「真空溶媒」における仏教と科学

 『春と修羅』所収の「真空溶媒」(3099字)は、賢治の全ての詩の中で、「小岩井農場」(8082字)、「青森挽歌」(3852字)に次いで、3番目に長い作品です。その内容は、他の2つではあたりの情景や作者の心理の克明詳細な描写が綴られていくのに対して、「真空溶媒」ではほとんど荒唐無稽とも思えるような登場人物と場面展開が続き、一種のナンセンス童話のような世界が現出しています。
 わざわざ副題に(Eine Phantasie im Morgen)と書かれてあるように、これは他の心象スケッチとは一風異なった「幻想譚」であり、賢治の奔放な空想力の爆発とも言えるものですが、しかし一見すると破茶目茶なその世界設定の奧には、仏教や自然科学に裏打ちされた、賢治独特の世界観が秘められているのではないかと、私には思えます。
 今日は、そのような「真空溶媒」の着想の背景について、考えてみようと思います。

1.「真空」という概念に込められた意味

 まず、この作品の主題である「真空」ということについて考えることから、始めてみましょう。一般的に「真空」というと、たとえば「真空管」のように、「物理的に何もない状態」のことを表す(科学)用語ですが、実はこれは仏教においては、また別の意味で重要な言葉です。
 仏教では、「色即是空」などというように、この世界は本当は「空」であるということがよく言われます。「実体」と呼ぶべき恒常不変な存在は何一つなくて、全ては移ろいゆくかりそめの現象にすぎない、というようなことでしょう。そしてこの「空」を、さらに突き詰めた究極のところが「真空」なのだということで、たとえば『精選版 日本国語大辞典』では、次のように説明されています。

しん-くう【真空】 ➀仏語。一切は因縁によって生じ、我とか実体とかいったものがなく、全くむなしいということ。小乗ではこれを悟りの境地とするが、このように空と観ずることによって智慧が発現するとき、その真空はそのまま妙有であり、それを真空妙有という。〔後略〕

 ここに「真空妙有」という言葉が出てきましたが、これについて『岩波仏教辞典』には、次のような解説があります。

真空妙有 しんくうみょうう 真空がそのまま妙有であること。有(存在)にもとらわれず空にもとらわれず、空もまた空であり、否定に否定を重ねたところに見出される〈真空〉は、決して虚無ではなく、かえってあらゆるものを成り立たしめている〈妙有〉であることをいう。〔後略〕

 つまり、真空というのは「空」ではあるけれども、ただ「何もない」というだけではなくて、「あらゆるものを成り立たしめている」ところの基盤でもある、というような感じでしょうか。
 実は、言葉の歴史として見れば、上のような仏教的な意味での「真空」という語が昔から連綿とあって、そこに近代になってから科学用語の"vacuum"の訳語として、既にあった「真空」が充てられたという順序なのです。

20201210a.png さて、上記のように「真空とは、あらゆるものを成り立たしめている基盤である」という仏教的な考え方を、賢治が自然科学的に敷衍してみた試みとして、全集において「思索メモ1」「思索メモ2」と呼ばれているメモがあります。「思索メモ2」の画像は、以前に「現象としての真空」という記事にも載せましたが、そこには「科学から信仰への小なる橋梁」という見出しのもとに、右のような図式が書かれています。

 これは、われわれのいる「この世界」と、「(仏教的な、あるいは賢治の体感的な)異世界」との関係について、賢治が自然科学的に考えようとしてみたものと思われます。
 「この世界」の物質を、分子→原子→電子と遡っていった究極には、下端の「真空」があり、その真空からまた斜め上向きに折り返して、異単元→異構成物→異世界が出来上がる、という形になっています。ここの「真空」とは、先に述べたような仏教的な意味ではなくて、原子や分子と並ぶ自然科学的な意味であることに、注目しておきましょう。また次の「異単元」というのは、異世界における電子とか原子などの構成単位のことと考えられますが、この賢治のモデルは、「真空から(反物質の構成単位としての)陽電子が生成する」という、1932年に物理学的に発見された現象と不思議に相応しているというのが、以前の「現象としての真空」という記事の趣旨でした。

 つまり、私たちの世界から見ると、「真空」の内側にも向こう側にも、全く何も存在していないように見えますが、実は上図のように、真空の裏側には「異世界」が秘められているというのが、賢治の考えだったのです。こちら側から見ると、真空の中に異世界が含まれているとも言えますし、向こう側から見ると、やはり真空の中に私たちの世界が含まれていることにもなるのです。
 自然科学的な「真空」から出発しながら、ここに至って仏教的な意味合いが重なってきます。すなわち賢治の図式によれば、一見何もない「空」の奥に、実は豊饒な世界が秘められているというわけであり、これが先に述べた「真空妙有」という仏教概念につながるのです。
 まずはこのような、「豊饒な真空」というイメージが、「真空溶媒」という作品の発想の根本にあったのではないかと、私には思われるのです。

 賢治が、異世界や真空について、ことさら上記のような考えを深めていた理由としては、彼は普段から餓鬼の声を聴いたり天の童子を見たりといった体験をしばしばしていたので、「天の空間は私の感覚のすぐ隣に居るらしい」(「インドラの網」)というような感覚が生理的にあったためではないかと思います。「何もないはずの空間に異世界が存在する」という、賢治の不思議な感覚は、仏教の「十界互具」の思想にも通ずるところがありますが、そのままでは自然科学的に説明がつきません。しかし、「真空の中に異世界が孕まれている」と考えれば、理屈として成り立つのです。

2.真空は媒質である/真空は溶媒である

 話は変わって、「銀河鉄道の夜」の冒頭の「午后の授業」には、先生が銀河という「川の水」について、次のように説明する場面があります。

そんなら何がその水にあたるかと云ひますと、それは真空といふ光をある速さで伝へるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮んでゐるのです。

 ここでは、「真空」のことを「光をある速さで伝へるもの」と説明していますが、これこそ当時の賢治が、アインシュタインの相対性理論を知っていたことの、直接的な証拠です。
 すなわち、光が粒子なのか波動なのかという問題については、18~19世紀の科学界で激しい議論が戦わされていましたが、回折・干渉現象の存在などから、19世紀後半には波動説がほぼ勝利を収めたように見えました。しかし、海の波は海水なしにはありえないように、また音は空気の振動が波として伝わるものであるように、「波」はその「媒質」なくしては存在できません。それでは何も存在しないはずの真空の中でも伝わる「光」の媒質は、いったい何なのかということが、科学的に最大の問題になりました。

 そこで持ち出されたのが、「エーテル」という仮想上の物質です。宇宙空間には、光の媒質であるエーテルという存在が、遍く充満しているのだという仮説が立てられたのです。これは目にも見えず重さもなく、どんな方法によっても検出することのできないという、摩訶不思議な物質でしたが、しかしもしもエーテルが存在するのだとすれば、宇宙空間を公転している地球は、エーテルに対して一定の速度を持って運動しているはずです。すると、地球上で様々な方向で光の速度を測定すれば、エーテルの動きが順風になっている方向と逆風になっている方向とでは、光の速度に多少とも違いが生じるはずだということになります。
 1880年代にマイケルソンとモーリーは、精巧な実験を行ってこの光速の違い=エーテルの運動を検出しようとしましたが、この実験は多くの予想に反して、どんな方向でもどんな季節(地球の公転位置)でも、光速は一定であるという結果になりました。この「マイケルソン・モーリーの実験」は、最も有名な失敗実験とも言われますが、科学への影響は甚大で、これによって「エーテル」という仮想物質の存在は否定されてしまったわけですから、波動としての光をいったいどう理解すべきかという難題に、学界は直面したのです。

 この大きくて分厚い壁に、どでかい風穴を開けるべく登場したのが、1905年に発表されたアインシュタインの特殊相対性理論でした。アインシュタインは、「全ての慣性系において同一の自然法則が成り立つ」(相対性の原理)と、「光速は不変である」というたった二つの原理から出発することで、従来の物理法則全体を書き換える、独自の理論を構築したのでした。
 そしてこの理論においては、光はもはやエーテルが伝えるものではなく、空間そのもの=「真空」自体の性質として、どのような観察者にとっても同じ速度で、伝えられるものとなったのです。

 以上が、「銀河鉄道の夜」の先生の、「真空といふ光をある速さで伝へるもの」という言葉の、科学的な含意です。単に「真空といふ光を伝へるもの」と述べるだけでなく、「ある速さで」と規定しているところに、アインシュタインが出発点とした「光速不変の原理」が、織り込まれているのです。
 これを煎じ詰めれば、「真空は媒質である」という命題で表現することができるでしょう。

 20世紀初頭の物理学が切り拓いた、この新たな「真空」観を前提として、ここで私が「真空溶媒」という作品との関連において考えてみたいのは、「真空は溶媒である」という別の命題です。これは、上の「真空は媒質である」の中の「媒質」を「溶媒」に置き換えたのもので、ただの言葉遊びのような側面もありますが、私は賢治もきっと、こういうことを考えたのではないかと思うのです。
 二つの命題の意味としては、どちらにおいても真空が何かの「媒介=なかだち」となっている点が、共通しています。前者「媒質」では、真空は「物理学的」に捉えられているのに対し、後者「溶媒」では、(賢治の専門であった)「化学的」に捉えられているとも言えます。
 そしてもしも、後者のように真空が「溶媒」なのだとすれば、あたかも水が塩や砂糖を溶かして、もとの透明な水と見かけは同じままであるように、「物質がこの空間そのものに溶けて、見えなくなってしまう」という事態が起こることでしょう。

 さらに、この時そこに現れるのは、「目には見えないけれども、何かを秘めた真空」です。ただの透明な水のように見えても、舐めると塩味や甘い味がする塩水や砂糖水のように、あるいは琥珀色に透きとおっていながら、たくさんの動物や植物の芳醇なエキスを含んだコンソメ・スープのように、「豊饒な真空」が生まれるのです。
 これは、1.で述べた「真空妙有」という仏教概念に、あらためて再びつながるものです。

 そしてまさにこのような真空の動態が、賢治が「真空溶媒」という作品を着想した時に、根本にあったイメージなのではないかと、私は思うのです。われわれのいるこの空間が、内奥に様々な見えない存在を隠し持っていて、それが時にわれわれの感官にその存在を知らせて来ることがあるとすれば、われわれも時にその空間に「取られて」しまい「隠されて」しまうことが、あるかもしれないのです。
 ここにおいて「真空」とは、単に何もない空間ではなく、この世界と異世界との間の「なかだち=媒介」であり、ほかならぬ真空を通して、この世界と異界とは、往来も可能になっているのです。これは、賢治が上の「思索メモ2」で構想した、「真空を媒介としたこの世界と異世界との関係」に一致します。

 以上のような「真空」観をもとにして、「真空溶媒」のテキストを見てみましょう。
 そこでは、人間や物質が真空に溶解するという恐るべきクライマックスに先立つ最初の方に、前座のような溶媒が登場します。ただ前座と言っても、この世界で人間が知っている最強の溶媒である、「王水」なのですが……。

(どちらへ ごさんぽですか
 なるほど ふんふん ときにさくじつ
 ゾンネンタールがくなつたさうですが
 おききでしたか)
(いゝえ ちつとも
 ゾンネンタールと はてな)
(りんごがあたつたのださうです)
〔中略〕
(金皮のまゝたべたのです)
(そいつはおきのどくでした
 はやく王水をのませたらよかつたでせう)
(王水、口をわつてですか
 ふんふん、なるほど)

 ここでは、「りんごを金皮のまま食べて中毒を起こした」ということから、金をも溶かす溶媒である「王水」を飲ませれば、「金皮」も溶けるから助かるのではないか、という駄洒落的な理屈になっているのでしょう(これも「言葉遊び」です)。王水とは、濃塩酸と濃硝酸を3:1の体積比で混合した溶液で、他の酸には溶けない金や白金も溶かす力があることから、ヨーロッパ中世の錬金術師たちによって珍重されていました。
 しかしこの王水でも、人間や北極犬までも一瞬に溶かしてしまう「真空溶媒」には、到底かないません。作品の話者である牧師は、ステッキや上着を失った挙げ句、とうとう自分自身も真空によって溶けて消えてしまうのですが、ただしここからが、「異世界との媒介としての真空」の真骨頂です。
 溶けたはずの牧師は、いつしか上着もちゃんと取り戻した上に、最初に出会った赤鼻紳士との再会を果たすのです。

 しかし二人は、いったいどこで再会したのでしょう?

恐るべくかなしむべき真空溶媒は
こんどはおれに働きだした
まるで熊の胃袋のなかだ
それでもどうせ質量不変の定律だから
べつにどうにもなつてゐない
といつたところでおれといふ
この明らかな牧師の意識から
ぐんぐんものが消えて行くとは情ない
 (いやあ 奇遇ですな)
 (おお 赤鼻紳士
  たうたう犬がおつかまりでしたな)
 (ありがたう しかるに
  あなたは一体どうなすつたのです)

 二人が再会を果たした場所については、「まるで熊の胃袋のなかだ」との言葉が上に出てきます。真空という溶媒に溶解してしまうということから、牧師は熊の胃袋の中で、やはり酸によって消化されるという機序を想定しているのです。
 それにしても、私がここで連想するのは、童話「ピノキオの冒険」において、大きな鯨に飲まれたピノキオが、鯨の胃袋の中で、先に飲まれていたゼペット爺さんと再会する場面です。牧師も熊の胃袋のごとき真空で溶かされると思っていたら、やはりそこで赤鼻紳士と再会できたのです。

 下の動画は、1940年制作のディズニー映画「ピノキオ」より、ゼペット爺さんを探しに出たピノキオが鯨に飲まれるところから、ゼペットとの感動の再会です。

 鯨に飲まれたゼペット爺さんとピノキオは、その胃袋で消化され消滅したと思われましたが、実は鯨の体内の世界で、ちゃんと生きていました。そして、そこで火を焚いて鯨に大きなくしゃみをさせることによって、無事「この世界」に戻ります。
 真空に溶解した牧師や赤鼻紳士も、分子間結合を溶かされてバラバラになってしまったのではなくて、そっくりそのまま「異世界」に転生していたわけです。そして牧師は、そこで赤鼻紳士の北極犬を借りて、やはり最後にはもとの世界の銀杏並木の下に、悠々と帰還を果たしました。

 まさにここのところに、「溶媒としての真空」は、この世界の存在をただ溶かしてしまうのではなく、「異世界との間のなかだち=媒介」であるという、賢治の考えが込められていると思います。
 真空とは、「思索メモ2」にも記されているように、見えない「異空間」との間の「通路」なのです。