五一一

     〔はつれて軋る手袋と〕

                  一九二五、四、二

   

      ……はつれて軋る手袋と

        盲ひ凍えた月の鉛……

   県道(みち)のよごれた凍(し)み雪が

   西につゞいて氷河に見え

   畳んでくらい丘丘を

   春のキメラがしづかに翔ける

      ……眼に象って

        かなしいその眼に象って……

   北で一つの松山が

   重く澱んだ夜なかの雲に

   肩から上をどんより消され

   黒い地平の遠くでは

   何か玻璃器を軋らすやうに

   鳥がたくさん啼いてゐる

      ……眼に象って

        泪をたゝえた眼に象って……

   丘いちめんに風がごうごう吹いてゐる

   ところがこゝは黄いろな芝がぼんやり敷いて

   笹がすこうしさやぐきり

   たとへばねむたい空気の沼だ

   かういふひそかな空気の沼を

   板やわづかの漆喰から

   正方体にこしらえあげて

   ふたりだまって座ったり

   うすい緑茶をのんだりする

   どうしてさういふやさしいことを

   卑しむこともなかったのだ

      ……眼に象って

        かなしいあの眼に象って……

   あらゆる好意や戒めを

   それが安易であるばかりに

   ことさら嘲けり払ったあと

   ここには乱れる憤りと

   病ひに移化する困憊ばかり

      ……鳥が林の裾の方でも鳴いてゐる……

      ……霰か氷雨を含むらしい

        黒く珂質の雲の下

        三郎沼の岸からかけて

        夜なかの巨きな林檎の樹に

        しきりに鳴きかふ磁製の鳥だ……

         (わたくしのつくった蝗を見てください)

         (なるほどそれは

          ロッキー蝗といふふうですね

          チョークでへりを隈どった

          黒の模様がおもしろい

          それは一疋だけ見本ですね)

   おゝ月の座の雲の銀

   巨きな喪服のやうにも見える

 

 


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