ひるのたびぢの遠ければ…

 昨年のクリスマスには、「賢治と Miss Gifford の会話」という記事において、口語詩「〔あかるいひるま〕」と文語詩「〔けむりは時に丘丘の〕」に記された二人の会話について検討してみました。今回は、この「〔けむりは時に丘丘の〕」の内容について、もう少し考えてみたいと思います。

 下記が、その文語詩定稿です。

けむりは時に丘丘の、      栗の赤葉に立ちまどひ、
あるとき黄なるやどり木は、   ひかりて窓をよぎりけり。

(あはれ土耳古玉タキスのそらのいろ、 かしこいづれの天なるや)[E]
(かしこにあらずこゝならず、  われらはしかく習ふのみ。)[F]

(浮屠らも天を云ひ伝へ、    三十三を数ふなり、
 上の無色にいたりては、    光、思想を食めるのみ。)[G]

そらのひかりのきはみなく、   ひるのたびぢの遠ければ、
をとめは餓えてすべもなく、   胸なるたまをゆさぶりぬ。

 前回もご説明したように、これは1922年12月に、賢治とアメリカ人宣教師ギフォード嬢が東北本線仙台方面行きの汽車に乗り合わせ、車窓からヤドリギの毬が見えたことをきっかけに、会話をしているところと思われます。
 3行目~6行目の括弧に囲まれた部分が二人の会話で、[E]が賢治の言葉、[F]がギフォード嬢の言葉、そして[G]がまた賢治の言葉だろうというのが、前回の推測でした。

 今日は、前回は触れなかった最後の2行について、考えてみます。

 まず7行目の、「そらのひかりのきはみなく、ひるのたびぢの遠ければ」は、言葉としてはごく平易です。ただ、「ひるのたびぢ」というところは少し不思議な感じで、なぜことさら「昼の旅路」と限定されているのか、私としては気になるところです。
 たとえばこれが、「けふのたびぢの遠ければ……」だったら、「今日はまだこれから長時間汽車に乗っていなければならないわ…」という感じで、その物憂い気持ちが最終行の「すべもなく……」に続いていくのもわかるのですが、そうではなくて「昼の旅」ということに、どんな意味があるのでしょうか。「夜の旅」とは、何が違うのでしょう。

 ただこれは、次の行の意味とも関わってくると思われますので、ここはいったん後に回し、とりあえず8行目に進みます。
 この最終行では、「をとめは餓えてすべもなく、」の「餓えて」の意味が、おそらく大事なところでしょう。
 これを、物理的に「娘はお腹が空いてどうしようもなくて……」と解釈することも不可能ではないでしょうが、この詩がここまで宗教的な問題を扱ってきたことからすると、あまりに即物的すぎて幻滅です。ここはもう少し精神的な意味に解釈したいところで、とりわけ「をとめ」はキリスト教宣教師であり、前述のようにここまでは賢治と宗教的な対話を重ねてきたわけですから、やはりキリスト教的な文脈で考えるべきかと思われます。

 そこで、聖書において「餓えて」いるとはどういうことか調べてみると、次のような箇所が注目されます(テキストは、賢治の時代の聖書である「大正改訳 新約聖書(1917)」=岩波文庫版『文語訳 新約聖書』より、太字強調は引用者)。

二〇 イエス目をあげ弟子たちを見て言ひたまふ、
  『幸福さいはひなるかな、貧しき者よ、神の国は汝らのものなり。
 二一 幸福さいはひなるかな、いまうる者よ、汝ら飽くことを得ん。
  幸福さいはひなる哉、いま泣く者よ、汝ら笑ふことを得ん。

(「ルカによる福音書」第6章20-21)

  イエス群衆を見て、山にのぼり、坐し給へば、弟子たち御許みもとにきたる。 イエス口をひらき、教へて言ひたまふ、
 幸福さいはひなるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり。
  幸福さいはひなるかな、悲しむ者。その人は慰められん。
  幸福さいはひなるかな、柔和なる者。その人は地をがん。
  幸福さいはひなるかな、義にゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。

(「マタイによる福音書」第5章1-6)

 後者はマタイ伝の有名な「山上の垂訓」ですが、前者のルカ伝のよく似た箇所も、もとは同じイエスの説教を伝えているのだと言われています。

 両者を比べると、ルカ伝の「うる者」は、マタイ伝ではより具体的に、「義にゑ渇く者」とされていて、この「義」とは、キリスト教的には「神の義」と「人の義」があるのだそうです。
 『新共同訳聖書』の「用語解説」によると、「神の義」とは、「人間とのかかわりで、不正や罪の裁きと罰における神の正しさ・公平、場合によっては救い・助け・恵み・憐れみ・勝利・繁栄などの意味を含む」ということです。そして「人の義」とは、「神の前で正しい者とされることであり、「救われる」とほとんど同義である」とあります。つまり、後者も人間にとっては結局「救い」につながるわけです。

 ということで、キリスト教的な意味での「飢え」とは、ごく簡単に言えば、「神の正しい裁き・救い等への渇望」ということになるでしょうか。
 そして、このような「神の正しい裁きや救い」は、究極には「神の国/天国」の到来によって実現するわけですから、上の各々の説教の最初の文「神の国は汝らのものなり(ルカ伝)」「天国はその人のものなり(マタイ伝)」と、結局同じところに至ることになります。
 またこれによって、賢治の詩の3行目~6行目で「天」についての対話が行われていたこととも、内的なつながりが見えてきます。

 上では「神の国/天国」と併記しましたが、ここでルカ伝における「神の国」と、マタイ伝における「天国」という言葉の異同について、確認しておきます。『新共同訳聖書』の「用語解説」の「神の国」の項には、冒頭に「マタイによる福音書では、多くの場合「天の国」。」と記されており、「聖書的」にはこの二つは同義語とされています。さらに同用語解説には、「(神の国とは)場所や領土の意味ではなく、神が王として恵みと力とをもって支配されること。イエスが来られたことによって、既に始まっているが、やがて完全に実現する新しい秩序」とあり、(既に始まってはいるものの)究極にはこの世界の終末とともに到来する状態を意味します。
 一方、現代の一般人にとって「天国」とは、このような終末論的概念ではなく、良き行いをした人がその死後に個別に召されて暮らす、楽園のような場所と考えられています。「銀河鉄道の夜」において、船で遭難した人たちが下車していく「天上」も、こちらの意味でしょう。この意味での「天国」は、実は聖書にはあまり記されておらず、「ヨハネ黙示録」第7章15節に「神の御座みくらの前にありて昼も夜もその聖所せいじょにて神につかふ」とあったり、「コリント後書」の第5章に「願ふところはむしろ身を離れて主とともらんことなり」とあることが、間接的に示唆している程度です。
 良き人は死後に神のもとに召されるということは、上のように聖書に書いてあるわけですが、その場所が現在一般的に「天国」と呼ばれる理由は、聖書によれば神は「天」におられるからです。『新共同訳聖書」の「用語解説」の「天」の項には、「聖書では、「天」は物理的空間、もしくは、選ばれた者が集められる神の住まいを指す。〔中略〕一方、人の上に高くある天は、神が天使に奉仕されながら王座についている住まいとも考えられており、神の超越性、尊厳性、普遍性を表す」とあります。
 さて、上記のうちで、この詩においてギフォード嬢が思い描いていた「天」とはどれだったのか考えてみると、前回検討した「かしこにあらずこゝならず、われらはしかく習ふのみ」の箇所においては、これは「ルカ伝」の「「視よ、ここにあり」「彼処にあり」と人々言はざるべし。視よ、神の国は汝らの中に在るなり」に基づいていると考えられるため、具体的な場所ではなく「神による霊的支配」という意味の天国なのでしょう。一方、「そらのひかりのきはみなく……」という箇所では、神がおられるという遙か頭上の「天」を、想定しているのだと思われます。

 すなわち詩の流れとして見ると、この時ギフォード嬢は、3行目~6行目で「天」について賢治と対話をしたことや、さらに7行目の内容によって、〈何らかの意味で〉触発され、神の裁きや救いを待望する思いをどうしようもなく募らせて、その胸に下げた「たま」は揺れていた……というような感じでしょうか。

 以上を心に留めつつ、上に〈何らかの意味で〉と書いた中身を明らかにするため、あらためて7行目の「そらのひかりのきはみなく、ひるのたびぢの遠ければ、」に戻って考えてみましょう。

 7行目から8行目への意味的な接続は、「昼の旅路がこれからまだ長く続くために、娘は飢えた」という形になっており、これを先に検討した「飢え」の意味するところとつなげると、「昼の旅路が長く続く」ことが、娘をしてその「天国への渇望」をより強めさせた、ということになります。
 そうであるならば、ここで言う「昼の旅路」とは、娘にとって「天国」とは対極的な意味を持った何かだ、ということになるでしょう。ところで天国とはキリスト教徒にとって、現世の制約を超えた「神の義」が貫徹される、超越的な場所・状態でしょうから、「昼」がその対極にあるとすれば、それは現実的・現世的・日常的なものを指しているのではないでしょうか。

 前回見たように、ギフォード嬢が「天国は心にこそある」と信じていたとしても、またいくら彼女のキリスト教信仰が深いものだったとしても、この世(=昼)の雑事に疲れた時には、物質的な世界への囚われから早く脱して、神の恩寵に与りたいと思うこともあるのではないでしょうか。しかしそう思ったとしても、最後の審判と天の国の到来までは、まだしばらく待たなければならないようですし、自分が肉体を離れて神のもとに召される日も、まだ当分先のことでしょう。

 「ひるのたびぢの遠ければ」とは、彼女が不本意にもこのような現世的・物質的世界に、今後も長く留め置かれているだろうことを意味しており、そこから来るもどかしさが、「をとめは餓えて……」という焦燥感を生み出した、ということではないでしょうか。
 もしそうであれば、7行目前半の「そらのひかりのきはみなく」の意味も、これとのつながりで解釈するべきでしょう。「きはみなく=無窮である」というのは、空の美しさの描写というよりも、「天(国)は限りなく遠い」ということを意味しており、これはつまり上で考えた「ひるのたびぢの遠ければ」と、同じことを言っていることになります。

 ここで、富山英俊さんの論考「口語詩「〔あかるいひるま〕」と文語詩「〔けむりは時に丘丘の〕」でのキリスト教徒女性との対話」(『賢治研究』第145号, 2021)の末尾を見てみると、この詩の7~8行目については、次のように説明されています。

天をめぐる対話ないし潜在的論争のあと、二人は、人間が「天」のおぼろな予感を得るかもしれない無際限の「そらのひかり」のもとにある(「ひかり」は前連の、「無色」界の諸天の物質性からの離脱を言う「光、思想を食めるのみ」と呼応する)。そのたよりなさの共有のなか、語り手は、まだ「ひるのたびぢ」すなわち現世の務めを果たす女性の感じる、語られる天国でなく限定不能な神に迎えられる渇望の哀愁に、共感するのでないだろうか。

 これを見ると、富山さんも「ひるのたびぢ」を「現世の務めを果たす」ことと解釈しておられるようで、私が上のように考えたことも、あながち的外れではないかもしれません。

 ということで、上記で私なりに考えてみた、7行目~8行目の意味するところをまとめてみると、次のような感じになります。
 「天の光は果てしなく遠く、しがない現世の生はまだまだ続く/天国を乞う娘の思いは募るがどうにもできず、ただその胸の飾りが揺れていた……。」

 7行目~8行目の大まかな意味を、とりあえずこのように解釈しておくことにして、あとまだもう少し考えておきたいのは、この作品の根底に流れている、賢治からギフォード嬢への「共感」についてです。
 前回の記事では、ギフォード嬢がキリスト教の立場から述べた「天国は心にこそある」という趣旨の言葉が、賢治の信ずる「一念三千」や「十界互具」の仏教的世界観にも通ずるところから、賢治の共感を誘ったのではないか、と考えてみました。
 これは確かに、宗教教理としてとても興味深いことで、賢治がこの作品で表現したかった重要なポイントの一つだろうと思うのですが、私としてはこの時の賢治の「共感」はそれにとどまらず、何かもっとやむにやまれぬ感情が、特にこの7行目~8行目あたりには込められているような気がするのです。
 この辺のことについて、富山さんは上の引用文中で、「語られる天国でなく限定不能な神に迎えられる渇望の哀愁に、共感するのでないだろうか」と記しておられ、その感情を「哀愁」と表現しておられます。
 また信時哲郎さんは、『宮沢賢治「文語詩稿 一百篇」評釈』に、次のように書いておられます。

 「「文語詩篇」ノート」には、ギフォードの元を改めて訪れた「雨中 Gifford を訪ふ」という記述もあるが、もし車中でヤドリギの下でのキスの話が出たとなると、宗教論争もさることながら、若い男性と女性とが向かい合ってキスの話をしていたのであるから、見る人が見たら、国境を越えた恋人同士に思われたかもしれない。青山は「何かそれ以上の人間的共感までを含むか?」としていたが、「同行」を望む思いは、ギフォードの側だけでなく、賢治の側にも相当に強かったのではないだろうか。

 ということで、青山和憲さんも信時さんも、ギフォード嬢に対する賢治の「共感」の中身について検討し、その感情をたとえば「同行を望む思い」などの、「人間的共感」ではないかと推測しておられるわけです。

 私もこの文語詩を読むと、ギフォード嬢に対する作者賢治の、何か切ないような共感を垣間見る感じがして、とりわけ最終連あたりの雰囲気から、そういう印象を受けるのです。
 そこでこの「共感」はいったい何だったのか考えてみたいのですが、その際に当時の賢治の心理を推し測る上でどうしても外してはならないと思うのは、この対話はトシの死からまだわずか1か月という時点で行われていた、ということです。

 当時の賢治にとって「天」とは、宗教教理上の一概念という以上に、亡きトシがそこに往生するよう強く祈り、かつその実現を信じていた、彼女の「居場所」に他ならないのです。そしてそこは、トシの幸せな次生の住処であるという有り難くも喜ばしい場所であるとともに、そこに彼女が往ってしまったからにはもう二度と会えないような超越的彼方に位置する、悲しく寂しい場所でもあるという、相反する二重の意味を同時に担っていたのです。

 トシの居場所としての「天」が、ある時期までの賢治にとって上記ような両価性を帯びていたことは、たとえば「噴火湾(ノクターン)」末尾の、「たとへそのちがつたきらびやかな空間で/とし子がしづかにわらはうと/わたくしのかなしみにいぢけた感情は/どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ」という言葉に、如実に表れています。この「きらびやかな空間」とは「天」のことですが、賢治は自らの「かなしみにいぢけた感情」のために、「天」ではない「どこかにかくされたとし子」のことも、やむにやまれず想像してしまうのです。この両価性が生みだす葛藤については、以前に「「青森挽歌」における二重の葛藤」において論じました。

 さて、このような視点からあらためて最終連を見てみると、「そらのひかりのきはみなく」という言葉は、トシのいる「天」がここから無限遠の彼方に離れているという意味にもなり、これは賢治の「悲しみ」の象徴としても立ち現れてきます。
 そして、「ひるのたびぢの遠ければ」とは、ギフォード嬢の境遇だけでなく、トシに置き去りにされて、まだまだ一人この世の(=昼の)生を生き続けなければならない、賢治自身の孤独な運命をも、併せて表現していることになります。
 次行の「餓えてすべもなく」の状態にあるのも、主語である「をとめ」だけではなくて、実は作者の賢治自身が、トシとの通信を渇望しつつ、しかし何もできずに、「すべもなく」いるしかないことを示唆しています。

 では最後の、「胸なるたまをゆさぶりぬ」はどうでしょうか。「たま」とは「小石」のことで、ここではギフォード嬢が胸に掛けている飾り石を指しているのでしょう。ただし、宝飾品として丸く磨いた石を表す漢字としては、「玉」や「珠」の方が一般的で、賢治の作品において「玉」は「貝の火」に34か所、「珠」は「貝の火」に2か所と「龍と詩人」に3か所登場します。
 これに対して「たま」という用例は、『新校本全集』の索引篇を調べても、賢治の全作品中でこの1か所にしか現れません。

 ここで賢治が、ギフォード嬢の胸で揺れる石に対して、なぜ珍しい「たま」という字をあてたのか考えてみると、連想されるのは「瓔珞」という言葉です。これは石を繋いだ首飾りのことですが、仏典では天人が首から下げていることになっており、賢治の作品でも「〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕」や、「小岩井農場」の天の童子の胸に「ちらちら瓔珞もゆれてゐるし……」という箇所が思い起こされます。
 つまり、賢治はギフォード嬢の首飾りを見た時、やはり「天」の話題によるつながりから、「天人の掛ける瓔珞」のことを連想したため、ここに「たま」という漢字を用いたのではないでしょうか。彼は車中でギフォード嬢と話しながらも、常に頭の片隅にはトシのことがあったでしょうし、ギフォードの首飾りを見ても、「天に往ったトシは今頃どんな飾りを身に付けているだろう」などと思ったかもしれません。

 ということで、この詩の最終連は、形としては「をとめ」を主語として書かれていますが、実は彼女の様子に托して賢治は、トシを思う自らの気持ちもひそかに表現していたのではないかというのが、私の印象です。
 まあこれは、詩のテキストに含まれていない作者の伝記的事項までを織り込んだ、相当に穿ちすぎた読み方ですが、意識的か無意識的かはともかくとして、この作品を書いた賢治の心の奥底には、こういう要素もあったのではないかと、私には思えてならないのです。

 あと、記事を終わる前に蛇足として、「ひるのたびぢ」に対するもう一つの見方について記しておきます。
 「昼の旅路」と対になるのは「夜の旅路」でしょうが、 「汽車による夜の旅路」となると、「銀河鉄道の夜」を忘れるわけにはいきません。
 「銀河鉄道の夜」に出てくる「女の子」は、「だけどあたしたちもうここで降りなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから」と言って、列車から降りていきます。「夜の旅路」は、女の子が望む「天」へと、直接的に連結しているのです。
 これに対して、ギフォード嬢が乗る昼間の列車は、あくまでも現世の中を走り続け、彼女が待ち望む「天」に到着することは、決してありません。

 これが、「ひるのたびぢの遠ければ……」という言葉を契機に私たちが思いをめぐらすことができる、もう一つの側面です。

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釜石線のSL銀河(ウィキメディア・コモンズより)