銀河鐵道
軌道 錆びつつジョバンニとは約翰 傳 甘つたれのヨハネ
これは、一昨年に亡くなった歌人塚本邦雄氏の、最後の歌集である第24歌集『約翰傳偽書』に収められている一首です。
言うまでもなく宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」を下敷きにした作品ですが、最近の朝日新聞に載った「短歌と宗教(上)」という記事では、ジョバンニは使徒ヨハネを、カンパネルラはイエスを象徴していると塚本氏は解釈していた、という読みが示されています。「ジョバンニ」というのは、「ヨハネ」に相当するイタリア語の洗礼名ですし、さらに岡井隆氏は、「溺れた人を救うカムパネルラの超越性はイエスですね。親切だが、どこか「俺は違う」という意識がある」という指摘をされています。
ここで、なぜヨハネが「甘つたれ」なのかと言えば、たとえば「ヨハネによる福音書」(=約翰傳)における、「最後の晩餐」の際の次のような記述に典型的です。イエスが、ユダの裏切りを予言する場面です。
イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。 (ヨハネ13:23-26、新共同訳)
上記における「イエスの愛しておられた者」とは、使徒ヨハネのことであるというのが一般的な聖書解釈で(Wikipedia-イエスの愛しておられた弟子参照)、ヨハネは十二使徒の中で最も年若く、まだ少年であったと考えられています。
それにしても、一人特別にイエスに愛され、「イエスの胸元に寄りかかったまま」イエスと会話したりするというのですから、ちょっと尋常ではないような雰囲気が漂いますね。このあたりのことから、「ヨハネはイエスの同性愛的少年愛の対象だった」という「俗説」も現れたりするわけです。
しかし、こういった不謹慎な「噂」も潜在的に踏まえてみると、「銀河鉄道の夜」におけるジョバンニとカンパネルラの関係、すなわちカンパネルラの方が明らかに大人びていて、ジョバンニの方は、カンパネルラが女の子と話しているだけで嫉妬してしまうところなどが、なおさら意味深長に感じられたりするのです。
ところで、イエスと十二使徒による「最後の晩餐」の情景は、古来より数多くの西洋宗教画の題材となってきました。ここでそれらの絵によって、イエスとヨハネの関係を見てみます。
以下は、Web Gallery of Art の画像にリンクしています。
・GIOTTO di Bondone (1304-06)
画面左の方で、少年ヨハネはイエスの胸に顔をうずめて目を閉じています。
・GADDI, Taddeo (1360年代)
ヨハネは、イエスの膝の上で眠っています。
・Master of the Housebook (14世紀後半)
ここでは、ヨハネはイエスの膝の上にほとんど顔をうずめて眠っています。
・HUGUET, Jaume (1470頃)
ヨハネは、イエスの肩にもたれて眠っています。
・GHIRLANDAIO, Domenico (1486頃)
女性的な風貌のヨハネは、イエスの胸の前で机に突っ伏して寝ています。
・LEONARDO da Vinci (1498)
かの有名なダ・ヴィンチの「最後の晩餐」です。ここでは珍しく、イエスにとって右隣のヨハネは、イエスから離れています。その姿はまるで女性のようで、例の「ダ・ヴィンチ・コード」においては、この人物が実は女性(マグダラのマリア)であるという「仮説」が重要な鍵になっていました。しかし、他の「最後の晩餐」を見ていただいたらわかるとおり、ヨハネを女性的な姿に描くことは当時はしばしば行われていたことで、逆にこの絵の中にヨハネが描かれていないと考える方が、不自然です。
・SIGNORELLI, Luca (1502)
女性的な容貌のヨハネが、イエスの胸にもたれかかって眠っています。
・DÜRER, Albrecht (1510)
イエスは、膝の上のヨハネを腕で抱きかかえています。
・BASSANO, Jacopo (1542)
少年のようでもあり少女のようでもあるヨハネが、イエスの前で眠っています。
・VÁZQUEZ, Alonso (1588-1603)
女性的なヨハネが、椅子ではなくイエスの膝の上に坐っているかのようです。
・CRESPI, Daniele (1624-25)
少年らしいヨハネがイエスの胸にもたれかかって眠り、イエスも彼の肩に手を置いています。
・VALENTIN DE BOULOGNE (1625-26)
ここでは、少年らしいヨハネが、イエスの胸の前で机に突っ伏して寝ています。
とまあ、若いヨハネがイエスに対して「甘つたれ」ていた(と考えられていた)様子は、ご覧のとおりです。
ヨハネは、いくら年少であったとはいえ、イエスが重要な話をしている時に、不謹慎にも居眠りをしていたり、イエスにしなだれかかっているのです。かなり不思議な情景ですが、ヨハネがこのような姿で描かれるようになった原因は、どうやらこれらの宗教画家たちが、当時の食事習慣に関して誤解をしていたことにあったようです。
実は、「最後の晩餐」が行われた古代ローマ時代には、「食事は横になってとる」という習慣が、まだ一般的だったのです。横臥しておれば、「ヨハネがイエスの胸によりかかっている」こともさほど不自然ではでなかったのに、中世の画家たちは、イエスや使徒たちを椅子に座らせたものですから、聖書の記述をそのままに絵にしようとすると、不道徳にも見えかねないことになってしまったわけです。こちらのページには、「横になって食べている最後の晩餐」の絵も載っていて、わかりやすい説明が付いています。
で、ここからが今日の本題なのですが、聖書を読まれた方ならご存じのように、福音書には二人の重要な「ヨハネ」が登場します。イエスに洗礼を授けた「洗礼者ヨハネ」と、イエスの弟子の一人として上記の絵画にも登場した「使徒ヨハネ」です。
「銀河鉄道の夜」の主人公の名前である「ジョバンニ」が、もしもキリスト教と関係があるのなら、どちらのヨハネに基づいているのかという議論が従来から行われていて、塚本邦雄氏は上述のように「使徒ヨハネ」説をとっておられるわけですが、これに対して『【新】宮澤賢治語彙辞典』は、次のように述べて「洗礼者ヨハネ」説をとっています。
また聖ジョバンニ(マルタ)騎士団や、フィレンツェやアミアンの守護神が洗礼者ヨハネであり、6月24日は聖ヨハネの祝日(誕生日)として各地で盛大な祭が催され(この祭は異教時代の夏至を祝う祭を起源とすると言われている)、童[銀河鉄道の夜]のケンタウル祭(銀河の祭)も夏至の祭と交錯することを考え合わせると、ジョバンニ命名には、やはり洗礼者ヨハネが念頭にあったものと考えられる。(中略)
サロメ伝説でも、洗礼者ヨハネはメシア(救世主)にはなりきれず、メシアであるイエス・キリストに洗礼をさずけ、最後は王女サロメの命によって首を斬られてしまう(マルコ福音書によればガリラヤ領主によって断罪)。最後まで人間として生きた殉教者であった。そうしたヨハネ像が賢治に、そして特に[銀河鉄道の夜]に流れこんでいると考えることができよう。
上記の説にもたしかに一理あると思いますが、しかし「銀河鉄道の夜」の物語におけるジョバンニのキャラクターを考えてみると、皮衣を着て荒野に叫ぶ恐ろしい「洗礼者ヨハネ」よりも、甘ったれの「使徒ヨハネ」の方が、どうしてもぴったりくるように思えるのです。すなわち私としては、塚本説の方に共感します。
ちなみに、カンパネルラは人の命を助ける「救済者」で、これをイエスに比定するならば、福音書におけるイエスも、十字架上で処刑され埋葬されることによって、彼とどこまでも一緒に行きたいと願っていたヨハネ=ジョバンニの前から、(いったんは)姿を消してしまったことを思い起こさせます。
さらに、使徒ヨハネの兄のヤコブ(大ヤコブ)も十二使徒の一人でしたが、この二人もその父ゼベダイも、ガリラヤ湖畔で漁師をしていました。そして、「銀河鉄道の夜」においてジョバンニの父も、おそらく漁師でした。
それからさらに蛇足ですが、ジョバンニとカンパネルラを、賢治自身と保阪嘉内になぞらえる読み方に即して・・・。
保阪嘉内は、賢治と同年齢とは言え、はるかにしっかりしてカリスマ性も備えていたように思えます。さらに、「ほんとうにでっかい力。力。力。おれは皇帝だ。おれは神様だ。」(「アザリア」第五号,1918)とか、「神様はおれのうちにある」(「国民日記」,1921)などと書き記すような、独特の自己感覚を持っていました。「イエス的」な強さのあった人だと思います。
一方、その彼を慕いながらも、1921年7月に久々に対面する直前には、「私は相変らずのゴソゴソの子供ですから…」(書簡194)と照れてしまう賢治は、やっぱり私には、「甘つたれのヨハネ」のように思えてしまうのです。
「イエスとその愛した弟子」(1320頃,木彫)
雲
賢治の作品を、おとなになって、たどっている際、気づいたのが、仏教だけでなく、キリスト教も、出てくるということでした。
詳しくはないので、画像入りで、解説してくださり、ありがとうございます。
先日、別のページで、高瀬 露さんが、クリスチャンだと知りました。
ひとの心の奥は、改めて、わからないんじゃないかなと、思います。
つめくさ
「甘つたれ」なのは、すぐに弱音を吐くからではないのですね。(すみません・・・)
今週は根雪になるかもしれません。
hamagaki
雲さま、つめくさ様、コメントをありがとうございます。
保阪嘉内が故郷にいた1921年(大正10年)3月22日に書いた日記に、
賢治が泣き顔ぞおぼゆる
遙けき市川国府台にのぼりて江戸川を見
東京の空の夏の煙を見るこゝち
賢治
健吉
遠きものにしあるかな
という文章があったということも、思います。
賢治は、嘉内の前で、どのような泣き顔を見せていたのだろうかと考えたり・・・。
雲
メールが、消えてしまったようです。
自分の泣き顔を、受け止めてくれる友がいることが、もう、素晴らしいなと、思います。
どんな、顔だったのでしょうね。
hamagaki
>雲さま
賢治の文語詩「対酌」というのが、帰郷前の嘉内との大沢温泉における別れを描いたものだったとすれば、お互いに泣き顔だったのですね。「狸」のようなのは嘉内の方でしょうか。
>つめくさ様
実際の物語のなかで、ジョバンニがあんまり弱音ばかり吐いているもので、気づかないでいて申しわけありませんでした。
「弱音」は、旧仮名遣いでは「ヨハネ」とは・・・。
雲
「対酌」という詩、初めて読みました。
いつも、ありがとうございます。
ももも
夢の中なのだからジョバンニが甘えん坊であっても良いのでは。実際のジョバンニに夢の中のジョバンニよりずっと強いと思います。
hamagaki
ももも様、コメントありがとうございます。
私も、夢の中のジョバンニが甘えん坊であってもまったくかまわないと思います。
カムパネルラとの、最後の思い出となる旅だったのですから。
そして、現実の世界に還ってきたジョバンニは、それまでの彼よりも、どこかしっかりと強くなっていたように思います。