旧版の『校本宮澤賢治全集』は、「賢治が残した草稿を(走り書き的なメモに至るまで)全て掲載する」という画期的な方針のもとに徹底的な草稿調査を行い、様々な新たな発見も加わった結果、多くの作品において、従来の全集のテクストから大きな変更が行われました。
この際の変化に比べると、『校本全集』から『新校本全集』に改訂された際のテクストの変更は、まだしも小規模なものだったのですが、ただ「歌曲」の項目においては、『新校本全集』において相当に大幅な変更が行われました。
収録曲数が、『校本全集』の21曲から、『新校本全集』では27曲へと、大きく増えたこともありますし、「替え歌」の「原曲」が新たに発見されたことによって、楽譜が全く変更された曲もありました。
さらに、「曲名」が変更された曲も、次のように6曲ありました。
『校本全集』の曲名 | 『新校本全集』の曲名 |
---|---|
精神歌 | 花巻農学校精神歌 |
バナナン大将の行進歌 | 〔いさをかゞやく バナナン軍〕 |
牧者の歌 | 〔けさの六時ころ ワルトラワラの〕 |
ポランの広場 | 〔つめくさの花の 咲く晩に〕 |
同上 | 〔つめくさの花の 終る夜は〕 |
月夜のでんしんばしら | 月夜のでんしんばしらの軍歌 |
火の島の歌 | 火の島 |
最初の「精神歌」が「花巻農学校精神歌」に改められたのは、1923年(大正12年)に発行された「巌手県花巻農学校一覧表」に掲載されている題名が「花巻農学校精神歌」とあることに基づいた変更であり、最後の「火の島の歌」を「火の島」としたのは、「文語詩未定稿」に賢治自身が付けた題名として、「火の島(Weber 海の少女の譜)」とあることに拠っています。
また、「牧者の歌」や「ポランの広場」は、作者が付けた題名ではありませんでしたが、過去の全集で「通称」として用いられてきたものです。これを『新校本全集』では、詩の校訂と同じ規則を適用して、「作者が題名を付けていない場合には、本文一行目に〔 〕を付けて題名の代わりとする」ということにしたものです。
いずれも、従来の「通例」を排して、より原理原則を徹底しようという厳格な姿勢を感じさせる措置です。
ところが、この原理原則から見ると、「バナナン大将の行進歌」が「〔いさをかゞやく バナナン軍〕」に変更されたことには、やや疑問が残るのです。
賢治の劇「飢餓陣営」の台本を見ると、この歌が登場する下記の部分に、作者はちゃんと「バナナン大将の行進歌」と書いているのです。引用部の中ほどあたりです。
バナナン大将。「実に立派ぢゃ、この実はみな琥珀でつくってある。それでゐて琥珀のやうにおかしな匂でもない。甘いつめたい汁でいっぱいぢゃ。新鮮なエステルにみちてゐる。しかもこの宝石は数も多く人をもなやまさないぢゃ。来年もまたみのるぢゃ。ありがたい。又この葉の美しいことはまさに黄金ぢゃ。日光来りて葉緑を照徹すれば葉緑黄金を生ずるぢゃ。讃ふべきかな神よ。」
(将軍籠にくだものを盛りて出で来る。手帳を出しすばやく何か書きつく。特務曹長に渡す。順次列中に渡る 唱ひつゝ行進す。兵士之に続く。)
バナナン大将の行進歌
合唱、「いさをかゞやく バナナン軍
マルトン原に たむろせど
荒さびし山河の すべもなく
飢餓の 陣営 日にわたり
夜をもこむれば つはものの
ダムダム弾や 葡萄弾
毒瓦斯タンクは 恐れねど
うゑとつかれを いかにせん。
〔後略〕
上の「バナナン大将の行進歌」という字句は、その次の行から「合唱」として書かれている歌の題名と考えられますから、全集の曲名は作者が題名を付けていない場合の「〔いさをかゞやく バナナン軍〕」としなくても、「バナナン大将の行進歌」のままでよかったのではないでしょうか。
またこれと逆に、『新校本全集』で「月夜のでんしんばしらの軍歌」「牧歌」「剣舞の歌」と題されている曲は、実は賢治自身は作品中に題名を記していないのです。これらに対しても、「ポランの広場」を「〔つめくさの花の 咲く晩に〕」に変更したと同じ原則を当てはめるならば、それぞれ「〔ドツテテドツテテ ドツテテド〕」「〔種山ヶ原の 雲の中で刈った草は〕」「〔夜風とどろきひのきはみだれ〕」に、曲名を改めなければならないことになってしまいます。
ただしかし、全てをこのように変えてしまうというのは、何かあまりに味気ないような寂しいような感じがするのも事実です。
「校訂」という作業においては、このあたりの判断が、とても難しいものなのだろうと思います。
個人のまったく勝手な感覚にすぎませんが、『校本全集』あたりの匙加減が、自分としては何となくしっくりくる感じです。
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