異界に通じる鉄道

 今年度の宮沢賢治賞を受賞された信時哲郎さんの論文に、「鉄道ファン・宮沢賢治 大正期・岩手県の鉄道開業日と賢治の動向」があります。きっとご自身も鉄道ファンでいらっしゃる信時さんならではの、「鉄道愛」に溢れてワクワクする論考で、賢治という人が普通の「鉄道好き」というレベルを越えて、立派な「鉄道オタク」であったことを浮き彫りにしてくれています。
 信時さんは、つい先月にも宮沢賢治研究会の例会で「「鉄道ファン・宮沢賢治」再説」という発表をしておられ、私は楽しみにしていたのに参加できず残念だったのですが、きっと「氷と後光」や「化物丁場」を題材に、鉄道に対する賢治の熱い思いをさらに深く読み解かれたのだろうと想像しています。

 ところで一口に「鉄道ファン」と言っても、「撮り鉄」「録り鉄」「車両鉄」「押し鉄」など様々な活動分野がある中で、賢治の場合は少なくとも「乗り鉄」だったのは確かでしょう。鉄道を単なる移動《手段》として利用するだけでなく、しばしば「乗る」ことを《目的》として行動していたらしいことは、上記の信時さんの論文からも明らかです。

 では賢治が、鉄道に乗ることにそこまで魅力を感じていた理由は、いったい何だったのでしょうか?

岩手軽便鉄道
宮澤信一郎撮影・岩手軽便鉄道(筑摩書房『写真集 宮澤賢治の世界』より)

 私は、賢治が鉄道に魅惑されていた大きな理由の一つは、それが何らかの「異界」とつながる乗り物のように、感じていたからなのではないかと思うのです。

 もちろん、誰にとっても鉄道列車とは、「ここ」から「ここではない別の場所」に連れて行ってくれる不思議な「箱」であり、そこに乗り込んで出発の合図を聞くと、みんな何となく胸が高鳴るでしょう。
 しかし、賢治にとってこの乗り物はそれだけでなく、時に「現実のこの世界」と「この世ならぬ異界」をもつなぐものだったように思うのです。

 その最も典型的な例は、「銀河鉄道の夜」です。
 このお話でジョバンニとカムパネルラが乗り込む「銀河鉄道」は、「この世」と「死後の世界」の間を運行する乗り物であり、ジョバンニだけはこの世に帰ってきたものの、カムパネルラや沈没した客船の乗客たちは実はもう死んでいて、ちょうどこの列車に乗って死後の世界へと旅立ったのです。この道具立ては、私たちの誰もが心のどこかに抱いている「別世界への媒介としての鉄道」というイメージを、見事に昇華したものと言えるでしょう。

 「銀河鉄道の夜」における、この「死後の世界とつながっている鉄道」という着想は、賢治が亡きトシのことに思いを巡らせながら夜汽車で旅をした、「青森挽歌」や「噴火湾(ノクターン)」における記憶や想念と、密接に連関しているものでしょう。

 前者においては、賢治はトシが今いる可能性のある「天界」「畜生界」「地獄界」の様子をありありと想像し、後者においては、目の前の駒ヶ岳にかかる雲の中に隠されているトシを思い、他方でまた「ちがつたきらびやかな空間」で「しづかにわら」うトシのことを考えます。
 また「風林」には、「ただひときれのおまへからの通信が/いつか汽車のなかでわたくしにとどいた」との一節があります。死んだトシからの「通信」が兄に届いたのも、まさに「汽車のなか」だったのです。
 さらに、やはりこれら『春と修羅』の作品と同時期の1922年12月に、賢治は東北本線の南行きの列車で宣教師ミス・ギフォードと出会い、彼女と「天」について対話を交わした様子が、「〔あかるいひるま〕」や「〔けむりは時に丘丘の〕」に記録されています。
 鉄道に乗っている時、賢治にとって「異界」はほんのすぐ傍にあるのです。

 その1年後、「冬と銀河ステーシヨン」において、賢治は岩手軽便鉄道に乗って「にぎやかな土沢の冬の市日」を通り過ぎますが、いつしか Josef Pasternack の指揮する音楽が鳴り響き、「パツセン大街道」の檜の列を見るなど、気がつくと異国にまぎれ込んでしまいます。
 また、「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」では、「北極あたりの大避暑市」や「銀河の発電所や西のちぢれた鉛の雲の鉱山あたり」まで連れて行かれそうになります。

 再び童話に戻ると、「氷と後光」の冬の列車の中で若い父親は、幼い我が子の頭の後ろの窓ガラスに付いた氷がまるで後光のように輝くのを見て、その子の未来――まっすぐに立ちあがってあらゆる生物のために、無上菩提を求める姿――を、一瞬だけ幻視します。それは、「菩薩界」に入った我が子の様子であり、やはりこのようなビジョンの到来には、鉄道列車という空間こそがふさわしいのでしょう。
 「氷河鼠の毛皮」における「イーハトヴ発ベーリング行の最大急行」では、人間たちのいる列車空間に、ピストルで武装した熊たちが闖入してきます。それまで人間の金持ちは高価な毛皮を自慢していたのに、熊たち動物の価値観はそれを完全に転倒するものであり、突如まさに「異界」がなだれ込んできた様子が鮮やかです。
 実録風の散文作品「化物丁場」は、何度修復をしても崩れてしまう、まるで呪われたような橋場線の工区のことについて、作者らしき人物と鉄道工夫が東横黒軽便線の車内で会話をしている設定です。「化物」という名で呼ばれているように、その工区にはこの世ならぬ超常的な力が働いていると人々に信じられており、ここにも「異界」の片鱗が顔を覗かせているわけです。鉄道工事に関する話が、別の鉄道の車内で展開されるという構成もマニアックで、当時の岩手県内の鉄道に関する賢治の豊富な知識も盛り込まれていて、信時哲郎さんのご指摘のように、賢治の「鉄道ファンぶりを物語っている」作品です。

 このように、賢治にとって「鉄道」とは、異界と間近につながっている場所だったのではないかと思われ、私としてはこれが彼の鉄道愛の一つの要因だったのではないかと思うのですが、最後に「番外篇」として、父政次郎氏の例も挙げておきます。
 「青森挽歌 三」には、次のような一節があります。

「まるっきり肖たものもあるもんだ、
法隆寺の停車場で
すれちがふ汽車の中に
まるっきり同じわらすさ。」
父がいつかの朝さう云ってゐた。

 すなわち、賢治の父の政次郎も、おそらく関西地方へ古着の仕入れに行った際に、法隆寺駅に停まる列車の中からすれ違う車両に、死んだトシと「まるっきり同じわらす」の姿を見たのです。
 これも、鉄道が体験させてくれた、不思議な出来事の一例でしょうね。

 さて、鉄道という乗り物が、人間を異界へと運んで行ってくれるというイメージは、賢治が深く信仰していた「大乗仏教」の本質をも連想させます。

 「大きな乗り物(摩訶衍 Mahāyāna)」があって、それは全ての生き物を乗せ、至上の高みへと運んでくれて、皆が諸共に最終的な救済に到達する、という思想です。
 古代インドの人々にとっては、現実の「大きな乗り物」と言っても牛車くらいだったのではないかと思いますが、近代に出現した鉄道は、「全ての生き物を乗せて運ぶ」という遠大な目的に、より近づいたものだったと言えるでしょう。

宮守川橋梁を渡るSL銀河
宮守川橋梁を渡るSL銀河(ウィキメディア・コモンズより)