Home ⇒ [賢治紀行2009年08月] ⇒ タッピング・ポンド

タッピング・ポンド

 「のぞみ」を新横浜駅で降りて、地下鉄で横浜駅へ行き、ここからは京急本線に乗って南へ走ります。金沢八景駅で降りて、関東学院大学を目ざしました。
 午前は曇り空だったのですが、昼から真夏の晴天となり、本当に暑い中を15分ほど歩きました。

 下は関東学院大学金沢八景キャンパスの正門。

関東学院大学

 下写真は、キャンパス内の「オープン・チャペル」にある「大賀ハス」。2000年前の遺跡から発掘された種子を育てて咲かせたものだそうです。快挙を成し遂げた大賀一郎博士は、当時は関東学院大学非常勤講師でした。
 先週には花が咲いていたそうなのですが、今日はもう花弁は散っていました。

オープン・チャペルの大賀ハス

 そしてキャンパスをさらに奥に進むと、立派な校舎の横に、「タッピング・ボンド」と名付けられた貯水池があります。
 池の中には、水の色に合わせたようなガラス製の「銘板」が立てられていて、この池の由緒が記されています。そして、その本文の後には、賢治の詩「岩手公園」の全文が刻まれていて、これは「詩碑」と呼ぶには無理があるかもしれませんが、このようなモニュメントも当サイトの「石碑の部屋」には収めるようにしていますので、今日はここまで写真を撮影にやってきた次第です。
 そもそもは、関東学院の「学院史資料室」の方から、当サイトの「岩手公園」詩碑の写真を使用してもよいかという問い合わせがあったので、このようなモニュメントの存在を私が知ったことがきっかけでした。いろいろな出会いがあるものです。

「タッピング・ボンド」銘板

 下に、銘板に刻まれた説明内容を掲載しておきます。タッピング一家は、日本の各地でいろいろな業績を残されましたが、まだ私などはそのほんの一部しか知りません。

タッピング・ポンド
( TOPPING MEMORIAL POND )

「タッピング・ポンド」は、タッピング家を記念して造られたものである。1962(昭和37)年、本学の教員であったウィラード・タッピングの妻、エヴェリン(同じく本学教員)の寄附金を基に、卒業生等の寄附金を加えて竣工された。この度、新しい建物と共に「タッピング・ポンド」も新しくなった。1895(明治28)年、ウィラードの父(ヘンリー)と母(ジュネヴィーヴ)は宣教師として来日し、東京中学校(後の東京学院。関東学院の源流の一つ)に赴任した。その後、1907(明治40)年、タッピング一家は岩手県盛岡に活動の場を移した。盛岡では詩人・童話作家の宮沢賢治(1896-1933)とも出会いがあった。宮沢賢治は「岩手公園」と題した詩の中でタッピング一家のことをつづっており、その詩碑は盛岡市岩手公園にある。タッピング一家の関東学院をはじめ、日本各地における宣教と教育のための奉仕活動を記念し、タッピング・ポンドをここに設置する。

(以下、宮沢賢治「岩手公園」全文)