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映画「風の電話」

 今日からちょうど1年前の2020年1月24日に公開された映画「風の電話」を、先日 Amazon で見てみました。

 公開後まもなく日本全体がコロナ禍に飲み込まれてしまいましたので、誰しも映画館で見るのはなかなか難しかったと思いますが、これは「ベルリン国際映画祭国際審査員特別賞」も受賞した、とても素晴らしい作品です。

 物語は、岩手県大槌町で東日本大震災の津波に遭い、自分以外の家族全員が未だ行方不明という女の子ハルが、伯母と暮らす広島からやむにやまれず旅立ち、いつしか故郷の大槌にたどり着く……という一種のロードムービーです。
 映画の冒頭で、唯一の肉親である伯母までが病に倒れ、一時は生きる望みさえ失いかけていたハルでしたが、旅の途中でさまざまな人に出会い、助けられつつ、最後に大槌町の「風の電話」にやって来ます。

 この映画に登場するどの役者さんも、みんなそれぞれ味があって魅力的なのですが、とりわけハルを演じたモトーラ世理奈さんと、福島で暮らす老人役の西田敏行さんは、どちらもまったく「演技」とは感じられず、まさに今現実にその境遇を生きているような様子です。福島出身の西田さんには、震災や原発事故に対しては、平素からいろいろ積もる思いもあったのでしょう。
 監督の諏訪敦彦さんは、あまり台詞を決めずに、役者さんから出てくる言葉を積み重ねていくという手法で制作されるということで、そのためか全篇の画面に独特の緊張感がみなぎっています。

 この映画は当初の案では、「ハルが故郷の『風の電話』を目ざして旅をする」という設定だったそうですが、諏訪監督の考えによって変更され、ハルは目的地もなく旅をした結果、最後にたまたま故郷の大槌へ、そして「風の電話」にやって来る、という形になっています。その意味では、最後の場面に「風の電話」が登場しなくても、ストーリーとしては十分成立するものではありますが、しかしそれでも全篇の「総仕上げ」として、風の電話はどうしても欠かせないものとなっており、三陸の海を見下ろして電話が置かれているあの美しい庭園のシーンは、何をおいても感動的です。

 心理学的な観点から見るならば、この映画は、家族を失ったハルの「喪の作業グリーフ・ワーク」をたどるものであり、当初は喪失感しかなかった彼女の心が、いかにして再生していったのかというプロセスを、垣間見せてくれています。それは突きつめると、「今は亡き大切な人と、新たにどのような関係性を作るのか」ということとも言えるでしょう。
 その関係性とは、相手が生きていた時のそれとはもちろん異なってしまいますが、しかしそれはやはり何らかの形で〈共に在り〉、〈言葉を交わす〉関係です。そして「風の電話」という場所は、このような関係を構築しなおす「作業」において、一つの具体的・現実的な手段を提供してくれるのです。

 妹を失った賢治は、その〈言葉を交わす〉部分のことを「通信」と呼び、北への旅でそれを必死に求めた時には叶わなかったのですが、その翌年には「〔この森を通りぬければ〕」や「薤露青」において、妹の声を耳にする心境に至りました。思えば「オホーツク挽歌」や「〔この森を通りぬければ〕」には、妹への追悼とともにさまざまな「風」が登場していますが、自然の中から亡き人の声を届けてくれるのが、まさに「風の電話」なのでしょう。この映画の最後の場面でも、風の音が印象的です。

 ところで、映画の終盤で、ハルがそれまでずっと送ってくれた森尾(西島秀俊さん)と、三陸鉄道大槌駅前で別れるシーンがありますが、この画面の片隅に、賢治の「旅程幻想」詩碑が、映っているのです。(下記画像は、Amazon Prime Video より)

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 森尾の車を見送るハルの左肩の上あたりの奧に、石碑が暗く小さく見えています。これが、大槌町内2つめの賢治詩碑として2019年3月に建立・除幕された、「旅程幻想」詩碑なのです。
 クラウドファンディングによってこの碑を建てた「大槌宮沢賢治研究会」は、「風の電話」の設置管理者であり2015年に「第25回イーハトーブ賞奨励賞」を受賞された佐々木格さんが会長を務めておられ、碑の企画から各方面への働きかけも佐々木さんが率先して担ってこられたというのも、この映画との何かの「縁」を感じさせてくれます。

 ということで、緊急事態宣言下で巣ごもりの皆様に、映画「風の電話」をお薦めしたいと思います。

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