外山詩群

1.対象作品

『春と修羅 第二集』

69 〔どろの木の下から〕 1924.4.19(下書稿(二)手入れ)

〔171〕 〔いま来た角に〕 1924.4.19(下書稿(四)手入れ)

73 有明 1924.4.20(下書稿(三))

74 〔東の空ははやくも蜜の色に燃え〕 1924.4.20(下書稿(二)手入れ)

75 北上山地の春 1924.4.20(下書稿(三)手入れ)

「春と修羅 第二集補遺」

〔どろの木の根もとで〕(下書稿手入れ)

〔あけがたになり〕(定稿手入れ)

種馬検査日(下書稿手入れ)

「補遺詩篇 I 」

牧馬地方の春の歌(下書稿)

2.賢治の状況

 1924年4月19日(土)から、20日(日)にかけて、賢治はひとりで盛岡から長距離を歩いて外山へ行きました(下地図参照)。20日に外山種畜場で、周辺地域の牝馬の「検査」があることになっていたので、それを見にいくことが目的でした。

 作品を順に読めば、この2日の賢治の行動は以下のように推測されます。

 土曜日の学校が終わると、賢治は飛び出すように汽車に乗って盛岡へ行き、外山を目ざして歩き始めます。野山に入ると解放感とともに学校の同僚のことなども思い出し、小さな流れのある林の中で、少しまどろみました。
 さらに歩き続けた賢治は、夜中には水杵と厩舎のある民家のそばをひっそりと通りすぎて、馬の首につけられた鈴の音を聞きました。
 あけがたには盛岡の街を遠く望み、月への讃歌を詠いました。(池上氏の調査によれば、この晩は実際に満月で快晴だったとのことです。)
 そして20日の日中には、近郊から種畜場に連れられてくるさまざまな馬を見ます。その生き生きした描写から、ほんとうに賢治は馬が好きだったのだなあと思います。

 この<外山詩群>については、池上雄三氏の楽しくて綿密な著書『宮沢賢治 心象スケッチを読む』に、詳しく紹介されています。


賢治は盛岡から北へ、赤坂を通り明神山を越える道を歩いたと考えられている