〈悉皆成仏〉と〈娑婆即寂光土〉

 先日の「宮沢賢治の誓願」という記事では、賢治は少なくとも盛岡高等農林学校3年の1917年には、「我等と衆生と皆ともに仏道を成ぜん(法華経化城喩品)」という誓願を立て、これを終生心に持ち続けて、様々な作品や書簡の底流となる主題としてきたのではないかということを、跡づけてみました。
 あらためてその流れの概略をたどると、次のようになります。

  • 「たびはてん 遠くも来つる 旅ははてなむ 旅立たむ なべてのひとの 旅はつるまで。」(1917年7月『校友会会報』)
        
  • 「ねがはくはこの功徳をあまねく一切に及ぼして十界百界もろともに仏道成就せん。一人成仏すれば三千大千世界山川草木虫魚禽獣みなともに成仏だ。」(1918年5月保阪嘉内あて書簡63)
        
  • 「わが成仏の日は山川草木みな成仏する。」(1918年6月保阪嘉内あて書簡76)
        
  • 「曾って盛岡で我々の誓った願/我等と衆生と無上道を成ぜん、これをどこ迄も進みませう」(1921年1月保阪嘉内あて書簡186)
        
  • 「正しいねがひに燃えて/じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする」(1922年5月「小岩井農場」)
        ↓
  • 「チユンセがもしもポーセをほんたうにかあいさうにおもふなら大きな勇気を出してすべてのいきもののほんたうの幸福をさがさなければいけない。それはナムサダルマプフンダリカサスートラといふものである。」(1923年秋頃「手紙 四」)
        ↓
  • 「僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」
    「きっとみんなのほんたうのさいはいをさがしに行く。」
    「だからやっぱりおまへはさっき考へたやうにあらゆるひとのいちばんの幸福をさがしみんなと一しょに早くそこへ行くがいゝ。」
    「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんたうの幸福を求めます。」(1924年夏~?「銀河鉄道の夜」)
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  • 「まことの道は一つで、そこを正しく進むものはその道(法)自身です。みんないっしょにまことの道を行くときはそこには一つの大きな道があるばかりです。しかもその中でめいめいがめいめいの個性によって明るく楽しくその道を表現することを拒みません。生きた菩薩におなりなさい。」(1929年12月?小笠原露あて書簡252c下書(十六))

 すなわち、「銀河鉄道の夜」のキーワードと言うべき、「みんなのほんたうのさいはい」「あらゆるひとのいちばんの幸福」「まことのみんなの幸」「ほんたうのほんたうの幸福」などの言葉が指し示す目標は、結局は「皆がともに成仏する」=〈悉皆成仏〉の状態なのだろうと、考えられました。

 ところで、数ある賢治の作品の中で、このように「幸福」あるいは「幸い」という言葉に、「ほんたうの」「いちばんの」「まことの」等の究極的な形容詞が付けられている用例が、「銀河鉄道の夜」「〔手紙 四〕」以外にあるのか調べてみると、他に一つだけあるのです。

 それは「虔十公園林」で、物語最後の下記の箇所です。

「こゝはもういつまでも子供たちの美しい公園地です。どうでせう。こゝに虔十公園林と名をつけていつまでもこの通り保存するやうにしては。」
「これは全くお考へつきです。さうなれば子供らもどんなにしあはせか知れません。」
 さてみんなその通りになりました。
 芝生のまん中、子供らの林の前に
「虔十公園林」と彫った青い橄欖岩の碑が建ちました。
 昔のその学校の生徒、今はもう立派な検事になったり将校になったり海の向ふに小さいながら農園を有ったりしている人たちから沢山の手紙やお金が学校に集まって来ました。
 虔十のうちの人たちはほんたうによろこんで泣きました。
 全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さわやかな匂、夏のすゞしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本統のさいはひが何だかを教へるか数へられませんでした。
 そして林は虔十の居た時の通り雨が降ってはすき徹る冷たい雫をみぢかい草にポタリポタリと落しお日さまが輝いては新らしい奇麗な空気をさわやかにはき出すのでした。

 ここでも、「何千人の人たち」が対象となっているので、やはり賢治は普遍的な幸福を考えていると思われますが、ここで目指されているのは〈悉皆成仏〉ではなさそうです。そんな遠い遠い先にある目標ではなくて、今ここで、虔十が作った公園林が、たくさんの人たちに教えてくれる「何か」なのでしょう。
 それでは、ここで賢治が言っているところの「本統のさいはひ」とは、いったい何なのでしょうか……。

 それは上の文によれば、「公園林の杉の黒い立派な緑、さわやかな匂、夏のすゞしい陰、月光色の芝生が」、人々に教えてくれるものでしょう。
 あるいはその次の文によれば、公園林が「雨が降ってはすき徹る冷たい雫をみぢかい草にポタリポタリと落しお日さまが輝いては新らしい奇麗な空気をさわやかにはき出す」ことによって、人々に教えてくれるものでしょう。

 これをあらためて言葉にするならば、ここで賢治が私たちに呈示している「本統のさいはひ」とは、「この世界の美を享受する喜び」とでも言えるのではないでしょうか。

 振り返れば、この物語の冒頭で虔十は、「雨の中の青いやぶを見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでもけて行くたかを見付けてははねあがって手をたゝいてみんなに知らせ」たのでした。また、「風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑へて仕方ない」のでした。
 虔十こそは、「この世界の美を享受する喜び」を、最も純粋に感じとることができる人だったのです。

 当初は、虔十以外の他の人々は、虔十のようにはその美を感知し、喜ぶことができなかったので、ただわけもなくハアハア笑っているように見える虔十を、皆でばかにしていました。
 しかし虔十が、可愛く整枝した杉並木の公園林を作り上げると、そこに現れた瀟洒な幾何学的律動は、近所の子供たちを魅了して格好の遊び場になり、子供らは「みんな顔をまっ赤にしてもずのやうに叫んで杉の列の間を歩いてゐる」状態になったのです。
 ここに至って、虔十をばかにしていた子供たちも、虔十と同じように「世界の美を享受する喜び」に、我を忘れてしまうことになるのです。

 物語の最後では、立派な大人になった当時の子供たちが、自分たちにそのような「世界の美を享受する喜び=本統のさいはひ」を教えてくれた虔十に対する感謝をこめて、この小さな林を「虔十公園林」と名付け、その名を記した青い橄欖岩の碑を建立したのでした。

 この世界には、辛いことや苦しいことがたくさんありますし、雲や空や土や林などその景色も、いつも見慣れてしまえば、そこに美や喜びを感じつづけることは難しいかもしれません。
 しかし宮沢賢治という人は、その詩や童話において、この当たり前の世界が、どれほど生き生きと輝き、素敵な命で満ちているのかということを、鮮やかに示してくれました。虔十が「公園林」を通じて人々に教えてくれた「本統のさいはひ」を、その作品によって、ありありと示してくれたのです。
 賢治がおもに文学によって行ったことを、虔十は風景をデザインすることで成し遂げたので、虔十のことを「装景家」と呼ぶことができるでしょう。思えば賢治も、詩や童話だけでなく、歌壇や公園の設計によって、「装景」もまた試みた人でした。

 さてこのように、「苦難に満ちたこの現実世界が、実は仏の住む美しい至高の場所なのである」と感受することを、仏教的には〈娑婆即寂光土〉と言います。仏の目から見れば、この世界は何の穢れも翳りもない至福の場所であるのに、凡夫は己の煩悩のために、そのような世界の真の姿が見えないというのです。
 『注文の多い料理店』の「」の、「またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました」という箇所は、賢治がこの娑婆世界の汚れの中に、天上の美を見られる人だったことを、物語っています。

 法華経において、この〈娑婆即寂光土〉という思想がよく現れているのは、如来寿量品の「偈」の、次の部分です。

衆生見劫盡 大火所焼時
我此土安穏 天人常充満
園林諸堂閣 種種寶荘厳
寶樹多華果 衆生所遊樂
諸天撃天鼓 常作衆伎樂
雨曼陀羅華 散佛及大衆

〔書き下し文〕
衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も
我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり
園林諸の堂閣 種種の寶をもつて荘厳し
寶樹華果多くして 衆生の遊樂する所なり
諸天天鼓を撃ちて 常にもろもろの伎樂を作し
曼陀羅華をふらして 佛及び大衆に散ず

(島地大等編『漢和対照 妙法蓮華経』p.427)

 賢治は、法華経如来寿量品のこの箇所がとりわけ好きで、保阪嘉内あての書簡に抜き書きしたり、晩年にこれを題材に習字の練習を何度もしたりしています。

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『新校本宮澤賢治全集』第14巻p.283より

 以上、賢治が「ほんたうのさいはひ」と呼んで、自らの究極的目標としたのは、仏教的に言えば〈悉皆成仏〉〈娑婆即寂光土〉という、二つの状態があったのではないかと私は考え、この3月の神戸での講演でもお話をさせていただきました。

 この二つは、ある意味でちょうど正反対の、対極的な位置にある状態と言ってよいでしょう。

 前者〈悉皆成仏〉とは、仏教を信ずるならば全ての人が目指すべき、究極の理想ではありますが、それは遠く遙か彼方にあって、いつ到達できるかもわからない目標です。
 この娑婆世界においては、釈迦牟尼仏が2500年ほど前に涅槃に入り、次に一人の仏がこの世に現れるのは、56億7千万年後に弥勒が成仏する時だということです。となると、「全ての衆生が仏に成る」などというのは、いったいどれほど遠い先の未来のことなのか、気が遠くなって見当もつきません。
 しかしそれでも、我々は日々自らを高め、人々を助け、その目標に向かって一歩一歩進んでいこうというのが、聖道門の思想です。
 宮沢賢治という人には、「雨ニモマケズ風ニモマケズ」、刻苦勉励して人のために尽くす、というストイックなイメージがありますが、そのような側面に対応するのが、この〈悉皆成仏〉を目指す「求道者としての賢治」だと言っていいでしょう。

 これに対して、後者〈娑婆即寂光土〉は、「遠い先」のことではなくて、「今ここ」にある幸せです。
 もちろん、「今ここ」にある寂光土を、完璧に全面的に享受するためには、「仏」になる以外にはありませんが、たとえわれわれ凡夫でも、虔十や賢治のような人の導きによって、そのほんの小さな一端であれば、ふと垣間見ることができるかもしれないのです。
 賢治という人には、上記のストイックな面とは対照的に、とにかく美しいものに恋い焦がれ、時にその感動のあまり興奮し我を忘れて「ホホーッ」などと奇声を発し踊り出すことがあったということですが、そのような耽美的・「虔十的」な側面が、こちらに対応しています。

 永遠の「求道者」であるためには、常に「これではまだ駄目だ、もっとより良い自分を、より良い世界を……」と、現状を「否定」しつづける必要があるの対して、今ここにある美を享受するためには、現状を受け容れ、その素晴らしさを「肯定」すればよいのです。

 人間というのは誰しも、現状肯定だけでは変化が生まれず、今の自分を否定することから向上が生まれるものである一方で、あんまりいつも否定ばかりしていては苦しくなってしまいますから、ありのままの自分や世界を肯定し受け容れていくことも、それはそれとして大事なことと思います。
 賢治が、「ほんたうのさいはひ」として考えていた事柄に、この二つの対極的な契機の双方が含まれていることは、興味深く感じられます。

 賢治も読んでいたメーテルリンクの「青い鳥」という戯曲では、チルチルとミチルが「幸せの青い鳥」を探し求めて遠い国をあちこち旅して、結局青い鳥を捕まえて帰ることはできなかったけれども、戻ってみると家に青い鳥がいた、という結末を思い出します。「幸せは遠い彼方にあるのか、すぐ近くにあるのか」という問いに対して、賢治は両方の答えを用意していたわけです。

 ちなみに、冒頭近くに引用した書簡で賢治は、「山川草木みな成仏」と書いていますが、これは平安時代の安然という僧が初めて用いた「草木国土悉皆成仏」という言葉に由来すると想定されます。記事の最後に、この安然の言葉をめぐる一端を、ご紹介しておきます。
 天台宗で当代随一の学僧であった安然は、『斟定草木成仏私記』という著作の中で、「草木や国土」などの無情(意識がない植物や無機物)も自ら成仏するのか?という問題について考察を行っているのですが、その中で「草木国土悉皆成仏」という言葉を、独自に登場させているのです。
 末木文美士著『草木成仏の思想』に掲載されている現代語訳によれば、その出現部分は次のようになっています。

⑧問。もしそうならば、ただ有情が成仏すると言うべきで、無情が成仏するとは言うべきでない。
 答。『金錍論』に言う、「一人の仏が成仏すると、法界はこの仏の環境と主体でないものはない。一人の仏についてそうである以上、諸仏もすべてそうである」。また『摂(大乗)論』に、「内によって外も成仏することができる」と。それ故、有情が成仏するとき、環境である国土もそれに随って成仏し、さらには、法界にこの仏の環境と主体でないものがないと知られる。
⑨問。どうして知ることができるのか。
 答。『中陰経』に言う、「一人の仏が成仏して法界を観察すると、草木も国土もすべて成仏する〔一仏成道観見法界、草木国土悉皆成仏〕。身長は(仏の身長である)一丈六尺で、光明が遍く照し、みな説法することができる。その仏はみな妙覚如来と名付ける」。それ故、そうだと分かる。

(末木文美士『草木成仏の思想』p.214)

 上記では、『中陰経』に「一仏成道観見法界、草木国土悉皆成仏」という言葉が出ていると書かれていますが、実際は『中陰経』にこのような言葉はなく、安然がかなり「超訳」したもののようで、ここに「草木国土悉皆成仏」という言葉が歴史上で初めて現れたのです。これが日本人の感性にぴたりと合ったのか、以後は能の世界などを通じて広く普及していくことになります。
 それはともかく、上記の部分では「一人の仏が成仏して法界を観察すると、その環境であるこの世界の草木も、一緒に仏と成っている」ということが説かれていて、草木国土が自ら能動的に成仏するわけではなく、仏の環境世界として、受動的に成仏するのだと主張されています。
 ここで、「仏の力によって、環境世界も(仏にとっては)成仏する」というこの状況こそが、「娑婆も仏にとっては寂光土だ」ということであり、ここでは「〈悉皆成仏〉が実は〈娑婆即寂光土〉だ」ということになるわけです。

 ということで、賢治にとっての「ほんたうのさいはひ」である〈悉皆成仏〉と〈娑婆即寂光土〉は、本来は対極的であるものの、ある種の視点からは重なり合ってしまうということもあるようで、これも面白く感じました。

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末木文美士 (著)
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