今年ももうすぐ3月11日がやって来ます。
14年前のこの日の夜、私はただ呆然とテレビの映像を見ていたのですが、その際に図らずも感じたことについては、先週の講演でも少し述べさせていただきました。
私はこの夜、賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉に彼が込めていた思いを、なぜかふと実感できたように思ったのです。
あの大震災と大津波があった晩、私は途方もない衝撃を受けてテレビの前に座っていたのですが、被災地の大変な状況を目の当たりにしても全く何もできない自分に無力感を覚え、また安全な場所からぬくぬくとテレビを見るだけの自分に対して、胸が詰まるような罪責感を感じていました。
そのような胸苦しさの中で、なぜか私はふと、「この被災地に安寧が訪れない限り、私のこの苦しみも収まることはないだろう」などということを、柄にもなく思ったのです。
そしてここから連想したのが、賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉でした。
それまで私は、賢治のこの言葉は非常に崇高な理想を掲げてはいるものの、個人にとってはあまりに重たく感じていたのですが、この震災の夜に私が被災地の映像を見て抱いた上記のような感覚は、実は賢治のこの言葉と、どこかでつながっているのではないかと思ったのです。
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ふだん我々人間は、お互いの間に一定の境界線を引き、多少とも距離を保ちつつ生活しています。知人の身内に不幸があった時には、それなりに知人のことを案じながらも、自分が肉親を失った時と全く同じ気持ちになるわけではありません。ウクライナやパレスチナの状況をニュースで見ると胸が痛みますが、日常生活においては遠国の戦争のことを考えていない時間が大半です。
しかし東日本大震災のような、人の一生に一度ほどの出来事が国内で起こったとなると、事情が違いました。全国どこにいようと私たちは、毎日テレビで朝から晩まで被災地の状況が流れているのを当然と感じていましたし、それまでどこにも寄付などしたことがなかった人も、買い物のついでに義援金箱に小銭を入れたりしました。それまで仕事人間だと思われていた人が、会社の休みをとってボランティアに行ったりしました。
震災によって、平素は人々の間に引かれている「境界線」が、一瞬にして取り払われてしまったことにより、そこには非日常的な、運命共同体的な一体感が生まれていたのです。
私たち一般人にとっては、境界消滅に伴うこの種の一体感を体験するのは、大震災などの非常事態の直後くらいですが、おそらく宮沢賢治という人は、常日頃から自己と他者の間の境界線が非常に薄かったために、ふだんから平常時においても、全ての存在との一体感のもとにあったのではないかと、私は思うのです。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」との言葉は、賢治のそのような特異な感覚から生まれたところの、「やむにやまれぬ実感」だったのではないかというのが、東日本大震災の夜に私が感じたことでした。
賢治は日頃から、他者の痛みをまるで自分の痛みのように感じる人でしたが、そのような傾向は人間同士の間にとどまらず、人間と動物、植物、石などの無生物との間の境界線も軽々と跳び越えて、皆と一体になってしまう人でした。あるいはその作品においては、現実と幻想の間の境界も定かではなく、読者はいつしか不思議な世界へと引き入れられていくのです。
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賢治がそのような一体感に基づいて、全ての生物や無生物の普遍的幸福を思い描いた一つの究極目標が、「草木国土悉皆成仏」あるいは「山川草木悉皆成仏」という状態だったのだろうと思われます。
賢治の学生時代の書簡では、それは次のように祈念されています。
ねがはくはこの功徳をあまねく一切に及ぼして十界百界もろともに仝じく仏道成就せん。 一人成仏すれば三千大千世界山川草木虫魚禽獣みなともに成仏だ。(保阪嘉内あて書簡63)
わが成仏の日は山川草木みな成仏する。山川草木すでに絶対の姿ならば我が対なく不可思儀ならばそれでよささうなものですがそうではありません。(保阪嘉内あて書簡76)
このように、人間や動植物に限らず無生物も成仏できるという思想は、インドや中国には見られず、日本で独自に生まれたものとされています。そして、日本で初めてそのような思想が記されたのは、平安時代前期に僧安然が著した『斟定草木成仏私記』という書物だったということです。
さらに、この『斟定草木成仏私記』が書かれたのは、三陸沖を震源とした貞観地震という歴史的大震災のあった年(869年)だったということを、兵庫県立大学環境人間学部元教授の、岡田真美子氏が指摘しておられます。
ここにこれまで全く参照されなかった重大な事実がある。安然が、現存最古の「草木国土悉皆成仏」を記した文献『斟定草木成仏私記』の筆を執った年は、まさにこの869年(貞観11)であったのである。
その時、大地が裂けて人々は埋もれ(地裂埋殪)、海が吼え、その声は雷鳴のようであった(海口哮吼声似雷霆)という。多くの人命が失われたことはもちろん、このように動く大地、吠える海を見た人々は、「草木国土」が鎮まってほしいと祈り、津波の去った後の荒廃した風景の中に佇んで、いのちを失った「草木」も「国土」も「悉皆」安らかに「成仏」してほしいと願ったことであろう。「草木国土悉皆成仏」という日本オリジナルの「仏の妙文」は、人々のこのような願いの結晶であった。(岡田真美子「山川草木のいのち─草木国土悉皆成仏と日本的生命観」)
先週の講演の準備をしている際に、偶然出会った上の文章は、東日本大震災に際して図らずも賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉を思い出した私の体験を、彷彿とさせるものでした。
そして上記の着眼は、ご自身も阪神淡路大震災で被災した経験をお持ちの、故・岡田真美子氏ならではのものだったと、30周年を機にあらためて感じる次第です。
『日本三代実録』より貞観地震を伝える箇所
【追記】
加倉井厚夫さんの「緑いろの通信」を拝読していると、加倉井さんも2011年3月11日の震災の後、賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」の言葉が、「突然身近に感じられてくる」と書いておられました(当時の記事を再掲した文章の3月28日の項)。
当時、同じような感覚を抱いた方がおられることを知って、心強く感じました。
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