〈みちづれ〉の三徴とその昇華

20211205a.jpg 若い頃ある時期までの賢治が、「〈みちづれ〉希求」とも言うべき独特の対人感情を抱いていて、それが周囲の特定の人々への強い思い入れにつながったのではないかということを、以前から私は考えてみています(記事「「〈みちづれ〉希求」の挫折と苦悩」や「「〈みちづれ〉希求」の昇華」など)。

 今日は、賢治のその感情の特徴について、もう少し検討してみたいと思います。

 私が賢治の「〈みちづれ〉希求」の対象として想定しているのは、典型的には、妹トシ、保阪嘉内、堀籠文之進の3人です。
 盛岡高等農林学校の1年時に寮で同室だった高橋秀松とも、一時はかなり親密に付き合っており、しきりに野山を一緒に歩いたり、二人で「暗号文字」を共有していたり、2年の夏には東京の独逸語講習に呼び寄せて一緒に宿泊して受講したり、自らの心の奧の「淋しさ」などを吐露したりもしています。しかし、この頃まだ賢治は法華経に対して後年ほど熱烈一途な信仰には目覚めておらず、したがって高橋に対しては下記に述べる「同心性」への希求は持っていなかったことから、ここで言う「〈みちづれ〉希求」の対象からは外しておくことにします。

 また、このような現実の人物に加えて、「銀河鉄道の夜」においてジョバンニがカムパネルラに向ける感情も、賢治が〈みちづれ〉に対して抱いていた感情を知る上で、重要な手がかりになるだろうと思われます。よく、「カムパネルラのモデルは誰か?」という問いが立てられて、「それはトシである」とか「保阪嘉内である」とか論じられますが、誰か実在の一人が題材だったというよりも、上記の人々に向けられていた思いが凝縮され造形されたのが、カムパネルラだったのではないでしょうか。

 ということで、上記3人に対する賢治の感情や関わり、そして「銀河鉄道の夜」におけるカムパネルラに向けられたジョバンニの思いを検討してみようというのが本日の趣旨なのですが、結論的にはその特徴的な要素として、「唯一性」「同心性」「永遠性」という三つが認められると思います。

1.唯一性

 賢治が、己れの〈みちづれ〉に対して抱く感情の特徴の一つは、相手が自分にとってかけがえのない「ただ一人の存在」であると考えるところです。
 保阪嘉内に対しては、いくつかの書簡でこのような思いが表現されています。

みんなと一諸でなくても仕方がありません。どうか諸共に私共だけでも、暫くの間は静に深く無上の法を得る為に一心に旅をして行かうではありませんか。(書簡50)

まことにむかしのあなたがふるさとを出づるの歌の心持また夏に岩手山に行く途中誓はれた心が今荒び給ふならば私は一人の友もなく自らと人とにかよわな戦を続けなければなりません。
〔中略〕
どうか一所に参らして下さい。わが一人の友よ。(書簡102a)

私が友保阪嘉内、私が友保阪嘉内、我を棄てるな。(書簡178)

 すなわち賢治は嘉内に対して、「みんなと一諸でなくても仕方がありません」と他者の共存に早々と見切りを付け、「諸共に私共だけ」の関係性を求めます。実際の賢治には、学生時代からの良き友が何人もいたわけですから、嘉内以外に「一人の友もなく」という状態ではなく、また嘉内が「わが一人の友」だったわけでもありません。それなのにここまで限定的な表現をするというのは、賢治にとっての「友」の定義が、通常のそれとは少し異なっていたということなのでしょう。
 そしてこれこそが、彼にとっての〈みちづれ〉だったのだと思います。

 トシに対する思いとしては、この〈みちづれ〉という言葉の引用元である「無声慟哭」に、次のように記されています。

信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進しやうじんのみちからかなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへはひとりどこへ行かうとするのだ

 すなわち、賢治にとっての〈みちづれ〉は、「たつたひとり」の存在なのです。

 「銀河鉄道の夜」に目を転ずると、ジョバンニはカムパネルラが女の子と話をしているだけで、嫉妬心や孤独感にとらわれてしまう一方で、乗客たちが降りてしまって二人きりになると、「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ」と、まるで嬉しそうな様子を見せます。
 こういうところに、相手と「一対一」になることを求める心情が、反映されていると思います。

2.同心性

 「同心性」とは、あまりこなれていない表現ですが、たとえば「同心の人」のように、「同じ考えを共有している」ということを指しています。特に賢治の場合は、「法華経に対する信仰を共有する」ことを意味し、「同信」の字を当ててもよいでしょう。
 ただここであえて「同心」としたのは、日蓮の「異体同心」という言葉と、特に関連づけておきたいからです。以下、太字強調はいずれも引用者によるものですが、まず日蓮はこの「異体同心」ということについて、下の二つの遺文で述べています。

日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ。此の一門も又かくのごとし。(日蓮「異体同心事」)

総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大血脈抄とは云ふなり。(日蓮「生死一大血脈抄」)

 この「異体同心」とは、「体は異なるが(=別の人間だが)、心は同じ」ということで、日蓮は、自らの一門の人々が法華経を信ずる心を同じくして一致団結すれば、必ず事は成るのだということを、力説しているわけです。
 賢治も、保阪嘉内あての書簡で日蓮の「異体同心」という言葉を引用して、「我等」が「同心」となる願いを述べています。

曾って盛岡で我々の誓った願
我等と衆生と無上道を成ぜん、これをどこ迄も進みませう
今や末法救主 日蓮大聖人に我等諸共に帰し奉り慈訓の如く敢て違背致しますまい。辛い事があっても大聖人御思召に叶ひ我等一同異体同心ならば辛い事ほど楽しいことです。(書簡186)

 そしてこれは保阪嘉内にかぎらず、賢治は自分の〈みちづれ〉に対して、「信仰を同じくする」ことを強く求めていました。
 トシは幸いにして「信仰を一つにするみちづれ」となりましたが、堀籠文之進には受け入れてもらえず、結局賢治は〈みちづれ〉とすることを諦めます。

 途中、たまたま信仰の話に及んだとき、「どうしてもあなたは私と一緒に歩んで行けませんか。わたくしとしてはどうにも耐えられない。では私もあきらめるから、あなたの身体を打たしてくれませんか」といい堀籠の背中を打った。(『新校本宮澤賢治全集』第16巻下年譜篇1923年3月4日)

 もしも賢治の堀籠に対する感情が、今野勉氏が『宮沢賢治の真実』(新潮社)で言うように同性愛であったなら、あるいはまた一般的な友情の特に強いものであったなら、たとえ相手が同信の徒とならなくても、賢治は上のような異様な行動は取らず、それまで通りの親しい付き合いは続けたのではないでしょうか。
 しかし実際の賢治は、信仰の不一致を「どうにも耐えられない」と感じ、堀籠の身体を打ち、「では私もあきらめる」と言わざるをえなかったわけです。

 ここはまさに、賢治の「〈みちづれ〉希求」というものの特異さを表しているポイントであり、彼にとって〈みちづれ〉の「同心性」というものがいかに重要であったかを、示していると思います。

 「銀河鉄道の夜」においては、もちろん法華経の信仰がそのまま出てくるわけではありませんが、ジョバンニとカムパネルラが「きっとみんなのほんたうのさいはひをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう。」「ああきっと行くよ。」という会話をする箇所などに、二人が倫理的な信念を同じくしていることが描かれています。

3.永遠性

 賢治は、己れの〈みちづれ〉と、どこまでも・いつまでも、ずっと一緒に行くことを、強く願います。今風の言葉で言うなら、「ズッ友」ですね。

 「銀河鉄道の夜」でジョバンニは、「あゝほんたうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだらうか」と悩み、その後カムパネルラに、「どこまでもどこまでも一諸に行かう」、そしてさらにもう一度「どこまでもどこまでも僕たち一諸に進んで行かう」と呼びかけますが、この「どこまでもどこまでも」と畳みかけるように繰り返す言葉に、賢治が〈みちづれ〉に対して求める「永遠性」が、表れていると思います。

 トシに対するその思いは、「松の針」の次の箇所に込められています。

ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにさう言つてくれ

 賢治は、死んでいくトシが「ひとりでいかうとする」ことがあまりに辛く、できることなら死後の世界ヘまでも「いつしよに」行くことを願い、また「宗谷挽歌」の中では、トシが海の中から自分を呼んだら飛び込む可能性も示唆しています。短篇「イギリス海岸」に、「死ぬことの向ふ側まで一諸について行ってやらうと思ってゐた」と書いているのは、実はこういうトシへの気持ちのようにも思われます。
 賢治にとって〈みちづれ〉は、時間的にも空間的にも永遠に、「どこまでもどこまでも」ともに行くべき存在なのです。

 上の三つの条件を見ると、保阪嘉内と堀籠文之進の場合は「同心性」がかなえられず、賢治の真の〈みちづれ〉とはなりませんでしたが、トシは浄土真宗の一家にあっても法華経を一緒に信じてくれましたので、まさに彼女は賢治が希求する、真の〈みちづれ〉となったかに見えました。

 しかし現実は恐ろしく残酷で、そのトシは若くして亡くなってしまうのです。
 この悲劇によって、「永遠性」への賢治の願いは、薤の葉の上の露のようにはかなく消えてしまったのです。

 1921年の保阪嘉内との別れ、1922年のトシの死、そして1923年の堀籠文之進との信仰上の溝によって、賢治の「〈みちづれ〉希求」は絶望的な挫折に陥り、彼に残された道は、この感情を何らかの形で昇華することしかありませんでした。
 そして賢治が深い苦悩の末にたどりついたのが、「小岩井農場」の最後の箇所に表現された命題でした。
 ここで賢治は、「じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする」という、まさに上で見た「唯一性」「永遠性」を帯びた「〈みちづれ〉希求」ではなく、「正しいねがひに燃えて/じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする」ことを、宣言します。
 すなわち、「ひとり」ではなく、「すべて」を〈みちづれ〉として進む、という道です。

 そして、この「昇華された〈みちづれ〉希求」の、賢治晩年における表現が、「書簡252c下書(十六)」に見られます(「書簡252c下書(十六)の思想」参照)。

まことの道は一つで、そこを正しく進むものはその道(法)自身です。みんないっしょにまことの道を行くときはそこには一つの大きな道があるばかりです。しかもその中でめいめいがめいめいの個性によって明るく楽しくその道を表現することを拒みません。生きた菩薩におなりなさい。独身結婚は便宜の問題です。一生や二生でこの事はできません。さればこそ信ずるものはどこまでも一諸に進まなければなりません。手紙も書かず話もしない、それでも一諸に進んでゐるのだといふ強さでなければ情ない次第になります。なぜならさういふことは顔へ縞ができても変り脚が片方になっていも変り厭きても変りもっと面白いこと美しいことができても変りそれから死ねばできなくなり牢へ入ればできなくなり病気でも出来なくなり、ははは、世間の手前でもできなくなるです。(書簡252c下書(十六))

 ここであらためて、上にまとめてみた「当初の〈みちづれ〉希求」の三つの特徴と、「昇華された〈みちづれ〉希求」とを比べてみると、まず当然ながら、「唯一性」ということは完全に否定され、その対極の「みんないっしょに」という「普遍性」が、特徴になっています。

 「同心性」に関しては、ここでの〈みちづれ〉は「まことの道」を「正しく進むもの」と規定されており、やはり信仰を一つにしていることが織り込まれています。この特徴に関しては、当初のままです。

 さて、上記の「書簡下書」では、三つめの「永遠性」の扱いに、最も注目すべきかと思います。そもそも、有限の生しかない人間同士の関係に、「永遠」などというものを持ち込んだことに、無理があったのではないかと思われるからです。
 ということで書簡下書を見てみると、まず「一生や二生でこの事はできません」というあっさりとした断定に、私たちは驚かされてしまいます。

 トシとの関係においては、「死」によって二人の間を隔てられてしまったことに、あれほど苦しみ悩んだ賢治でしたが、ここではいとも簡単に死の淵を跳び越え、「さればこそ信ずるものはどこまでも一諸に進まなければなりません」というのです。そして、トシとの「通信」が得られず寂しさに耐えられなかった過去の自分をまるで懐かしむかのように、「手紙も書かず話もしない、それでも一諸に進んでゐるのだといふ強さでなければ情ない次第になります」と戒めています。

 つまりここでは、〈みちづれ〉の永遠性が本当の意味で実現されており、〈みちづれ〉となった者同士の関係はそれぞれの死を越えて、輪廻転生しながら「永遠」に続いていくものだと、見通しているわけです。

 「〈みちづれ〉希求」が昇華される際に、「唯一性」が「普遍性」へと置き換えられる原動力となったのは、《みんなむかしからのきやうだいなのだから/けつしてひとりをいのつてはいけない》(「青森挽歌」)という輪廻転生観だったのですが、「永遠性」が真の意味で確保されたのも、再び輪廻転生観によってだったということになります。

 輪廻転生というのは、なかなか日本人にとって心底からは馴染みにくい考え方だと思いますが、賢治はこれを自らの思想の血肉としていたことが、このようなところからもうかがえます。