西洋料理店のような?

 「【新】校本全集」第五巻の「補遺詩篇 I 」に、「〔大きな西洋料理店のやうに思はれる〕」という断片が収められています。ご覧いただいたらわかるように、作品の頭の部分はどこかへ行ってしまって、終わりの6行だけがかろうじて残っているという状態のものです。
 現存しているのがこのような姿であるために、残念ながら「作品として鑑賞する」にはちょっと苦しい感があります。いきなり冒頭から「大きな西洋料理店のやうに思はれる」と切り出されても、いったい何がそう思われるのか、見当もつきません。

 しかし、それに続けて、「朱金」「樺太の鮭の尻尾」「砒素鏡」と来ると、これは最近もどこかで見たことのある言葉ではありませんか。
 そう、「文語詩未定稿」に収められている「宗谷〔二〕」という文語詩と、同じような情景を描いているようなのです。

 先日もこの欄で書いたように、「宗谷〔二〕」に描かれているのは、「オホーツク挽歌」の旅行の帰路、サハリンの大泊港から北海道の稚内港に向かう船上で、ちょうど日の出を迎える直前直後の情景でした。
 一方、この「〔大きな西洋料理店のやうに思はれる〕」においても、「樺太の鮭の尻尾の南端」が同じく「藍いろ」に見えています。「鮭の尻尾」とは、地図を見ていただいたらわかりますが、樺太の南端というのは亜庭湾を囲むように東西の半島が突きだしていて、ちょうど大きな魚の尾ひれのような形をしているので、よくこう喩えられます。また、「朱金」は朝日の光の色と思われますから、結局これは「宗谷〔二〕」と同じ場所と時間におけるスケッチと言えるのではないでしょうか。

 そうするとこれは、「宗谷〔二〕」という文語詩に改作される前身であるところの、口語詩の断片なのではないでしょうか。

 この作品の書かれている原稿用紙の状況は、さらにその推測に肯定的です。「【新】校本全集」第五巻校異篇を参照すると、この断片は昨日も紹介した「丸善特製 二」原稿用紙の上に、「青っぽいインクで」、「きれいに」書かれています。この用紙種類、インク、字体の組み合わせは、賢治の詩の草稿の中では、『春と修羅』の「清書後手入稿」と「詩集印刷用原稿」に見られるものに一致します。
 すなわち、現在「〔大きな西洋料理店のやうに思はれる〕」と呼びならわされている作品は、いったんは作者によって『春と修羅』に収録することも検討され清書されながら、結局は収録されなかった作品の一部だったのではないでしょうか。「【新】校本全集」の分類方法で言いかえれば、ちょうど「旭川」や「宗谷挽歌」のように、「『春と修羅』補遺」の位置にあったものなのではないでしょうか。
 もしそうならば、これは草稿段階では、8月7日昼間の「鈴谷平原」と、8月11日未明の「噴火湾(ノクターン)」の間に位置していたはずですね。

 この作品が散佚せずに残った理由は、その用紙の裏面に、童話「毒もみの好きな署長さん」が書かれていたために、童話草稿として保存されていたことによるようです。作者はこれを、詩草稿としては残す必要はないと判断していたものの、たまたま童話を書くための紙として利用したのでしょう。
 さもなければ失われたであろうところに生まれた一つの偶然が、まだ謎の部分の多い「オホーツク挽歌」の旅の帰路を、少しだけ垣間見せてくれているように思います。

 さて、上記のように推測してみた上で、「大きな西洋料理店のやうに思はれる」という冒頭行に戻ります。
 この日、賢治が大泊から乗船したのは、8月2日にサハリンに渡ったのと同じ「対馬丸」でした。この船の写真は、「戦時下に喪われた日本の商船」というサイトの、対馬丸のページに掲載されています。
 また対馬丸の内部の様子については、当時いっしょに稚泊航路に就航していた同型の「壱岐丸」について、「天翔艦隊」というサイトの「最北の鉄道連絡船」というページに、次のような説明があります。

 船内配置は英国の渡峡船に準じているが、室内装飾には日本趣味を取り入れ、日本人好みのものとしていた。
 ブリッジの真下にあたる上甲板の前部室を一等客社交室(サロン)兼出入り口広間(エントランス・ホール)とし、その下のメインデッキには一等食堂がある。両者の間は楕円形の吹き抜けと階段で結ばれており、天井には色ガラスの天窓(スカイライト)が設けられた。天窓の模様には山陽鉄道の社章が模されおり、これは晩年に至るまでそのまま残されていた。談話室の左右及び前方には、壁に沿って長いソファーが取り付けられ、その後方には一等船室が2室、また食堂の左右両舷にも一等船室が2室ずつ設けられている。

 すなわち、「大きな西洋料理店のやうに思はれる」というのは、上記のような連絡船の食堂なりサロンなり広間なり、何らかの船の設備の様子のことだったのではないでしょうか。そう考えると、ちょっと胸のつかえがとれる気がします。


 ところで、『春と修羅』およびその「補遺」以外で、「丸善特製 二」原稿用紙に書かれている詩作品は非常に稀なのですが、最近話題にした「牧馬地方の春の歌」もその数少ない一つでした。
 近いうちに、これら以外の詩作品も取り上げてみたいと思います。