20201115a.jpg 先日は「「共業所感」としての風景」という記事において、賢治の世界観が「独我論的唯心論から共同主観的唯心論へ」というような変化を見せたのは、詩集『春と修羅』推敲の最終段階、すなわち1923年後半から1924年初め頃のことだったのではないかと、考えてみました。
 賢治の考え方がこのように変化した要因としては、己の修羅性との対峙や、トシの死の悲嘆など、自らの個人的体験によるところがもちろん大きかったと思われますが、しかしもう一方では、何か思想的な側面からその変化を理路づけるものがあったのではないかということも、私としては以前から気になっていました。
 その理由の一つは、たとえば『春と修羅』の「」の(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから)などという物の見方は、この頃までに賢治が書いたものには見られず、またそれまで彼の世界観形成に与っていた「法華経」や近代自然科学とは趣を異にしており、むしろこれは華厳思想の「一即一切、一切即一」などに通ずるものがあるのではないかと、感じていたからです。


 「春と修羅 第二集」所収の「〔鉄道線路と国道が〕」の下書稿(一)は、「陸中の五月」と題された、光あふれる一幅の風景画のような作品です。

  陸中の五月
            一九二四、五、一六、
これは所謂芬芳五月の
(約六字不明)昔ながらの唯心日本の風景です
ならんだ木立と家とはみちに影を置き
それははるかな山の鏤やみ雪とともに
たびびとのこゝろのなかのそのけしきで
いたゞきに花をならべて植えつけた
ちいさな萱ぶきのうまやでは
黒馬もりもりかいばを噛み
頬のあかいはだしのこどもは
その入口に稲草の縄を三本つけて
引っぱったりうたったりして遊んでゐます
年経た並木の松は青ぞらに立ち
田を犁く馬は随処せわしく往返し
山脉が草火のけむりとともに
青くたよりなくながれるならば
雲はちゞれてぎらぎらひかり
風や水やまたかゞやかに熟した春が
共業所感そのものとして推移しますと
さっきの青ぞらの松の梢の間には
一本の高い火の見はしごがあって
その片っ方の端が折れたので
すきとほって青いこの国土の goblin が
そこのところでやすんでゐます
やすんでこゝらをながめてゐます
ずうっと遠くの崩れる光のあたりでは
前寒武利亜紀のころの
形のない鳥の子孫らが
しづかにごろごろ鳴いてゐます
もうほんたうに錯雑で
容易に把握をゆるさない
五月の日本陸中国の(四字不明)風景です

 もりもり飼い葉を食む馬、縄を引っ張って遊ぶ裸足の子供、ちょこんと座ってそれらを眺める土着の妖精(ゴブリン)らが、まるで説話のような世界を構成していますが、今回私が注目してみたいのは、18行目に出てくる「共業所感」という言葉です。


千原英喜作曲「薤露青」

 先月は、鈴木輝昭氏作曲の「薤露青」の演奏を作成しましたが、今日は千原英喜氏作曲の合唱曲「薤露青」を、やはりパソコンによって演奏してみました。
 同じく賢治の詩「薤露青」に基づいた無伴奏合唱曲でも、鈴木氏の曲は劇的でダイナミックな表現が際立っているのに対し、この千原氏の曲は、旋律と和声の透きとおるような美しさが、とりわけ印象的です。

混声合唱曲「薤露青」(千原英喜 作曲)

混声合唱組曲 月天子 千原英喜 混声合唱組曲 月天子
千原英喜 (著), 宮沢賢治 (著)

全音楽譜出版社 (2009/7/15)

Amazonで詳しく見る

20201014omote.jpg 今年はコロナのために、人が集まる様々なイベントが軒並み中止になり、賢治関係のセミナーなども開かれず寂しい日々が続いていますが、そんな中で立正大学文学部が、「賢治の世界を旅する」と題したオンライン公開講座を開催すると聞き、申し込んでみました。

 去る10月14日(水)に、限定公開の YouTube でその第1回の講座があり、講師は哲学者の野矢茂樹さん、聞き手は文学部准教授の葉名尻竜一さんのお二人で、お題は「『風の又三郎』を読む―哲学と文学の対話」でした。
 野矢茂樹さんというと、ウィトゲンシュタインの研究者であり、論理学のテキストも何冊も書いておられることからして、非常に厳格な議論をなさるのかと思ってしまうかもしれませんが、最近出された『心という難問―空間・身体・意味』という本では、私たちの素朴な実感に根ざした「しなやかな」哲学を構築され、また書評集の『そっとページをめくる』では、賢治の「土神ときつね」に関して、胸にじんと来るような文章も書いておられましたので、とりわけ楽しみにしていたのです。


かくして置いた金剛石を…

 レオナルド・ディカプリオ主演の映画「ブラッド・ダイヤモンド」(2006)は、西アフリカ・シエラレオネの内戦を舞台に、反政府武装勢力(RUF)が闇の資金源とする「紛争ダイヤモンド」と、その採掘のための強制労働、住民の虐殺、拉致・洗脳された少年兵などの深刻な社会問題と、地元の漁師の家族愛というヒューマンドラマが、巧みに織り合わされた名作です。
 その中に、ディカプリオ演ずるダイヤの密輸ブローカーが、ロンドンのダイヤ卸売巨大企業のやり口について、女性ジャーナリストに説明する場面が出てきます(下画像は、Amazon Prime Videoより引用)。

「彼らは、値崩れしないようにダイヤを買い占めて隠し、貴重さを宣伝する。だからRUFにダイヤをバラまかれると大いに困るわけだ。絶対避けたい。」

20201010a.jpg


なつかしい夢のみをつくし

 先日は、鈴木輝昭氏作曲の「薤露青」の歌詞を6つの声部それぞれに入力していたので、この詩のテキストを自ずと何度も読み返すことになったのですが、その際に詩の内容についていくつか感じたことがありましたので、ここに記しておきます。

 まずその一つは、お恥ずかしいくらい初歩的なことですが、賢治がこの「薤露青」をスケッチした時の状況についてです。
 ご存じのようにこの作品は、賢治が北上川に架かる「朝日橋」の上から、眼下の川の流れと天上の銀河を重ね合わせて眺めつつ、亡き妹のことを思って書いたものと推測されており、「銀河鉄道の夜」と様々なモチーフを共有しています。
 これまで私は何となく、賢治はこの時、朝日橋の欄干からイギリス海岸の方に向かって、すなわち北を向いて川面を眺めているようなイメージを持っていたのですが、内容をあらためて読んでみると、作者は明らかに南の方向を見ています。


 今回も、空間と時間を対比して見るという点においては、先月の「異空間・異時間の認識」という記事と、共通するものがあるかもしれません。

 『春と修羅』や「春と修羅 第二集」の時期の口語詩(心象スケッチ)において、賢治は基本的に「空間の彼方」を見ようとしていたように思います。

 たとえば『春と修羅』の最初の「屈折率」で彼は、はるか前方の森や雲を望み、空間の歪み?も感じとっています。

  屈折率

七つ森のこつちのひとつが
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛あえんの雲へ
陰気な郵便脚夫きやくふのやうに
   (またアラツディン、洋燈ラムプとり)
急がなければならないのか


鈴木輝昭作曲「薤露青」

 例年ならば「賢治祭」や宮沢賢治学会イーハトーブセンターの総会および関連行事が行われるこの時期ですが、今年は賢治祭も学会行事も中止になってしまいましたので、ひたすら家にこもって、鈴木輝昭氏作曲の「薤露青」を、パソコンに打ち込む作業をしていました。
 これはとても先鋭的で美しい響きの曲で、パソコンで演奏するのはなかなか大変だったのですが、ひとまず連休中に形になった演奏を、お聴きいただければ幸いです。

 「tin…」「tun…」という特徴的な響きは、夜の呼吸から析出された「銀の分子」、あるいは北上川の波からなげられた「かすかな燐光」を象徴するものでしょうか。
 私は以前からこの曲が大好きで、「あゝ いとしくおもふものが……」のところなど、何度聴いても胸にこみ上げてくるものがあります。

無伴奏同声合唱のための 宮澤賢治の詩による《薤露青》(鈴木輝昭 作曲)


 私は高校生の頃からなぜか小林秀雄の文章が好きになれなくて、受験勉強の際にもなるべく避けていたのですが、その後何かの折に、坂口安吾が「教祖の文学」という評論において、小林秀雄のことを痛烈に批判しているのを読み、ひそかに溜飲を下げたものでした。
 この坂口安吾の「教祖の文学―小林秀雄論―」には、宮澤賢治の「眼にて云ふ」が引用されていて、小林秀雄が賞揚する西行や実朝の短歌や徒然草を「三流品」とこき下ろす一方で、賢治のこの詩のことは「まるで品物が違ふ」と絶賛してくれていましたので、賢治ファンとしてはいっそう嬉しい気持ちがしたものです。賢治と安吾の二人を並べると、作風も本人の生き方も全く対照的な路線ですので、安吾が賢治を賞賛するというのはちょっと意外な感じもしましたが、安吾の一面について新たな目を開かれる思いもしました。

 ところで実は、「教祖の文学」で坂口安吾が引用している「眼にて云ふ」のテキストは、現在の全集等に掲載されているものとは、かなり異なっているのです。


異空間・異時間の認識

 「銀河鉄道の夜」のプリオシン海岸で、牛の祖先の化石を発掘している大学士とジョバンニは、次のような会話をします。

「標本にするんですか。」
「いや、証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたといふ証拠もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかといふことなのだ。わかったかい。……」

 ここで大学士は、化石を発掘する目的を、「標本にする」ためではなくて、「証明するに要る」のだと言っています。
 では、何を証明するためなのでしょうか。

 普通に考えると、古生物学者が太古の化石によって証明しようとするのは、昔の生物の体の形態とか、生態とか、現在の類似種との系統関係とか、あるいは当時のその場所の気候や環境などかと思います。しかし、大学士の答えはそうではなくて、「ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ」と言うのです。
 何かちょっとわかりにくい理屈ですが、これはいったいどういうことなのでしょうか。