詩は決して完成されることはない、ただ見切りを付けられるだけだ。
(Un poème n'est jamais fini, seulement abandonné.)(ポール・ヴァレリー「『海辺の墓地』について」)
フランスの詩人・思想家ポール・ヴァレリー(1871-1945)の上記の言葉を見て、宮沢賢治のことを連想しました。
賢治は死ぬまで飽くことなく自分の詩の推敲を続けましたが、それは未発表の作品のみならず、既に出版した『春と修羅』にも及んでいて、その所蔵本や友人たちへの寄贈本には、様々な手入れが加えられていました。
彼の詩はまるで、いつまでも果てしない成長と変化を続ける、生き物たちのようでもあります。
「永久の未完成これ完成である」という彼の言葉も、作品というものは、語の本来の意味では「未完成」が当たり前なのだ、と言っているようにも受け取れます。
ヴァレリーもまた飽くなき推敲の人で、たとえば代表作の長篇詩「若きパルク」の発表までに4年をかけ、その間に書かれた下書きは、600ページにも及んだということです。一つの詩句に磨きに磨きを重ねるヴァレリーの方法は、言葉がどんどん湧いてきて生成変化を遂げる賢治の推敲とは、また異なった趣きもありますが、その作品がいつまでも動きを止めないところは、共通しています。
ところで、冒頭に引用したヴァレリーの言葉は、1933年に自作についてコメントした文章に現れるものですが、これにはいくつかの変奏があって、1930年に刊行した『文学』という随想集には、次のような一節があります。
一の詩篇は決して完成しない、──これを終了するのは、即ちこれを世間に発表するのは、常に一の偶有事である。
それは倦むこととか、本屋の催促とか、──他の詩篇からの圧力とかである。(筑摩書房『ヴァレリー全集』第8巻p.380)
賢治の場合は、詩の推敲において「倦むこと」はありませんでしたし、幸か不幸か、「本屋の催促」もありませんでした。
ただそのかわり、彼が作品の推敲にどうしても「見切りを付け」ざるをえなかった事情は、自らの「死」でした。
賢治が自作に対して唯一「定稿」という言葉を用いるのは、「文語詩稿 五十篇」と「文語詩稿 一百篇」を挟んでいた厚紙に記した、次の表書きです。
文語詩稿 五十篇
本稿集むる所、想は定りて表現未だ足らざれど
も現在は現在の推敲を以て定稿とす。
昭和八年八月十五日 宮澤賢治
文語詩稿 一百篇、昭和八年八月廿二日、
本稿想は定まりて表現未だ定らず。
唯推敲の現状を以てその時々の定稿となす。
すなわち、これらの稿に対しても、賢治自身は「表現未だ定らず」と考えていたわけですが、もう1か月後に迫っていた自らの死を予感して、おそらくやむを得ず、「定稿」と呼んだのです。
やはり賢治の場合も、作品の動きが「終了」した事情は、ヴァレリーが言うように「偶有事」だったわけです。
黒クロース表紙〔B〕裏表紙裏(『新校本全集』第7巻口絵より)
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