「敗れし少年の歌へる」と「発動機船 一」
1925年に賢治が三陸地方を旅したことを記念して、岩手県普代村には「敗れし少年の歌へる」詩碑と「発動機船 一」詩碑が建立されました。私は不思議なご縁によって、普代村の合唱団の方から、この二つの詩を合唱曲にするよう依頼を受け、下記の二曲を作曲させていただきました。
1.合唱曲「敗れし少年の歌へる」
岩手県下閉伊郡普代村に「敗れし少年の歌へる」詩碑が建てられた後、当サイト管理人が2005年1月上旬に同地を訪問したことがきっかけで、この賢治の詩に曲を付けるという事態になった経緯については、「賢治をめぐる旅」の「80年目の「異途への出発」」に記しました。
旅行中に書きとめた旋律をもとに、家に帰ってからピアノ伴奏も付けて、それから VOCALOID による演奏を収めた CD も同梱して、私は1月の終わり頃に、楽譜を普代の合唱団の代表の方にお送りしました。
その後しばらくは他のことにまぎれて月日も過ぎていきましたが、9月中旬になって、「今度の定期演奏会で、例の「敗れし少年の歌へる」を歌います」と、合唱団の方から電話があったのです。
私は、同年10月8日に普代村で開かれたこのコンサートに駆けつけ、素晴らしい歌声を拝聴して、演奏の様子はビデオにも収録してきました。その模様は、いずれここにも公開したいと思います。
とりあえずは、最初に合唱団に届けた VOCALOID 版を、ここにアップしておきます。
そもそも私は、賢治による80年前の真冬の三陸旅行を追体験してみたくて野田村や普代村へ行ったのでしたが、日の出前後に安家川の河口近くで凍りつくような寒さの中を散歩していると、空を仰ぎ見ても身体や視界が震えるようで、「ひかりわななくあけぞら」とはこういうものだろうかと思いました。
演奏
下の演奏は、2005年1月末に私が作成して普代村にお送りしたのと同じもので、歌は'VOCALOID'の Meiko です。
歌詞
ひかりわななくあけぞらに
清麗サフィアのさまなして
きみにたぐへるかの惑星(ほし)の
いま融け行くぞかなしけれ
雪をかぶれるびゃくしんや
百の海岬いま明けて
あをうなばらは万葉の
古きしらべにひかれるを
夜はあやしき積雲の
なかより生れてかの星ぞ
さながらきみのことばもて
われをこととひ燃えけるを
よきロダイトのさまなして
ひかりわなゝくかのそらに
溶け行くとしてひるがへる
きみが星こそかなしけれ
楽譜
下記楽譜は、どうぞご自由にお使い下さい。
下安家の夜明け
2.合唱曲「発動機船 一」
普代村の堀内地区に「敗れし少年の歌へる」詩碑が建てられてから11年後、今度は同村の黒崎展望台に、「発動機船 一」詩碑が建てられました。賢治のこの「発動機船 一」という詩の舞台が、黒崎展望台の直下の「ネダリ浜」と呼ばれる入江なのではないかという説によるものです。
その後2024年10月に、また地元の合唱団の方から私にご連絡があり、碑に刻まれたこの詩を合唱曲にしてもらえないかとの依頼を受けたのです。「敗れし少年の歌へる」よりもはるかに長い自由な口語詩であるこのテクストに曲を付けるのは、なかなか簡単ではありませんでしたが、何とか完成して同年の年末にお送りしたのが、下の曲です。
演奏
歌詞
うつくしい素足に
長い裳裾をひるがへし
この一月のまっ最中
つめたい瑯玕の浪を踏み
冴え冴えとしてわらひながら
こもごも白い割木をしょって
発動機船の甲板につむ
頬のあかるいむすめたち
……あの恐ろしいひでりのために
みのらなかった高原は
いま一抹のけむりのやうに
この人たちのうしろにかゝる……
赤や黄いろのかつぎして
雑木の崖のふもとから
わづかな砂のなぎさをふんで
石灰岩の岩礁へ
ひとりがそれをはこんでくれば
ひとりは船にわたされた
二枚の板をあやふくふんで
この甲板に負ってくる
モートルの爆音をたてたまゝ
船はわづかにとめられて
潮にゆらゆらうごいてゐると
すこしすがめの船長は
甲板の椅子に座って
両手をちゃんと膝に置き
どこを見るともわからず
口を尖らしてゐるところは
むしろ床屋の親方などの心持
そばでは飯がぶうぶう噴いて
角刈にしたひとりのこどもの船員が
立ったまゝすりばちをもって
何かに酢味噌をまぶしてゐる
日はもう崖のいちばん上で
大きな榧の梢に沈み
波があやしい紺碧になって
岩礁ではあがるしぶきや
またきららかにむすめのわらひ
沖では冬の積雲が
だんだん白くぼやけだす
楽譜
下の楽譜も、どうぞご自由にお使い下さい。
普代村のネダリ浜白壁