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『春と修羅』の原稿と手入れ本


 『心象スケツチ 春と修羅』は、宮澤賢治が生前に唯一出版した詩集です。後の「春と修羅 第二集」「春と修羅 第三集」と区別するために、以前は『春と修羅 第一集』と呼ばれることもありました。

 その「第二集」と「第三集」においては、未刊行のままに作者が亡くなってしまったこともあってか、賢治の死後には各々の作品ごとに厖大な数の草稿群が残されました。これらの草稿は、このサイトの「「春と修羅 第二集」関連草稿一覧」および「「春と修羅 第三集」関連草稿一覧」で、見ることができます。
 これに対して、『春と修羅』に収められた作品の下書きは、ほんの少ししか現存していません。残っている草稿も、大半は初版本のテキストにごく近い形の、「詩集印刷用原稿」と呼ばれる形態です。
 「第二集」や「第三集」において、「五線ノート」や「詩ノート」や、各種の「詩稿用紙」に残されているような、推敲や改稿のめくるめくような展開は、残念ながら『春と修羅』においては見ることはできないのです。

 しかし、そのかわりと言うわけではないでしょうが、『春と修羅』においては、出版された本のテキストに作者自らが手を加えて推敲した、いわゆる「自筆手入れ本」が、何種類か残されています。すでに刊行された本にまでペンを入れずにはいられないという、賢治独特の「推敲癖」のおかげで、作者が言葉と格闘しているようすを、少しは垣間見ることができます。

 当サイトの「『春と修羅』関連草稿一覧」においては、現存している原稿や雑誌等に発表した形態と、初版本および三種類の自筆手入れ本の形態を、表にして示しました。
 以下に、原稿と手入れ本の状況について、簡単にまとめておきます。


1.『春と修羅』の原稿

(1) 初期稿

 『春と修羅』に収録されている作品の中で、「小岩井農場」「風林」「オホーツク挽歌」の三つには、書きかけ断片も含めた初期の下書稿が現存しています。
 また、「陽ざしとかれくさ」「靑い鎗の葉」「東岩手火山」の三作品は、詩集『春と修羅』に収録される「小岩井農場」(下書稿)以前に、作者によって雑誌等に発表されています。
 これらのテキストは、現在「詩集印刷用原稿」として残っているものよりも古い形態と考えられますので、ここでは「初期稿」として分類することにします。
 一部の作品では、短歌や短唱のなかに、先駆的な関連作品が見いだされる場合がありますが、それらの草稿も、この項に収載しました。

 さらに、『春と修羅』と同時期に書かれたものの、詩集には収録されたなかった諸作品(=「春と修羅補遺」)の草稿も、「詩集印刷用原稿」よりも早く成立していたと考えられますので、ここに含めました。

 総じて、「第二集」や「第三集」に比べると、初期の推敲の跡があまり残されていないのは残念です。

(2) 詩集印刷用原稿

 詩集『春と修羅』印刷のために、作者によって活版所に持ち込まれ、文選・植字・校正に用いられた原稿です。
 これは、作者の死後しばらく所在不明でしたが、1945年8月10日の花巻大空襲の後、宮澤清六氏によって、焼け残った土蔵のなかから「クリームパンのいろに燻蒸されて」発見されました。しかし、この時すでに冒頭部推定11枚は焼失しており、現存しているのは9番目の作品、「春と修羅」以降の部分です。「春と修羅」(詩集印刷用原稿)

 この「詩集印刷用原稿」には、ページ数を表すと思われる数字(ノンブル)が記入されていますが、何度にもわたって数字が振りなおされており、作者が印刷準備の段階で、たびたび原稿の差し替えをしたことを推測させます。
 入沢康夫氏は、この数字の変遷を克明に跡づけつつ精緻な考察を加え、詩集『春と修羅』の印刷用原稿が、下記のような四段階を踏んで成立したことを推定しています(入沢康夫「詩集『春と修羅』の成立」(上)(下). 『文学』Vol.40-8,9; 1972)。

 表においては、上記の四段階も図示しました。

 賢治は、この印刷用原稿の上でもかなり推敲を加えていますが、ここにはその第一形態のテキストを収載しました。


2.『春と修羅』初版本

 大正13年4月20日、宮澤賢治は『心象スケツチ 春と修羅』を、自費出版しました。部数は初版1000部、定価は2円40銭でした。

 この、近代日本における画期的な詩集の登場は、しかし当時の人々の目にとまることはほとんどなく、実際に売れたのは100部もなかったのではないかと言われています。賢治は大半の刊本を、せっせと知人などに贈呈することになりました。
 本を贈られた女学校のある先生は、「時節柄、『春と修養』をありがたう」とお礼状を返してくれたと、後年に賢治はなかば自嘲もこめて書いています。

 本文テキストは、英字のつづりや句読点などにかんして、刊本によって微妙な違いがあり、このサイトでは『【新】校本全集』にしたがって、宮沢賢治記念館所蔵本のテキストをもとにしています。


3.『春と修羅』の手入れ本

 宮澤賢治が独特なのは、発表前の草稿に対して徹底的な推敲を加えただけでなく、出版された本に対しても、並行して何種類かの「手入れ」を加えつづけていたというところです。
 このため私たちにとっては、異なった数種類の宮澤家本自筆手入れ「自筆手入れ本」が残されることとなりました。現存しているのは、「宮澤家所蔵本」「故菊池暁輝氏所蔵本」「故藤原嘉藤治氏旧蔵本」の三種類です。
 手入れの内容は、それぞれにおいて異なっていますが、作者の推敲の意思を反映するものとして、すべてを表に収載しました。

(1) 菊池氏所蔵本

 14篇に対して手入れがおこなわれ、1篇が抹消されています。
 手入れ作品は前半部に多いですが、後半の「風の偏倚」には、他の手入れ本にも見られないほどの大幅な手入れがおこなわれています。

(2) 藤原氏旧蔵本

 6篇に対して手入れがおこなわれ、1篇が抹消されています。「菊池本」よりは小規模な手入れです。
 この本には、作者以外による書き込みもありますが、ここには作者による手入れだけを収載しました。

(3) 宮澤家所蔵本

 34篇に対して手入れがおこなわれ、8篇が抹消されています。手入れの対象となった作品数も、手入れ内容も、上の二種の手入れ本をはるかに上まわっており、作者によって本格的なテキストの検討がおこなわれたことを物語っています。
 このため、『【新】校本全集』においては、この「宮澤家本」のテキストはたんなる「異稿」の一つにとどめるのではなく、「初版本」とは別に「本文」の一つとして収録されました。

 表においては、このような『【新】校本全集』の方針にもとづき、作品に手入れがなされていない場合にも、=====[手入れなし] として表記しました。


4.テキスト表示の背景との対照

 「『春と修羅』関連草稿一覧」におけるセル背景色と、この表の作品名をクリックした時に別ウィンドウで開くテキスト表示の背景イメージとを対照して表にすると、下のようになります。

「草稿一覧」での分類 テキスト表示の背景
  初期稿    下書稿
   雑誌等発表形
  詩集印刷用原稿  
  初版本  
  菊池氏所蔵本  
  藤原氏旧蔵本  
  宮澤家所蔵本