『春と修羅』編成経過の「第五段階」

 入沢康夫さんが解明した『春と修羅』の編成段階は、下記のようになっています。

第一段階

①詩集印刷用原稿の清書

②用紙下部に括弧つき番号を記入
(この段階で作品数62篇)

第二段階

①作品5篇「蠕虫舞手」「青い槍の葉」「報告」「原体剣舞連」「雲とはんのき」を新たに追加挿入

②巻末で「自由画検定委員」を削除、代りに「一本木野」「鎔岩流」を追加

③作品7篇「春光呪詛」「有明」「天然誘接」「青森挽歌」「オホーツク挽歌」「風景とオルゴール」「風の偏倚」の全体または一部を書き直して差し替え

④括弧つき番号の第一次修正

⑤詩集印刷用原稿が印刷所に渡され、印刷所が上部の紙番号・圏点・活字指定等を朱筆で記入
(この段階で作品数68篇)

第三段階

①「小岩井農場」で4箇所の原稿修正

②作品4篇「青森挽歌」「オホーツク挽歌」「春と修羅」「風景」の全体または一部を書き直して差し替え

③作品2篇「イーハトヴの氷霧」「冬と銀河鉄道」を巻末に追加

④墨による手入れにてノンブルのずれを調整

⑤「オホーツク挽歌」の差替稿以下で括弧番号の修正を再修正
(この段階で作品数70篇)

第四段階

①青色クレヨンの番号記入(目次原稿はこの時期に書かれたと推定)

②印刷所が草色絵具番号を記入

③巻末の原稿3枚(「イーハトヴの氷霧」「冬と銀河鉄道」が含まれていたと推定)を2枚の新稿と差し替え

④橙色クレヨンの番号記入

⑤「途上二篇」を削除し、「原体剣舞連」冒頭を書き直して差し替え

⑥印刷が大部分進行した段階で正誤表原稿執筆
(この段階で作品数69篇)

(『新校本全集』第2巻校異篇pp.13-17より, 一部簡略化)

 詩集の編成作業そのものは、間断なく続けられていたわけですが、連続したこの過程を、入沢さんが「第一段階」から「第四段階」までの四つのステップに区切った根拠は、いったい何だったのでしょうか。

 おそらくこの分割の根拠は、詩集が徐々に編成されていく上での何らかの「節目」となる出来事が、そこにあったと見なせるからでしょう。

 具体的には、まず上の編成経過の「第一段階」というのは、「①賢治が詩集印刷用原稿を清書して、②そこに頁番号を表す数字記号ノンブル(括弧つき番号)を付けた」という作業工程を指しています。
 入沢康夫さんの分析は、詩集印刷用原稿に記されている各種ノンブルの推移の検討をその主な方法論としていますので、「ノンブルが付与された」ことが、特に重要な節目となるわけです。

 というわけで、原稿用紙へのノンブル付与完了とともに、次の「第二段階」が始まるわけですが、それではこの第二段階は、何を節目として終了するのでしょうか。
 それは、原稿用紙の上に、賢治の筆跡ではない記号が出現しはじめる、という出来事です。
 賢治以外の筆跡の記号とは、具体的には朱筆で原稿用紙上部に記された「紙番号」(下画像の「106」)や、印刷所に活字の手持ちがないことを示す「圏点」(下画像の右半中ほどの〇印)などですが、これらの出現が意味するのは、この時点で原稿用紙は印刷所に渡されていた、ということです。
 すなわち、詩集編成経過の「第二段階」は、原稿用紙が賢治の家を出て、印刷所に渡されたことによって終了するのです。

 そこで、次の「第三段階」からは、原稿用紙は印刷所にあるわけですが、ではこの第三段階は、何を節目として「第四段階」に移行するのでしょうか。
 これについては、上の「編成経過」を見ていただけばわかるように、「第四段階」は、「①青色クレヨン番号記入」という出来事によって開始しています。

 この「クレヨン番号」については、下の画像をご参照下さい。

20240519a.jpg
『新校本全集』第2巻口絵より

 上画像は「青森挽歌」前半部の詩集印刷用原稿ですが、ここで原稿用紙の下方に「214」「213」と大きな字で書かれているのが、「青色クレヨン番号」です。その下方欄外に、より小さな字で「212-(200)-」「-(199)-211」と書かれているのは、第一段階②で記入された「括弧つき番号」と、第二段階④の「第一次修正」です。これらの小さな番号に重ねて、大きな字で「4」「3」と書かれているのは、第四段階②の「印刷所が草色絵具番号を記入」です。

 そもそも「括弧つき番号」とは、刊本における頁番号を表す数字なのですが、編成経過の途中で作品を追加したり推敲を加えたりしていくうちに、だんだんページがずれていってしまったために、「第一次修正」や「ノンブルのずれを調整」や「再修正」が必要になったのです。しかし、このような修正を重ねるうちに、上の画像のように修正跡が煩雑で読みづらくなってしまったので、賢治はある時点で番号の場所を変えて、「クレヨン番号」を記入したわけです。

 これは、数字記号ノンブルの変遷をたどる上では大きな「節目」となるため、入沢さんとしては、この新たな系列のノンブルの出現という出来事を、「第四段階の開始」としたのだろうと思います。
 この「節目」は、第一段階終わりの「清書して番号を記入した」とか、第二段階終わりの「原稿を印刷所に渡した」という出来事と較べると、一般の者にとってはやや地味な変化ですが、これと同時期と考えられる出来事で、もっと目立った結果を引き起こしたのは、編成経過では括弧内に記された、「目次原稿の作成」という出来事です。
 この第四段階初期に「目次」が出来てしまったために、その後行われた変更は目次に反映されなかったのだと考えられ、そのために本文では「冬と銀河ステーシヨン」となっている作品が目次では「冬と銀河鉄道」と記され、削除された「途上二篇」も、目次には残されているのです。
 そして「高原」も、目次では「叫び」という題名になっています。

 さて、上に挙げた「叫び」から「高原」への改題ですが、この変更は「第一段階」から「第四段階」までのどこで行われたのかと調べてみると、実はどこにも含まれていないのです。
 「詩集印刷用原稿」の上では、この作品の題名は最後まで「叫び」であり、それが初版本になると、突如として「高原」となっているのです。
 上述のように、これは初版本の「目次」でも「叫び」のままで残っており、この変更が詩集編成経過の「第四段階以降」で行われたことを示しています。
 しかし、詩集印刷用原稿の上で変更が行われていないということは、これは「第四段階」にも含まれていないのです。

 では、原稿に記されていない「叫び」から「高原」への題名変更が、いったいどのようにして行われたのかと想像してみると、このような変更が印刷所のミスによって生じたとは考えられませんから、作者賢治は変更の意思を、詩集印刷用原稿ではない別の紙によってか、あるいは口頭で、印刷所に伝えたのだろうと考えるしかありません。

 実は、『新校本全集』の校異篇を調べてみると、これと同様に「詩集印刷用原稿と初版本の間の相違点で、作者の意向を反映したと推測されるもの」が、他にも相当数あるのです。

 詩集印刷用原稿と初版本のテクストを比較すると、明らかな誤字脱字とか、句読点の有無とか、ルビの違いや、括弧の位置の微妙な相違など、必ずしも作者の意図によるとは思えない些細な相違は、多数あります。
 しかし、少なくとも下表の事項は、作者が意図して変更を加えたのではないかと、考えられるものです。

作品名 詩集印刷用原稿 初版本
春と修羅 15,43,
51
Zypressen ZYPRESSEN
真空溶媒 150

さうだ 神はほめられよ 雨だ

ありがたい有難い神はほめられよ 雨だ

真空溶媒 244 沙漠行旅かうりよ 沙漠旅行りよかう
小岩井農場 ぱーと パート
小岩井農場 569

この変態を性慾といふ

この傾向を性慾といふ

小岩井農場 573-574

畢竟わたくしにはあんまり恐ろしいことだ

そしていくら恐ろしいといっても

わたくしにはあんまり恐ろしいことだ

けれどもいくら恐ろしいといつても

小岩井農場 588

わたくしは透明な軌道をすすむ

ひとは透明な軌道をすすむ

青い槍の葉 29

ふっといきつくぶりきのやなぎ

風に霧ふくぶりきのやなぎ

高原 題名 叫び 高原
原体剣舞連 27,37,
44,49

dä-dä-dä-dä-dä-sko-dä-dä

dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

山巡査 9

あんまりロシア風だよ

あんまりロシアふうだよ

永訣の朝 49-51

Umarede Kurutate

Kondoha Kotani Warã no goto bagaride

Kurusumanã yoni umaredekuru

うまれでくるたて

こんどはこたにわりやのごとばかりで

くるしまなあよにうまれてくる

オホーツク挽歌 10

morning-gloryのそのglory

モーニンググローリのそのグローリ

オホーツク挽歌 15

浜でいちばん賑やかなとこはどこですかときいたとき

浜でいちばん賑やかなとこはどこですかときいた時

オホーツク挽歌 92

いまはもうどんどんどんどん流れてゐる

いまはもうどんどん流れてゐる

樺太鉄道

O, My reverence, Sacred St. Vetura Alba!

〔削除して1行アキ〕
樺太鉄道 68

またえぞにふ桃花心木マホガニーの柵

またえぞにふと桃花心木マホガニーの柵

鈴谷平原 27

やなぎらんの群落が

いちめんのやなぎらんの群落が

噴火湾(ノクターン) 1

稚い豌豆の澱粉や緑金が

稚いえんどうの澱粉や緑金が

不貪欲戒 9

粗剛なOryzaオリザ sativaサテイヴアといふ植物の人工群落が

粗剛なオリザサチバといふ植物の人工群落が

風景とオルゴール 52

ひときれそらにうかぶロシニ暁のモティーフ

ひときれそらにうかぶ暁のモテイーフ

風の偏倚 15

それはつめたい虹をあげ

(それはつめたい虹をあげ)

冬と銀河ステーシヨン 17

あゝ Joseph Pasternackの指揮する

あゝ Josef Pasternackの指揮する

 「春と修羅」では、“Zypressen”でなく“ZYPRESSEN”と全文字が大文字になることにより、糸杉の木はより強烈に迫って来ます。
 「真空溶媒」で、原稿の「行旅かうりよ」が初版本で「旅行りよかう」になっているのは、印刷所のミスと考えられなくもありませんが、ルビまでもがきちんと入れ替わっているので、意図的な可能性の方を考えて表に入れました。
 「小岩井農場」の最後近くの箇所は、「わたくしは透明な軌道をすすむ」から「ひとは透明な軌道をすすむ」に修正されたことで、格段に深化された感があります。作者の個人的な葛藤であった苦悩が、「ひとは~」という形で普遍的な人間性に関わる問題として明確化されることになり、自らの内面を掘り下げることによって、ついに「心の深部に於て万人の共通」という層に到達したとも言えるでしょう。
 「蠕虫舞手」では、「8エイト  γガムマア  eイー  6スイツクス  αアルフア」という、イトミミズの踊りを表すあの象形文字的な記法が、原稿では終始一貫しているのに、初版本では途中から「エイト ガムマア イー スイツクス アルフア」という読み仮名だけになってしまいます。これも著者の意図であれば、上の表に入れなければならないのですが、蠕虫の形を表すところにこの記法の神髄がある以上、読み仮名だけにしてしまうことの積極的意図が考えにくく、この変更の理由は斜体のギリシア文字活字の数が限られていたため等の、やむをえない理由によった可能性を考え、表には入れませんでした。
 「冬と銀河ステーシヨン」における、“Joseph Pasternack”から“Josef Pasternack”への変更は、正しい綴りへの修正なので、著者の意図によるものと考え、表に入れました。

 入沢康夫さんがまとめられた、『春と修羅』の編成経過の「第一段階」~「第四段階」は、あくまでも詩集印刷用原稿の上で観察される現象にもとづいて、実証的に推定された結果です。
 それに対して、上表の内容は、おそらく賢治が詩集印刷用原稿を印刷所に渡した後に、もう原稿が手元にない段階において行った推敲作業と考えられるものですが、何らかの物的証拠があるわけではありません。

 しかしその内容から、これらも作者が意図的に改変したと考えざるをえない以上、これは『春と修羅』の編成経過の「第五段階」と言ってもよい過程なのではないかと、考える次第です。
 これも、賢治が常に飽くことなくテクストの推敲を続けていたという事実を示す、証拠の一つと言えるのではないでしょうか。