宗教風の恋

   

   がさがさした稲もやさしい油緑(ゆりよく)に熟し

   西ならあんな暗い立派な霧でいつぱい

   草穂はいちめん風で波立つてゐるのに

   可哀さうなおまへの弱いあたまは

   くらくらするまで青く乱れ

   いまに太田武か誰かのやうに

   眼のふちもぐちやぐちやになつてしまふ

   ほんたうにそんな偏つて尖つた心の動きかたのくせ

   なぜこんなにすきとほつてきれいな気層のなかから

   燃えて暗いなやましいものをつかまへるか

   信仰でしか得られないものを

   なぜ人間の中でしつかり捕へやうとするか

   風はどうどう空で鳴つてるし

   東京の避難者たちは半分脳膜炎になつて

   いまでもまいにち遁げて来るのに

   どうしておまへはそんな医される筈のないかなしみを

   わざとあかるいそらからとるか

   いまはもうさうしてゐるときでない

   けれども悪いとかいゝとか云ふのではない

   あんまりおまへがひどからうとおもふので

   みかねてわたしはいつてゐるのだ

   さあなみだをふいてきちんとたて

   もうそんな宗教風の恋をしてはいけない

   そこはちやうど両方の空間が二重になつてゐるとこで

   おれたちのやうな初心のものに

   居られる場処では決してない

 

 


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