沈んだ月夜の楊の木の梢に

   二つの星が逆さまにかかる

     (昴(すばる)がそらでさう云つてゐる)

   オリオンの幻怪と青い電燈

   また農婦のよろこびの

   たくましくも赤い頬

   風は吹く吹く、松は一本立ち

   山を下る電車の奔り

   もし車の外に立つたらはねとばされる

   山へ行つて木をきつたものは

   どうしても帰るときは肩身がせまい

     (ああもろもろの徳は善逝(スガタ)から来て

      そしてスガタにいたるのです)

   腕を組み暗い貨物電車の壁による少年よ

   この籠で今朝鶏を持つて行つたのに

   それが売れてこんどは持つて戻らないのか

   そのまつ青な夜のそば畑のうつくしさ

   電燈に照らされたそばの畑を見たことがありますか

   市民諸君よ

   おおきやうだい、これはおまへの感情だな

   市民諸君よなんてふざけたものの云ひやうをするな

   東京はいま生きるか死ぬかの堺なのだ

   見たまへこの電車だつて

   軌道から青い火花をあげ

   もう蝎かドラゴかもわからず

   一心に走つてゐるのだ

     (豆ばたけのその喪神(さうしん)のあざやかさ)

   どうしてもこの貨物車の壁はあぶない

   わたくしが壁といつしよにここらあたりで

   投げだされて死ぬことはあり得過ぎる

   金をもつてゐるひとは金があてにならない

   からだの丈夫なひとはごろつとやられる

   あたまのいいものはあたまが弱い

   あてにするものはみんなあてにならない

   たゞもろもろの徳ばかりこの巨きな旅の資糧で

   そしてそれらもろもろの徳性は

   善逝(スガタ)から来て善逝(スガタ)に至る

 

 


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(宮澤家本には手入れなし)