「春と修羅 第二集」所収の「岩手軽便鉄道の一月」は、車窓から眺める雪景色がどんどん目の前を過ぎていく、楽しい作品です。
四〇三
岩手軽便鉄道の一月
一九二六、一、一七、
ぴかぴかぴかぴか田圃の雪がひかってくる
河岸の樹がみなまっ白に凍ってゐる
うしろは河がうららかな火や氷を載せて
ぼんやり南へすべってゐる
よう くるみの木 ジュグランダー 鏡を吊し
よう かはやなぎ サリックスランダー 鏡を吊し
はんのき アルヌスランダー [鏡鏡鏡鏡]をつるし
からまつ ラリクスランダー 鏡をつるし
グランド電柱 フサランダー 鏡をつるし
さはぐるみ ジュグランダー 鏡を吊し
桑の木 モルスランダー 鏡を……
ははは 汽車(こっち)がたうたうなゝめに列をよこぎったので
桑の氷華はふさふさ風にひかって落ちる注:本文7行目[鏡鏡鏡鏡]は、1文字分の中に[鏡]という文字が上下二段に積み重なって4個書かれている。
「ジュグランダー」「サリックスランダー」…などという耳慣れない言葉は、クルミの学名 Juglans、ヤナギの学名 Salix、ハンノキの学名 Alnus、カラマツの学名 Larix、クワの学名 Morus から、賢治が造語したそれぞれの木の「愛称」です。
その語頭の部分が各々の学名に由来するのは確かでしょうが、共通する語尾の「ランダー」というのが何のことか、という点に関してはいくつか説があるようです。
『新宮澤賢治語彙辞典』には、「ジュグランダー」の項に次のような説明があります。
語尾のランダーをドイツ語の Lander(垣根の杭)の意か、とした注もある(ドイツ標準語にはその語はないが、バイエルン地方の方言としてのせてある辞書もある)。(中略)
このランダーなる語尾形の語の出所は不明であるが、ドイツ語の Ränder(レンダー、並木の縁、Rand の複数)にヒントを得た音感的造語、ないし語呂合わせであろう。
あるいは、伊藤光弥氏は『森からの手紙 宮沢賢治地図の旅』(洋々社)の中で、次のように書いておられます。
ふつう、草や木が一本杉のように一本だけで生きているのは稀で、クルミの森、ヤナギの樹叢、ハンノキの林というふうに何本も集まり群落を作って生きています。したがって、ジュグランダーはクルミの林、クルミの林域などの意味と考えられます。ランダーはドイツ語のラント(土地、領域、界などの意味)の複数形であり、一連の造語は植物の学名とドイツ語のランダーを組み合わせたものだったのではないでしょうか。
いずれにしても、「ランダー」はドイツ語に由来するのではないかというのがこれまでの考えのようですが、なかなか難解ですね。ただ、Ränder にしても Länder にしても、複数形にすると「ランダー」ではなくて「レンダー」という発音になってしまうところが残念です。
さて、上に出てくる樹木の愛称は学名をもじって付けられているようなのですが、ここに一つ賢治らしいユーモアの表れとして、樹木に混じって「グランド電柱 フサランダー」も登場します。
生物ではない「電柱」には学名など存在しませんから、この「フサ」という語が何に由来するかということも、また新たな問題です。
『新宮澤賢治語彙辞典』によれば、
フサランダー(これのみ植物でなくグランド電柱の列の言い換えとして賢治は用いる。電柱の列をフザー=軽騎兵の列に見立て、Sの濁点を省いてフサとしたか)
ということであり、伊藤光弥氏『森からの手紙 宮沢賢治地図の旅』では、
では「グランド電柱 フサランダー」のフサは何のことでしょうか。賢治は大きな電信柱を「グランド電柱」と呼び、電線で結ばれた電柱の列をフサランダーと詠んでいるのですが、ドイツ語には脚、足、台脚などを意味するフスという単語があり、フサはその複数形です。したがって、電柱をフサと呼び、電柱の列をフサランダーと呼んだのではないかと考えられます。
佐藤寛氏は「ランダーは籬(まがき)の用材の意ですが、ここでは雪をかついだ棒と解したほうが適切であるかも知れない」「フサは十五世紀頃の軽騎兵の意」などと解釈していますが、この解釈ははたしてどうでしょうか。フサが十五世紀頃の軽騎兵の意味であることを賢治が知っていたとも思われません。
『語彙辞典』の挙げる「軽騎兵」は Husar(フザー)、複数形は Husaren(フザーレン)となります。伊藤光弥氏の言われる「足」は Fuß(フース)ですが、複数形では Füßen(フューセン)となり、「フサはその複数形です」という氏の記述とは、少しずれてしまいます。
まあこれは、なかなか一筋縄ではいかない、難しい問題であることは感じとれます。もっと簡単に考えると、作品最終行に「桑の氷華はふさふさ」とあるように、電柱にも「房」のように氷華が下がっていることから、「フサランダー」と言ったのかもしれないとか思ってみたりもします。
ところで、この「岩手軽便鉄道の一月」の約半年前に作者は、「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」という作品を書いていて、やはり車中で感じるスピード感を諧謔味も豊かに表現していました。こちらは、夜の花巻に向かう最終列車ということです。
その最後の部分は、次のようになっています。
いるかのやうに踊りながらはねあがりながら
もう積雲の焦げたトンネルも通り抜け
緑青を吐く松の林も
続々うしろへたたんでしまって
なほいっしんに野原をさしてかけおりる
わが親愛なる布佐機関手が運転する
岩手軽便鉄道の
最後の下り列車である
ここで面白いのは、岩手軽便鉄道を運転しているのは「わが親愛なる布佐機関手」ということで、どうしたことか「フサ」という語が登場するのですね。
だからどう、というほどのことではなくて、「一月」の方の列車を運転していたのも布佐さんだったのかどうかはわかりませんし、「機関手」から「電柱」へのつながりもはっきりしません。
ただ、苦心して見つけ出されてきた「フザー」や「フューセン」を尻目に、そのまま「フサ」という言葉があったので、ちょっと書いてみたくなっただけです。
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・電信柱から高架線へ
・「岩手軽便鉄道の一月」の舞台
かぐら川
「わが親愛なる」と言っていますから布佐さんというのは実在の人物なのでしょうね?。
まったくの余談ですが、「布佐」の文字に、柳田国男を――彼の第二の故郷といわれる「布佐」を通して――連想しました。
hamagaki
かぐら川さま、コメントをありがとうございます。
「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」の「『銅鑼』発表形」や「下書稿(一)」では、機関手の名前は「熊谷機関手」となっていて、布佐さんではないのがちょっと気になるところですが、私としてもこの「布佐機関手」という名前には、実在の人物のイメージを感じます。雑誌発表形の方では、本人に配慮して仮名にしたのでしょうか。
柳田国男の「布佐」というと、千葉県の利根川河畔の「布佐」ですね。
岩手県では、一関市の川崎地区に「布佐」という地名があり、「布佐洞窟遺跡」や「布佐神楽」が残されています。偶然ながら、この「旧川崎村」は、高橋ミネさんが嫁いだ伊藤正氏が村長をされた村です。