「二つの赤い灯」の問題

 先月に『宮沢賢治とサハリン』という本の紹介記事をアップした後、ありがたいことに著者の藤原浩氏が直々にメールを下さり、賢治のサハリン旅行のスケジュールに関して、何度か貴重なご教示をいただきました。
 その中で藤原さんは、ある一つの難題を、私に教えて下さいました。今日は、それについてご紹介します。

 サハリンからの帰路においてスケッチされたと推定される「噴火湾(ノクターン)」という作品に、次のような一節があります。詩碑にもなっている箇所ですね。

噴火湾のこの黎明の水明り
室蘭通ひの汽船には
二つの赤い灯がともり
東の天末は濁つた孔雀石の縞

 これは、夜明け前に噴火湾沿いを走る列車の窓から見えた、「噴火湾汽船」(森―室蘭間)の描写であると推定されていますが、藤原さんによれば、「船舶のプロに聞いたところ、船舶が赤い灯を2つ掲げているというのは、航行に支障をきたしている非常時のサインであって、当時でもそれ以外には考えられない」というのです。
 これは、私にとっても大へん驚くべきことでした。賢治の描写にはそのような切迫感はまったく感じられず、ぼんやりと彼方の汽船を眺めているような感じです。はたして、これをどう解釈したらよいのでしょうか。

 まずは、事実確認をしておきます。現在の法律「海上衝突予防法(昭和52年6月1日法律第62号)」では、確かにそのように規定されているようです。
 まずこの法律では、日没から日出までの間、船舶が掲げなければならない灯火として、白色の「マスト灯」、右舷は緑色、左舷は赤色の「舷灯」、白色の「船尾灯」を定めています(第二十一条)。それぞれの灯火は見える角度が定められていて、真横より22.5度以上後方から見ると、白色の船尾灯1つだけしか見えませんが、それより前(おおむね船の側面から)見ると、白色の「マスト灯」と、緑か赤かどちらかの「舷灯」が見えることになります。
 さらに、下記のように故障等による「運転不自由船」においては、赤色灯を縦に2つ並べて掲げなければなりません。

(運転不自由船及び操縦性能制限船)
第二十七条  航行中の運転不自由船(第二十四条第四項又は第七項の規定の適用があるものを除く。以下この項において同じ。)は、次に定めるところにより、燈火又は形象物を表示しなければならない。ただし、航行中の長さ十二メートル未満の運転不自由船は、その燈火又は形象物を表示することを要しない。
一  最も見えやすい場所に紅色の全周燈二個を垂直線上に掲げること。(以下略)

 上で、「運転不自由船」とは、「船舶の操縦性能を制限する故障その他の異常な事態が生じているため他の船舶の進路を避けることができない船舶」のことだそうです。
 これを図示したものを、「夜間航行の灯火」というページで見ることができます。

 以上は現在の法律ですが、賢治が汽船を見た大正時代にはどうだったのでしょうか。大正14年(1925年)に刊行された『海上衝突豫防法講義』という本に掲載されている当時の法律条文「第四條」は、以下のとおりです。(明治25年6月23日法律第5号)

海上衝突豫防法

 これを見ても、やはり現代と同じように、運転が不自由となっている船には、2個の赤色灯を縦に並べて掲げなければならなかったようです。マスト灯と舷灯に関しても、現在とほぼ同じ規定です。

 賢治はたとえば下図のように、噴火湾汽船(森港を午前4時に出港して、7時に室蘭港に到着)を、左舷の方から眺めただろうと推測できます。

急行2列車から噴火湾汽船を見る

 すると、次のような可能性が考えられます。

  1. 汽船が通常航行していたら、白色のマスト灯と、赤色の左舷灯との2つが見えた
  2. 汽船が運転不自由となっていたら、2つの縦の赤色灯が見えた

 いったいどちらだったのでしょうか。

 念のため一昨日には、国会図書館において1923年8月12日と8月13日の「函館新聞」記事を調べてみました。しかし、特に噴火湾汽船に故障が起こったとの記事は見出せませんでした。

 この「二つの赤い灯」の問題に最初に着目されたのはあくまでも私ではなく藤原浩さんで、藤原さん自身は、まだこれについてご自身の見解を述べておられるわけではありません。
 しかし、ここでとりあえず私の勝手な意見を申し述べると、私としては、上に挙げた2つの可能性のうちの「1.」、すなわち賢治が見ていたのは「白色のマスト灯と、赤色の左舷灯との2つ」だったのではないかと思うのです。特に汽船が故障したとの新聞記事が見られないことからも、また一般に事故というものが起こる確率からも、この日にたまたま汽船に異常事態が起こっていたという確率は、相当低いと言わざるをえないからです。

 つまり、賢治が実際に見たのは赤色と白色の「二つの灯」だったけれども、作品には「二つの赤い灯」と記したのだろうと、私は考えるのです。
 また回をあらためて詳しく述べる予定ですが、上の(4:14)と書いてある地点では、列車から汽船までは約20kmあります。かなりの距離ながら、視力が1.0程度あって明るい時ならば、20km離れたところからでも、数m間隔の2点を区別して視認することは、理論的には可能です。ただ、灯火のような場合には光が重なり合うので、遠くの明かりが1つか2つかを見分けるのは、より難しくなるでしょう。
 色の違う赤色光と白色光だったからこそ、「二つの灯」として視認しやすかったのかもしれません。