「〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕」という詩断片は、読むたびにその美しさと真摯さに心打たれます。
〔冒頭原稿なし〕
堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます。
実にひらめきかゞやいてその生物は堕ちて来ます。まことにこれらの天人たちの
水素よりもっと透明な
悲しみの叫びをいつかどこかで
あなたは聞きはしませんでしたか。
まっすぐに天を刺す氷の鎗の
その叫びをあなたはきっと聞いたでせう。けれども堕ちるひとのことや
又溺れながらその苦い鹹水を
一心に呑みほさうとするひとたちの
はなしを聞いても今のあなたには
たゞある愚かな人たちのあはれなはなし
或は少しめづらしいことにだけ聞くでせう。けれどもたゞさう考へたのと
ほんたうにその水を噛むときとは
まるっきりまるっきりちがひます。
それは全く熱いくらゐまで冷たく
味のないくらゐまで苦く
青黒さがすきとほるまでかなしいのです。そこに堕ちた人たちはみな叫びます
わたくしがこの湖に堕ちたのだらうか
堕ちたといふことがあるのかと。
全くさうです、誰がはじめから信じませう。
それでもたうたう信ずるのです。
そして一さうかなしくなるのです。こんなことを今あなたに云ったのは
あなたが堕ちないためにでなく
堕ちるために又泳ぎ切るためにです。
誰でもみんな見るのですし また
いちばん強い人たちは願ひによって堕ち
次いで人人と一諸に飛騰しますから。一九二二、五、二一、
その冒頭から、「まっすぐに下に垂れ」る堅い瓔珞と、「まっすぐに天を刺す氷の鎗」とが、精確に下と上とに向かって入れ違い、この世界を貫く厳しい垂直の空間軸を示します。
幽かに響いていた「水素よりもっと透明な悲しみの叫び」はいつしか途絶え、眼下には冷たく、苦く、「青黒さがすきとほるまでかなしい」鹹水を、「一心に呑みほさうとするひとたち」がいます。
この張りつめた詩の、内容的な眼目は、最終連の「こんなことを今あなたに云ったのは/あなたが堕ちないためにでなく/堕ちるために又泳ぎ切るためにです」というところにあるでしょう。
詩の前半においては、天人は自ら堕ちたのではなく「意に反して」だったわけで、それは「わたくしがこの湖に堕ちたのだらうか/堕ちたといふことがあるのか」という困惑に表れています。
しかし最終連において作者は、「堕ちないためにでなく/堕ちるために」この話を伝えるのだと言い、「いちばん強い人たちは願ひによって堕ち/次いで人人と一諸に飛騰します」と説くのです。
つまり、「堕ちる」ということに対する意味づけが、作品の前半と後半とでは、受動的から能動的へと逆転しており、ここでおそらく作者賢治自身にとっても、大いなる「気づき」があったのだと思われます。
これが、以前に「墜落恐怖と恐怖突入」という記事において、ある時期までの賢治が抱えつつ複数の作品のモチーフにもした「墜落恐怖」を、彼がいかにして克服したのかという問題について、私なりに考えてみたことでした。
ところで今日ここで考えてみたいのは、賢治はこのような「墜落恐怖」を、自分自身に対してだけでなく、亡き妹トシも含めて抱いていたのではないか、ということです。
というのは、上に見た「〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕」の表現と「青森挽歌」のそれとの間には、かなり類似した部分があるのです。
まず「〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕」では、鹹湖に堕ちた天人は下記のように、まず(1)困惑し、次に(2)受け容れ、そして(3)悲しみます。
そこに堕ちた人たちはみな叫びます
わたくしがこの湖に堕ちたのだらうか
堕ちたといふことがあるのかと。
全くさうです、誰がはじめから信じませう。
それでもたうたう信ずるのです。
そして一さうかなしくなるのです。
一方、次は「青森挽歌」で、トシが地獄に落ちた情景を賢治が想像している場面です。ご覧のように、トシも同じ経過をたどります。
あいつはその中にまつ青になつて立ち
立つてゐるともよろめいてゐるともわからず
頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち
(わたくしがいまごろこんなものを感ずることが
いつたいほんたうのことだらうか
わたくしといふものがこんなものをみることが
いつたいありうることだらうか
そしてほんたうにみてゐるのだ)と
斯ういつてひとりなげくかもしれない……
どちらにおいても、あまりに予想もしなかった自らの境遇に、(1)最初は現実とは信じられず「わたくしが……あるのか/ありうることだらうか」と茫然自失しますが、しかしやがて(2)現実として受け容れざるを得ず、(3)そこであらためて嘆き悲しむ、という共通のプロセスを経ています。
それにしても、けなげに生きて儚い命を終えたトシが、あろうことか地獄に落ちることまで想定しなければならないとは、賢治の心の深淵は何と底知れないものだったのでしょう。
実のところ、賢治のこの悲観的な想像は、「宗谷挽歌」にも記されています。
けれどももしとし子が夜過ぎて
どこからか私を呼んだなら
私はもちろん落ちて行く。
とし子が私を呼ぶといふことはない
呼ぶ必要のないとこに居る。
もしそれがさうでなかったら
〔中略〕
とし子、ほんたうに私の考へてゐる通り
おまへがいま自分のことを苦にしないで行けるやうな
そんなしあはせがなくて
従って私たちの行かうとするみちが
ほんたうのものでないならば
あらんかぎり大きな勇気を出し
私の見えないちがった空間で
おまへを包むさまざまな障害を
衝きやぶって来て私に知らせてくれ。
われわれが信じわれわれの行かうとするみちが
もしまちがひであったなら
究竟の幸福にいたらないなら
いままっすぐにやって来て
私にそれを知らせて呉れ。
みんなのほんたうの幸福を求めてなら
私たちはこのまゝこのまっくらな
海に封ぜられても悔いてはいけない。
ここで賢治は、稚泊海峡を渡る深夜の連絡船の甲板で、足下の暗黒の海に封ぜられたトシが自分を呼ぶことを想像しているわけですが、ここでも亡き妹が一種の地獄にいる可能性を、思っていることになります。
そしてここで賢治は、トシが海中に落ちるに至った理由として、「私たちの行かうとするみちが/ほんたうのものでないならば」、あるいは「われわれが信じわれわれの行かうとするみちが/もしまちがひであったなら/究竟の幸福にいたらないなら」と述べて、法華経の教えが誤りである可能性について言及しています。もし万一そうならば、自分たち兄妹は邪教に惑わされて、父祖から守り継いできた浄土真宗を譏るなどという謗法を行ったわけですから、地獄に落ちるのも無理もない、ということなのでしょう。
ただそれにしても、あれほどまで法華経を熱烈に信仰していた賢治が、「われわれが信じわれわれの行かうとするみちが/もしまちがひであったなら……」などという疑念を口にするとは、非常に意外なことです。これについては、少し前に「父からの分離と墜落恐怖」という記事に書いたように、賢治は「父に逆らうと墜落する」という強迫観念を抱いていたような節がありますので、法華経への不信のためというよりも、父に逆らっていることの罪悪感に由来するものだったのではないかと、私としては推測します。
いずれにせよ、賢治が抱いていた「墜落恐怖」は、ここで「信仰を一つにするたつたひとりのみちづれ」である妹のトシをも、巻き込んでしまったのではないでしょうか。
しかしそれでも、命がけで法華経を信じてきた賢治に、後悔はないようです。「みんなのほんたうの幸福を求めてなら/私たちはこのまゝこのまっくらな/海に封ぜられても悔いてはいけない」と書いているように、「私たち」の法華経に対する信仰が、「みんなのほんたうの幸福を求めて」という純粋な動機に基づいていたことに関しては、一点の曇りもないからです。
※
それでは、トシに関してまで「墜落恐怖」を抱え込んでしまった賢治が、いかにして心の平静を取り戻そうとしたかというと、これも「〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕」と同じように、その墜落を「自分から落ちる」という能動的な形に変換することによってでした。
「〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕」では、最終連で次のように説かれます。
こんなことを今あなたに云ったのは
あなたが堕ちないためにでなく
堕ちるために又泳ぎ切るためにです。
誰でもみんな見るのですし また
いちばん強い人たちは願ひによって堕ち
次いで人人と一諸に飛騰しますから。
すなわち、「願ひによって堕ち」ることで、苦しむ衆生のところまで自分の方から能動的に降りていって、ともに苦しみつつ救済へ導くという「菩薩行」を実践して行けば、意に反して受動的に「落ちる」心配はなくなります。
一方、「青森挽歌」でこれに相当するのは、次の箇所です。
《おいおい、あの顔いろは少し青かつたよ》
だまつてゐろ
おれのいもうとの死顔が
まつ青だらうが黒からうが
きさまにどう斯う云はれるか
あいつはどこへ堕ちやうと
もう無上道に属してゐる
力にみちてそこを進むものは
どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ
ここでは、賢治の心をかき乱そうとする「魔」が、臨終時のトシの顔色が悪かったことから、彼女は悪道に落ちたのだと嘲笑しているのですが、これに対して賢治は、トシは既に「無上道」に属しており、「力にみちてそこを進むものは/どの空間にでも勇んでとびこんで行くのだ」と反論します。
すなわち、かりにトシが下方世界に「堕ち」たのだとしても、それはやはり自ら「勇んでとびこんで行」ったのであり、「いちばん強い人たち」の行動である(4)能動的墜落だというわけです。
※
ということで、「〔堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます〕」と「青森挽歌」の一部の表現の類似から、賢治やトシの「墜落」や「菩薩行」について、考えてみました。
法界寺飛天図(Wikimedia Commonsより)
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