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千原英喜作曲「東の雲ははやくも蜜のいろに燃え」

 先週の連休は、今年初めて岩手に行こうかと思って宿と交通機関を予約していたのですが、コロナ感染拡大の様子で迷った挙げ句に中止し、かわりに自宅にこもって曲の打ち込みをやっていました。
 先月に続いて千原英喜さんの素晴らしい合唱曲で、「東の雲ははやくも蜜のいろに燃え」です。今度はピアノ伴奏も付いています。

混声合唱曲「東の雲ははやくも蜜のいろに燃え」(千原英喜作曲)

東の雲ははやくも蜜のいろに燃え
丘はかれ草もまだらの雪も
あえかにうかびはじめまして
おぼろにつめたいあなたのよるは
もうこの山地のどの谷からも去らうとします
ひとばんわたくしがふりかヘりふりかヘり来れば
巻雲のなかやあるひはけぶる青ぞらを
しづかにわたってゐらせられ
また四更ともおぼしいころは
やゝにみだれた中ぞらの
二つの雲の炭素棒のあひだに
古びた黄金の弧光のやうに
ふしぎな座を示されました
まことにあなたを仰ぐひとりひとりに
全くことなったかんがへをあたへ
まことにあなたのまどかな御座は
つめたい火口の数を示し
あなたの御座の運行は
公式にしたがってたがはぬを知って
しかもあなたが一つのかんばしい意志であり
われらに答へまたはたらきかける、
巨きなあやしい生物であること
そのことはいましわたくしの胸を
あやしくあらたに湧きたゝせます
あゝあかつき近くの雲が凍れば凍るほど
そこらが明るくなればなるほど
あらたにあなたがお吐きになる
エステルの香は雲にみちます
おゝ天子
あなたはいまにはかにくらくなられます

 この詩「〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕」は、1924年4月に賢治が盛岡から徹夜で歩いて山を越え、外山牧場へ行った際の連作「外山詩群」の一つです。
 連作の中で、「〔どろの木の下から〕」や「〔いま来た角に〕」は、真夜中の山道を歩きながらの幻想的な描写であるのに対し、「有明」とこの「〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕」は、荘厳な夜明けの情景です。また次の「北上山地の春」では、種馬検査のために周囲の各村から集まる馬たちが、まばゆい陽光のもと祝祭的な高揚感をもって描かれます。これは先駆形で「浮世絵」と題されていた段階もありましたが、他の詩も含め上記の全体が、連作絵画のような鮮やかな作品群になっています。
 このあたりは「春と修羅 第二集」のまだ初期ですが、『春と修羅』(第一集)の頃とはまた違った、ある種の「格調」が感じられるように思います。

 「〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕」で主題とされているのは、明け方の空に残る「月」です。夜を徹して山を歩き、やっと夜明けを迎えた安堵感の中で、その夜の間中ずっと自分を見守ってくれていた「月」に対し、親しく「あなた」「天子」と呼びかけ、感謝と崇敬が捧げられています。
 下書稿では「普香天子」と題されていた段階もありましたが、賢治は月の光を見てあたりに漂う「エステル」の香りを感じ、これを「法華経」の序品に登場する「普光天子」をもじって、「普く香る天子」と呼んだのでしょう。月光の視覚的な刺戟から、特定の嗅覚が惹起されるというのは、賢治の特性の一つである「共感覚」の好例です。
 天体としての月に関する科学的な知識と、それに向けた宗教的な信仰が、相犯さず両立するのだということが謳われており、その精神は晩年に「雨ニモマケズ手帳」に記されていた「月天子」というテキストにつながります。

 千原英喜氏がこの詩に作曲した魅力的な合唱曲は、先日の「薤露青」とともに、「混声合唱組曲 月天子」を構成しています。作者自身は、この曲について次のように書いておられます。

 月天への讃歌である。賢治は月を普香天子、月天子と呼び、厚い信奉心を寄せていたが、私はこの詩に、柿本人麻呂の「ひんがしの野にかぎろひの立つみえてかへり見すれば月かたぶきぬ」の万葉の情景を重ねている。古歌朗誦のような五音音階のメロディーを伸びやかに、ハーモニーの推移を丁寧に歌ってゆく。曲の後半、エクスタシーの高まりでは Led Zeppelin の「天国への階段」を意識していた。

 たしかに、最初の「東の雲ははやくも……」のあたりのメロディーは、親しみやすくどこか懐かしくて、つい口ずさみたくなる感じです。一方、後半のクライマックスは、何と Led Zeppelin を意識して作曲されたということですが、たしかに楽譜のピアノパートには、下のように「ロック・ギターのアドリブのように」との指示が書かれています。

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 使用したソフト音源は、女声が LUMi、VY1、Mew、初音ミクV4X(Original)、男声が VY2、KAITO V3(Straight)、ピアノが Ivory II Steinway D Concert Grand です。