文語詩稿五十篇評釈 九

 甲南女子大学の信時哲郎さんからメールがあり、「宮澤賢治「文語詩稿五十篇評釈 九」を Web 公開したと、お知らせいただきました(「近代文学ページ」内)。
 今回取り上げられているのは、「〔血のいろにゆがめる月は〕」、「車中〔一〕」、「村道」、「〔さき立つ名誉村長は〕」、「〔僧の妻面膨れたる〕」、の5篇です。

 難解な賢治の文語詩を読む上で、私のような素人にとってはこのシリーズが貴重な導きとなっているのですが、「評釈 一」から合計すると、今回で全50篇中45篇まで到達したことになります。「文語詩稿 五十篇」については、ついに次回で完結の予定ですね。
 信時哲郎さんのお仕事に、心から尊敬と声援をお送り申し上げます。

 今回の評釈では、4つめの「〔さき立つ名誉村長は〕」において、モデルとなった会合・人物についても鋭く肉迫して興味深いですし、また最後の「〔僧の妻面膨れたる〕」では、当サイトの「僧の妻面膨れたる」詩碑の解説まで先行研究の中に含めつつ引用していただき、恐縮の至りです。


 ただ、この「〔僧の妻面膨れたる〕」という作品に関して、信時さんは「賢治が教浄寺の住職に対する批判意識はなかったように思われる」と書いておられますが、私にはどうしても、住職に対しても賢治の皮肉な視線が注がれているように感じられてならないのです。

 信時さんも引用しておられる「「文語詩篇」ノート」の、「一月 教浄寺」の項は、この作品の題材にされたと思われるのですが、そこには次のような言葉が書かれています。

     教浄寺の老僧
鐘うち鳴らす朝の祈り、
光明偏照十方世界、
次には鳴らす銅の鐃
おはりに法師声ひくく
つひに mammon をこそ祈りけり。

 ‘mammon’とは、Webster によれば「(1)富と強欲の邪神」であり、「(2)崇拝および貪欲な追求の対象としての富」ということで、聖書の用語に由来します。
 この言葉どおり解釈すれば、教浄寺の老僧は、朝のお勤めの最後に、例えばお寺にたくさんの寄進や布施が集まるように、などと祈ったということであり、賢治がわざわざこれを書きとめたのは、そのような僧の行動に驚いたからでしょう。
 よりによって‘mammon’などという忌まわしい言葉が使われているのは、僧に対して批判的な思いが賢治にあったからに違いないと私などは思うのですが、どんなものでしょうか。

「〔僧の妻面膨れたる〕」詩碑(教浄寺)
「〔僧の妻面膨れたる〕」詩碑(盛岡市北山 教浄寺)