お正月の休みに、藤村安芸子著『宮沢賢治 人と思想』という本を読みました。下のような赤い表紙でおなじみの、清水書院「人と思想」シリーズの一冊で、内外の偉人を取り上げたどの巻もコンパクトかつ適確にまとまっていて重宝なのですが、この「宮沢賢治」の巻は、おもに童話に表現された賢治の思想を、仏教的な観点から分析したもので、とても奧深く刺激的な内容でした。
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まずその「目次」を、下記に掲載させていただきます。
はじめに──賢治の童話と仏教思想──
第Ⅰ章 ただ一人を思うこと
「手紙四」
「オホーツク挽歌」
「銀河鉄道の夜」第Ⅱ章 真宗と禅宗と法華経と
仏教の歴史
政次郎と賢治
「「旅人のはなし」から」第Ⅲ章 信仰の変遷
徴兵問題
山川草木虫魚禽獣の成仏
国柱会へ
農業がもたらしたもの第Ⅳ章 イーハトヴ童話
「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」
「十力の金剛石」と「かしわばやしの夜」
「山男の四月」第Ⅴ章 みんなを思うこと
「烏の北斗七星」
「銀河鉄道の夜」ふたたび
ほんとうのさいわいを求めてあとがき──神秘に通じる力──
ご覧いただいたらわかるように、冒頭の「第Ⅰ章 ただ一人を思うこと」と、最後の「第Ⅴ章 みんなを思うこと」が対になっていて、この「両極」の間で葛藤した賢治の思いを、「第Ⅱ章 真宗と禅宗と法華経と」および「第Ⅲ章 信仰の変遷」で概観する賢治の仏教思想に照らしつつ整理し、さらに「銀河鉄道の夜」「オホーツク挽歌」「手紙四」などの作品や、『注文の多い料理店』に収められた各童話の分析を通して、賢治が考えた「みんなのほんとうのさいわい」とはいったい何だったのかを、解き明かしていきます。
第Ⅱ章では、「仏教の歴史」にさかのぼって入門的に解説し、父政次郎と賢治の仏教信仰の内容が検討されますが、政次郎と若い頃の賢治の両者とも、浄土真宗を信仰しながらも「自力」に傾きがちだったという指摘は、鋭いものでした。
また賢治が、「戦争とか病気とか学校も家も山も雪もみな均しき一心の現象に御座候」などというような、唯心論的な世界観を持つに至った思想的背景として、『大乗起信論』の影響を挙げておられるところは、私が以前から思っていたことと同じで、心強く感じました。
上述の「ただ一人を思うこと」と「みんなを思うこと」との間の葛藤を、賢治がどのように止揚・昇華していったのかという問題は、彼の思想をとらえる上で非常に重要なポイントだと思いますが、この本で著者が示しておられる考えは、「私たちが抱く情愛は慈悲の出発点として位置づけられる(本書p.307)」ことから、賢治は最終的に両者を肯定していたのだ、というものです。
「〔手紙 四〕」において、「私にこの手紙を云ひつけた人」は、「チユンセはポーセをたづねることはむだだ」と告げる一方で、後では「さアおまへはチユンセやポーセやみんなのために、ポーセをたづねる手紙を出すがいい」と言っており、ポーセという「ただ一人を思うこと」は、はたして否定すべきことなのか肯定すべきことなのか、不明確になっています。これは「青森挽歌」においては、「けつしてひとりをいのつてはいけない」として、「ただ一人を思うこと」が明確に否定されていたのとは、大きな相違点です。
この相違について、著者藤村氏は次のように述べ、「〔手紙 四〕」で「ただ一人を思うこと」と「みんなを思うこと」の両者が肯定されている(ように見える)ことの方を、賢治が到達した思想として評価しておられます。
「青森挽歌」の論理にしたがえば、チュンセは否定すべき行いをしている子になる。けれども「手紙四」で「あるひと」は、ポーセについて考え続けるチュンセを「いいこどもだ」と評している。だからこそ「あるひと」は、ポーセをたずねる手紙を出すよう「わたくし」にすすめた。亡くなった妹について考えることは、禁止すべきことから推奨されることへと反転したのである。
(本書pp.49-50)
私自身の考えとしては、「〔手紙 四〕」は「ただ一人を思うこと」から「みんなを思うこと」へと、賢治が移行しようとしている過渡期にあるものなので、内容的にまだ不徹底で上記のような曖昧さが残っているのだととらえているのですが、著者氏はむしろ「〔手紙 四〕」の方を、賢治の到達点と考えておられるわけです。
たしかに、賢治はトシを失って「ただ一人」への思いをとことん突き詰めたからこそ、「みんな」への思いを深化させられたのだと言えるでしょう。また「銀河鉄道の夜」においても、当初ジョバンニはカムパネルラを独占したいと思い「一人」に執着していましたが、そこを超えて「ほんたうにみんなの
人間の心理の発展としては、「一人」から「みんな」へという方向に進むのは自然なことでしょうが、しかし賢治という人の思考はかなり変わっていて、「小岩井農場」パート九においては、衆生とともに至上福祉に至ろうとする「宗教情操」がまず先にあって、それが「恋愛」→「性慾」へと変態していくのだと述べ、逆方向の見方を呈示しています。これはある意味で、「仏からの視点」と言えるかもしれません。
また、1929年のものと推定される「書簡252a(下書)」では、「私は一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。さういふ愛を持つものは結局じぶんの子どもだけが大切といふあたり前のことになりますから」と書き、やはり「一人を思うこと」を否定しているように見えます。
このあたりの、「一人」と「みんな」に関する賢治の考えの解釈については、まだいろいろな意見がありえるかもしれません。
しかしいずれにせよ、本書は賢治の考えとその背景にある仏教思想について、多くの貴重な示唆を与えてくれるものでした。
下記に、この本の最後近くの部分を引用させていただきます。
真理を求める旅から真理を手渡す旅へ、そして死者のゆくえを求める旅から死者の思いを引き受け問い続ける旅へ。「みんな」のことを考え続けた賢治は、自らの経験を通して仏の教えが他ならぬ自分が抱える苦しみをすくい取ってくれる力を持つことを見いだした。仏の教えのもつ力は、他の存在と関わりながら生きていくありようを描くことによって表現することができる。ただしそれは、主人公が何らかの答えに出会うという形ではなく、主人公が新たな問いと出会うという形で描き出される。自分が抱いた問いは、やがては誰かに引き継がれていく。
(藤村安芸子『宮沢賢治 人と思想』p.310)
だからこそ私たちは、賢治の作品を読むと、否応なくその「問い」を引き継ぎ、考え続けざるをえないのでしょう。
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