去年出た『現代思想』の「汎心論」という特集には、次のような謳い文句が掲げられています。
万物に心は宿るのか――現代哲学の最新問題を追う
現在、「汎心論」つまり「生命のあるなしに関係なく、
万物は心あるいは心に似た性質をもつ」という思想が復興しつつある。
しかしそれは科学的世界像に背を向けるのではなく、
いっそう合理的・科学的な自然主義の立場を求めるところに成立する、
まさに21世紀の心の哲学なのだ。
現代思想 2020年6月号 特集=汎心論 ―21世紀の心の哲学 永井均 (著), 高村夏輝 (著), 鈴木貴之 (著) 青土社 (2020/5/28) Amazonで詳しく見る |
「万物に心が宿る」という考え方は、一種の「アニミズム」にも通ずるもので、このような古代的?な物の見方が現代最先端の哲学の潮流となっているというのは、何となく不思議で面白いですね。現代の汎心論の代表的論客であるチャーマーズという哲学者などは、「サーモスタットにはサーモスタットなりの意識がある」などという議論もしており(『意識する心』pp.360-365)、これだけ聞くとまるで「トイ・ストーリー」のような感じがしてきます。
そしてこれは、宮澤賢治が様々な作品に表現していた感覚にも、深く通ずるものです。
たとえば、先日の「さそりのめだま・小いぬのめだま」という記事で見たような、夜空の星が何らかの意図をもって自分を「にらんでいる」と受けとめる感覚もそうですし、また私がとりわけ好きなのは、盛岡高等農林学校1年の時に同級生の高橋秀松にあてた、次の書簡です。
今朝から十二里歩きました 鉄道工事で新らしい岩石が沢山出てゐます 私が一つの岩片をカチツと割りますと初めこの連中が瓦斯だつた時分に見た空間が紺碧に変つて光つてゐる事に愕いて叫ぶこともできずきらきらと輝いてゐる黒雲母を見ます〔後略〕(書簡10, 1915)
ハンマーで割った岩片から顔を出した黒雲母が、「愕いて叫ぶこともできずきらきらと輝いてゐる」というところなど、本当に生き生きして魅力的ですが、むしろ賢治の方こそが、黒雲母を見て心の中で愕きの叫び声を上げ、目をきらきら輝かせていたに違いありません。
それにしても、埋もれていた岩石が「瓦斯だつた時分」というと、まだ地球が誕生する前に、物質が宇宙空間にガスや塵という形で漂っていた、50億年も昔を指しているのでしょうか。暗黒に浮かんでいたこのガスや塵が、互いの重力によってゆっくりと凝集し、大きくなるほどに内部は高圧・高熱になって溶融してマグマとなり、それが火山の噴火で地上に出て火成岩として固まって、さらにそれを賢治が割って久しぶりに外気に晒した、という壮大な天文学的・地質学的絵巻が、一瞬にして彼の胸中を駆け巡ったのかと思います。
友人あての何気ない手紙にも表れているように、「万物に心を感じとる」このような賢治の傾向は、彼が生まれつき持っていたものなのでしょう。そして、この感覚を目いっぱい働かせることによって、彼独特の童話や詩が生まれたのだろうと思われます。
※
ところで、冒頭でご紹介した特集『汎心論』では、このような世界観の歴史的な先達として、ウィリアム・ジェイムズやアンリ・ベルクソンの名前が挙げられているのですが、賢治にも直接的な影響を与えた可能性のある思想家としては、グスタフ・フェヒナーとエルンスト・ヘッケルも、見逃してはならないと思います。
下記の大著は、現代ではさほど注目されることのなくなっているこの2人の、思想史的な意義にスポットライトを当てるものです。
賦霊の自然哲学 ──フェヒナー、ヘッケル、ドリーシュ── 福元 圭太 (著) 九州大学出版会 (2020/9/24) Amazonで詳しく見る |
この本で取り上げられている、フェヒナー、ヘッケル、ドリーシュという3人の学者は、いずれも自然科学者として世界的な業績を上げた上で、さらに「心」や「霊」などという領域の事柄についても、独自の哲学を展開したことが共通しています。そして前2者は、賢治にも思想的に影響を与えていた可能性があるのです。
フェヒナーと賢治の関わりについては、「フェヒナー『死後の生活』と賢治」という記事において、おもにフェヒナーの死生観と賢治のそれとの共通性を探ってみましたが、上記の本では、「万物は神によって霊を賦与されている」というフェヒナーの思想が取り上げられます。著者の福元氏は、「霊を与える(beseelen)」というドイツ語を「賦霊」と訳し、これを本のタイトルにも用いるとともに、フェヒナーの思想を「万物賦霊論」と呼んでいます。
たとえばフェヒナーは、『ナナ』という著書では植物に意識が存在するのだと強く主張し、『ツェント-アヴェスタ』という大著では、地球や様々な天体も意識を持っているのだと論じます。これなどは、「〔東の雲ははやくも蜜のいろに燃え〕」において、月を見ながらその尊い「意志」を讃仰した賢治を彷彿させます。
あなたの御座の運行は
公式にしたがってたがはぬを知って
しかもあなたが一つのかんばしい意志であり
われらに答へまたはたらきかける、
巨きなあやしい生物であること
そのことはいましわたくしの胸を
あやしくあらたに湧きたゝせます
そしてフェヒナー最晩年の著書『光明観と暗黒観の相克』では、万物賦霊論に基づいて宇宙全体を意識的存在=神と見る世界観を「光明観(昼の見方)」と呼び、これに対して植物や無機物は魂のない存在とする近代の自然科学や唯物論を「暗黒観(夜の見方)」と呼んで、後者にとらわれた「眠り」から、前者へと「目覚める」べきだということが説かれています。科学的世界観の悲観的・否定的側面を嘆く論調は、賢治の「農民芸術概論綱要」の「宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い」という言葉を連想させます。
そして最終的に著者の福元氏は、フェヒナーの「光明観」について、下のようにまとめています。
光明観とは何か。それを端的に言うなら、人間はもとより動植物を含めた生物界、さらには地球や惑星からなる星辰界、また無機物を含めた万物、すなわちあらゆる自然の体系が、ことごとく神によって賦霊されて(beseelt)いる、つまり万物には神の意識が分与されているという独特な汎神論的世界観であると言えるであろう。人間の個々の意識ないし魂は、より高く広い神の意識に従属しており、それは肉体の死後も神の全体意識のなかへと糾合され、そこで存続し続ける。
ここに至って、『死後の生活』の内容とつながるとともに、やはり「農民芸術概論綱要」の「自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」などの思想にも接近してきます。フェヒナーが「神」としているところを、「久遠実成の仏」に置き換えれば、ほとんどそのまま賢治の世界観になるではありませんか。
現時点で、賢治がフェヒナーの著書を読んでいたという証拠はない以上、上記のような賢治との共通点を、直接の影響関係と考えることはできませんが、賢治と似たところの多い思想であることは間違いありません。
※
精神物理学を創始したフェヒナーの「万物賦霊論」に対して、生物学者エルンスト・ヘッケルの思想は、「万物有生論」と呼ばれてきました。
ヘッケルの著書『Die Lebenswunder』(邦訳『生命之不可思議』)を、賢治は原書で所有していましたが、その中でヘッケルは自らの思想について、次のように説明しています。賢治の時代の1914-1915年に刊行された邦訳版の『生命之不可思議』から、引用してみます。
万物有生論 一元論の一形式にして、余が宇宙の眞理の最も完全なる發表と認め、三十八年以來、上記の諸著作に於て掲げたる所は、今日、概ね
万物有生論 と稱せらるゝものなり。此の概念は、物質は二箇の根本性質即ち属性を有し、物質としては空間を充足し、力若しくは精神としては知覺を有すとするなり。スピノーザは、其の同一哲学に於て此の根本思想を最も完全に表出し、物質なる概念を最も純粋に理解したるが、一般に物質には二箇の根本的属性即ち「廣がり」と「思考」とを與へたり。「廣がり」と謂ふ概念は、現実の空間(物質)と同意味にして、思考なる概念はプシケ即ち心靈と同意味なり。(『生命之不可思議』(上)p.131)
「万物有生論」に添えたルビで示されている原語の"hylozoism"とは、ギリシア語の"hyle"(物質)と"zoe"(生命)の合成語で、「物質に生命が宿る」ということで「物活論」とも訳されます。かつてデカルトは、「延長」を属性とする「物質」と、「思考」を属性とする「精神」の二元論を考えたわけですが、ヘッケルは全ての存在は延長と思考(心霊)の双方の属性を有しているのだと見なすことで、独特の「一元論」を作り上げたのです。
これはまさに冒頭でご紹介した、現代の「汎心論」そのものです。
ヘッケルのこの物心一元論が、賢治にとってとりわけ重要と思われるのは、妹の死について思いを巡らす「青森挽歌」において、既に死んだかと見える妹との意思疏通を何としても信じたい賢治が、心の拠り所としていたのではないかと思われるからです。
これは以前に「《ヘッケル博士!》への呼びかけに関する私見(2)」という記事でも考えてみたことですが、簡単に述べると次のようになります。
長大な「青森挽歌」の、前半部におけるクライマックスは、次の箇所だと言ってよいでしょう。
にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
それからわたくしがはしつて行つたとき
あのきれいな眼が
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた
それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた
それからあとであいつはなにを感じたらう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう
わたくしがその耳もとで
遠いところから声をとつてきて
そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき
あいつは二へんうなづくやうに息をした
白い尖つたあごや頬がゆすれて
ちいさいときよくおどけたときにしたやうな
あんな偶然な顔つきにみえた
けれどもたしかにうなづいた
《ヘツケル博士!
わたくしがそのありがたい証明の
任にあたつてもよろしうございます》
仮睡硅酸(かすゐけいさん)の雲のなかから
凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は……
(宗谷海峡を越える晩は
わたくしは夜どほし甲板に立ち
あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり
からだはけがれたねがひにみたし
そしてわたくしはほんたうに挑戦しやう)
たしかにあのときはうなづいたのだ
そしてあんなにつぎのあさまで
胸がほとつてゐたくらゐだから
わたくしたちが死んだといつて泣いたあと
とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ
ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで
ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない
ここに至るまで賢治は、死の間際のトシの様子について、細かく記憶をたどってきたのですが、ついにトシの呼吸が止まって脈も打たなくなってから、すなわち彼女が死の境を越えてしまったとわかってから、その耳もとで「万象同帰のそのいみじい生物の名=南無妙法蓮華経」を、力一杯唱えました。
そして賢治は、この渾身の唱題に対して妹が「うなづいた」か否か、ということを執拗に己に問い、上記で赤字にしたように、三度にもわたって、「たしかにうなづいた」のだということを、自らに言い聞かせています。この問題こそが、「青森挽歌」前半部の、最大のテーマなのです。
なぜ賢治が、「トシがうなずいたか否か」という問題にこれほどまでにこだわったのかというと、「臨終の瞬間に南無妙法蓮華経と唱え聴かせてやれば、死者は悪趣(地獄・餓鬼・畜生)に落ちることはない」という、日蓮の後継者の教えがあるからです(「万象同帰のそのいみじい生物の名」参照)。ところが、上の引用の最初に「にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり/それからわたくしがはしつて行つた」とあるように、トシの臨終の時点で賢治はその病床から離れた場所にいて、その直後に枕元に走って行ったと推測されます。すなわち賢治は、トシの臨終のまさにその瞬間には、唱題を聴かせてやることができなかったのです。
この自らの失策を強く悔やんでいたであろう賢治としては、その死のすぐ後に聴かせた唱題にも、妹はうなずいてくれたのだ、確かに反応はあったのだと、どうしても信じたかったので、上のように執拗にこれを繰り返し確認しているのだと思われます。
そして問題の、ヘッケル博士に対する謎の呼びかけ(青字)は、この確認作業のまさに真っ只中に現れます。素直に考えると、このヘッケル博士への呼びかけの意味は、その前後で深刻に問われている「トシはうなずいたのか」という問題に、何らかの形で関係しているはずです。
ということで私としては、賢治がここで「ありがたい証明」と言っているのは、ヘッケルの物心一元論、すなわち「全ての物質が知覚や精神を有している」という独自の説の、証明のことではないかと考えました。もしもヘッケルの説が正しければ、いま亡くなったばかりのトシにも知覚や精神があって、兄の唱題はちゃんと妹の心に届くと期待することができ、それは賢治にとってはまさに「ありがたい」ことなのです。上の引用の、「宗谷海峡を越える晩は……」という箇所の意味は、「宗谷挽歌」に記した内容とも関連していると思われますが、おそらく賢治は宗谷海峡において、トシとの「通信」を試みようと秘かに思っていて、もしもそれに成功すれば、あの時の唱題が確かに彼女に届いていたということが確かめられ、それがまたヘッケル説の「証明」になると考えたのではないかと、私は推測しています。
※
……と、「青森挽歌」には思わず深入りしすぎてしまいましたが、賢治が生来抱いていたであろうアニミズム的感性を、上記のような西洋の思想家たちからも共感的に汲みとっていた可能性は、それなりにあるのではないかと思います。賢治自身も専門的に自然科学を学び、「一個のサイエンティスト」として世界を努めて科学的に見ようとしていた反面、それには飽き足らず仏教などの世界観との統合を模索していました。フェヒナーやヘッケルも、功成り名遂げた一流の科学者でありながら、この世界に遍在する「心」や「魂」を探究しようとしていた、偉大な先達だったのです。
21世紀の汎心論も、やはり自然科学を新たな次元に拡張する形で「心」を理解しようとしているところに、共通点があるのかもしれません。
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