「八方山」アップ 「経埋ムベキ山。」のコーナーに、先日登ってきた「八方山」をアップしました。このコーナーの更新は、じつに久しぶりです。 ツイートする この記事に付けられたタグ 八方山(2記事), 坂上田村麻呂(6記事), 経埋ムベキ山(11記事) 前の記事 次の記事 コメント かぐら川 2007年9月 2日 01:36 「経埋ムベキ山」というと、これらの山々をつなぐと「白鳥座」の十字になるという畑山博さんの幻想的な大事な話を思い出しました。今一つ、動機に関する一つの説も少し長くなりますが紹介しておきます。 賢治に埋経の思いを駆り立てさせたのが、国柱会の雑誌『毒鼓』の記事だったという龍門寺さんの指摘です。これはあまり読まれていない本かと思いますので、引用しておきます。 (龍門寺文蔵『「雨ニモマケズ」の根本思想――宮沢賢治の法華経日蓮思想』/大蔵出版/1991.8) “筆者は、賢治がこのような埋経思想を抱く動機なり、発想法を得たのは天業民報社発行の『毒鼓』昭和六年十二月号ではないかと考える。同号は十二月一日発行であるが、当時の月刊誌は通常より一カ月早く送本されているだろうから、『雨ニモマケズ手帳』を書いているときと年時的に合致する。 『毒鼓』十二月号には「阿寒山頂埋経建碑式」の様子が写真入りで報道されており、国柱会釧路支局が昭和六年十月十一日に阿寒山頂に「南無妙法蓮華経」の埋経碑を建立したことを報じている。この記事に賢治が感銘を受け、鉱物採集などで歩いた岩手の山々や、友人保坂嘉内と誓願した山、詩作のために登った山などに埋経すべく手帳に記したのではなかろうか。” 「埋経思想を抱く動機なり、発想法」は、この『毒鼓』によらずとも賢治には以前からあったと考えるべきだと思うのですが、この記事に触発されて埋経の思いを具体化させた可能性はあるのかなと思います。 返信 hamagaki 2007年9月 4日 23:58 かぐら川様、こんばんは。お返事が遅くなって申しわけありません。 龍門寺文蔵氏の『「雨ニモマケズ」の根本思想』は、たまたま私も買って持っていました。 昭和6年(1931年)の、国柱会による「阿寒山頂埋経建碑式」に関しては、確かに龍門寺氏の指摘のとおり、賢治が「経埋ムベキ山」を構想したであろう時期と近接しており、『毒鼓』の記事が賢治への刺激となった可能性は、十分にありえるのでしょうね。 しかしそれにしても、国柱会としてはどういう理由で、「阿寒山」(写真からすると「雌阿寒岳」のようです)を埋経の地として選んだのか、ということに、私としては興味を引かれます。 あと、本題からはそれてしまいますが、この『「雨ニモマケズ」の根本思想』という本の中で私がとりわけ感銘を受けたのは、賢治の「絶筆短歌」のうちの一首である 病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなり みのりに棄てばうれしからまし は、「日蓮遺文」の「佐渡御勘気鈔」の中の、 いたずらにくちん身を、法華経の御故に捨まいらせん事、あに石に金(こがね)をかふるにあらずや。 という一文を背景にしているのであろう、という洞察です。 さすがに日蓮の教学に詳しい専門家の方は凄いなあ、と感じました。 返信 みつお 2020年4月29日 14:32 私は今月、『「雨ににもマケズ」の根本思想』を読みました。書評になってしまいますが、 資料に基づき解説されているのが、良かったと思います。 但し、残念だったのは宮澤賢治は法華経を通して「仏教」を深く理解したと推察できます。 仏教はお釈迦様が開悟した真理ですから。 以下のことを繋げればもっと良い本になったと思います 特に、三毒の煩悩、十悪、特に殺生、末那識、十一面観音、 四門出遊、四苦八苦、慈悲、特に慈と悲、抜苦与楽、常不軽菩薩の目的とは何だったのか、法とは何か? 私なりに感じた事を書かせて頂きました。 このブログから離れた話になってしまいましたが、悪しからず。 返信 みつお 2020年4月29日 14:50 すいません。 操作に手間取り、送信ボタンを5回押してしまいました。 返信 hamagaki 2020年4月29日 16:55 みつお様、コメントをありがとうございます。 使用しているサーバーの反応が遅いので、何度もボタンを押していただく手間をおかけして、すみませんでした。 重複していた分は、削除いたしました。 『「雨ニモマケズ」の根本思想』という本は、私も少し以前に読んだのですが、いろいろと教えられることがありました。 私はまったくの素人にすぎませんが、仏教の世界というのは、一人の人間ではとても究められないほど、本当に奥が深いものと感じます。 今後ともよろしくお願い申し上げます。 返信 みつお 2020年5月 3日 19:22 重複を削除して頂きありがとう御座います。 今回、春と修羅をこのホームページの中から読んでみました。 序の部分はとても難解で考えさせられました。 特に「有機」「因果」「電燈」「修羅」「銀河」「すべてがわたくしの中のみんなであるように みんなの各々のなかのすべてですから」「感官」「因果の時空制約のもとに」「時間」という言葉です。 これらの言葉は、宇宙の実相、生命の実相という空間的な実相、また過去、現在、未来という時間的な実相、そして華厳経にある一即全、全即一の仏教の根本的な教えを理解していないと使うことの出来ない言葉です。 とくに「すべてが私の中の、、、」の部分は 賢治が「農民芸術概論」に「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」「新しい時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」と言っていることと同じ意味と言えます。 まだ読み始めたばかりですが、序文呻ってしまいました。 中国やアメリカトランプが自国優先主義を打ち出し、それに追随する世界になりつつあり、賢治は今の世界があまりにも違う世界になりつつあることを悲しんでいると思います。 仏教の根本の教えのひとつ「諸法無我」を世界が知るべきだと感じています。 特に西洋の考え方「自己と他者」「主観と客観」、更に共産主義の「唯物主義」のこの二つの考え方の行き着くところが今日の世界です。対立と攻撃です。 東洋の考え方は全く異なります。 アメニモマケズの世界です。 宮澤賢治はこの真理を獲得し、実践した方だと確信しています。 春と修羅の序文を読み、感想を書きました。 返信 hamagaki 2020年5月 4日 00:00 みつお様、貴重なご意見をありがとうございます。 『春と修羅』の「序」の、(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから)という部分の意味は、私もまさに華厳思想における「一即一切、一切即一」という考えと一致するものだと思っておりました。 そしてご指摘にように、この思想の延長上に、「農民芸術概論綱要」の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」という言葉も、本当の意味で理解できるのだろうと思います。 そこで、賢治はいつどうやって、こういう華厳思想の深奥を学んだのだろうと不思議に思うのですが、彼は浄土真宗や法華経については相当に深く親しんでいるのですが、華厳については今のところはっきりわかりません。 まあ、厖大な仏教書を読んでいたという賢治のことですから、華厳について深く知っていても不思議ではないのですが、生涯のいつ頃に、具体的にどういう形でこのような思想を深めていったのかという問題について、私もずっと興味を抱いている者です。 (私個人的の勝手な想像では、賢治という人は、「自分自身が銀河や宇宙と一体化する」というような神秘体験をする人だったと思うので、理屈以前のこのような「実感」が、仏教の理論に裏付けられて、上のような表現になったのではないかと思っております。) 乱文失礼いたしました。 返信 みつお 2020年5月 4日 11:53 宮澤賢治の世界は「自他一如」の世界、あえて例えて言うならばコーヒーとミルクが溶け合っているような世界かと。空間的に区別、大小、遠近がない世界かと。 賢治が華厳経の真髄をどこでいつ知り得たかは私は、賢治について知り始めたばかりですので、解りません。 ただ日蓮宗の田中智学という方に会い、そこで全てが繋がったと感じたのは間違いありません。 私の勝手な推察ですが、田中智学は「善知識」ではないかと思います。 でなければ賢治が法華文学を短時間に多くの作品を描いた事実は有り得ません。 しかも、「所縁仏意に契うを念じ、、、、断じて教化の考えたるべからず、ただ純真に法楽すべし、たのむ所おのれが小才に非れ、ただ諸仏菩薩の冥助によれ」という言葉を肝に命じてはいないと思います。 田中智学が華厳経を例に出し、森羅万象という空間の捉え方、仏の心、菩薩の心を説明したのではないかと。 また、法華経でその仏の心をどの様に多くの方に伝えるのか、それが自分の使命と理解して、童話や詩で表現し、実践したのではないと私は感じました。 私は勝手に考えました。 返信 hamagaki 2020年5月 6日 14:07 みつお様、コメントをありがとうございます。 賢治の世界感覚の重要な特徴の一つとして、ご指摘のような「自他一如」という側面は、確かにあると思います。 私がいつも例に挙げさせていただくのは、「種山ヶ原」という詩の先駆形における、下記の箇所です。 海の縞のやうに幾層ながれる山稜と しづかにしづかにふくらみ沈む天末線 あゝ何もかももうみんな透明だ 雲が風と水と虚空と光と核の塵とでなりたつときに 風も水も地殻もまたわたくしもそれとひとしく組成され じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部分で それをわたくしが感ずることは水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ まさに、世界と自己がコーヒーとミルクのように溶け合っている感じです。 ただ、華厳的な世界観を、賢治が田中智学から学んだという可能性は、ないと思われるのです。 賢治は田中智学と直接話す機会はおそらくなかっただろうと思われますし、そうすると賢治は智学が書いたものから学ぶしかなかったわけですが、田中智学の著書に、華厳的世界観について書かれている箇所はないと思われるからです。 (智学の著書の主なものは、現在は国会図書館のウェブサイトのデジタルライブラリーで読むことができます。) しかし、天台の「一念三千」なども、極微の世界と極大の世界の相即を述べているわけですから、華厳ばかりに源を求めなくてもよいのかもしれません。 とは言え、童話「インドラの網」などは、やはり華厳的世界そのものですので、やはり疑問は尽きないところです。 今後とも、よろしくお願い申し上げます。 返信 みつお 2020年5月 9日 13:13 華厳経の中に「彼の三千大千世界に等しき経巻、一微塵の内に在り。一切の微塵もまた是の如し。」とあります。 一微塵の中に宇宙のすべてが書いてある。 賢治は自分が一微塵であるが、同時に三千大千世界でもあると理解していたのでしょう。 即ち宇宙・三千大千世界という真理の顕現の一つが一微塵・人間である。 人間とは結局自己のことである。従って自分自身の「身」と「心」がわかれば、宇宙を理解したのと同じであるはずである。 仏教はキリスト教やイスラム教のような神という客観的な絶対者を作らず、あくまでも「自己」という人間の「身心」を追及した。それをお悟りになり、伝え広めた方がお釈迦様であるといえる。 宇宙誕生時、ビッグバンの後にに、ガスが集まり恒星ができ、惑星をできた。その時の成分で地球、自然もできており、植物も人間もできている。同じ物質でできている。従って一つの真理が解ればすべてが解る。人間が解ればすべてがわかるということになる。 ところが自分とは何か、人間とは何かというのが一番難しい。ソクラテスはそれを世間に問い廻り、変人扱いされ、後に死んだという。 「一念三千」ということも、一念の中に三千大千世界があるという教えですから、同じかもしれません。 田中智学から華厳経を学んだのではないということは明らかのようですね。 そうするとどこで学んだのか謎ですね。 「インドラの網」を読みました。 現実と夢想と現実という、いつの間にか展開していく構成が銀河鉄道の夜に似ていますね。映像にしたら美しいファンタジーになるなと感じました。 夢想という言葉はがちょっとあてはまりませんが、心象風景のほうが近いかもしれません。あくまでも賢治の心の中、感じるままを、しかも空間と時間を超えて、仏様が悟った真理をを表現してゆく手法は見事でした。 返信 hamagaki 2020年5月14日 10:55 「インドラの網」は、本当に宮沢賢治らしい「美」を結晶させたような作品ですね。 ストーリーというものも特になく、宗教的な題材を扱っているのに倫理的な要素も全くなく、本当に不思議な世界が描かれています。 「人」の世界のすぐ隣に、「天」の世界がある、というところは、「十界互具」を思わせますが、日常の中でもふと「異界」を見てしまうという、賢治自身の体験にもつながっている感覚なのでしょうね。 返信 コメントの投稿 コメントの返信 コメント (スタイル用のHTMLタグを使えます) お名前 メールアドレス(任意) URL(任意) サインイン情報を記憶
かぐら川 2007年9月 2日 01:36 「経埋ムベキ山」というと、これらの山々をつなぐと「白鳥座」の十字になるという畑山博さんの幻想的な大事な話を思い出しました。今一つ、動機に関する一つの説も少し長くなりますが紹介しておきます。 賢治に埋経の思いを駆り立てさせたのが、国柱会の雑誌『毒鼓』の記事だったという龍門寺さんの指摘です。これはあまり読まれていない本かと思いますので、引用しておきます。 (龍門寺文蔵『「雨ニモマケズ」の根本思想――宮沢賢治の法華経日蓮思想』/大蔵出版/1991.8) “筆者は、賢治がこのような埋経思想を抱く動機なり、発想法を得たのは天業民報社発行の『毒鼓』昭和六年十二月号ではないかと考える。同号は十二月一日発行であるが、当時の月刊誌は通常より一カ月早く送本されているだろうから、『雨ニモマケズ手帳』を書いているときと年時的に合致する。 『毒鼓』十二月号には「阿寒山頂埋経建碑式」の様子が写真入りで報道されており、国柱会釧路支局が昭和六年十月十一日に阿寒山頂に「南無妙法蓮華経」の埋経碑を建立したことを報じている。この記事に賢治が感銘を受け、鉱物採集などで歩いた岩手の山々や、友人保坂嘉内と誓願した山、詩作のために登った山などに埋経すべく手帳に記したのではなかろうか。” 「埋経思想を抱く動機なり、発想法」は、この『毒鼓』によらずとも賢治には以前からあったと考えるべきだと思うのですが、この記事に触発されて埋経の思いを具体化させた可能性はあるのかなと思います。 返信
hamagaki 2007年9月 4日 23:58 かぐら川様、こんばんは。お返事が遅くなって申しわけありません。 龍門寺文蔵氏の『「雨ニモマケズ」の根本思想』は、たまたま私も買って持っていました。 昭和6年(1931年)の、国柱会による「阿寒山頂埋経建碑式」に関しては、確かに龍門寺氏の指摘のとおり、賢治が「経埋ムベキ山」を構想したであろう時期と近接しており、『毒鼓』の記事が賢治への刺激となった可能性は、十分にありえるのでしょうね。 しかしそれにしても、国柱会としてはどういう理由で、「阿寒山」(写真からすると「雌阿寒岳」のようです)を埋経の地として選んだのか、ということに、私としては興味を引かれます。 あと、本題からはそれてしまいますが、この『「雨ニモマケズ」の根本思想』という本の中で私がとりわけ感銘を受けたのは、賢治の「絶筆短歌」のうちの一首である 病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなり みのりに棄てばうれしからまし は、「日蓮遺文」の「佐渡御勘気鈔」の中の、 いたずらにくちん身を、法華経の御故に捨まいらせん事、あに石に金(こがね)をかふるにあらずや。 という一文を背景にしているのであろう、という洞察です。 さすがに日蓮の教学に詳しい専門家の方は凄いなあ、と感じました。 返信
みつお 2020年4月29日 14:32 私は今月、『「雨ににもマケズ」の根本思想』を読みました。書評になってしまいますが、 資料に基づき解説されているのが、良かったと思います。 但し、残念だったのは宮澤賢治は法華経を通して「仏教」を深く理解したと推察できます。 仏教はお釈迦様が開悟した真理ですから。 以下のことを繋げればもっと良い本になったと思います 特に、三毒の煩悩、十悪、特に殺生、末那識、十一面観音、 四門出遊、四苦八苦、慈悲、特に慈と悲、抜苦与楽、常不軽菩薩の目的とは何だったのか、法とは何か? 私なりに感じた事を書かせて頂きました。 このブログから離れた話になってしまいましたが、悪しからず。 返信
hamagaki 2020年4月29日 16:55 みつお様、コメントをありがとうございます。 使用しているサーバーの反応が遅いので、何度もボタンを押していただく手間をおかけして、すみませんでした。 重複していた分は、削除いたしました。 『「雨ニモマケズ」の根本思想』という本は、私も少し以前に読んだのですが、いろいろと教えられることがありました。 私はまったくの素人にすぎませんが、仏教の世界というのは、一人の人間ではとても究められないほど、本当に奥が深いものと感じます。 今後ともよろしくお願い申し上げます。 返信
みつお 2020年5月 3日 19:22 重複を削除して頂きありがとう御座います。 今回、春と修羅をこのホームページの中から読んでみました。 序の部分はとても難解で考えさせられました。 特に「有機」「因果」「電燈」「修羅」「銀河」「すべてがわたくしの中のみんなであるように みんなの各々のなかのすべてですから」「感官」「因果の時空制約のもとに」「時間」という言葉です。 これらの言葉は、宇宙の実相、生命の実相という空間的な実相、また過去、現在、未来という時間的な実相、そして華厳経にある一即全、全即一の仏教の根本的な教えを理解していないと使うことの出来ない言葉です。 とくに「すべてが私の中の、、、」の部分は 賢治が「農民芸術概論」に「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」「新しい時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」と言っていることと同じ意味と言えます。 まだ読み始めたばかりですが、序文呻ってしまいました。 中国やアメリカトランプが自国優先主義を打ち出し、それに追随する世界になりつつあり、賢治は今の世界があまりにも違う世界になりつつあることを悲しんでいると思います。 仏教の根本の教えのひとつ「諸法無我」を世界が知るべきだと感じています。 特に西洋の考え方「自己と他者」「主観と客観」、更に共産主義の「唯物主義」のこの二つの考え方の行き着くところが今日の世界です。対立と攻撃です。 東洋の考え方は全く異なります。 アメニモマケズの世界です。 宮澤賢治はこの真理を獲得し、実践した方だと確信しています。 春と修羅の序文を読み、感想を書きました。 返信
hamagaki 2020年5月 4日 00:00 みつお様、貴重なご意見をありがとうございます。 『春と修羅』の「序」の、(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから)という部分の意味は、私もまさに華厳思想における「一即一切、一切即一」という考えと一致するものだと思っておりました。 そしてご指摘にように、この思想の延長上に、「農民芸術概論綱要」の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」という言葉も、本当の意味で理解できるのだろうと思います。 そこで、賢治はいつどうやって、こういう華厳思想の深奥を学んだのだろうと不思議に思うのですが、彼は浄土真宗や法華経については相当に深く親しんでいるのですが、華厳については今のところはっきりわかりません。 まあ、厖大な仏教書を読んでいたという賢治のことですから、華厳について深く知っていても不思議ではないのですが、生涯のいつ頃に、具体的にどういう形でこのような思想を深めていったのかという問題について、私もずっと興味を抱いている者です。 (私個人的の勝手な想像では、賢治という人は、「自分自身が銀河や宇宙と一体化する」というような神秘体験をする人だったと思うので、理屈以前のこのような「実感」が、仏教の理論に裏付けられて、上のような表現になったのではないかと思っております。) 乱文失礼いたしました。 返信
みつお 2020年5月 4日 11:53 宮澤賢治の世界は「自他一如」の世界、あえて例えて言うならばコーヒーとミルクが溶け合っているような世界かと。空間的に区別、大小、遠近がない世界かと。 賢治が華厳経の真髄をどこでいつ知り得たかは私は、賢治について知り始めたばかりですので、解りません。 ただ日蓮宗の田中智学という方に会い、そこで全てが繋がったと感じたのは間違いありません。 私の勝手な推察ですが、田中智学は「善知識」ではないかと思います。 でなければ賢治が法華文学を短時間に多くの作品を描いた事実は有り得ません。 しかも、「所縁仏意に契うを念じ、、、、断じて教化の考えたるべからず、ただ純真に法楽すべし、たのむ所おのれが小才に非れ、ただ諸仏菩薩の冥助によれ」という言葉を肝に命じてはいないと思います。 田中智学が華厳経を例に出し、森羅万象という空間の捉え方、仏の心、菩薩の心を説明したのではないかと。 また、法華経でその仏の心をどの様に多くの方に伝えるのか、それが自分の使命と理解して、童話や詩で表現し、実践したのではないと私は感じました。 私は勝手に考えました。 返信
hamagaki 2020年5月 6日 14:07 みつお様、コメントをありがとうございます。 賢治の世界感覚の重要な特徴の一つとして、ご指摘のような「自他一如」という側面は、確かにあると思います。 私がいつも例に挙げさせていただくのは、「種山ヶ原」という詩の先駆形における、下記の箇所です。 海の縞のやうに幾層ながれる山稜と しづかにしづかにふくらみ沈む天末線 あゝ何もかももうみんな透明だ 雲が風と水と虚空と光と核の塵とでなりたつときに 風も水も地殻もまたわたくしもそれとひとしく組成され じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部分で それをわたくしが感ずることは水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ まさに、世界と自己がコーヒーとミルクのように溶け合っている感じです。 ただ、華厳的な世界観を、賢治が田中智学から学んだという可能性は、ないと思われるのです。 賢治は田中智学と直接話す機会はおそらくなかっただろうと思われますし、そうすると賢治は智学が書いたものから学ぶしかなかったわけですが、田中智学の著書に、華厳的世界観について書かれている箇所はないと思われるからです。 (智学の著書の主なものは、現在は国会図書館のウェブサイトのデジタルライブラリーで読むことができます。) しかし、天台の「一念三千」なども、極微の世界と極大の世界の相即を述べているわけですから、華厳ばかりに源を求めなくてもよいのかもしれません。 とは言え、童話「インドラの網」などは、やはり華厳的世界そのものですので、やはり疑問は尽きないところです。 今後とも、よろしくお願い申し上げます。 返信
みつお 2020年5月 9日 13:13 華厳経の中に「彼の三千大千世界に等しき経巻、一微塵の内に在り。一切の微塵もまた是の如し。」とあります。 一微塵の中に宇宙のすべてが書いてある。 賢治は自分が一微塵であるが、同時に三千大千世界でもあると理解していたのでしょう。 即ち宇宙・三千大千世界という真理の顕現の一つが一微塵・人間である。 人間とは結局自己のことである。従って自分自身の「身」と「心」がわかれば、宇宙を理解したのと同じであるはずである。 仏教はキリスト教やイスラム教のような神という客観的な絶対者を作らず、あくまでも「自己」という人間の「身心」を追及した。それをお悟りになり、伝え広めた方がお釈迦様であるといえる。 宇宙誕生時、ビッグバンの後にに、ガスが集まり恒星ができ、惑星をできた。その時の成分で地球、自然もできており、植物も人間もできている。同じ物質でできている。従って一つの真理が解ればすべてが解る。人間が解ればすべてがわかるということになる。 ところが自分とは何か、人間とは何かというのが一番難しい。ソクラテスはそれを世間に問い廻り、変人扱いされ、後に死んだという。 「一念三千」ということも、一念の中に三千大千世界があるという教えですから、同じかもしれません。 田中智学から華厳経を学んだのではないということは明らかのようですね。 そうするとどこで学んだのか謎ですね。 「インドラの網」を読みました。 現実と夢想と現実という、いつの間にか展開していく構成が銀河鉄道の夜に似ていますね。映像にしたら美しいファンタジーになるなと感じました。 夢想という言葉はがちょっとあてはまりませんが、心象風景のほうが近いかもしれません。あくまでも賢治の心の中、感じるままを、しかも空間と時間を超えて、仏様が悟った真理をを表現してゆく手法は見事でした。 返信
hamagaki 2020年5月14日 10:55 「インドラの網」は、本当に宮沢賢治らしい「美」を結晶させたような作品ですね。 ストーリーというものも特になく、宗教的な題材を扱っているのに倫理的な要素も全くなく、本当に不思議な世界が描かれています。 「人」の世界のすぐ隣に、「天」の世界がある、というところは、「十界互具」を思わせますが、日常の中でもふと「異界」を見てしまうという、賢治自身の体験にもつながっている感覚なのでしょうね。 返信
かぐら川
「経埋ムベキ山」というと、これらの山々をつなぐと「白鳥座」の十字になるという畑山博さんの幻想的な大事な話を思い出しました。今一つ、動機に関する一つの説も少し長くなりますが紹介しておきます。
賢治に埋経の思いを駆り立てさせたのが、国柱会の雑誌『毒鼓』の記事だったという龍門寺さんの指摘です。これはあまり読まれていない本かと思いますので、引用しておきます。
(龍門寺文蔵『「雨ニモマケズ」の根本思想――宮沢賢治の法華経日蓮思想』/大蔵出版/1991.8)
“筆者は、賢治がこのような埋経思想を抱く動機なり、発想法を得たのは天業民報社発行の『毒鼓』昭和六年十二月号ではないかと考える。同号は十二月一日発行であるが、当時の月刊誌は通常より一カ月早く送本されているだろうから、『雨ニモマケズ手帳』を書いているときと年時的に合致する。
『毒鼓』十二月号には「阿寒山頂埋経建碑式」の様子が写真入りで報道されており、国柱会釧路支局が昭和六年十月十一日に阿寒山頂に「南無妙法蓮華経」の埋経碑を建立したことを報じている。この記事に賢治が感銘を受け、鉱物採集などで歩いた岩手の山々や、友人保坂嘉内と誓願した山、詩作のために登った山などに埋経すべく手帳に記したのではなかろうか。”
「埋経思想を抱く動機なり、発想法」は、この『毒鼓』によらずとも賢治には以前からあったと考えるべきだと思うのですが、この記事に触発されて埋経の思いを具体化させた可能性はあるのかなと思います。
hamagaki
かぐら川様、こんばんは。お返事が遅くなって申しわけありません。
龍門寺文蔵氏の『「雨ニモマケズ」の根本思想』は、たまたま私も買って持っていました。
昭和6年(1931年)の、国柱会による「阿寒山頂埋経建碑式」に関しては、確かに龍門寺氏の指摘のとおり、賢治が「経埋ムベキ山」を構想したであろう時期と近接しており、『毒鼓』の記事が賢治への刺激となった可能性は、十分にありえるのでしょうね。
しかしそれにしても、国柱会としてはどういう理由で、「阿寒山」(写真からすると「雌阿寒岳」のようです)を埋経の地として選んだのか、ということに、私としては興味を引かれます。
あと、本題からはそれてしまいますが、この『「雨ニモマケズ」の根本思想』という本の中で私がとりわけ感銘を受けたのは、賢治の「絶筆短歌」のうちの一首である
は、「日蓮遺文」の「佐渡御勘気鈔」の中の、
という一文を背景にしているのであろう、という洞察です。
さすがに日蓮の教学に詳しい専門家の方は凄いなあ、と感じました。
みつお
私は今月、『「雨ににもマケズ」の根本思想』を読みました。書評になってしまいますが、
資料に基づき解説されているのが、良かったと思います。
但し、残念だったのは宮澤賢治は法華経を通して「仏教」を深く理解したと推察できます。
仏教はお釈迦様が開悟した真理ですから。
以下のことを繋げればもっと良い本になったと思います
特に、三毒の煩悩、十悪、特に殺生、末那識、十一面観音、
四門出遊、四苦八苦、慈悲、特に慈と悲、抜苦与楽、常不軽菩薩の目的とは何だったのか、法とは何か?
私なりに感じた事を書かせて頂きました。
このブログから離れた話になってしまいましたが、悪しからず。
みつお
すいません。
操作に手間取り、送信ボタンを5回押してしまいました。
hamagaki
みつお様、コメントをありがとうございます。
使用しているサーバーの反応が遅いので、何度もボタンを押していただく手間をおかけして、すみませんでした。
重複していた分は、削除いたしました。
『「雨ニモマケズ」の根本思想』という本は、私も少し以前に読んだのですが、いろいろと教えられることがありました。
私はまったくの素人にすぎませんが、仏教の世界というのは、一人の人間ではとても究められないほど、本当に奥が深いものと感じます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
みつお
重複を削除して頂きありがとう御座います。
今回、春と修羅をこのホームページの中から読んでみました。
序の部分はとても難解で考えさせられました。
特に「有機」「因果」「電燈」「修羅」「銀河」「すべてがわたくしの中のみんなであるように みんなの各々のなかのすべてですから」「感官」「因果の時空制約のもとに」「時間」という言葉です。
これらの言葉は、宇宙の実相、生命の実相という空間的な実相、また過去、現在、未来という時間的な実相、そして華厳経にある一即全、全即一の仏教の根本的な教えを理解していないと使うことの出来ない言葉です。
とくに「すべてが私の中の、、、」の部分は
賢治が「農民芸術概論」に「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」「新しい時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」と言っていることと同じ意味と言えます。
まだ読み始めたばかりですが、序文呻ってしまいました。
中国やアメリカトランプが自国優先主義を打ち出し、それに追随する世界になりつつあり、賢治は今の世界があまりにも違う世界になりつつあることを悲しんでいると思います。
仏教の根本の教えのひとつ「諸法無我」を世界が知るべきだと感じています。
特に西洋の考え方「自己と他者」「主観と客観」、更に共産主義の「唯物主義」のこの二つの考え方の行き着くところが今日の世界です。対立と攻撃です。
東洋の考え方は全く異なります。
アメニモマケズの世界です。
宮澤賢治はこの真理を獲得し、実践した方だと確信しています。
春と修羅の序文を読み、感想を書きました。
hamagaki
みつお様、貴重なご意見をありがとうございます。
『春と修羅』の「序」の、(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから)という部分の意味は、私もまさに華厳思想における「一即一切、一切即一」という考えと一致するものだと思っておりました。
そしてご指摘にように、この思想の延長上に、「農民芸術概論綱要」の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」という言葉も、本当の意味で理解できるのだろうと思います。
そこで、賢治はいつどうやって、こういう華厳思想の深奥を学んだのだろうと不思議に思うのですが、彼は浄土真宗や法華経については相当に深く親しんでいるのですが、華厳については今のところはっきりわかりません。
まあ、厖大な仏教書を読んでいたという賢治のことですから、華厳について深く知っていても不思議ではないのですが、生涯のいつ頃に、具体的にどういう形でこのような思想を深めていったのかという問題について、私もずっと興味を抱いている者です。
(私個人的の勝手な想像では、賢治という人は、「自分自身が銀河や宇宙と一体化する」というような神秘体験をする人だったと思うので、理屈以前のこのような「実感」が、仏教の理論に裏付けられて、上のような表現になったのではないかと思っております。)
乱文失礼いたしました。
みつお
宮澤賢治の世界は「自他一如」の世界、あえて例えて言うならばコーヒーとミルクが溶け合っているような世界かと。空間的に区別、大小、遠近がない世界かと。
賢治が華厳経の真髄をどこでいつ知り得たかは私は、賢治について知り始めたばかりですので、解りません。
ただ日蓮宗の田中智学という方に会い、そこで全てが繋がったと感じたのは間違いありません。
私の勝手な推察ですが、田中智学は「善知識」ではないかと思います。
でなければ賢治が法華文学を短時間に多くの作品を描いた事実は有り得ません。
しかも、「所縁仏意に契うを念じ、、、、断じて教化の考えたるべからず、ただ純真に法楽すべし、たのむ所おのれが小才に非れ、ただ諸仏菩薩の冥助によれ」という言葉を肝に命じてはいないと思います。
田中智学が華厳経を例に出し、森羅万象という空間の捉え方、仏の心、菩薩の心を説明したのではないかと。
また、法華経でその仏の心をどの様に多くの方に伝えるのか、それが自分の使命と理解して、童話や詩で表現し、実践したのではないと私は感じました。
私は勝手に考えました。
hamagaki
みつお様、コメントをありがとうございます。
賢治の世界感覚の重要な特徴の一つとして、ご指摘のような「自他一如」という側面は、確かにあると思います。
私がいつも例に挙げさせていただくのは、「種山ヶ原」という詩の先駆形における、下記の箇所です。
まさに、世界と自己がコーヒーとミルクのように溶け合っている感じです。
ただ、華厳的な世界観を、賢治が田中智学から学んだという可能性は、ないと思われるのです。
賢治は田中智学と直接話す機会はおそらくなかっただろうと思われますし、そうすると賢治は智学が書いたものから学ぶしかなかったわけですが、田中智学の著書に、華厳的世界観について書かれている箇所はないと思われるからです。
(智学の著書の主なものは、現在は国会図書館のウェブサイトのデジタルライブラリーで読むことができます。)
しかし、天台の「一念三千」なども、極微の世界と極大の世界の相即を述べているわけですから、華厳ばかりに源を求めなくてもよいのかもしれません。
とは言え、童話「インドラの網」などは、やはり華厳的世界そのものですので、やはり疑問は尽きないところです。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
みつお
華厳経の中に「彼の三千大千世界に等しき経巻、一微塵の内に在り。一切の微塵もまた是の如し。」とあります。
一微塵の中に宇宙のすべてが書いてある。
賢治は自分が一微塵であるが、同時に三千大千世界でもあると理解していたのでしょう。
即ち宇宙・三千大千世界という真理の顕現の一つが一微塵・人間である。
人間とは結局自己のことである。従って自分自身の「身」と「心」がわかれば、宇宙を理解したのと同じであるはずである。
仏教はキリスト教やイスラム教のような神という客観的な絶対者を作らず、あくまでも「自己」という人間の「身心」を追及した。それをお悟りになり、伝え広めた方がお釈迦様であるといえる。
宇宙誕生時、ビッグバンの後にに、ガスが集まり恒星ができ、惑星をできた。その時の成分で地球、自然もできており、植物も人間もできている。同じ物質でできている。従って一つの真理が解ればすべてが解る。人間が解ればすべてがわかるということになる。
ところが自分とは何か、人間とは何かというのが一番難しい。ソクラテスはそれを世間に問い廻り、変人扱いされ、後に死んだという。
「一念三千」ということも、一念の中に三千大千世界があるという教えですから、同じかもしれません。
田中智学から華厳経を学んだのではないということは明らかのようですね。
そうするとどこで学んだのか謎ですね。
「インドラの網」を読みました。
現実と夢想と現実という、いつの間にか展開していく構成が銀河鉄道の夜に似ていますね。映像にしたら美しいファンタジーになるなと感じました。
夢想という言葉はがちょっとあてはまりませんが、心象風景のほうが近いかもしれません。あくまでも賢治の心の中、感じるままを、しかも空間と時間を超えて、仏様が悟った真理をを表現してゆく手法は見事でした。
hamagaki
「インドラの網」は、本当に宮沢賢治らしい「美」を結晶させたような作品ですね。
ストーリーというものも特になく、宗教的な題材を扱っているのに倫理的な要素も全くなく、本当に不思議な世界が描かれています。
「人」の世界のすぐ隣に、「天」の世界がある、というところは、「十界互具」を思わせますが、日常の中でもふと「異界」を見てしまうという、賢治自身の体験にもつながっている感覚なのでしょうね。