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さそりのめだま・小いぬのめだま

 「賢治の事務所」の加倉井厚夫さんが、去る2月8日の「緑いろの通信」において、「星めぐりの歌」の歌詞について次のように述べておられます。

 よく、賢治の「星めぐりの歌」の冒頭の「あかいめだまの さそり」について、あれは赤い星アンタレスで、星座上はさそりの心臓のはずが「めだま」ではおかしいことが指摘されます。 草下英明さんの本にあるとおり、吉田源治郎の『肉眼に見える星の研究』(警醒社)では「眼玉」と書かれているので、賢治はその知識をもとに書いたのではないかとする説明があります。 (しかし、時期的には『肉眼に見える星の研究』刊行が後のこととされます。)

 多くの解説本を読むと、このような議論があるなかで(実はそこで思考停止されるものが大半ですが)同じ「星めぐりの歌」にある「あをいめだまの こいぬ」に関しては、こいぬ座のプロキオンがなぜ「めだま」なのか、の方は本気で論じられることもなく、スルーされています。 むしろこちらも同等に検討が行われるべきで、その鍵になるのは、賢治の天文学の知識と同等に、賢治自身の想像力の傾向の理解にあると考えています。

 例えば、初期の短歌「西ぞらの黄金(きん)の一つめうらめしくわれをながめてつとしづむなり」(歌稿〔A〕明治四十四年一月より 69)では、宵の明星が「一つめ」のモチーフとなっています。 光る星を一般的に「眼」とする発想が賢治にはそもそもあったということです。

 このように、賢治の想像力に基づく創作がどのようなものなのか。 天文学の知識に加えて、想像力の傾向を理解する試みが必要ではないでしょうか。

 この加倉井さんのご指摘には、私もまったく同感で、さそり座やこいぬ座の中で最も輝く星を、その「めだま」と認識せずにいられない、賢治独特の「想像力の傾向」こそが、ここでは注目すべきところだと思います。これは、私たちが賢治の創作の秘密を理解する上で、小さくとも重要な一つの「鍵」にもなるのではないでしょうか。

 加倉井さんのご指摘のとおり、賢治が「星めぐりの歌」において、アンタレスを蠍の「めだま」、プロキオンを小犬の「めだま」と呼んでいる発想は、短歌69「西ぞらの黄金きんの一つめうらめしくわれをながめてつとしづむなり。」で、宵の明星のことを「一つめ」ととらえ、それが賢治自身を「ながめて」いると感じたものと同じだと、私も思います。
 自分に対して光を送る星のことを「眼」と認識し、そこに自分に向けられた「眼差し」を感じているのです。

 賢治が、自分に注がれている「眼」や「眼差し」を過敏に意識し、それを作品に記している例は、「星めぐりの歌」や短歌69以外にも、いろいろあります。下記は、やはり「歌稿〔A〕」の短歌です。

59 ブリキ鑵がはらだゝしげにわれをにらむつめたき冬の夕暮のこと
79 うしろよりにらむものありうしろよりわれらをにらむ青きものあり
96 鳥さへもいまは啼かねばちばしれるかの一つ目のそらを去りしか

 短歌59では、ブリキ鑵という無生物の存在が、「はらだゝしげにわれをにらむ」と感じています。
 短歌79において、「うしろよりわれらをにらむ青きもの」と詠まれているのは、岩手山登山の際に見た火口湖で、やはりここでも「無生物が自分をにらんでいる」と認識されています。岩手山頂の湖は神様のいる聖なる場所で、「石を投げ入れると雨が降る」という言い伝えがあるそうですが、一緒に登山した同級生の一人がそこに石を投げ込んでしまったので、怖くなった賢治は逃げようとしつつ、怒った湖の視線を背後に感じているのです。
 短歌96は、中学を卒業して岩手病院に入院している時の作で、短歌94「ちばしれるゆみはりの月わが窓にまよなかきたりて口をゆがむる」に言うところの「血走った月」が、沈んだ後の情景です。ここではその月が「一つ目」と表現されており、夜空から自分を見る「目」と感じていたことがわかります。

 また短篇「沼森」には、次のような箇所があります。

 それはいゝがさ沼森めなぜ一体坊主なんぞになったのだ。えいぞっとする 気味の悪いやつだ。この草はな、この草はな、こぬかぐさ。風に吹かれて穂を出して烟って実に憐れに見えるぢゃないか。
 なぜさうこっちをにらむのだ、うしろから。
 何も悪いことしないぢゃないか。まだにらむのか、勝手にしろ。

 ここでも、沼森という小山が、やはり自分の方を「にらむ」と受けとめています。次の行に「何も悪いことしないぢゃないか」とあることから、賢治には「悪いことをしたら、にらまれる」という意識があることが推測され、短歌79の岩手山の湖の発想と共通しています。

 時代を下って口語詩の例としては、「善鬼呪禁」(「春と修羅 第二集」)を挙げることができるでしょう。

〔前略〕
そうら あんなに
苗代の水がおはぐろみたいに黒くなり
畦に植はった大豆まめもどしどし行列するし
十三日のけぶった月のあかりには
十字になった白い暈さへあらはれて
空も魚の眼球めだまに変り
いづれあんまり録でもないことが
いくらもいくらも起ってくる
〔後略〕

 古くから農村には「夜間に収穫作業をしてはならない」という呪禁タブーがあったということですが(「夜の呪禁(2)」参照)、その掟を破って深夜に稲の「架干し」している百姓夫婦を見かけた賢治は、そんなことをしていると「録でもないことがいくらもいくらも起ってくる」と、ひそかに警告を発しているのです。そして、禁を犯したために起こる凶兆の一つとして、「空も魚の眼球めだまに変り……」という現象を挙げています。
 空そのものが巨大な「眼球」になるというのですから、かなり怖ろしい事態ですが、ここにも短歌79や「沼森」と同様に、「悪いことをしたらにらまれる」という賢治の意識が感じられます。

 さて、賢治のこのような心理について、精神科医の柴山雅俊さんは、著書『解離性障害』(ちくま新書)において、上記の短歌59、69、79の三首を挙げ、次のように述べておられます(p.169)。

 ブリキ鑵が、月が、背後の青きものが賢治を眼差している。わたしの周りには生命が満ちているというアニミズムを連想させる短歌であり、もちろん精神病領域の体験とはいえない。これらの若い頃の短歌には気配に対する過敏性や被注察感などが窺われる。とりわけ最後の短歌(引用者注:短歌79)は、背後から丶丶丶丶青きものがにらんでいる点で注目される。

 すなわち、上の例全体に共通するのは、「自分が見られている」という「被注察感」であり、自分を見る主体は「星」や「ブリキ鑵」や「空」などという無生物であるにもかかわらず、まるで生き物のような「眼差し」を感じてしまうところに、賢治の独特さがあります。ありありと眼差しを感じるからこそ、彼はその基点に「めだま」「一つめ」「眼球」を想定せざるをえないのです。
 そして柴山さんは、このように無生物にも「眼差し」や「眼」を感じとる賢治の感性を、「アニミズム」としてとらえています。ギリシア語の「アニマ」は「霊魂」「気息」を意味し、アニミズムとは、生物も無生物も含め「全ての存在に霊魂あるいは生気が宿っている」と考える世界観のことで、多くの土着的な信仰に共通するものです。
 自分の周囲の、無生物を含めた種々の存在が、意識を持って自分を見ているととらえる賢治の感覚は、まさにアニミズムの一種と言えます。

 そもそも、柴山雅俊さんは『解離性障害』の第七章において、「解離」という精神医学的な概念を用いて賢治の作品を読み解くという試みをなされたわけですが、このように「アニミズム」まで行くと、その視野は狭義の「解離」の外部にまで至っています。
 少し長くなって恐縮ですが、下記に第七章のまとめ的な部分を引用させていただきます(p.185-186)。不肖私も含めて、賢治の作品や伝記的事項について「解離」という視点から検討を加えようとすると、「人を病気あつかいして…」という印象を持たれてしまうことが時にありますが、その趣旨は病気か否かというところではなく、全ての人間の心の奥底を深く掘り下げていくと、いったい何が見えてくるのだろうか、という点にあるのです。

 最初に述べたように賢治を解離の病態と診断することはできないが、解離は賢治の作品体験世界を読み解くのに新たな視点を提供するだろう。ここでいう解離という言葉はもちろん精神医学で生まれたが、解離を思い切って大きく捉えるならば、それは原始の心性や夢体験などの原初の意識と連続的につながっているだろう。さらにその周辺には芸術の創造、宗教体験など人間にとって根底的な意識の広大な領野がある。
 私が感じるのは、このような人間の根底的な意識領域と解離が、意識変容を媒介にしてきわめて近い関係にあるのではないかということである。私がいう意識変容とは医学が扱ってきた病的な意識変容を越えて、人間のもつ創造性、宗教体験、自然との交歓、夢、原始の心性などさまざまな幻想領域とつながっている。私が賢治の幻想的な作品群から読み取ろうとしたのは、この意識変容であった。
 賢治の作品には、体外離脱体験、疎隔・離人症状、表象幻視、幻視など多くの解離の症候を読み取ることができる。これらは主として意識変容=離隔としてまとめられ、区画化などの症候はいっさい認められない。外から眺めることと内で感ずること、夢と現実の反転など賢治の作品全般にわたってみられる特徴は、この意識変容と密接な関係にあると思われる。
 解離の周辺には、病としての陰性面のみならず、人間を根底的に人間たらしめる意識の陽性面もまた存在するのである。病としての解離をあくまで了解しようとするならば、そのような大きな立場からあらためて解離を考え返す必要があろう。

 かえりみれば、柴山さんの『解離性障害』の第二章は「解離以前の体験」と題され、そこではアニミズムをはじめ、夢体験や健常人にもみられる解離的傾向が論じられています。これらは一般的な意味(狭義)では「解離」とは言えませんが、上の引用のように大きく捉えるならば、解離の周辺に広がる「人間にとって根底的な意識の広大な領野」=「原初の意識」=「幻想領域」に関わる体験だろう、というのが柴山さんの説の眼目で、これには私も全く同感です。
 心のそういった領域で起こることは、賢治の創作や信仰の本質にも、つながっているのではないでしょうか。

 ところで、この『解離性障害』第二章では、アニミズムの説明のために、故・安永浩氏という独創的な精神科医の説が、引用されています。
 哲学においては、デカルトやフッサールのように厳密に「私」が直接体験できることのみから論理を構築していくと、「私」はいったいどうやって他者が私と同じように心を持ち主体性を持った存在であると認識できるのか、言いかえれば、どうやって私は「独我論」から脱出できるのか、という問題に行き当たります。これは「他我問題」と呼ばれますが、安永氏はこの問題に対して、普通の哲学者とは全く逆の方向から肉迫します。

他者の中に、いかにしてその主体性を了解するかが不思議なのではない。本来の体験形態においては対象ことごとくが心をもつ、と言ってよい(幼児にみられるアニミズムは体験可能性の基盤である)。ひとは客観的「物」なる概念を始めからもっていたのではない。「物」がいかにして「物」であるか、つまり主体性ある存在とみなさなくてもよい丶丶丶丶丶丶丶丶丶かを、長ずるにしたがって経験が教えるのである。(安永浩『精神の幾何学』岩波書店p.66)

 安永氏は自らのこのような立場を、「独我論」と対比して「汎我論」と呼びます。赤ん坊が抱くであろう最初の意識においては、自己や他者という区別はまだなく、この世界全体が自他未分化であることを表す呼称です。
 そのような自他未分化な状態から始まり、人間の認識がアニミズム的世界観を通過して成熟していく発達過程について、安永氏は『精神医学の方法論』(金剛出版)において次のように図式化して述べています。

 最も原始の体験世界は、潜在的に主観性と客観性とがみちみちていた。そのいずれもがまだどの具体的な“もの”とも結びつく以前であり、ただ総体的に方向性を異にする作用力のみが、その空間をみたしていたのである。
 すなわちそこではすべてのものが主観性をも丶丶帯びており、体験世界はいわば広大な“We”であった。いやもっと正確にいえば、Iと We の分化以前のもの、
   (I=We)
とでも表現できる状態のものであった。
 それが第三章で述べたような、同型、異型の文節の弁証法を通じて、次第に分離してくる。その順序はおそらく次のようである。
    I ⇔ We ⇔ (objects)
    I ⇔ You :………:
    I ⇔ He, They…↓
         ↳真の Things
 これは幼児の体験世界においては、ただ自分と似た身体の持ち主に対してのみならず、あらゆるところに“魂”をみるであろう、ということを予想している。これは成人においてすら、かすかながら残存している感覚ではないだろうか。たった一人で書斎で書きものをしているとき、花瓶に生けられた花は、私をみつめているごとくではないだろうか。それどころか壁すらも自分をみつめてはこないだろうか。夜空を仰げば満天の星が自分に何か語りかけてはこないだろうか。そしてこれらは、自己投入の結果ではなく、逆に自己投入を可能ならしめるところの基盤ではなかろうか。これが原・体験なのであって、それが整理され、消去されて生じてきたのが、成人の成熟した、はっきり物を“物”と見なすところの意識であるというべきではなかろうか。(それでいながら成人も、どこかであのような原始融合体験があったことを記憶しており、それを恋しがる心があるのではなかろうか!)(『精神医学の方法論』p.53-54)

 上記の図式を私なりに解釈してみると、まず(I=We)と表されている段階は、まだ目も見えず、この世界に「自己」とか「他者」などという区別があるとも知らずに生きている、新生児の状態でしょう。

 その後、目が見えるようになり、自分の周囲に母親の乳房や様々な存在を認めるようになると、世界の内には「自己」だけではなく、自己の生存を助けてくれる誰かがいることを知っていくでしょう。しかしこの段階で、母親はまだ自己と相対する二人称的存在ではなく、ただ私のために尽くし、私を生かし守るための同盟である“We”の一部にすぎません。これが「I ⇔ We ⇔ (objects)」の段階です。

 次の段階で、乳児にとっては初めて“You”というべき存在が現れます。ここで決定的な役割を果たすのではないかと思われるのが、大人の「眼差し」です。
 今世紀に入ってインド出身の発達心理学者ヴァスデヴィ・レディは、自らの育児経験ももとにした「二人称アプローチ」により、乳児の発達に関し革新的な知見を発表していますが、2003年の論文“On being the object of attention: implications for self-other consciousness”においてレディは、乳児は生後2か月にして、大人が目を合わせた時の方が目をそらせた時よりもよく笑い、また他者の眼差しから逃れられない時や、無表情に注視されたりわざとらしく見つめられた時には、苦痛を示すことを報告しています。
 おそらく乳児は、周囲の大人と目と目を合わせ、そこに「眼差し」を見出していくことによって、自らの「相手」となる“You”の観念を形成していくのでしょう。

 さらに次の段階は、生後9か月に至った乳児が、「大人が注意を向けている対象に自分も注意を向ける」という「共同注意」や、「視線追従」「指差し」ができるようになることに対応していると思われます。“I”と“You”は共同で、両者のどちらでもない「第三者」たる、“He”や“They”という水準の存在を、認識できるようになるのです。

 ただ、この「I ⇔ He, They」の段階でも、その第三者はまだ「人称」を有していることが重要です。自分の周囲の人間や動物だけでなく、花やおもちゃやコップも魂を持っていて、自分に語りかけたり自分の味方をしたり邪魔をしたりする存在であり、子供にとって世界はなお「アニミズム」に満ちているのです。
 その後、子供がさらに経験を積み成長するに伴って、それらの「第三者」のうちのかなりの部分は、魂を持つ資格を喪失するとともに、「真の Things」へと姿を変えていきます。発達心理学の草分けであるピアジェは、1925年の論文“The Child's Conception of the World”において、子供のアニミズム的な世界認識はいくつかの段階を経て変化すると述べていますが、それによると、6~7歳頃までは「全てのものに意識がある」と思っており、次いで8~9歳頃までは「動くものには意識がある」と考え、さらに11~12歳頃までは「自発的に動けるものには意識がある」と見なし、その後やっと「動物のみが意識がある」と考えるようになるということです。

 安永氏の図式において、この世界に“You”が登場する第三段階は非常に重要なものであり、その扉を決定的に開く役割を担う、他者の「眼」と「眼差し」は、“You”においても“He”においても“They”においても、やはり本質的な意味を帯びつづけ、さらには種々のアニミズム的な存在にも共有されていく、ということなのでしょう。安永氏が例に挙げているように、大人になってもふと“物”の眼差しを感じてしまうことが誰しもあるのは、人間にとってはそれだけ他者の眼差しというものが、重要な意味を持っているということだと思います。

 最後にあらためて、賢治が感じていた「めだま」や「眼差し」の話に戻ると、賢治という人は「解離」的な感性とともに、柴山さんが「解離以前の体験」と呼ぶところの、誰もがはるか昔には持っていたであろう太古のダイナミックな感覚を、大人になっても保ちつづけていたことによって、自然界の様々な存在が持つ魂や意志を、通常人以上にありありと感受することができた、ということなのでしょう。安永氏の言うように、「成人も、どこかであのような原始融合体験があったことを記憶しており、それを恋しがる心がある」ために、賢治の作品を読むと心の奥底が揺さぶられるのだろうと思います。

 ただもう一つだけ付け加えておくと、賢治が自分を「にらむ」ような「眼差し」を感じる場面のうちのある部分は、上記で短歌79や、短篇「沼森」や詩「善鬼呪禁」に見たように、「悪いことをしたら、にらまれる」という、きわめて道徳的な性質を帯びていたことが注目されます。こういった「罰を与える」ようなタイプの「眼差し」の由来は、レディが言うような乳児期の「目を合わせて微笑み合う母子」よりも、もう少し大きくなった賢治に、「厳父」と呼ばれた父政次郎から注がれた視線の影響があったのではないかと、私としては想像するところです。

 以上、加倉井さんが提起された、賢治の「想像力の傾向を理解する試み」として、私なりに考えてみたことでした。