あけましておめでとうございます。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。
ところで、今日からちょうど百年前の1925年1月5日の夜、賢治は花巻から三陸地方へ向けて旅立ちました。この旅行中には、出発時の「異途への出発」をはじめ、多くの詩が書かれましたが、翌1月6日明け方の北三陸の海岸を「暁穹への嫉妬」に、1月7日に発動機船に乗って宮古まで航行する間の情景を「発動機船 一」「発動機船 第二」「発動機船 三」の連作として残しています。「暁穹への嫉妬」は、後に文語詩に改作されて「敗れし少年の歌へる」となりました。
その後2004年10月、賢治が発動機船に乗った場所の推定地の一つである普代村堀内に、「敗れし少年の歌へる」詩碑が建立され、私は賢治の旅から80周年となる2005年1月にこの地を訪れたのですが、図らずもその際に地元の合唱団の方から依頼を受けて、この詩に曲を付けた合唱曲「敗れし少年の歌へる」を作らせていただきました。
続いて、賢治の旅から90周年になる2015年には、普代村黒崎に「発動機船 一」詩碑が建立されました。私はお誘いを受けて、普代村やお隣の田野畑村の村長さんも出席されたこの詩碑の除幕式に、参加させていただきました。
相次ぐ詩碑の建立は、賢治と三陸地方の縁を大切にしようという、地元の方々の強い思いの表れかと思います。
そして、昨年10月のある日、また地元の合唱団の方から私に電話があって、詩碑となっている「発動機船 一」を合唱曲にしてくれないかと、依頼を受けたのです……。
「発動機船 一」詩碑(普代村黒崎展望台)
こちらの「発動機船 一」は、七五調の定型文語詩である「敗れし少年の歌へる」とは違って、自由な形式の口語詩でテクストも相当に長いものですから、曲を付けるのははるかに難しそうです。それに何より私は、以前「敗れし少年の歌へる」の歌を作ってから20年間、作曲などということは全くしていませんでしたので、はたしてこんな大変な依頼にちゃんと応えられるかどうか、まるで自信はありませんでした。しかしそれでも、私のような者にわざわざ声をかけて下さったという嬉しさで、つい調子に乗ってしまい、「何とか努力してみます」とお返事をしたのでした。
それから少しずつ作業をして、昨年12月下旬に曲の楽譜とパソコンによる演奏が何とか出来上がったので、依頼元にお送りしました。年末になって、無事届いたとの連絡がありました。
※
ということで、下記にご紹介するのが、拙作の「発動機船 一」合唱曲です。
依頼元合唱団の編成に合わせて女声二部合唱曲ですが、Vocaloidによる演奏には、少しだけ男声も入っています。初めと終わりに効果音も入れてみました。
女声合唱とピアノのための「発動機船 一」
発動機船 一
うつくしい素足に
長い裳裾をひるがへし
この一月のまっ最中
つめたい瑯玕の浪を踏み
冴え冴えとしてわらひながら
こもごも白い割木をしょって
発動機船の甲板につむ
頬のあかるいむすめたち
……あの恐ろしいひでりのために
みのらなかった高原は
いま一抹のけむりのやうに
この人たちのうしろにかゝる……
赤や黄いろのかつぎして
雑木の崖のふもとから
わづかな砂のなぎさをふんで
石灰岩の岩礁へ
ひとりがそれをはこんでくれば
ひとりは船にわたされた
二枚の板をあやふくふんで
この甲板に負ってくる
モートルの爆音をたてたまゝ
船はわづかにとめられて
潮にゆらゆらうごいてゐると
すこしすがめの船長は
甲板の椅子に座って
両手をちゃんと膝に置き
どこを見るともわからず
口を尖らしてゐるところは
むしろ床屋の親方などの心持
そばでは飯がぶうぶう噴いて
角刈にしたひとりのこどもの船員が
立ったまゝすりばちをもって
何かに酢味噌をまぶしてゐる
日はもう崖のいちばん上で
大きな榧の梢に沈み
波があやしい紺碧になって
岩礁ではあがるしぶきや
またきららかにむすめのわらひ
沖では冬の積雲が
だんだん白くぼやけだす
下記に、楽譜もアップしておきます。
※
この詩において賢治は、真冬の1月に「うつくしい素足」で楽しそうに働いている「頬のあかるいむすめたち」に、心からの讃歎を捧げているようです。また船の上では、まるで床屋の親方のような風情の船長や、「こどもの船員」(炊事係?)の様子も、ユーモラスに活写されています。
最後の方の「日はもう崖のいちばん上で/大きな榧の梢に沈み……」という箇所は、木村東吉氏が推定するようにこの詩の舞台が普代村黒崎の「ネダリ浜」であれば、下の写真のようになっています。「雑木の崖のふもと」に「わづかな砂のなぎさ」があって、下から見ると午後2時前にも日が崖の向こうに沈むのです(木村東吉『宮澤賢治《春と修羅 第二集》研究─その動態の解明─』の記述による)。
北部三陸海岸特有の、高い「海岸段丘」の連なりです。
本年も皆さまにとって良い年となりますように。
普代村黒崎「ネダリ浜」
冬菫
素敵な曲ですね。
聴いて思わずにっこりしました。
伴奏の力強い和音は水の冷たさに負けず働くむすめたちの確かな一歩一歩を、
分散和音は波のきらめきを、
明るい曲調はむすめたちやこどもの船員の若さを表しているように思いました。
モノクロだった詩の情景がカラーになって浮かんできました。
ナギノモモコ
拝聴いたしました。
とても爽やかで力強い、朝を思わせる曲で、とても素敵です!
以前に久慈に宿泊した時に、朝の放送を聞こうと窓を開け放したのですが、その時の光景が頭をよぎりました。
詩がメロディーとともに感覚的に入ってきて、岩手の海の景色とリンクしました。作曲というのは、作曲者の詩の解釈が反映されるということを改めて感じました。
そういえば、ふと思ったのですが…岩手在住の時は、学生も合唱、婦人会も合唱…と、合唱が身近でした。演劇同様、合唱も盛んな県民性だったなぁと。
出掛ける前に、気持ちを明るくしていただきました。ありがとうございます。
hamagaki
冬菫さま、ナギノモモコさま、コメントをありがとうございます。
過分なお言葉を賜りまして、恐縮しております。
この「発動機船」連作の詩は、「発動機船[断片]」と呼ばれる小さな断片が「春と修羅 第二集」に収められているだけで、あとは「補遺」とか「口語詩稿」というマイナーな分類になっていますので、一般的にあまり注目されることは少ないと思いますが、とりわけこの「発動機船 一」は、明るく健気な「むすめたち」の描写が素晴らしいと、常々感じておりました。
その賢治の詩の感覚の、百分の一も表現できているわけではありませんが、お二人の温かいコメントに、私も救われる思いです。
このたびは、ありがとうございました。