「春と修羅 第二集」に、「測候所」という作品があります。下記がその全文です。
三五 測候所
一九二四、四、六、
シャーマン山の右肩が
にはかに雪で被はれました
うしろの方の高原も
おかしな雲がいっぱいで
なんだか非常に荒れて居ります
……凶作がたうたう来たな……
杉の木がみんな茶いろにかはってしまひ
わたりの鳥はもう幾むれも落ちました
……炭酸表をもってこい……
いま雷が第六圏で鳴って居ります
公園はいま
町民たちでいっぱいです
6行目の「凶作がたうたう来たな」の言葉が、この作品の基調をなしています。山が突然雪に覆われ、おかしな雲が飛び、杉の木が茶色に変わって、渡り鳥が落ち、雷が鳴るなど、あたりには不吉な予兆があふれ、人々は心配のあまり公園に集まっています。
今日ここでまず取り上げてみたいのは、後ろから4行目に出てくる「炭酸表」というのは、いったい何なのだろうかという謎です。
5月4日夕方に、新幹線で木古内から盛岡に移動して駅前のホテルで宿泊し、5月5日朝は、盛岡駅前から岩手県交通バス桜台団地線に乗って、北東郊外へと向かいました。賢治が1924年4月に外山方面へ歩いたのと同じようなルートですが、外山までは行かずにそのずっと手前、盛岡駅から25分ほどの「名乗沢」というバス停で降ります。
このバス停のすぐ横に、「松園寺 盛岡大佛 入口」などと書かれた看板が立っていて、国道から脇に入る道が示されていますので、ここから上って行きます。

金子鴎亭(1906-2001)という、近現代日本を代表する書家がおられました。
鴎亭は、北海道松前町に生まれ、函館師範学校を卒業後、1932年に上京して「現代書道の父」と呼ばれた比田井天来に師事しつつ、従来の日本の書を革新すべく「新調和体論」を唱え、「近代詩文書運動」を興します。
鴎亭が1936年に著した『書之理論及指導法』では、次のように訴えかけています。
過去及び現代の書道界は漢詩句をあまりにも偶像視した。これでなければ書の素材とならぬかの如く考へた者が多いが偏見も甚しいもので大いに排撃しなければならない。今後の日本書道界はその表現の素材として、我等日常の生活と密接の関係にある口語文・自由詩・短歌・短誦・翻訳詩等をとるも差支はない。古典を望むならば我国の古典を採るべきで、源氏物語・枕草子・万葉集・徒然草皆書の素材として恰好のもののみである。異国趣味の清算は時代の意欲である。書そのものを現代のものとすると同時にその素材をも亦現代の希求する国語となすべきである。
〔中略〕
打てば響を生じ、切れば鮮血の迸しり出る切実なる魂の叫び、印象的な夢幻の情緒、スピードに加ふるにスピードを以てする尖鋭化された都会人の感覚、自由闊達な明朗感、活発なる活動性、極りない変化と統一とをもつた律動、或は人生の裏面をも深刻に眺めようとする北方人の憂鬱、或は甘美に而も情熱的な南国風等。この様な多角的近代人の感覚や、情緒的傾向、感情を内包さしてこそ始めて国語による新素材を盛るに適した書となり、時代人の心奥と相ふれる普遍性をもつ事となる。斯くしてこそ明日の書道界が明るく、若き人々の為に洋々たる前途が展開し、観者には清新な香と響が齎らされる。(『書之理論及指導法』pp.192-193)
来たる6月11日(日)につくば市において、朗読と講演の会「デクノボー 宮沢賢治先生」と題したイベントが行われるという情報をお寄せいただきました。
主催は、以前に当サイトで鎌倉の「雨ニモマケズ」詩碑をご紹介させていただいた、「一般財団法人 山波言太郎総合文化財団」です。これまで、会員向けにこのようなイベントは行ってきたものの、一般向けとしては初めての開催だということです。
下記が会の案内チラシで、クリックしていただくと拡大表示されます。

去る3月19日に鹿児島市の公園で、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」の一節を刻んだ碑が除幕されたという記事をネットで目にしましたので、先週の連休前半に、見に行ってきました。
鹿児島市街の北部にある「南洲公園」に建てられた、「西南之役民衆殉難者惻隠之塔」です。

「石碑」のページには、「西南之役民衆殉難者惻隠之塔」をアップしました。賢治のテキストを刻んだ碑としては、全国で最南端に位置するものです。
これで当サイトの「石碑」のページに掲載している碑の数は、計160基になりました。
詩「阿耨達池幻想曲」に、下記のような一節があります。
どこかでたくさん蜂雀の鳴くやうなのは
白磁器の雲の向ふを
さびしく渡った日輪が
いま尖尖の黒い巌歯の向ふ側
……摩渇大魚のあぎとに落ちて……
虚空に小さな裂罅ができるにさういない
……その虚空こそ
ちがった極微の所感体
異の空間への媒介者……
「その虚空こそ/ちがった極微の所感体/異の空間への媒介者」という箇所から連想するのは、賢治が残した書き付け「思索メモ2」(右画像)です。
中ほどから下に、「世界・生物・我 ─ 分子 ─ 原子 ─ 電子 ─ 真空」という系列が上から下に向けて書かれ、さらに真空から斜め上向きに折り返して、「真空 ─ 異単元 ─ 異構成物 ─ 異世界」と続きます。
今朝からNHK教育の「こころの時代~宗教・人生」という枠で、「宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる」という全6回のシリーズが始まりました。
講師は、日蓮宗の僧侶で仏教学者の北川前肇さんという方です。
1回目の今日は、「「法華経」との出会い」と題して、賢治を育んだ仏教的な素地や、彼が18歳で『漢和対照 妙法蓮華経』を読んだ時の様子が描かれ、「銀河鉄道の夜」に賢治が込めたのではないかと思われる法華経的なメッセージについても、北川さんがお考えを述べられました。
映像による岩手の風土の紹介や、作品の朗読も随所に挟まれ、北川さんが穏やかに、時に熱く、賢治について語られる姿も印象的でした。
番組の内容の一部は、YouTubeでも紹介されています。
仏教の「空」の教えとは、「全ての事物には、固定的な実体はない」というようなことかと思います。
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。(岩波文庫『ブッダのことば:スッタニパータ』)
これが中国に入ると、「空」をさらに徹底し強調する言葉として、「真空」という語が現れます。木村清孝氏の「真空妙有論の形成と展開」(春秋社『空と実在 江島惠教博士追悼論集』所収)によれば、漢語「真空」の初出は、西晋の竺法護(231-380)訳の『光讃般若経』だったということで、その意味は「究極・絶対の真理としての空を表す概念」とのことです。
またもっとメジャーなところでは、鳩摩羅什訳による龍樹の『大智度論』に、次のように「真空」が出てきます。
諸法の相は生ぜず滅せず、真空にして字なく名なく、言なく説なけれども、而も名を作し字を立て、衆生の為に説いて、解脱を得せしめんと欲す、是れ第一の難事なり。(龍樹『大智度論』巻八 国訳大蔵経 論部第一巻)
賢治が父親と比叡山延暦寺に参詣した時の短歌に、次の一首があります。
※ 随縁真如
みまなこをひらけばひらくあめつちにその七舌のかぎを得たまふ。
延暦寺で詠んだ一連の歌の最後の方に位置しますが、いきなりここに「随縁真如」などという難しい仏教用語が現れる理由がよくわかりませんし、またこの言葉と短歌の関係も、どう捉えたらよいのか謎です。
これについては、以前に「随縁真如・心生滅・唯心」という記事で少し考えてみたことがありましたが、今回もう一度取り上げてみたいと思います。
ここで一応の手がかりとなるのは、小倉豊文氏が『宮沢賢治「雨ニモマケズ手帳」研究』p.89で指摘しているように、この短歌は日蓮の「立正観抄」という遺文を下敷きにしているらしいということです。
そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあひだから、夕陽は赤くなゝめに苔の野原に注ぎ、すすきはみんな白い火のやうにゆれて光りました。わたくしが疲れてそこに睡りますと、ざあざあ吹いてゐた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行はれてゐた鹿踊りの、ほんたうの精神を語りました。
物語が、いきなり「そのとき……」と語り始められると、私たちはもう一瞬にして、北上の野原に一人佇んでいるような気持ちになります。
読者としては、突然「そのとき」と言われても、それがいったい「どういう時」なのかわからずに一瞬戸惑ってしまいますが、有無を言わさず「ぎらぎらのちぢれた雲」「赤い夕陽」「苔の野原」「すすき」「風」など、あたりの舞台装置が次々と現れ、気がついてみたらもうそれらの中に連れ込まれているのです。
以前にも書きましたが、この「鹿踊りのはじまり」の冒頭は、賢治の童話の中でも最も魅惑的なものの一つではないかと思います。
ところでこの不思議な書き出しには、賢治が愛読していた「法華経」の影響もあったのではないかと思うのです。