「農民芸術概論綱要」の中の「農民芸術の本質」の項目には、次のように書かれています。
農民芸術の本質
……何がわれらの芸術の心臓をなすものであるか……
もとより農民芸術も美を本質とするであらう
われらは新たな美を創る 美学は絶えず移動する
「美」の語さへ滅するまでに それは果なく拡がるであらう
岐路と邪路とをわれらは警めねばならぬ
農民芸術とは宇宙感情の 地人 個性と通ずる具体的なる表現である
そは直観と情緒との内経験を素材としたる無意識或は有意の創造である
そは常に実生活を肯定しこれを一層深化し高くせんとする
そは人生と自然とを不断の芸術写真とし尽くることなき詩歌とし
巨大な演劇舞踊として観照享受することを教へる
そは人々の精神を交通せしめ その感情を社会化し遂に一切を究竟地にまで導かんとする
かくてわれらの芸術は新興文化の基礎である
上記の、「そは人生と自然とを不断の芸術写真とし尽くることなき詩歌とし」という部分は、まさに賢治自身の詩にぴったりの表現だと思うのです。
そして、それを口語詩と文語詩に分けるならば、おもに「自然を不断の芸術写真とし」たのが彼の口語詩で、「人生を不断の芸術写真とし」たのが文語詩と言えるのではないか……、などとも思いました。しかし、口語詩にも様々な人物が登場してその人生が描かれていますし、文語詩にも美しい自然描写はたくさんあるので、何も二つに分けてしまう必要はないかもしれません。
それよりも、賢治自身が創作の題材として、シンプルに「人生と自然と」を挙げているところに、「芸術の本質」に関する彼の思いが読みとれる気がします。
さらに、「人生と自然と」を「芸術写真」にする、というその表現は、彼が自負していた「心象スケッチ」という独自の方法論を、順当に継承するものであるとともに、若干の変化を感じさせる趣きもあります。
「スケッチ」という語も「写真」という語も、賢治自身が「厳密に事実のとほりに記録した」(書簡214a)と言ったように、「忠実に写しとる」というスタンスを、表していると言えるでしょう。
その一方で、「心象スケッチ」においては、自己の「心象」をスケッチするという、すぐれて人間的で主観的な営みが標榜されていたのに対して、「芸術写真」となると、非常に客観的な記録というニュアンスが強まります。私自身は、賢治の生涯における世界観や作品の変化として、『春と修羅』(第一集)の時期の大半では主観性が謳歌されていたのに対し、その出版前の手入れの段階から客観性や普遍性に重きが置かれるようになり、これがその後の賢治の基調になったのではないかと思っていますので、この意味でも「心象スケッチ」から「芸術写真」へ、という用語の変化は興味深く感じます。
いずれにせよ、「人生と自然と」を題材として、「尽くることなき詩歌」を紡ぎ出していったのが、賢治という人の生涯だったように思います。
たった一枚のスナップ写真に、人生の悲しみと喜びがぎゅっと詰まっている、というようなのを見ると、心の底から感動するものですが、賢治の詩で言えば、たとえば「文語詩稿 一百篇」の「母」は、私にとってそのような一コマです。
秋空の下、花巻の郊外の畦道を、並んで歩く若い母親とその子供の姿、そして彼女たちの背後にある社会は、ここに切なくも美しい芸術写真として、永遠に定着されているように感じます。
母
雪袴黒くうがちし うなゐの子瓜
食 みくれば風澄めるよもの山はに うづまくや秋のしらくも
その身こそ瓜も欲りせん齢弱 き母にしあれば手すさびに紅き萱穂を つみつどへ野をよぎるなれ
コメント