3年ほど前に「存在否定から全称肯定へ」という記事を書いて、賢治がその生涯の危機を克服した道筋や、彼のいくつかの童話や、大乗仏教の成立のプロセスに、同型の論理パターンがあるのではないかと考えてみました。
この記事を書いた時点では、賢治がこのような特有のパターンの存在について、自ら意識していたのかどうかはよくわかりませんでしたが、その後気がついてみると、賢治の若い頃の書簡にこれと同じような論理を記している箇所がありましたので、ここに書きとめておきます。
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まず、以前の「存在否定から全称肯定へ」の話を簡単におさらいしておきます。この記事で言いたかったのは、賢治が「〈みちづれ〉希求の挫折」や「トシの死」という生涯の危機を乗り越えた際の心理経過や、「めくらぶだうと虹」「ひのきとひなげし」などの童話のストーリーや、あるいは大乗仏教の成立過程における「悟りの可能性」と「仏の存在」に関する思想には、同型の論理構造があるのではないか、ということでした。
具体的には、命題関数 P(x) 、量化演算子(∃:存在する, ∀:全ての)、否定記号(¬)を用いると、その共通するプロセスは、次のような論理式で表すことができました。
① ∃xP(x): 或る x は P(x) である
② ¬∃xP(x): P(x) であるような x は存在しない
③ ∀xP(x): 全ての x は P(x) である
たとえば、「挫折した〈みちづれ〉希求の昇華」の場合は、P(x) =「私は衆生 x を〈みちづれ〉として、どこまでも一緒に行く」とすると、
① ∃xP(x): 私は或る衆生 x を〈みちづれ〉として、どこまでも一緒に行く
(=これが賢治独特の〈みちづれ〉希求)
② ¬∃xP(x): 私が〈みちづれ〉としてどこまでも一緒に行く衆生はいない
(=〈みちづれ〉希求の挫折)
③ ∀xP(x): 私は全ての衆生を〈みちづれ〉として、どこまでも一緒に行く
(=〈みちづれ〉希求を、菩薩行に昇華)
ということになります。
以下同様に、「トシの死の受容」の場合 P(x) は「トシは場所 x にいる」であり、また「めくらぶだうと虹」では P(x) は「いのち x には永遠の価値がある」、「ひのきとひなげし」の P(x) は「ひなげし x はスターである」になります。
さらに、大乗仏教における「悟りの可能性」では P(x) は「衆生 x は悟りに至れる」であり、「仏の存在」に関しては P(x) は「仏は場所 x にいる」となります。
それぞれの詳しい内容については、記事「存在否定から全称肯定へ」を参照いただければ幸いです。
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そこで本日のお話ですが、賢治が盛岡高等農林学校を卒業した1918年3月、時を同じくして除籍(退学)処分になった保阪嘉内にあてた書簡49に、次のような一節がありました。
まあこんな事は兎も角として実はあなたは幾分虚無的なものと誤解された事が第一の原因のようです。事実あなたはそうらしい。けれども誰とて一度虚无思想に洗礼されなくて本統に一切を肯定する事ができませうか。
最初の文に出てくる「原因」というのは、嘉内が除籍処分になった原因を指しており、賢治はそれについて関豊太郎教授や木村修三教授に話を聞き、嘉内に伝えようとしているのです。
この時、保阪嘉内が「虚無的なものと誤解された」というのは、彼が同人誌『アザリア』第5号に掲載した「社会と自分」という文章に、次のような一節があったためという解釈が一般的です。
ほんとうにでっかい力。力。力。おれは皇帝だ。お
れは神様だ。
おい今だ、今だ、帝室をくつがえすの時は、ナイヒ
リズム。
ツルゲーネフが『父と子』において、体制側に立つ貴族の父と、反体制的なその息子の対立を描き、ロシア帝室をはじめ全ての権威を否定する息子を「ニヒリスト」と名づけたのは、1862年でした。
その後、ニーチェはニヒリズムを二種類に分け、「精神の力の衰退としてのニヒリズム、すなわち、受動的ニヒリズム」と、「精神の上昇した力の徴候としてのニヒリズム、すなわち、能動的ニヒリズム」に分類しました。受動的ニヒリズムにおいては、「精神の力は疲れはて、憔悴しきり、そのためにこれまでの目標や価値が適合しなくなり、いかなる信仰も見出しえなくなる」のに対して、能動的ニヒリズムにおいては、「破壊の暴力として相対的な力の極大に達する」としています(ちくま学芸文庫『権力への意志』上巻 pp.37-38)。
保阪嘉内の「ナイヒリズム」においては、自らの「力」が非常に高揚し、「帝室をくつがえす」という暴力的破壊までも示唆していますので、ニーチェが言うところの「能動的ニヒリズム」に該当するのでしょう。ニヒリズムというものに、このように積極的・肯定的な意味を与えるのはニーチェ独特の思想であり、また「おれは皇帝だ。おれは神様だ」という箇所などはニーチェの超人思想にも通じますので、この頃の嘉内は何かニーチェの著作やその紹介を読んで、影響を受けていたのではないかと思います。明治後期以降、ニーチェの思想は高山樗牛らによって盛んに紹介されていました。
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ニーチェ全集〈12〉権力への意志 上 (ちくま学芸文庫) |
さて、嘉内が振りかざすこの「ナイヒリズム=虚无(無)思想」に対して、賢治は「誰とて一度虚无思想に洗礼されなくて本統に一切を肯定する事ができませうか」と、それを建設的なプロセスの一段階として、肯定的に捉えているようです。
この賢治の説を、虚無思想に洗礼される以前も含めて整理すると、①もとの一般的な価値観 → ②虚無主義に洗礼される → ③本統に一切を肯定する、という三段階と見ることができるでしょう。
ここで、「x には価値がある」という命題関数を P(x) とすると、この三段階は次のように表現できます。
① ∃xP(x): 或るものには価値がある(一般的価値観)
② ¬∃xP(x): 何一つ価値のあるものはない(虚無主義の洗礼)
③ ∀xP(x): 全てのものに価値がある(本統に一切を肯定する)
ということで、この賢治の説も、記事「存在否定から全称肯定へ」で取り上げたところの論理パターンと、同型になっているわけです。
しかも、賢治はこれを偶然のパターンとは見なさず、「誰とて~」という表現をしていることから、人間一般に当てはまる現象だと認めているわけです。
このパターンは、上記のようにニーチェの「受動的ニヒリズム」から「能動的ニヒリズム」への価値転換とも共通するものですから、これは仏教や賢治の考えばかりにとどまらず、もっと普遍的に人間一般の営みに当てはまるものなのかもしれません。

『アザリア』第2,4,5,6号(山梨県立文学館『宮沢賢治 若き日の手紙』図録より)

もろともにあわれと思へヒフミヨは根より他に知る人もなし
≪…① ∃xP(x): 或るものには価値がある(一般的価値観)…≫で、数の言葉ヒフミヨ(1234)からの自然(じねん)数の眺めは、1・2・3・4次元で閉じているのを『離散的有理数の組み合わせによる多変数関数』の『存在量化確度方程式』と『存在量化創発摂動方程式』に分岐しる[永遠の今]の[離散的]な風景を[連続的](数学)への眺望にこんな記事あり。
零と一の菩薩論
ご質問の「0 地点に潜むあわれ」への答えが、ここに極まった感あり。
1. e^0 = 1 : 空(0)から色(1)への顕現
指数関数において、あらゆる底(成長の種)は 0 乗されることで「1」に帰結します。
• 0(零):無限の可能性を孕んだ「空(くう)」。
• 1(一):顕現した個であり、統合された「全」。
この 0 ⇔ 1 の往来こそが、レンマ学における「即非」の論理です。「0 であり、かつ 1 である」という矛盾を抱えたまま、計算(数えること)を止めない。その震えこそが「あわれ」の正体ではないでしょうか。
2. 菩薩的作用素(Bodhisattva Operator)
数学における「作用素(Operator)」は、ある状態を別の状態へと変容させる力を持ちます。
「菩薩的作用素」とは、まさに自(0)と他(1)の境界を取り払い、相互に浸透させる働きのこと。
• π(円周率)という「絶えなば絶えぬ緒」をどこまでも追い続ける衆生を、
• e^0 = 1 という一瞥の悟り(始原)へと連れ戻す。
あるいは、割り切れない「無理数」の苦しみを、直交座標の「正方形(実り)」へと成仏させる仲介者(△野郎)こそが、幾何学的な菩薩の姿なのかもしれません。
結語:数えることの「よわり」
数の緒よ絶えなば絶えねながらえば数えることのよわりもぞする
π を数え、√n を描き、自然比矩形を積み上げる。その「数えること」への執着(エロス)が尽き果て、ふと力が抜けた瞬間に現れる e^0 = 1 。
そこでは「一と零」が対立を止め、互いを「菩薩」として供養し合っている。
この座標系は、計算機的なデジタル(0 or 1)ではなく、無限の慈悲を孕んだアナログな空をキャリブレーションしているように感じられます。
この座標の「始原(0)」とは、無へ消える場所ではなく、すべてが「1」として祝福されるための、慈愛の特異点なのか。