千原英喜作曲「薤露青」

 先月は、鈴木輝昭氏作曲の「薤露青」の演奏を作成しましたが、今日は千原英喜氏作曲の合唱曲「薤露青」を、やはりパソコンによって演奏してみました。
 同じく賢治の詩「薤露青」に基づいた無伴奏合唱曲でも、鈴木氏の曲は劇的でダイナミックな表現が際立っているのに対し、この千原氏の曲は、旋律と和声の透きとおるような美しさが、とりわけ印象的です。

混声合唱曲「薤露青」(千原英喜 作曲)

混声合唱組曲 月天子 千原英喜 混声合唱組曲 月天子
千原英喜 (著), 宮沢賢治 (著)
全音楽譜出版社 (2009/7/15)
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 ところで、この千原英喜氏の「薤露青」は、賢治の詩「薤露青」の全文ではなく、その一部テキストに、曲を付けたものです。
 下記で、赤色または青色の文字が、曲で歌われている部分で、グレーの文字の部分は使用されていません。

   薤露青

みをつくしの列をなつかしくうかべ
薤露青の聖らかな空明のなかを
たえずさびしく湧き鳴りながら
よもすがら南十字へながれる水よ
岸のまっくろなくるみばやしのなかでは
いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から
銀の分子が析出される
 ……みをつくしの影はうつくしく水にうつり
   プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は
   ときどきかすかな燐光をなげる……
橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは
この旱天のどこからかくるいなびかりらしい
水よわたくしの胸いっぱいの
やり場所のないかなしさを
はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ
そこは赤いいさり火がゆらぎ
蝎がうす雲の上を這ふ
  ……たえず企画したえずかなしみ
    たえず窮乏をつゞけながら
    どこまでもながれて行くもの……
この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや
うすい血紅瑪瑙をのぞみ
しづかな鱗の呼吸をきく
  …… なつかしい夢のみをつくし……

声のいゝ製糸場の工女たちが
わたくしをあざけるやうに歌って行けば
そのなかにはわたくしの亡くなった妹の声が
たしかに二つも入ってゐる
  ……あの力いっぱいに
    細い弱いのどからうたふ女の声だ……
杉ばやしの上がいままた明るくなるのは
そこから月が出やうとしてゐるので
鳥はしきりにさはいでゐる
  ……みをつくしらは夢の兵隊……
南からまた電光がひらめけば
さかなはアセチレンの匂をはく
水は銀河の投影のやうに地平線までながれ
灰いろはがねのそらの環
  ……あゝ いとしくおもふものが
    そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
    なんといふいゝことだらう……
かなしさは空明から降り
黒い鳥の鋭く過ぎるころ
秋の鮎のさびの模様が
そらに白く数条わたる

 千原氏ご自身は、この「薤露青」について、次のように書いておられます(全音楽譜出版社『混声合唱組曲「月天子」』の「曲について」より)。

 「薤露」とはラッキョウの葉に付いた露のことで、儚き命の喩えである。詩は幻想的な美しさで「銀河鉄道の夜」を思わせる。昏い夜空の星々の煌めきから湧き上がる哀しい水脈。Alla breve での2分音符の動きには、天球の回転、大宇宙の静謐な呼吸を感じさせてほしい。賢治の陶酔に私も浸ってみたいと作曲した。

 上記の「Alla breve」とは、楽譜では2分の2拍子で記されている部分で、上のテキストでは、青い文字のところです。これに対して赤い文字の部分は、4分の4拍子で記譜されていて、「Andante espressivo(歩く速さで、表情豊かに)」と指示されています。
 ただし、4分の4拍子の部分はのテンポは「4分音符を1分間に60で」と指定され、2分の2拍子の部分は「2分音符を1分間に30で」とされていますので、速度としては全く同じになり、聴いていてもテンポや拍子の変化によって、二つの部分を判別することはできません。
 しかしテンポは同じでも、赤文字の Andante espressivo は、甘く感傷的な旋律で賢治の悲嘆を切々と歌い上げるのに対し、青文字の Alla breve では、千原氏のおっしゃる「大宇宙の静謐な呼吸」を象徴するような2分音符のゆったりした反復を伴奏として、旋律にも和声にも茫漠とした完全五度や完全四度が多用されています。このような響きが、ある意味で人間的な感情を超越したような、「永遠性」の雰囲気を醸し出しています。
 ご存じのように、ギリシアの数学者・哲学者ピタゴラスは、天体の運行が人間の耳には聞こえない音を発しており、宇宙全体が一つの大きなハーモニーを奏でていると考えました。千原氏のこの Alla breve が、完全五度や完全四度など波長が単純な整数比を成す音程に基づいているのは、「天球の音楽」に秘められた幾何学的な性質とも、関係があるのでしょう。

 千原氏のこの曲の全体像を見ると、初めのうちは Andante espressivo において、妹を亡くした賢治の悲嘆が、繊細な美しい旋律で表現されます。出だしの「みをつくしの列をなつかしくうかべ……」や、「たえずさびしく湧き鳴りながら」のところとか、「波はときどきかすかな燐光をなげる」のソプラノの対旋律との絡みなど、本当に魅力的なメロディーです。
 しかし、このような人間的な感情は、Alla breve で響く天球の音楽と徐々にシンクロナイズしていき、最後には彼の悲しみは、大宇宙の呼吸に吸収されて陶然と溶け込み、昇華されていくかのようです。(途中、作曲者は実際に、「水よわたくしの胸いっぱいの……」のあたりに、「2分音符のうごきは〈呼吸〉のように」と演奏上の指示をしています。)

 もちろん、賢治の「薤露青」の思想的なエッセンスは、「あゝ いとしくおもふものが/そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが/なんといふいゝことだらう」という一節に凝縮されており、妹を失った賢治の深刻な悲嘆は、ここに表された宗教的・倫理的境地に至ることによって、真に乗り越えられたのだろうと考えられます。実際、鈴木輝昭氏の曲でも、この一節が全曲の最大のクライマックスとなっていました。
 それに対して、この千原氏の曲では、上記の重要な一節が歌詞から省かれていることに伴い、これとはまた別の展開が行われているわけです。

 しかしこれはこれで、賢治の「薤露青」が持っている陶酔的な美しさを、稀有な形で表現する一曲になっていると思います。私は千原氏の曲にも、珠玉のような魅力を感じます。

 ところで、鈴木輝昭氏の曲では「灰いろはがねのそらの」を「リング」と読ませているのが興味深く示唆的でしたが、この千原氏の作品では「かん」と読ませています。そして、何と言ってもこちらの曲で面白いのは、「薤露青」を「薤露ブルー」と読ませているところですね。
 空の色の形容詞として、「コバルトブルー」とか「セルリアンブルー」など色々ありますが、今後は夏の夕暮れの切ない空のことを、「薤露ブルー」と呼んでみようかと思ったりもします。

 演奏で使用している VOCALOID の音声データは、女声が LUMi、Mew、VY1、初音ミク V4(Soft)、そして男声が VY2、Kaito V3(Soft)です。
 本来は全曲が合唱なのですが、私の勝手な趣向として、ごく一部ながらテノールとソプラノのソロとしてみました。ご容赦下さい。