲」「石碑」「経埋ムベキ山。」その他もろもろのページが収められているのですが、「サイト内全文検索」を実行すると、これら全ての文書を対象に検索が行われるのに対して、「詩テキスト検索」を行うと、これらのうち賢治の詩作品のテキストだけが検索対象となります。

 たとえば、「心象」について、賢治が詩の中で言及している箇所と私がブログ記事で触れている箇所を、併せてリストアップするのならば、検索窓に「心象」と入れて「サイト内全文検索」を選んで検索すればよいわけですし、またたとえば賢治が詩の中で、「青」と「蒼」と「碧」をどのような文脈で使用しているか調べてみたいのならば、それぞれの文字を入れて「詩テキスト検索」を選び、虫眼鏡のアイコンをクリックしていただければよいわけです。


 賢治が『春と修羅』を書いた時期、具体的には1922年1月から1924年1月頃までという2年間ですが、この間の賢治の「心の遍歴」というものは、大きな波乱に満ちていました。
 最大の要因は、1922年11月の妹トシの死という出来事で、その内実は「無声慟哭」三部作や、樺太旅行における挽歌群に、記録されています。これは、確かに詩集『春と修羅』の最大のテーマの一つとも言えるものですが、しかしそれ以外にも、たとえば同僚堀籠文之進との葛藤という問題も、当時の賢治にとっては相当の重みを持つものだったと思われます。この悩みが、詩集前半部の代表作である「春と修羅」や「小岩井農場」の、隠れた主題だったのではないかと私は感じていて、それについては以前に「「〈みちづれ〉希求」の昇華」という記事などに書きました。

 私が上の記事で考えてみたことは、賢治は「一人の人とどこまでも一緒に行こう」と一途に求める「〈みちづれ〉希求」の苦悩と挫折を通り抜け、「全ての生き物と一緒に本当の幸福を目ざす」という、一種の菩薩行を己の究極の目標として見定めることにより、この危機を乗り越えたと言えるのではないかということでした。「個別的・主観的な愛」から、「普遍的・客観的な愛」への超克です。

 そして、この時期の賢治における「主観性」から「客観性」への変化は、愛や人間関係という領域においてだけでなく、この世界で生起する現象をどう認識するか、すなわち「世界観」という分野においても、同時並行的に変動が起こっていたのではないかと、私は思うのです。


廣川松五郎のアザミ

 サイトのデザインを更新してから3週間ですが、この間に上のタイトル画像の色彩を変な風にしてみたり、ナビゲーションバーに「その他」や「メール」を並べて、「その他」の内容を一部 CMS 化したり、いろいろいじっています。本文右側の「サイドバー」と呼ばれる部分の背景には、20200614a.png詩集『春と修羅』の表紙のアザミの文様を入れてみたのですが、あらためて眺めてみて、やっぱりこれは素晴らしいデザインですね。
 ここに描かれているアザミのシルエットは、形としては写実的でありながら独特のリズム感があり、高い装飾性も備えています。何となく、「春と修羅」の一節「いちめんのいちめんの諂曲模様…」というフレーズさえ連想します。

 『春と修羅』出版に際して、賢治のためにこの魅力的な図案を描いてくれたのは、当時の気鋭の染織家・工芸作家で歌人でもあった、廣川松五郎でした。廣川は賢治より7歳上で、1914年に東京美術学校(現東京藝術大学)図案科を卒業し、この『春と修羅』の装幀をした1924年には日本美術協会審査員となり、翌1925年は巴里万国装飾美術工芸博覧会に出品して銀賞を獲得しています。1930年に帝展無鑑査となって、1935年には東京美術学校教授に就任するなど、日本の染織界の第一人者と言える存在でした。

 この廣川松五郎が、いったいどういう縁で無名の田舎教師の処女詩集のために図案を描いてくれたのかという疑問に、間接的ながらヒントを与えてくれるのが、賢治の親戚である関徳也の、次の文章です。