北上川の流氷

 今日1月17日の午後に網走地方気象台では、肉眼で流氷が観測されたということで、気象的に言う「流氷初日」だったということですが、先日は河北新報のウェブ版に「北上川に流氷出現 宮沢賢治の詩「流氷(ザエ)」の情景再現」という記事が掲載されました。
 記事中の動画は、YouTube でも公開されています。

 これは北上市の珊瑚橋から撮影されたということですが、賢治の時代には花巻でもこのような情景が見られたのでしょう。温暖化の影響か、北上川の流氷の出現は10年ぶりということで、今年の冬の冷え込みのおかげで、神秘的な景色が現れたようです。


自然からのWink

 私は1年前に「宮澤賢治における「倫理」と「美」」という記事において、賢治は常に強く「倫理」を意識し実践しようとする人だった反面、他方ではひたすら「美」を追求し享受しようとする人でもあったという、彼の持つ対照的な(?)二つの側面について考えてみました。
 この両面は、賢治の作品においてもその重要な特徴になっていると、今も私は思うのですが、ただ去年の記事の時点では、「思えば、宮澤賢治という人が、一つの人格の中に、高い倫理的感性と天才的な美的感性を併せ持っていたということは、「稀有な偶然」と言うしかない」などと書いていて、その「倫理」と「美」とは彼において、別個の独立した特性かと考えていました。

 実際たとえば、Wikipediaの「耽美主義」の説明にも「道徳功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く西欧の芸術思潮」などと書かれていますし、一片の詩句を求めて酒や女に溺れる芸術家たちの評伝などを見ても、一般には「倫理」と「美」というのは、相反する/両立しがたい価値観のように、理解されているのではないでしょうか。
 伝えられるところの賢治その人の言動からも、ふだんは信仰篤く、禁欲的で献身的な態度で一貫しているのに、ひとたび美しいものに感動すると、あたり構わず「ほほーっ」と奇声を上げて踊り出したとか、またクラシックレコードや浮世絵(春画を含む)の蒐集のためには相当な金額を費やしていたとか、この二つの側面の不思議な同居は、なかなか常人には理解しがたいところがあるように思います。

 しかしこのお正月に、たまたま熊野純彦著『カント 美と倫理とのはざまで』という本を読んでいて、カントのみならず賢治の心の底でも、この「美」と「倫理」という二つの契機は、表裏一体となって分かちがたく結びついていたのではないかと、思うようになりました。

カント 美と倫理とのはざまで カント 美と倫理とのはざまで
熊野 純彦 (著)

講談社 (2017/1/20)

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 今日の記事は、そのあたりの事柄についてです。


 あけましておめでとうございます。旧年中は、さまざまなコメントをいただきましてありがとうございました。
 相変わらずコロナ禍は猖獗を極めていますが、いつかまたみんなで安心してイーハトーブの地を訪ねられる日が来ることを、願っています。

 さて、年末に続いて鈴木輝昭氏の「イーハトーヴ組曲」から、今日は終曲「ポラーノの広場」の改訂版です。

童声(女声)合唱とピアノのための「ポラーノの広場」(鈴木輝昭作曲)

つめくさの花の  咲く晩に
ポランの広場の  夏まつり
ポランの広場の  夏のまつり
酒を呑まずに   水を呑む
そんなやつらが  でかけて来ると
ポランの広場も  朝になる
ポランの広場も  白ぱっくれる。

つめくさの花の  かほる夜は
ポランの広場の  夏まつり
ポランの広場の  夏のまつり
酒くせのわるい  山猫が
黄いろのシャツで 出かけてゐると
ポランの広場に  雨がふる
ポランの広場に  雨が落ちる。

つめくさのはなの 終る夜は
ポランの広場の  秋まつり
ポランの広場の  秋のまつり
水をのまずに   酒を呑む
そんなやつらが  威張ってゐると
ポランの広場の  夜が明けぬ
ポランの広場も  朝にならぬ。

つめくさの花の  しぼむ夜は
ポランの広場の  秋まつり
ポランの広場の  秋のまつり
酒くせの悪い   山猫は
黄いろのシャツで 遠くへ遁げて
ポランの広場は  朝になる、
ポランの広場は  夜が明ける

つめくさ灯ともす 夜のひろば
むかしのラルゴを うたひかはし
雲をもどよもし  夜風にわすれて
とりいれまぢかに 年ようれぬ

まさしきねがひに いさかふとも
銀河のかなたに  ともにわらひ
なべてのなやみを たきゞともしつゝ
はえある世界を  ともにつくらん


鈴木輝昭作曲「十力の金剛石」

 暮れも押し詰まってきましたが、今回はまた鈴木輝昭氏による合唱曲「イーハトーヴ組曲」の第4曲「十力の金剛石」の演奏を、作り直してみました。

童声(女声)合唱とピアノのための「十力の金剛石」(鈴木輝昭作曲)

(蜂雀の歌)
ポッシャリ、ポッシャリ、ツイツイ、トン。
はやしのなかにふる霧は、
ありのお手玉、三角帽子の、一寸法師のちひさなけまり。

ポッシャリポッシャリ、ツイツイトン。
はやしのなかにふる霧は、
くぬぎのくろい実、かしはの、かたい実の、つめたいおちゝ。

ポッシャリ、ポッシャリ、ツイツイツイ。
はやしのなかにふるきりの、
つぶはだんだん大きくなり、
いまはしづくがポタリ。

ポッシャン、ポッシャン、ツイ、ツイ、ツイ。
はやしのなかにふるきりは、
いまはこあめにかぁはるぞ、
木はぁみんな、青外套あをがいたう
ポッシャン、ポッシャン、ポッシャン、シャン。

(うめばちさうの歌)
きらめきのゆきき
ひかりのめぐり
にじはゆらぎ
は織れど
かなし。

青ぞらはふるひ
ひかりはくだけ
風のきしり
陽は織れど
かなし。

(野ばらの木の歌)
にじはなみだち
きらめきは織る
ひかりのをかの
このさびしさ。

こほりのそこの
めくらのさかな
ひかりのをかの
このさびしさ。

たそがれぐもの
さすらひの鳥
ひかりのをかの
このさびしさ。


 岩手大学の木村直弘さんは、この数年にわたって、ドイツの物理学者・美学者・哲学者であるグスタフ・フェヒナーから賢治への影響について、数多くの論考を発表しておられます。
 私自身、当初はフェヒナーと言われても全くぴんと来なかったのですが、「感覚の強さは刺激の強さの対数に比例する」という「ウェーバー・フェヒナーの法則」に、現在もその名をとどめている人だということです。そう言われれば何となく、昔そんな法則を習ったような気もしますが、今や一般的にはあまり名前が知られている人とは言えません。

 ただ、彼が200年近くも前に書いた一冊の本は、現代日本でも読まれ続ける超ロングセラーになっており、Amazon にもいくつもレビューが載っているのです。

フェヒナー博士の死後の世界は実在します フェヒナー博士の死後の世界は実在します
グスタフ フェヒナー (著), 服部 千佳子 (翻訳)

成甲書房 (2008/9/2)

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 ということで、今日はこの本に関するお話です。


鈴木輝昭作曲「星めぐりの歌」

 先日以来なぜか DTM づいていて、今度は以前に作った鈴木輝昭氏の「星めぐりの歌」を、作り直してみました。
 これは、鈴木氏が1988年に作曲したオペラ「双子の星」の中の劇中歌を、後に自らピアノ伴奏に編曲して、「童声(女声)合唱とピアノのための イーハトーヴ組曲」の中の一曲としたものです。
 曲は、カノンのように(星めぐりのように?)繰り返される賢治の詞を、ピアノが自由に彩っていきます。

童声(女声)合唱とピアノのための「星めぐりの歌」(鈴木輝昭作曲)

あかいめだまの  さそり
ひろげた鷲の   つばさ
あおいめだまの  小いぬ、
ひかりのへびの  とぐろ。

オリオンは高く  うたひ
つゆとしもとを  おとす、
アンドロメダの  くもは
さかなのくちの  かたち

おおぐまのあしを  きたに
五つのばした    ところ。
小熊のひたひの   うへは
そらのめぐりの   めあて。


 『春と修羅』所収の「真空溶媒」(3099字)は、賢治の全ての詩の中で、「小岩井農場」(8082字)、「青森挽歌」(3852字)に次いで、3番目に長い作品です。その内容は、他の2つではあたりの情景や作者の心理の克明詳細な描写が綴られていくのに対して、「真空溶媒」ではほとんど荒唐無稽とも思えるような登場人物と場面展開が続き、一種のナンセンス童話のような世界が現出しています。
 わざわざ副題に(Eine Phantasie im Morgen)と書かれてあるように、これは他の心象スケッチとは一風異なった「幻想譚」であり、賢治の奔放な空想力の爆発とも言えるものですが、しかし一見すると破茶目茶なその世界設定の奧には、仏教や自然科学に裏打ちされた、賢治独特の世界観が秘められているのではないかと、私には思えます。
 今日は、そのような「真空溶媒」の着想の背景について、考えてみようと思います。


 先週の連休は、今年初めて岩手に行こうかと思って宿と交通機関を予約していたのですが、コロナ感染拡大の様子で迷った挙げ句に中止し、かわりに自宅にこもって曲の打ち込みをやっていました。
 先月に続いて千原英喜さんの素晴らしい合唱曲で、「東の雲ははやくも蜜のいろに燃え」です。今度はピアノ伴奏も付いています。

混声合唱曲「東の雲ははやくも蜜のいろに燃え」(千原英喜作曲)

東の雲ははやくも蜜のいろに燃え
丘はかれ草もまだらの雪も
あえかにうかびはじめまして
おぼろにつめたいあなたのよるは
もうこの山地のどの谷からも去らうとします
ひとばんわたくしがふりかヘりふりかヘり来れば
巻雲のなかやあるひはけぶる青ぞらを
しづかにわたってゐらせられ
また四更ともおぼしいころは
やゝにみだれた中ぞらの
二つの雲の炭素棒のあひだに
古びた黄金の弧光のやうに
ふしぎな座を示されました
まことにあなたを仰ぐひとりひとりに
全くことなったかんがへをあたへ
まことにあなたのまどかな御座は
つめたい火口の数を示し
あなたの御座の運行は
公式にしたがってたがはぬを知って
しかもあなたが一つのかんばしい意志であり
われらに答へまたはたらきかける、
巨きなあやしい生物であること
そのことはいましわたくしの胸を
あやしくあらたに湧きたゝせます
あゝあかつき近くの雲が凍れば凍るほど
そこらが明るくなればなるほど
あらたにあなたがお吐きになる
エステルの香は雲にみちます
おゝ天子
あなたはいまにはかにくらくなられます


20201115a.jpg 先日は「「共業所感」としての風景」という記事において、賢治の世界観が「独我論的唯心論から共同主観的唯心論へ」というような変化を見せたのは、詩集『春と修羅』推敲の最終段階、すなわち1923年後半から1924年初め頃のことだったのではないかと、考えてみました。
 賢治の考え方がこのように変化した要因としては、己の修羅性との対峙や、トシの死の悲嘆など、自らの個人的体験によるところがもちろん大きかったと思われますが、しかしもう一方では、何か思想的な側面からその変化を理路づけるものがあったのではないかということも、私としては以前から気になっていました。
 その理由の一つは、たとえば『春と修羅』の「」の(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから)などという物の見方は、この頃までに賢治が書いたものには見られず、またそれまで彼の世界観形成に与っていた「法華経」や近代自然科学とは趣を異にしており、むしろこれは華厳思想の「一即一切、一切即一」などに通ずるものがあるのではないかと、感じていたからです。


 「春と修羅 第二集」所収の「〔鉄道線路と国道が〕」の下書稿(一)は、「陸中の五月」と題された、光あふれる一幅の風景画のような作品です。

  陸中の五月
            一九二四、五、一六、
これは所謂芬芳五月の
(約六字不明)昔ながらの唯心日本の風景です
ならんだ木立と家とはみちに影を置き
それははるかな山の鏤やみ雪とともに
たびびとのこゝろのなかのそのけしきで
いたゞきに花をならべて植えつけた
ちいさな萱ぶきのうまやでは
黒馬もりもりかいばを噛み
頬のあかいはだしのこどもは
その入口に稲草の縄を三本つけて
引っぱったりうたったりして遊んでゐます
年経た並木の松は青ぞらに立ち
田を犁く馬は随処せわしく往返し
山脉が草火のけむりとともに
青くたよりなくながれるならば
雲はちゞれてぎらぎらひかり
風や水やまたかゞやかに熟した春が
共業所感そのものとして推移しますと
さっきの青ぞらの松の梢の間には
一本の高い火の見はしごがあって
その片っ方の端が折れたので
すきとほって青いこの国土の goblin が
そこのところでやすんでゐます
やすんでこゝらをながめてゐます
ずうっと遠くの崩れる光のあたりでは
前寒武利亜紀のころの
形のない鳥の子孫らが
しづかにごろごろ鳴いてゐます
もうほんたうに錯雑で
容易に把握をゆるさない
五月の日本陸中国の(四字不明)風景です

 もりもり飼い葉を食む馬、縄を引っ張って遊ぶ裸足の子供、ちょこんと座ってそれらを眺める土着の妖精(ゴブリン)らが、まるで説話のような世界を構成していますが、今回私が注目してみたいのは、18行目に出てくる「共業所感」という言葉です。