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「噴火湾(ノクターン)」詩碑

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1.テキスト

噴火湾のこの黎明の水明り 室蘭
通ひの汽船には二つの赤い灯がと
もり 東の天末は濁つた孔雀石の縞
黒く立つものは樺の木と楊の木
  駒ヶ岳 駒ヶ岳
 
 平成三年春日宮澤賢治詩噴火湾 文化勲章受賞者金子鴎亭書

2.出典

噴火湾(ノクターン)」(『春と修羅』)より

3.建立/除幕日

1992年(平成4年)10月7日 除幕

4.所在地

北海道伊達市 道央自動車道有珠山サービスエリア(上り)

5.碑について

 道央自動車道上り線の「有珠山サービスエリア」に、この詩碑は建っています。幅4.3m、高さ2.7mもある大きな岩で、碑文が横書きに刻まれています。
 このサービスエリアは、ほんとうに眺めのよい場所にあって、左手には噴火湾が広がり、前方には有珠山と昭和新山が肩を並べています。天気がよければ、噴火湾の対岸に駒ヶ岳も見えるようです。
 しばし車を停めて、景色を楽しむドライバーの方も、たくさんおられました。
 「噴火湾」という名称は、1796年に来航したイギリスの探検船の船長が、この湾を取り囲む活火山群を見て‘Volcano Bay’と名づけたことからきているそうですが、このスポットは、まさにその名前の由来の山々を、一望できる場所です。
 おそらくこの素晴らしい眺望にちなんで、この場所に賢治の「噴火湾(ノクターン)」の詩碑が建てられたのでしょう。

 賢治がこの作品をスケッチしたのは、1923年夏の樺太旅行の帰途、室蘭本線上り列車に乗っていた8月11日の夜明け前頃でした。
 往路では、亡くなった妹を追い求める悲痛な覚悟を胸に、青森津軽海峡駒ヶ岳旭川宗谷海峡と通過する途上で、次々と作品を書いていった賢治ですが、帰り道で残した作品は、これ一つだけでした(「オホーツク挽歌 詩群」参照)。
 往路の作品群が、異様なまでの緊張感をはらんでいたのとは対照的に、さすがにここでは賢治にも疲労の色が見えます。

 夜行列車の中で賢治はなかば夢を見ながら、妹とし子の面影を見たり、車室の軋りを栗鼠の鳴き声のように錯覚したり、「アラビア酋長」の声を聴いたりしています。
 「栗鼠」は、林にあこがれたとし子の様子を連想させ、またふいにファゴットの旋律とともに、葬送行進曲が聞こえてきます。

 そうこうするうちに、しだいに賢治は目が覚めてきました。もうすぐ夜明けが近いことに気づいて左手の窓の外を見ると、そこには碑のテキストになっている景色がありました。

 この「二つの赤い灯」のともった「室蘭通ひの汽船」は、午前4時森港発の、室蘭港行きの噴火湾汽船だったのだろうと推定されています。

 この時の夢の中から賢治に聞こえてきた葬送行進曲は、やはりどうしても、ベートーヴェンの交響曲第三番「英雄」の第二楽章だったのではないかと思います。
「フアゴツトの声が前方にし/Funeral march があやしくいままたはじまり出す」というのは、その43小節目から、ファゴットのソロに導かれて、やがてオーボエによる第一主題の「葬送行進曲」の旋律が始まるところだと、私には思えてなりません。

 「ノクターン(=夜想曲)」というロマンチックな副題が付けられていますが、作品の背景に流れている音楽は、厳粛かつ悲壮です。


有珠山サービスエリアから望む詩碑と、噴火湾・有珠山・昭和新山