「有明」の寂光土

 『春と修羅』所収の詩「有明」は、小さいけれども珠玉のように美しい作品です。下記が、その全文です。

  有明

起伏の雪は
あかるい桃の漿しるをそそがれ
青ぞらにとけのこる月は
やさしく天に咽喉のどを鳴らし
もいちど散乱のひかりを呑む
  (波羅ハラ僧羯諦サムギヤテイ 菩提ボージユ 薩婆訶ソハカ

20250406b.jpg 2024年度のイーハトーブ賞奨励賞を受賞されたイランのアスィエ・サベル・モガッダムさんは、ペルシャ語翻訳で初めて刊行した宮沢賢治詩集(右画像)のタイトルを、「有明(ماه آسمان صبح:朝空の月)」とされました。この命名の理由について、サベルさんは次のように書いておられます。

 私にとって、この「有明」という言葉を書名として選んだのには、いくつかの理由があった。まず、「有明」そのままで、ペルシャ語として魅力的な言葉で、美しい想像をかきたてる語であることである。実は、賢治の作品の中で、初めて「有明」という詩に出会った時、私はとても新鮮な感覚を経験したといってよい。自然現象に対する賢治のこのような素晴らしい視点に、とても深く感動した。私が幼いころ、朝起きて、空でまだ月が見える風景を見たときの感覚を思い起こす。
 私は、常にこのような美しい風景を描写する詩に出会うのを期待していた。そして、賢治の美しい作品「有明」に出合った際には昔からあった夢がかなったと感じた。

(「ペルシア語での宮沢賢治の詩作品」宮沢賢治研究Annual Vol.27 p.97)

 さて「有明」とは、「陰暦十六夜以後、月がまだ天にありながら夜の明けかけること。また、そのころ。」(『精選版 日本国語大辞典』)であり、さらにその月のことも指します。
 この作品の日付は1922年4月13日ですが、地面には雪が残っていて、朝日が明るく反射しています。そして賢治がその朝の日光のことを、「桃の漿しる」と描写しているのが、何とも新鮮です。
 「漿」とは「どろりとした飲みもの」のことで、「桃の漿しる」ならばちょうど「ピーチネクター」です。雪面の凹凸に溜まる光に、賢治はそういう「濃密さ」を感じとっていたのでしょう。日光が桃色をしているというのも独特ですが、低い角度で差し込む朝夕の太陽光は、大気の散乱効果によって赤みがかって見えることによるのかもしれませんし、雪の上の影が青く見えることの補色残像もあるのかもしれません。
 いずれにせよ、「起伏の雪は/あかるい桃の漿しるをそそがれ」という最初の二行には、新しく輝かしい朝の光と喜びが、充ち満ちています。

 続く三行目の「青ぞらにとけのこる月」は、夜から居残った存在ですが、冒頭二行の目映ゆい朝の訪れを、作者と一緒に享受しているかのようです。
 「天に咽喉のどを鳴らし」て「散乱のひかりを呑む」のは、作品中では月ですが、ほんとうはここで天から注がれたピーチネクターをごくごく呑んでいるのは、作者の賢治自身なのでしょう。この描写は、『注文の多い料理店』の「」の、「わたしたちは、……もゝいろのうつくしいあさ日光につくわうをのむことができます」という表現に、ぴたりと一致しています。あまりにぴったりなので、「」のこの箇所は、「有明」の朝の体験に基づいているのだろうと、私は想像しています。
 すなわち、ここで賢治は、空に溶け残る月と自分を一体化つつ、桃いろの朝日を飲んで体内に取り込み、それによってさらにこの朝のキラキラした情景全体と、溶け合い混じり合い、一体化しているのです。

 ここには、賢治が自然や世界を感受する際の、特徴的な様子が見てとれます。自らが「自我」という小さな枠を外に超え出て、世界全体と一体化し溶け合う境地であり、これこそが「エクスタシー(ek-stasis=外に・立つこと)」です。弟清六あての手紙に、「もし風や光のなかに自分を忘れ世界がじぶんの庭になり、あるいは惚として銀河系全体をひとりのじぶんだと感ずるときはたのしいことではありませんか」(「曠野の饗宴」)と記している心境も、まさにこれなのでしょう。

 私は、先月の神戸の講演「宮沢賢治の「ほんとうのさいわい」とは何か」の結論として、賢治が目ざした究極の幸いとは、仏教的に言えば「悉皆成仏」と「娑婆即寂光土」といういずれか二つの極に至ることではないかと申し上げたのですが、賢治がこの「有明」という小さな作品において表現したのは、後者「娑婆即寂光土」の状態であり、そこで体験されるエクスタシーなのではないかと思います。

 朝の雪の上に輝く「桃の漿しる」のような日光は、ひとたびそれに気づいた者にとっては、この娑婆を浄土のように照らす寂光なのです。この世界は、一面では苦悩に充ちているようでいて、実はこの上ない美や恍惚の場所でもあるのです。

 このような自然描写の五行に続いて、「有明」の最終行は、仏教経典の言葉で閉じられます。
 「波羅ハラ僧羯諦サムギヤテイ 菩提ボージユ 薩婆訶ソハカ」とは、「般若心経」の末尾に置かれた真言マントラの一部で、その全体は、「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶(gate gate pāragate pāra-saṃgate bodhi svāhā)」です。
 これに関連して、盛岡高等農林学校生2年時の賢治の短歌に、次のようなものがあります。

319 いまはいざ
僧堂に入らん
あかつきの、般若心経、
夜の普門品

323 風は樹を
ゆすりて云ひぬ
「波羅羯諦」
あかきはみだれしけしのひとむら。

 当時、賢治は曹洞宗報恩寺の尾崎文英のもとで参禅し、朝と夜の勤行にも出ていたようで、短歌319からすると朝には「般若心経」を、夜には「法華経」の「観世音菩薩普門品」を、読誦していたのだと思われます。短歌323においては、この頃に慣れ親しんでいた般若心経の一節「波羅羯諦」が、まるで風が云ったかのように体験されています。

 「有明」において、朝の情景とともに同じこの般若心経のマントラが登場するのは、数年前に毎朝唱えていた馴染みの一節が、朝日によってふと蘇ったものかとも思われます。

 一方で、このマントラの意味内容も、「有明」という作品の趣旨と、繋がっているのかもしれません。
 この呪文のもとの意味は、高神覚昇『般若心経講義』よれば、次のようなものです。

自分も悟りの彼岸へ行った。人もまた悟りの彼岸へ行かしめた。あまねく一切の人々をみな行かしめ終わった。かくてわがさとりの道は成就された。

(高神覚昇『般若心経講義』p.247)

 「あまねく一切の人々をみな(悟りの彼岸へ)行かしめ終わった=波羅ハラ僧羯諦サムギヤテイ」とは、まさしく「悉皆成仏」の状態です。
 賢治はこの朝、有明の月とともに雪上の日光に包まれつつ、あたかも万象とともに彼岸に到達したかのような、満ち足りた究極の安息を、万象と一体となって、味わっていたのだろうと思います。

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