原体地区逍遙(3)

 先日の記事「原体地区逍遙(1)」および「原体地区逍遙(2)」で訪ねた場所を、Googleのマイマップにプロットしてみました。赤いマーカーの数字は、地図下のリストに対応しています。
 よろしければ、地図を拡大したりドラッグしたりして、より詳しい場所をご確認下さい。

  1. 奥州市伝統産業会館(レンタサイクル)
  2. 小野寺玉峰「原体には美しき四季がある」石碑
  3. 宮沢賢治「原体剣舞連」詩碑
  4. 夢の里工房はらたい
  5. 「豊饒准平原」石碑
  6. 大山祇神社(虚空蔵堂)
  7. 宝城寺
  8. 「長根坂」バス停
  9. 五位塚墳丘群
  10. 豊田館跡


原体地区逍遙(2)

 前回の記事を書いた後に気づいたのですが、「原体剣舞連」詩碑にはめ込まれたあの見事なブロンズのレリーフを制作されたのは、この地区出身の世界的彫刻家で、醍醐橋南の「原体には美しき四季がある」という石碑(前回の写真参照)を揮毫された、小野寺玉峰さんだったんですね。
 あらためて別の角度からのレリーフの写真と、詩碑台座の銘板を貼っておきます。

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 去る5月4日に、岩手県奥州市江刺の原体地区を訪ねてきました。

 賢治の詩「原体剣舞連」は、その勇壮な声調と幻想的な描写から、『春と修羅』の中でも人気が高い作品で、私も大好きなのですが、賢治がこの剣舞を見たと思われる場所を一度見てみたいというのが、今回の動機でした。
 川原仁左エ門編著『宮沢賢治とその周辺』(1972)には、盛岡高等農林学校3年時の江刺郡土性調査の際の同級生高橋秀松の証言として、次のような一節があります(同書p.61)。

 原体村の見学は秋の夜であつた。杉の大木に囲まれた神社の庭で弦月下、たき火を中心に剣舞連は始まつていた。太鼓の音ははげしくドド、ドドスコドンと鳴つていた。賢治はホーホーといい乍ら手帳にメモしている。

 上に出てくる「杉の大木に囲まれた神社」というのがどこなのか、これまで私にはわかりませんでしたが、昨年刊行された『同窓生が語る宮澤賢治』(岩手大学農学部北水会)では、「原体村から、近くを流れる伊手川の橋を渡り約2kmのところにある大山祇神社(虚空蔵堂)(江刺区田原虚空蔵)である」との特定がなされているのを見たのです(同書p.76)。
 さらにこれに関連して、文教大学の鈴木健司さんが、原体地区にある宝城寺というお寺の歴史をまとめた『宝城寺史』(小野寺慶一著、2013)に、原体剣舞は「宝城寺、虚空蔵堂、長根坂石碑群前の三ヶ所で踊ったと伝わっている」との記載があるという調査結果を、最近ご教示下さいました。

 ということで、ぜひともこれらの場所を見てみたいと思った次第です。


『大智度論』の閻浮檀金

 「亜細亜学者の散策」の下書稿(一)は「単体の歴史」と題され、下記のような内容です。

一五四
   単体の歴史
               一九二四、七、五、
紺青の湿った山と雲とのこっち
夕陽に熟する古金のいろの小麦のはたけ
    いいえ、わたくしの云ひますのは
    いまのあんな暗い黄金ではなく
    所謂 竜樹菩薩の大論の
    あるひはそれよりもっと前の
    むしろ quick gold といふふうの
    そんなりっぱな黄金のことです
いま紺青の夏の湿った雲のこっちに
かながらのへいそくの十箇が敬虔に置かれ
いろいろの風にさまざまになびくのは
たしかに鳥を追ふための装置ではあるが
またある種拝天の余習でもある
  ……粟がざらざら鳴ってゐる……

      ※ 物質の特性は定量されないほどの
        僅かづつながら時間に従って移動する
        といふ風の感じです 誰でももってゐる
        ありふれた考ですが今日は誰でもそれを
        わざと考へないやうにしてゐるやうな
        気もするのです

 ここでは、色づいた小麦が夕陽に照らされ輝く様子が、「古金のいろ」と形容されています。
 賢治の言う「古金のいろ」とは、「いまのあんな暗い黄金ではなく」、「所謂 竜樹菩薩の大論の/あるひはそれよりもっと前の/むしろ quick gold といふふうの/そんなりっぱな黄金のこと」だとのことですが、これはいったいどういうことなのでしょうか。


コサック兵と牧馬地方

 今日4月20日は、98年前に宮澤賢治の詩集『心象スケッチ 春と修羅』が、「發行」された日です。
 彼はこの日、自らの処女出版を自宅で待機していたわけではなく、また刷り上がった本を印刷所に取りに行ったわけでもなく、盛岡から北東25kmほどのところにある「外山」という高原に、一人で馬の見物に行っていたのでした。

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岩手県畜産試験場 外山分場(2008年5月撮影)


ウクライナの舞手

 数日前、ロンドンのナショナル・ギャラリーが、従来「ロシアの踊り子たち」と呼ばれてきたフランス印象派エドガー・ドガの作品の名称を、「ウクライナの踊り子たち」に変更すると発表して、話題になりました。(下は、ナショナル・ギャラリーによってパブリックドメインに帰せられている、同作品の画像です。)

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エドガー・ドガ「ウクライナの踊り子たち」("The National Gallery"より)


 文語詩「〔けむりは時に丘丘の〕」は、賢治と宣教師ミス・ギフォードが、汽車の中で交わした会話に基づいており、下記の[賢治][ギフォード]という表示は、それぞれの発言の、推定される発話者を示しています。

けむりは時に丘丘の、     栗の赤葉に立ちまどひ、
あるとき黄なるやどり木は、  ひかりて窓をよぎりけり。

(あはれ土耳古玉タキスのそらのいろ、かしこいづれの天なるや)[賢治]
(かしこにあらずこゝならず、 われらはしかく習ふのみ。)[ギフォード]

(浮屠らも天を云ひ伝へ、   三十三を数ふなり、
 上の無色にいたりては、   光、思想を食めるのみ。)[賢治]

そらのひかりのきはみなく、  ひるのたびぢの遠ければ、
をとめは餓えてすべもなく、  胸なるたまをゆさぶりぬ。

 ところで、この対話が行われた1922年12月とは、賢治の妹トシが逝去した同年11月27日の直後であり、賢治がこの時「天」に関して対話を行ったとすると、その場所を「死んだ妹の転生先」として意識していたであろうことは、疑いようがありません。この作品の奧に秘められている、賢治のそのような痛切な思いを読み解いてみようという観点から記したのが、本年1月の「ひるのたびぢの遠ければ…」という記事でした。

 その後、あらためてこの作品を読むうちに、ギフォードがこの時賢治に投げかけた「かしこにあらずこゝならず、われらはしかく習ふのみ。」という言葉が、後々から見ると賢治にとってどれほど深い意味を持つものであったかということをしみじみ感じるようになり、その辺の内容について、ここにまた少し書いてみようと思います。


異界に通じる鉄道

 今年度の宮沢賢治賞を受賞された信時哲郎さんの論文に、「鉄道ファン・宮沢賢治 大正期・岩手県の鉄道開業日と賢治の動向」があります。きっとご自身も鉄道ファンでいらっしゃる信時さんならではの、「鉄道愛」に溢れてワクワクする論考で、賢治という人が普通の「鉄道好き」というレベルを越えて、立派な「鉄道オタク」であったことを浮き彫りにしてくれています。
 信時さんは、つい先月にも宮沢賢治研究会の例会で「「鉄道ファン・宮沢賢治」再説」という発表をしておられ、私は楽しみにしていたのに参加できず残念だったのですが、きっと「氷と後光」や「化物丁場」を題材に、鉄道に対する賢治の熱い思いをさらに深く読み解かれたのだろうと想像しています。

 ところで一口に「鉄道ファン」と言っても、「撮り鉄」「録り鉄」「車両鉄」「押し鉄」など様々な活動分野がある中で、賢治の場合は少なくとも「乗り鉄」だったのは確かでしょう。鉄道を単なる移動《手段》として利用するだけでなく、しばしば「乗る」ことを《目的》として行動していたらしいことは、上記の信時さんの論文からも明らかです。

 では賢治が、鉄道に乗ることにそこまで魅力を感じていた理由は、いったい何だったのでしょうか?

岩手軽便鉄道
宮澤信一郎撮影・岩手軽便鉄道(筑摩書房『写真集 宮澤賢治の世界』より)


 先月に岩手に行った際に、東北自動車道の花巻パーキングエリアに設置されている、小さな「雨ニモマケズ」詩碑を見てきました。文字は、「雨ニモマケズ手帳」に賢治が記した筆跡を拡大複写したもので、「宮沢賢治」についての簡単な説明と、「経歴」も掲載されています。
 写真と簡単な説明は、「石碑」コーナーの「雨ニモマケズ」詩碑のページに、アップしました。

 この高速道路で花巻を通過して、さらに北に向かう人たちに、「あなたが今いるここ花巻は、宮沢賢治の故郷なのですよ」ということを教えてくれる、小さなモニュメントです。
 これで、当サイトに掲載している賢治関連の碑の数は、総計155になりました。

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木星天に昇ったトシ

 詩「〔あかるいひるま〕」には、賢治とミス・ギフォードが「様々な階層の天」について会話する場面があります。

"We say also heavens,
 but of various stage."
"Then what are they?"

 最初の「私たちも天と言いますが、そこには様々な階層があるんです」という発言は、賢治のものと推測され、彼はここで仏教における「」は、「兜率天」「三十三天」など多数の階層に分かれていることを言っているのだと思われます。キリスト教宣教師であるギフォードに対して、仏教のユニークなところを説明しているのでしょうが、考えてみると実はキリスト教においても、「様々な階層に分かれた複数の天」という考え方はあるのです。

 下の図は、ダンテ『神曲』天国篇(集英社文庫p.23)に掲載されているものです。

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