林光作曲の「あまのがわ」を、「歌曲の部屋~後世作曲家篇~」の「林光 〔宮澤賢治の詩によるソング集〕」のページに、アップしました。
もとになった賢治の歌詞は、雑誌『愛国婦人』の募集に応じて彼が投稿し、同誌の1921年(大正10年)9月号に掲載されたものです。ほんの5行の小品ですが、賢治がおそらく生まれて初めて、「稿料」を得た作品と推測されているものです。
林光作曲によるこの歌は、音階の雰囲気からして「沖縄童歌」風の響きも持っています。オペラ「セロ弾きのゴーシュ」の挿入歌としても用いられていて、「狸の子」が舞台に登場する場面で、可愛らしく歌われていました。
【歌詞】
あまの川
あまのがは
岸の小砂利も見いへるぞ。
底のすなごも見いへるぞ。
いつまで見ても、
見えないものは、水ばかり。
この詞は、「銀河鉄道の夜」の初期形で男の子が挿入歌として唄う設定になっていたりしましたが、その残された最終形の「一、午后の授業」においても、銀河に関する次のような先生の解説の内容に、ちょうどあてはまるものです。
「ですからもしもこの天の川がほんたうに川だと考へるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考へるならもっと天の川とよく似てゐます。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでゐる脂油の球にもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるのかと云ひますと、それは真空といふ光をある速さで伝へるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮んでゐるのです。・・・」
天の川の「水」が「いつまで見ても見えない」のは、それが「真空」だからですが、そこをことさら「真空といふ光をある速さで伝へるもの」と説明する上の先生の言葉は、作者が少なくともこの時点で、「特殊相対性理論」の重要部分(=エーテルではなく真空を媒質として光速不変の法則を成立させること)を理解していたことを示していると言ってよいでしょう。
童謡歌詞創作時=アインシュタイン来日の前年に当たる1921年にも、賢治がこのような知識を持っていたかどうかは不明ですが、天の川の「砂」と「水」に関する着目は、20代前半から晩年に至るまで、一貫していたわけですね。
コメント