トシの墜落

 「〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕」という詩断片は、読むたびにその美しさに心打たれます。

〔冒頭原稿なし〕
堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます。
実にひらめきかゞやいてその生物は堕ちて来ます。

まことにこれらの天人たちの
水素よりもっと透明な
悲しみの叫びをいつかどこかで
あなたは聞きはしませんでしたか。
まっすぐに天を刺す氷の鎗の
その叫びをあなたはきっと聞いたでせう。

けれども堕ちるひとのことや
又溺れながらその苦い鹹水を
一心に呑みほさうとするひとたちの
はなしを聞いても今のあなたには
たゞある愚かな人たちのあはれなはなし
或は少しめづらしいことにだけ聞くでせう。

けれどもたゞさう考へたのと
ほんたうにその水を噛むときとは
まるっきりまるっきりちがひます。
それは全く熱いくらゐまで冷たく
味のないくらゐまで苦く
青黒さがすきとほるまでかなしいのです。

そこに堕ちた人たちはみな叫びます
わたくしがこの湖に堕ちたのだらうか
堕ちたといふことがあるのかと。
全くさうです、誰がはじめから信じませう。
それでもたうたう信ずるのです。
そして一さうかなしくなるのです。

こんなことを今あなたに云ったのは
あなたが堕ちないためにでなく
堕ちるために又泳ぎ切るためにです。
誰でもみんな見るのですし また
いちばん強い人たちは願ひによって堕ち
次いで人人と一諸に飛騰しますから。

         一九二二、五、二一、


 ご存じのように宮澤賢治には、人間以外の生き物を主人公とした童話が、たくさんあります。
 猫が仕事をする官衙を描いた「猫の事務所」、蛙たちが活躍する「蛙のゴム靴」や「カイロ団長」、鳥たちの心理に分け入る「二十六夜」や「烏の北斗七星」など、これらの物語に共通するのは、その作品世界は主人公である生き物を中心とした視点で構築されている、ということです。たとえ人間が登場しても、そこで人間はあくまで主人公たちの基準で彼らの側から見られており、その世界の周縁部に位置付けられるにすぎません。たとえば蛙たちは、話題の一つとして人間を取り上げることもありますが、「ヘロン」という蛙独自の言葉で呼んでいます。梟にとって人間は、あまりに残酷な殺戮者です。「朝に就ての童話的構図」という小さくも美しい童話では、徹頭徹尾「蟻」を中心に、その視点から見た世界が描かれます。

 一方、「〔ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記〕」は、人間ではない「ばけもの」が主人公のお話であり、終始「ばけもの世界」において物語が進行することにおいては上記と同じなのですが、その世界と人間世界の関係性には、重要な違いがあります。


20211010a.jpg 国会図書館デジタルコレクションに、『盛岡高等農林学校図書館和漢書目録』という本が収められています。これは、1934年(昭和9年)3月の時点で同校の図書館が所蔵していた和漢書の、総目録です。図書の総数は書かれていませんが、ページ数からざっと見積もると、1万数千冊くらいになるでしょうか。
 宮澤賢治が盛岡高等農林学校に在籍していたのは、1915年4月の入学から1918年8月の研究生退学までですが、この期間までに刊行されいてる書籍を目録で見れば、賢治在学時の図書館の蔵書がどういう内容だったのか、すなわちどんな本を賢治が目にした可能性があるのかということも、概ね見当を付けることができます。

 先日、この目録を何となく眺めていたところ、1908年(明治41年)に刊行された加藤咄堂著『心の研究』(森江書店)という本が、目にとまりました(同書p.354)。


ナチラナトラのひいさま

20211003d.jpg 先日届いた『宮沢賢治研究 Annual』第31号に、玉井晶章氏による論文「宮澤賢治「蠕虫舞手アンネリダタンツェーリン」と〈ナチラナトラ〉の意味―― 『春と修羅』刊行初期の生前批評に触れつつ」が、掲載されていました。これは、すでに2016年に『京都国文』という雑誌に発表されていた論文の再録だということですが、賢治の詩「蠕虫舞手」に出てくる「ナチラナトラ」という語が、西洋の哲学・神学用語である "natura naturans"あるいは"natura naturata"に由来することを突きとめ、その本来の意味を参照しつつ詩の解釈を試みるもので、私は非常に興味深く読ませていただきました。


 去る9月21日、「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」の公式サイトが、リニューアルされました。

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 私は昨年から同センターの理事を拝命し、とりわけ今回のウェブサイト更新のお手伝いをしておりましたが、何とかその作業も一段落というところです。

 今回のサイトの目玉はいくつかありますが、なかでも「宮沢賢治ビブリオグラフィー」のページでは、宮沢賢治学会イーハトーブセンターが創立以来30年余りにわたって蓄積してきた賢治に関する厖大なデータベースから、資料の検索ができるようになっています。一度お試しいただければ幸いです。


 賢治の童話「〔ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記〕」は、非現実的な「ばけもの」の世界のお話であり、孤児から立身出世したネネムが突如として「世界裁判長」に就任し、絶頂からまた「出現罪」によって墜落する、という奇想天外なストーリーになっていますが、一方でその細部においては、これは賢治の目から見た当時の東北地方の現実社会の問題点を、象徴的に凝縮している面もあるように思えます。

 何よりその冒頭からして、飢饉によって家族の食糧が底を尽き、ネネムとマミミの両親が失踪して死んでしまうという幕開けは、東北の農村が直面していた厳しい現実を、題材としているのでしょう。


 天沢退二郎さんが早くから指摘され、また私も以前に「墜落恐怖と恐怖突入」という記事に書いたように、賢治の初期の童話には、「墜落する」というテーマがしばしば登場します。
 「蜘蛛となめくぢと狸」では、三人がそれぞれ頑張って出世し偉くなった挙げ句に身を滅ぼし、「双子の星」では、チュンセとポウセの双子が彗星ほうきぼしに欺されて天空から海底に落下します。また「貝の火」では、宝珠をもらって舞い上がってしまったホモイが、最後には宝珠を失った上に失明し、「〔ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記〕」では、世界裁判長にまで登りつめたネネムが、その得意の絶頂で踊りの足をすべらして転落し、人間世界に「出現」してしまうのです。


溢れ出るシニフィアンの頃

 2013年にNHKの朝ドラ「あまちゃん」の主演をした、能年玲奈さんという役者さんがおられますが、彼女は所属事務所とのトラブルが原因で、戸籍上の本名でもある「能年玲奈」という名前での芸能活動を、禁じられてしまいました。「あまちゃん」で一躍お茶の間のヒロインとなったにもかかわらず、それ以来彼女は一般のTVドラマには出演できない状態が続いていますが、しかしその後「のん」という芸名で活動を再開し、今では映画、舞台、音楽など、様々な分野で輝かしい活躍を続けておられるのは、皆様ご存じのとおりです。

 このような「名前を奪われる」という出来事から連想するのは、スタジオジブリのアニメ映画「千と千尋の神隠し」です。
 この物語の冒頭で、主人公の荻野千尋という女の子は、魔女の湯婆婆に名前を剥奪され、自由を奪われて湯屋で奴隷のように働かされます。名前を失くした彼女にその代わりとして与えられたのが、元の「荻野千尋」の断片である「せん」であったことは、「のうねんれな」が芸能界の見えない巨大な力によって「のん」に変えられてしまった悲劇に、何とも似ているように感じられます。


 賢治が盛岡高等農林学校の修学旅行で訪ねた「滋賀県立農事試験場」の跡地あたりを、昨年の7月から8月にかけて歩いてみて、「「滋賀県立農事試験場」跡地(修正版)」という記事にまとめたという経緯が、かつてありました。
 この記事に対するコメントで、跡地の近辺には「農業試験研究発祥の地付近」と題された碑が立てられているというご教示をいただきながら、諸般の事情でなかなか確認しに行くことができずにいたのですが、本日訪ねることができたので、ここにご報告いたします。

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