風景とオルゴール

   

   爽かなくだもののにほひに充ち

   つめたくされた銀製の薄明穹(はくめいきう)

   雲がどんどんかけてゐる

   黒曜(こくやう)ひのきやサイプレスの中を

   一疋の馬がゆつくりやつてくる

   ひとりの農夫が乗つてゐる

   もちろん農夫はからだ半分ぐらゐ

   木(こ)だちやそこらの銀のアトムに溶け

   またじぶんでも溶けてもいいとおもひながら

   あたまの大きな曖昧な馬といつしよにゆつくりくる

   首を垂れておとなしくがさがさした南部馬

   黒く巨きな松倉山のこつちに

   一点のダアリア複合体

   その電燈の企画(プラン)なら

   じつに九月の宝石である

   その電燈の献策者に

   わたくしは青い蕃茄(トマト)を贈る

   どんなにこれらのぬれたみちや

   クレオソートを塗つたばかりのらんかんや

   電線も二本にせものの虚無(きよむ)のなかから光つてゐるし

   風景が深く透明にされたかわからない

   下では水がごうごう流れて行き

   薄明穹の爽かな銀と苹果とを

   黒白鳥のむな毛の塊が奔り

     《ああ お月さまが出てゐます》

   ほんたうに鋭い秋の粉や

   玻璃末(はりまつ)の雲の稜に磨かれて

   紫磨銀彩(しまぎんさい)に尖つて光る六日の月

   橋のらんかんには雨粒がまだいつぱいついてゐる

   なんといふこのなつかしさの湧あがり

   水はおとなしい膠朧体だし

   わたくしはこんな過透明(くわとうめい)な景色のなかに

   松倉山や五間森(ごけんもり)荒つぽい石英安山岩(デサイト)の岩頸から

   放たれた剽悍な刺客に

   暗殺されてもいいのです

     (たしかにわたくしがその木をきつたのだから)

      (杉のいただきは黒くそらの椀を刺し)

   風が口笛をはんぶんちぎつて持つてくれば

     (気の毒な二重感覚の機関)

   わたくしは古い印度の青草をみる

   崖にぶつつかるそのへんの水は

   葱のやうに横に外(そ)れてゐる

   そんなに風はうまく吹き

   半月の表面はきれいに吹きはらはれた

   だからわたくしの洋傘は

   しばらくぱたぱた言つてから

   ぬれた橋板に倒れたのだ

   松倉山松倉山尖つてまつ暗な悪魔蒼鉛の空に立ち

   電燈はよほど熟してゐる

   風がもうこれつきり吹けば

   まさしく吹いて来る劫(カルパ)のはじめの風

   ひときれそらにうかぶ暁のモテイーフ

   電線と恐ろしい玉髄(キヤルセドニ)の雲のきれ

   そこから見当のつかない大きな青い星がうかぶ

      (何べんの恋の償ひだ)

   そんな恐ろしいがまいろの雲と

   わたくしの上着はひるがへり

      (オルゴールをかけろかけろ)

   月はいきなり二つになり

   盲ひた黒い暈をつくつて光面を過ぎる雲の一群

      (しづまれしづまれ五間森

       木をきられてもしづまるのだ)

   

 


   ←前の草稿形態へ

(宮澤家本は手入れなし)