求道すでに道である

 「農民芸術概論綱要」の中に、次の言葉があります。

われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である

 この「求道すでに道である」という言葉は、同じく「農民芸術概論綱要」にある「永久の未完成これ完成である」とともに、生涯にわたって「求めつづけた」人である、宮沢賢治の思想や生き方を、象徴するものとも感じられます。

 今日はこの言葉について、考えてみたいと思います。

花巻市妙円寺「農民芸術概論綱要」碑
花巻市妙円寺「農民芸術概論綱要」碑

 無論この言葉は、「求道は道である」、すなわち「求道=道」ということを言っています。
 しかしながら、「Xを求めることが、Xそのものである」と言えるのは、あるいはこれを関数っぽく表現すれば「求(X)=X」という式が成り立つのは、一般的にはなかなか難しいことではないでしょうか。

 試しに、上の「求(X)=X」という式のXに、いろいろなものを代入してみましょう。

 たとえば、Xに「就職」を入れてみると、「就職を求めること(=求職)は、就職である」ということになります。しかしもちろんこれらは、同じではありません。求職するだけで職に就けるのならば、ハローワークや就職エージェントは不要になります。

 また、Xを「結婚」としてみると、「結婚を求めること(=求婚)は、結婚である」ということになります。もちろんこれも、同じではありません。王のような絶対的権力者ならば、求婚することと結婚することは事実上同じにもなるかもしれませんが、一般人にとっては、これらは人生における別のステップです。

 あるいは、この「求道すでに道である」という言葉は、上のように形式論理的に解釈するべきものではなく、「ある目標に向けて努力する過程は、目標を達成することに匹敵するほど、大切なことだ」という風に解釈すべきという考えもありうるでしょう。「結果」だけでなく「過程」も大事だということで、これはこれでよくある主張です。
 しかし、「どちらも大切だ」ということと、「その両者が同じものだ」ということは、全く別の問題です。「過程」=「結果」ではないのです。

 このように、「Xを求めることが、Xである」という命題は、一般的には成り立ちにくいようなのですが、実はこの賢治の言葉の場合においては、Xに入るものが「道」であるところが、重要なポイントなのだと思います。

 「道」という言葉の元来の意味は、人や乗り物が通行するための、地上に帯状に長く延びた区域のことです。「道」という漢字の元の意味もこれで、古代中国の思想家たちは「道」=「世界の真理に到達するための道筋」を、懸命に求めていました。するといつしか、その目標たる「到達すべき真理」のことも、「道」と呼ばれるようになっていったのです。
 紀元前6世紀に老子が「天は道に法のっとり、道は自然に法のっとる」と言ったところの「道」とは、そのような「究極の道理・秩序」のことですし、孔子が「朝あしたに道を聞かば夕ゆうべに死すとも可なり」の「道」も、同様に命を懸けられるほどの「究極の真理」です。
 下図で言えば、もとは現在地から目的地に至る「途中」を意味していた「道」が、いつしか「目的地」のことを指すようになったわけです。

現在地―道―目的地

 その後、紀元1世紀頃にインドから中国に仏教が伝来した際には、上記のような「究極の目標」を意味する「道」という用法に則って、仏教の究極目標である「悟り=菩提 bodhi」を、「道」という言葉で表現するようになったのです。6世紀に慧遠が著した仏教用語の解説書『大乗義章』には、次のようにあります。

菩提は胡語にして、ここには翻じてだうづく。

(『大乗義章』巻第十八)

 すなわち、「菩提というのは西方の言葉」で、「此(=中国)では、それを翻訳して道と呼ぶ」というわけです。「仏道」も同義です。
 このような、「道=悟り」という前提に立って、「得道」「成道」などの言葉は、いずれも「悟りを得る」ことを意味していますし、「求道」とは、「悟りを求める」「仏道を求める」ことです。

 ここにおいて、本日の「求道すでに道である」という言葉の、一つの解釈が可能になります。
 「悟りを求める=求道」のために、仏の教えを学んだり、修行をしたりしている時、人はすでに目的地である悟りに向かう、「道」の上にあります。
 すなわち、「求道すでに道である」のです。

 ここで、「求道」の方の「道」の意味は「悟り」であるのに対して、後者の「道」は、そうではなく語の原義の「通路」という意味の「道」になっています。
 これは、中国における「道」という語の二重性の上に立った考え方ですが、しかし言葉の両義性を利用しているということで、やや詭弁的な印象も否めません。

 そこで次には、仏教におけるもう少し本質的な議論に則って考えてみます。

 『大乗起信論』は、「一切の衆生はもとからさとっている」と説き、この悟りを「本覚」と呼びます。一方、現実の衆生は迷いに妨げられて悟りを自覚できませんので、そのような「迷妄から悟りに至る」ことを「始覚」と呼びます。
 島地大等は両者の関係について、『大乗起信論』の注釈の中で、次のように述べています。

本覺●●は眞如の德性として、吾人本來之を具有するも、我が妄迷の為にその性を覆はれ居るなり。而かも之を顕ずるには、實踐修行するの外無し。此の修行により眞如の理を證するを始覺●●といふ。此の始覺は本覺あるによつて起るもの故、始覺に對して本覺●●の名あり。修行の結果、妄染盡きて、一心の源に到達する時、始覺は即ち本覺となる(同ず●●)。眞如門に於ては始覺の名も本覺の名もあるべからず。

(島地大等「国譯大乗起信論」欄外註)

 このような、「皆がもとからさとっている」という考え方は、最澄没後の天台宗において、密教の影響を強く受けながら独自の発展を遂げていき、「天台本覚思想」と呼ばれるようになります。
 そこでは、一般には対立概念とされる、煩悩と菩提、娑婆と浄土、凡夫と仏などの二項が、実は本来は一体のものであると捉え、「煩悩即菩提」「娑婆即浄土」「凡夫即仏」として、「不二」を主張します。

 若き日に延暦寺で修行した日蓮も、このような思想の影響を受けており、たとえば次の文では、「凡夫即仏」ということが全面に押し出されています。

過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり。法華経の一念三千の法門、常住此説法のふるまひなり。〔中略〕
凡夫即仏なり、仏即凡夫なり、一念三千我実成仏これなり。

(日蓮「船守弥三郎殿許御書」)

 また、「妙法尼御前御返事(六難九易抄)」では、法華経を受持する人は、仏の三身の功徳を備えると述べます。

此法華経には我等が身をば法身如来、我等が心をば報身如来、我等がふるまひをば応身如来と説れて候へば、此経の一句一偈を持信ずる人は皆此功徳をそなへ候。

(日蓮「妙法尼御前御返事(六難九易抄)」)

 さらに、「観心本尊抄」では、凡夫も「妙法蓮華経」の五字を受持すれば、自然に仏の功徳が譲り与えられると述べています。

釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまふ。

(日蓮「観心本尊抄」)

 このように日蓮の教えでは、われわれ凡夫といえども、仏の悟りと遠く離れているわけではなく、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えれば、自然に仏の功徳が与えられるのです。
 (以上の記載で、日蓮遺文と本覚思想の関係については、三浦和浩著「日蓮聖人の成仏論─本覚思想との関係において─」を参考にさせていただきました。)

 そして、宮沢賢治にとっては、誰しも法華経の唱題をするという「求道」に入れば、その人にはすでに仏の「道」が与えられているのだという、篤い信仰があったのでしょう。

 「われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」という賢治の言葉において、「道」とは上記のような「仏道」だけに限定されるものではないと思われますが、その思想の中核には、上のような宗教的信念があったのではないかと、考える次第です。