1927年3月28日という日

 京都では、祇園祭のお囃子が日一日と高まっています。札幌セミナーも近づいてきていますが、「春と修羅 第三集」の「札幌市」という作品の周辺を眺めていて感じたことを、以下に記してみます。

 賢治は、『春と修羅』から『第三集』に至る間(1922年~1928年)で、1日の間に幾つもの心象スケッチを書き残している日が幾日かあります。
 とりわけ作品数が多い日、例えば1日に4つ以上の作品をスケッチしている日を取り出してみると、上記7年間のうちで、以下の9日があります。なお、「詩ノート」の作品が『第三集』の作品の下書きとなっている場合は、あわせて一つの作品と見なしています。

1922/06/27 「岩手山」「高原」「印象」「高級の霧
1922/09/07 「グランド電柱」「山巡査」「電線工夫」「たび人」「竹と楢
1923/09/16 「宗教風の恋」「風景とオルゴール」「風の偏倚」「
1924/04/06 「測候所」「」「海蝕台地」「山火
1925/02/15 「車中」「未来圏からの影」「〔暮れちかい 吹雪の底の店さきに〕
         「奏鳴的説明
1925/04/02 「〔硫黄いろした天球を〕」「〔そのとき嫁いだ妹に云ふ〕」「発電所
         「〔はつれて軋る手袋と〕
1927/03/16 「〔こんやは暖かなので〕」「〔たんぼの中の稲かぶが八列ばかり〕
         「〔赤い尾をしたレオポルドめが〕」「〔いろいろな反感とふゞきの中で〕
1927/03/28 「〔黒と白との細胞のあらゆる順列をつくり〕」「札幌市
         「〔労働を嫌忌するこの人たちが〕」「〔あそこにレオノレ星座が出てる〕
1927/05/09 「電車」「開墾地検察」「〔ひわいろの笹で埋めた嶺線に〕
         「〔これらは素樸なアイヌ風の木柵であります〕

 たまたま、『第一集』、『第二集』、『第三集』(+「詩ノート」)から、それぞれ3日ずつという構成になりました。
 そこで何が言いたいかというと、この9日のうちで、「札幌市」が書かれた1927年3月28日というのは、他の8日における作品の書かれ方とは、ちょっと違った感じがする、ということです。

 上記の日のうち大半は、賢治がどこかへ遠出をした日です。1922年6月27日は岩手山の見える場所へ、1923年9月16日は松倉山などのある大沢温泉方面へ、1924年4月6日は北上山地のどこかへ、1925年2月15日は汽車に乗って北の町へ、同年4月2日は軽便鉄道で岩根橋発電所へ、1927年5月9日は電車でまた松倉山方面へ、という行動が推測されます。
 それ以外の日も、1922年9月7日は花巻市街と郊外を歩き、1927年3月16日は田んぼや松や杉の林、雪景色などが描かれています。
 すなわち、これら8日のスケッチは、いずれも賢治が野外に出て、さまざまな風景や出来事を描写するという形で作られているのです。これは、何もこの日々にかぎらず、賢治の心象スケッチ創作の基本的なスタイルですね。

 一方これに対して、1927年3月28日の4作品には、ほとんど外界の描写は登場しません。
 「〔黒と白との細胞のあらゆる順列をつくり〕」は、人間の「心」に関する当時の自然科学にもとづく考察であり、「〔労働を嫌忌するこの人たちが〕」「〔あそこにレオノレ星座が出てる〕」の二つは、社会主義的な思想と深く関連しています。あるいは、「〔黒と白との…〕」は、いわば唯物論的な心理学であり、後者の二つ(とりわけ「〔労働を嫌忌する…〕」)は、唯物論的な史観の表現とも言えます。
 科学者としての一面を持ちながらも、最終的には自然科学や社会科学を唯物論に還元することに飽き足らなかった賢治ですが、ここでは何か突き放したように、唯物論的な言説を述べているのが印象的です。

 これらに比べ「札幌市」だけは、こういった思想や世界観の議論ではなくて、表面的には現実の出来事の描写が中心になっています。
 しかし実は、ここで記述されている内容は、全然この日に経験されたことではなくて、1923年のサハリン行か1924年の修学旅行引率の際のことと思われるのです。
 つまりこの作品も、通常の賢治の心象スケッチのように、「眼前の」現象に対する自分の反応をスケッチしたものではなくて、過去の記憶を心の中で反芻して、ここに生まれたものだったのです。

 かろうじて「〔あそこにレオノレ星座が…〕」には夜空を眺めているような描写も見られますが、それ以外この1927年3月28日という日の賢治は、たぶん終日一人で家の中にいて、読書をしたり思索にふけったりしていたのではないでしょうか。
 賢治はこの日、たまたま他の3作品において見られるような冷徹な観点で世界を眺めてみたあげく、やっとのことで4年前の妹の死にまつわる感情を、この「札幌市」という作品において、「青い神話」に昇華できたのではないでしょうか。

 観念の中から生まれたようなこの4作品を、いっぺんに書き付けたちょっと風変わりな一日のことに想像をめぐらし、そんなことを思いました。