千原英喜作曲「薤露青」

 先月は、鈴木輝昭氏作曲の「薤露青」の演奏を作成しましたが、今日は千原英喜氏作曲の合唱曲「薤露青」を、やはりパソコンによって演奏してみました。
 同じく賢治の詩「薤露青」に基づいた無伴奏合唱曲でも、鈴木氏の曲は劇的でダイナミックな表現が際立っているのに対し、この千原氏の曲は、旋律と和声の透きとおるような美しさが、とりわけ印象的です。

混声合唱曲「薤露青」(千原英喜 作曲)

混声合唱組曲 月天子 千原英喜 混声合唱組曲 月天子
千原英喜 (著), 宮沢賢治 (著)

全音楽譜出版社 (2009/7/15)

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20201014omote.jpg 今年はコロナのために、人が集まる様々なイベントが軒並み中止になり、賢治関係のセミナーなども開かれず寂しい日々が続いていますが、そんな中で立正大学文学部が、「賢治の世界を旅する」と題したオンライン公開講座を開催すると聞き、申し込んでみました。

 去る10月14日(水)に、限定公開の YouTube でその第1回の講座があり、講師は哲学者の野矢茂樹さん、聞き手は文学部准教授の葉名尻竜一さんのお二人で、お題は「『風の又三郎』を読む―哲学と文学の対話」でした。
 野矢茂樹さんというと、ウィトゲンシュタインの研究者であり、論理学のテキストも何冊も書いておられることからして、非常に厳格な議論をなさるのかと思ってしまうかもしれませんが、最近出された『心という難問―空間・身体・意味』という本では、私たちの素朴な実感に根ざした「しなやかな」哲学を構築され、また書評集の『そっとページをめくる』では、賢治の「土神ときつね」に関して、胸にじんと来るような文章も書いておられましたので、とりわけ楽しみにしていたのです。


かくして置いた金剛石を…

 レオナルド・ディカプリオ主演の映画「ブラッド・ダイヤモンド」(2006)は、西アフリカ・シエラレオネの内戦を舞台に、反政府武装勢力(RUF)が闇の資金源とする「紛争ダイヤモンド」と、その採掘のための強制労働、住民の虐殺、拉致・洗脳された少年兵などの深刻な社会問題と、地元の漁師の家族愛というヒューマンドラマが、巧みに織り合わされた名作です。
 その中に、ディカプリオ演ずるダイヤの密輸ブローカーが、ロンドンのダイヤ卸売巨大企業のやり口について、女性ジャーナリストに説明する場面が出てきます(下画像は、Amazon Prime Videoより引用)。

「彼らは、値崩れしないようにダイヤを買い占めて隠し、貴重さを宣伝する。だからRUFにダイヤをバラまかれると大いに困るわけだ。絶対避けたい。」

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なつかしい夢のみをつくし

 先日は、鈴木輝昭氏作曲の「薤露青」の歌詞を6つの声部それぞれに入力していたので、この詩のテキストを自ずと何度も読み返すことになったのですが、その際に詩の内容についていくつか感じたことがありましたので、ここに記しておきます。

 まずその一つは、お恥ずかしいくらい初歩的なことですが、賢治がこの「薤露青」をスケッチした時の状況についてです。
 ご存じのようにこの作品は、賢治が北上川に架かる「朝日橋」の上から、眼下の川の流れと天上の銀河を重ね合わせて眺めつつ、亡き妹のことを思って書いたものと推測されており、「銀河鉄道の夜」と様々なモチーフを共有しています。
 これまで私は何となく、賢治はこの時、朝日橋の欄干からイギリス海岸の方に向かって、すなわち北を向いて川面を眺めているようなイメージを持っていたのですが、内容をあらためて読んでみると、作者は明らかに南の方向を見ています。


 今回も、空間と時間を対比して見るという点においては、先月の「異空間・異時間の認識」という記事と、共通するものがあるかもしれません。

 『春と修羅』や「春と修羅 第二集」の時期の口語詩(心象スケッチ)において、賢治は基本的に「空間の彼方」を見ようとしていたように思います。

 たとえば『春と修羅』の最初の「屈折率」で彼は、はるか前方の森や雲を望み、空間の歪み?も感じとっています。

  屈折率

七つ森のこつちのひとつが
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛あえんの雲へ
陰気な郵便脚夫きやくふのやうに
   (またアラツディン、洋燈ラムプとり)
急がなければならないのか


鈴木輝昭作曲「薤露青」

 例年ならば「賢治祭」や宮沢賢治学会イーハトーブセンターの総会および関連行事が行われるこの時期ですが、今年は賢治祭も学会行事も中止になってしまいましたので、ひたすら家にこもって、鈴木輝昭氏作曲の「薤露青」を、パソコンに打ち込む作業をしていました。
 これはとても先鋭的で美しい響きの曲で、パソコンで演奏するのはなかなか大変だったのですが、ひとまず連休中に形になった演奏を、お聴きいただければ幸いです。

 「tin…」「tun…」という特徴的な響きは、夜の呼吸から析出された「銀の分子」、あるいは北上川の波からなげられた「かすかな燐光」を象徴するものでしょうか。
 私は以前からこの曲が大好きで、「あゝ いとしくおもふものが……」のところなど、何度聴いても胸にこみ上げてくるものがあります。

無伴奏同声合唱のための 宮澤賢治の詩による《薤露青》(鈴木輝昭 作曲)


 私は高校生の頃からなぜか小林秀雄の文章が好きになれなくて、受験勉強の際にもなるべく避けていたのですが、その後何かの折に、坂口安吾が「教祖の文学」という評論において、小林秀雄のことを痛烈に批判しているのを読み、ひそかに溜飲を下げたものでした。
 この坂口安吾の「教祖の文学―小林秀雄論―」には、宮澤賢治の「眼にて云ふ」が引用されていて、小林秀雄が賞揚する西行や実朝の短歌や徒然草を「三流品」とこき下ろす一方で、賢治のこの詩のことは「まるで品物が違ふ」と絶賛してくれていましたので、賢治ファンとしてはいっそう嬉しい気持ちがしたものです。賢治と安吾の二人を並べると、作風も本人の生き方も全く対照的な路線ですので、安吾が賢治を賞賛するというのはちょっと意外な感じもしましたが、安吾の一面について新たな目を開かれる思いもしました。

 ところで実は、「教祖の文学」で坂口安吾が引用している「眼にて云ふ」のテキストは、現在の全集等に掲載されているものとは、かなり異なっているのです。


異空間・異時間の認識

 「銀河鉄道の夜」のプリオシン海岸で、牛の祖先の化石を発掘している大学士とジョバンニは、次のような会話をします。

「標本にするんですか。」
「いや、証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたといふ証拠もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかといふことなのだ。わかったかい。……」

 ここで大学士は、化石を発掘する目的を、「標本にする」ためではなくて、「証明するに要る」のだと言っています。
 では、何を証明するためなのでしょうか。

 普通に考えると、古生物学者が太古の化石によって証明しようとするのは、昔の生物の体の形態とか、生態とか、現在の類似種との系統関係とか、あるいは当時のその場所の気候や環境などかと思います。しかし、大学士の答えはそうではなくて、「ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ」と言うのです。
 何かちょっとわかりにくい理屈ですが、これはいったいどういうことなのでしょうか。


 ちょうど1か月前の7月23日に、賢治が修学旅行で見学した「滋賀県立農事試験場」の場所を探る記事を掲載していましたが、その後コメントにてご指摘をいただき、旧東海道との位置関係について、再検討をしました。その結果、前回の推定場所はかなりずれていたらしいことがわかりましたので、調査しなおした結果を、ここにあらためて掲載いたします。


伊与原新『青ノ果テ』

 例年ならイーハトーブに出かけているお盆休みですが、今年はどこへ行くあてもなく、せめて本の世界で旅ができたらということで、花巻を舞台とした青春ミステリー『青ノ果テ──花巻農芸高校地学部の夏──』を読んでみました。

青ノ果テ :花巻農芸高校地学部の夏 青ノ果テ : 花巻農芸高校地学部の夏
伊与原 新 (著)

新潮社 (2020/1/27)

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