「アルモン黒(ブラック)」とは?

 「春と修羅 第二集」に、「〔南のはてが〕」という作品があります。下に、その全文を載せてみます。

  三〇九
                一九二四、一〇、二、
南のはてが
灰いろをしてひかってゐる
ちぎれた雲のあひだから
そらと川とがしばらく闇に映(は)え合ふのだ
そこから岸の林をふくみ
川面いっぱいの夜を孕んで
風がいっさん溯ってくる
ああまっ甲におれをうつ
……ちぎれた冬の外套を
   翼手のやうにひるがへす……
    (われ陀羅尼珠を失ふとき
     落魄ひとしく迫り来りぬ)
風がふたゝびのぼってくる
こはれかかったらんかんを
嘲るやうにがたがた鳴らす
……どんなにおまへが潔癖らしい顔をしても
   翼手をもった肖像は
   もう乾板にはいってゐると……
    (人も世間もどうとも云へ
     おれはおまへの行く方角で
     あらたな仕事を見つけるのだ)
   風がまた来れば
一瞬白い水あかり
    (待ておまへはアルモン黒(ブラック)だな)
乱れた鉛の雲の間に
ひどく傷んで月の死骸があらはれる
それはあるひは風に膨れた大きな白い星だらう
烏が軋り
雨はじめじめ落ちてくる

 作者は、風の強い晩にコートを着て、(北上川の?)橋の上に立ち、南の方を眺めているようです。そして作品全体に流れているのは、何とも言えぬ非常に陰鬱な気分です。
 「われ陀羅尼珠を失ふとき/落魄ひとしく迫り来りぬ」という一節から、作者は「陀羅尼珠」に喩えられるような何か大切なものを失ってしまって、それでこれほど絶望的な気持ちになってしまっているのではないかとも推測されますが、ここで連想されるのは、この作品が書かれるおよそ1ヵ月前の9月3日に、文部大臣による「学校劇禁止訓令」が出されたことです。
 以前に「祀られざる神・名を録した神(2)」という記事に書いたように、賢治は自らが脚本家・演出家となって、この年の8月10日・11日に花巻農学校で生徒たちによる劇を上演し、大好評を博したところでした。いわば農学校教師時代の絶頂期にあった賢治を、逆に失望の底に突き落としたのが、その直後の「学校劇禁止訓令」だったのです。
 この訓令が出された後、9月16日の「秋と負債」という作品には「ポランの広場の夏の祭の負債」をかかえて茫然と立ちつくす作者の姿が描かれ、この「〔南のはてが〕」をはさみ、「昏い秋」(10月4日)、「産業組合青年会」「〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(10月5日)と、暗く悲観的な作品が続きます。
 さらにこの「〔南のはてが〕」には、「人も世間もどうとも云へ/おれはおまへの行く方角で/あらたな仕事を見つけるのだ」という箇所もあって、この時にすでに賢治は、農学校教師を辞めることを考えていたのではないかとも思わせます。実際、学校劇ができなくなってしまったことが、農学校を退職した「一つの」要因であると考える研究者はかなりおられます。

 さてこの作品は、そういう時期に書かれ、そういう意味あいを持った詩であるわけですが、このテキスト中でどうしても謎なのが、終わりの方に出てくる「アルモン黒(ブラック)」という言葉です。この作品の「下書稿(一)」および「下書稿(二)」は、いずれも表題が「アルモン黒(ブラック)」となっていて、これは作品における中心的なキーワードなのだろうと推測されるのですが、それがいったい何のことを指しているのか、意味がよくわからないのです。
 以下では、その正体に関するいくつかの説を紹介して、最後に、現時点での私の考えを述べてみます。


1.almond(アーモンド)に由来する造語?

 こういう意味不明の語がある場合にたいてい頼りになるのは、原子朗著『新宮澤賢治語彙辞典』です。この辞典で「アルモン黒(ブラック)」の項を見ると、次のように書かれています。

 アルモン黒 賢治の造語か。詩「〔南のはてが〕」に「(待ておまへはアルモン黒(ブラック)だな)」の間投句がある。前行に「一瞬白い水あかり」、後行に「乱れた鉛の雲の間かに/ひどく傷んで月の死骸があらはれる」とある。不作の凶兆を歌うこの詩から見て、アルモン黒(ブラック)とは謎めく暗いイメージだが、「雨はじめじめ落ちてくる」水田に一瞬映った鈍い月かげ(水あかり)、すなわち死骸のような月をとらえて、アーモンド(almond)の形を連想し、過熟し、黒く腐って水面に落ちたそれのように見立てて、賢治の才気が一瞬この語を発したのであろうか。ちなみに、英語には長楕円形をした黒いひとみと一重まぶた(東洋系に多い)の眼の人を意味するアーモンド・アイド(almond eyed)の語がある。

 すなわち、月かげをアーモンドの形に見立てて、このような新造語で呼んだのではないかという説です。
 ただ、これに関しては、加倉井厚夫さんが「賢治の事務所」の「〔南のはてが〕の創作」というページにおいて、この年月日の月の形をシミュレートしたところ、月齢は4でかなり細すぎるため、「この晩の月の形を見ると、どうみても「アーモンド」とはほど遠い」との指摘をしておられます。


2.鉱物の名前?

 「教えて! goo」という、ネット上のQ&Aコーナーがあります。ここで、2001年に「アルモンについて」という質問が立てられていて、それに対する回答の一つとして、「ざくろ石(ガーネット)」の一種である「アルマンディン(almandine)」あるいは「アルマンダイト(almandite)」という鉱石が挙げられています。前者の方が正式の名称のようですが、語音は「アルモン」と似ており、さらに石の色は濃赤色~黒ということで、「ブラック」という描写と矛盾しません。
 また、この作品の「下書稿(一)」には、「Oh, that horrible pink dots!」という箇所があるのですが、このような鉱石ならば、「pink dots」が含まれていることもありえるでしょう。
 これは匿名でなされたやりとりでしたが、同じような問題意識を持って、いろいろと探究しておられる方がいるものだなあと、私も少しうれしくなりました。


3.アルミニウムの化合物/合金?

 ここからは、私があれこれネット検索などしつつ考えてみたことですが、まず最初に目についたのは、アルミニウム元素のことを、「Alumon(アルモン)」と称する呼び方があるということでした。
 「ATOMIC ELEMENTS」というサイトの、こちらのページにおいて、「Alumon=アルミニウム」が紹介されています。これなら、‘Alumon Black’=「黒アルミ」ということになり、上の2つの説と違ってそのままの語音で、一定の意味を持ってくれるではありませんか。
 ところが、アルミニウムのことを‘Alumon’と言うこの呼称体系は、ある研究者が20世紀終わり頃に提唱したもので、残念ながら賢治の時代には、まだ存在していない呼び名だったのです。元素の名前というのは現在は各国語ことに異なっていますが、これに‘コンピュータの DOS システムのファイル名としても使用可能な「8文字以内」の世界共通の新名称を付ける’ということを謳い文句に、一人の研究者が考えて、上記のサイトで公開しているものでした。

 ということで‘Alumon’はだめでしたが、そもそも「アルミニウム」という元素名=金属名は、自然界では「ミョウバン」の中にアルミニウム化合物が含まれていることから、「ミョウバン」のラテン名=Alumen や、英語名=Alum から、由来するものだったのです。「アルメン」や「アルム」なら、「アルモン」と語幹は共通しているし、ミョウバンは様々な化学実験に使われるため、賢治も学生時代から親しんでいた可能性の高い物質です。さらに、「クロムミョウバン」の色は、暗紫色~黒色であるということで、「アルモン黒(ブラック)」にも通じるのでは…、とも思ったりしましたが、やはりちょっとこじつけの感は否めません。

 あと、アルミニウムは、いろいろ他の金属と合金を作りやすく、工業的な応用範囲も広いものです。たとえば、アルミニウム-マンガン合金(Al-Mn 合金)というものもよく使われるようで、これに「アル-マン合金」という略称があるかどうかは知りませんが、万一あれば、「アルモン」の語感に似てきます。
 さらに、「窒化モリブデン(MoN)」という物質があって、こちらのページによれば液晶ディスプレイに用いられる薄膜トランジスタには、アルミニウム系導電性薄膜とともにこのようなモリブデン系導電性薄膜からなる多層膜が用いられることがあるそうですが、そうするとその層は、「Al-MoN」ということになるのかな、などと考えたりします。
 もちろん、これらはいずれも賢治の時代には想像もされなかった物質で、いくら何でも脱線のしすぎですね。


4.「翼手」を持った動物?

 この「〔南のはてが〕」という作品では、作者の外套が風によってひるがえされ、それがまるで「翼手」のように見えることを、賢治はしきりに気にしているようです。自分がいくら「潔癖らしい顔をしていても」、奥底には修羅的?畜生的?な面をかかえていること、そしてそれは「翼手」によって象徴されて、人に見透かされてしまっていることを、彼は恐れているかのようです。
 ということで、「アルモン黒」というのが何か具体的な「翼手を持った動物」に関連しているのではないかとも思い、「コウモリ目」(別名:翼手目)の各種の学名や英名、中生代に繁栄した「翼竜」の分類名、さらには「ムササビ属」の各種の学名や英名などを調べてみましたが、「アルモン」に類した名前は見当たりませんでした。

翼手


5.人名??

 人名を検索してみると、「アルモン・ブラック」という名前の人は、そこそこいらっしゃるようです。こちらのページには、1824年にアメリカのメーン州で生まれて造船関係の仕事をして、1912年にマサチューセッツで亡くなった、Almon Black という人のことが書いてありますし、こちらのページには、現代の Armon Black という人も出てきます。しかしいずれにしても、賢治にとって特定の意味のある人物の名前でなければ、話になりません。
 「待ておまへはアルモン・ブラックだな」という一節は、もしこれが人名であれば、最もすんなり聞こえる台詞ではありますが、そうすると「ブラック」を「黒」という漢字にわざわざ置き換えていることが、不自然すぎます。
 …となると、「人名説」にも、望みはなさそうですね。


6.悪魔の名前?!

 ということで、ネット検索によるアプローチもちょっとあきらめかけていた頃に、ふと見つけたのが、‘Armon’という「霊的存在」の名前が、古いヨーロッパの悪魔関係の文書に記載されているということでした。

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「アルモン」について(『悪魔の事典』より) たとえば上の『悪魔の事典』という本の65ページには、右図のような簡潔な説明が書いてあります。
 これだけではまったく何のことかわかりませんが、『アルマデル(Armadel)』というのは、その道ではかなり有名な『レメゲトン(Lemegeton)』という「グリモア」(魔道書)の第四部にあたる部分で、『レメゲトン』自体の写本は17世紀初頭にさかのぼり、「ありとあらゆる霊の召喚」の方法を記した書物だということです。『アルマデル』では、色を付けた蝋を用いて、基本方位の「四つの高み」を支配する「四方の霊的存在」を呼び出す方法が解説されていて、ちなみにこちらのページには、英訳の『アルマデル』が HTML 化されています。

とりあえず、ここで言われている「アルモン」の正体はいったい何なのかということが知りたいわけですが、このように「霊的存在」と表現されるもののうち、善良なものが「天使」、邪悪なものが「悪魔」に相当するようです。上の英訳ページで『アルマデル』を見ると、「アルモン」などを総称して‘Angels’と呼んでいる箇所もありますから、この「アルモン」は、元々は善良な霊的存在のように思われます。しかし、これに「黒」が付いて、「アルモン黒(ブラック)」となると、邪悪な悪魔の一種のことを指しているのではないかと思うのですが、どうでしょうか。(=「黒のアルモン」)
 「白魔術」対「黒魔術」のように、天使と悪魔はしばしば白と黒によって象徴されます。また、いろいろな絵画でよく見るように、天使が白鳥のような翼を持っているのに対して、悪魔の翼は、黒いコウモリ形の翼で、それはまさに、「翼手」そのものです。

 したがって、もしも「アルモン黒(ブラック)」というのが、西洋的な悪魔の一種の名前だとすれば、作品においてその前に出てくる「翼手」とも、うまくつながってくれることになるわけです。