萩京子作曲「かはばた」

 『春と修羅』所収の「かはばた」に、萩京子さんが作曲した二重唱を、VOCALOID 等で演奏してみました。

  かはばた
      宮澤賢治作詩・萩京子作曲

かはばたで鳥もゐないし
(われわれのしよふ燕麦オート種子たねは)
風の中からせきばらひ
おきなぐさは伴奏をつゞけ
光のなかの二人の子

 賢治の詩「かはばた」は、五行だけのささやかな作品で、『春と修羅』の中でも、名前が挙げられたり論じられたりすることは、比較的少ないものでしょう。
 しかしこれは、不思議な神秘的な光に満ちた、いかにも賢治らしい作品の一つでもあります。

 作品が書かれた状況を推測すると、作品の「詩集印刷用原稿」の初期形では、タイトルが「労働」となっていることと、本文中の「われわれのしよふ燕麦オート種子たねは」という一節とあわせると、賢治はここで燕麦の種子を背負って運ぶ労働をしているのだろうと推測されます。そして、この作品の日付1922年5月17日という時期に、賢治が農業労働をしているとなると、それは農学校の実習での作業かと思われます。
 この作品の4日後の日付を持つ「小岩井農場」パート二には、「あの四月の実習のはじめの日/液肥をはこぶいちにちいつぱい/光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた」との一節がありますが、そういう「実習」の一コマではないでしょうか。

 また、『春と修羅』においてこの「かはばた」の前の作品は、同じ日付を持つ「おきなぐさ」であり、同一日付でかつ「おきなぐさ」というモチーフが共通するとなると、これら二つの作品は、同じ時の情景を描いたものかと思われます。
 「おきなぐさ」の方では、風、草、おきなぐさ、松、くるみ、雲など、周囲の自然だけが歌われているのに対して、この「かはばた」では、「咳ばらひ」と「二人の子」という人間の描写が登場します。これが農学校の実習の場面なのであれば、「二人の子」とは教え子の生徒で、「咳ばらひ」も生徒のものかもしれません。

 しかし、『日本近代文学大系 高村光太郎/宮澤賢治 集』の恩田逸夫さんによる注釈には、「後出の「二人の子」のせきばらいとも考えられるが、神秘的な幻聴としたほうが適切であろう」とあり、これもまた一理あります。「小岩井農場」に、「液肥をはこぶいちにちいつぱい/光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた」として出てくる「太陽マヂツクの歌」も、幻聴かあるいは作者の頭の中で鳴っていた歌でしょうから、賢治が実習中に体を動かしていると、こういう現象があったのかもしれません。

 また、後に農学校を辞めてからのことですが、「春と修羅 第三集」の「水汲み」という作品において、賢治は北上川から「下ノ畑」まで、水を汲んできて畑に撒く作業を延々と続けているのでしょうが、「……水を汲んで砂へかけて……」というリフレインが何度も繰り返されるうちに、疲労と陶酔が混ざり合ったような、不思議な雰囲気になってきます。
 これと似たような、現実か非現実かわからないような、ぼんやりとした恍惚感が漂う「かはばた」です。

 萩京子さんがこの詩に付けた曲は、上記のような曖昧で神秘的な雰囲気をそのまま写しとった感じの、断片的で夢のような一品です。
 ほんの1分ほどの小曲ですが、淡い水彩画のように素敵です。

 これは、1991年から1992年にかけて、ソプラノの谷潤子さんとバリトンの谷篤さんご夫妻のために、萩京子さんが作曲した「宮澤賢治の詩による重唱歌曲集 風がおもてで呼んでゐる」の中の一曲です。この曲集からは、「まなこをひらけば四月の風が」に続いて、当サイトで二曲目の演奏ということになりました。

 そして本日、「歌曲」≫「後世作曲家の賢治歌曲」≫「萩京子ソング集」のページに、この曲も追加しました。

20240512a.jpg
萩京子「かはばた」(カワイ出版)より