1.作品
雲の信号
あゝいゝな、せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸だつて岩鐘だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
そのとき雲の信号は
もう青白い春の
禁慾のそら高く掲げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる
(一九二二、五、一〇)
2.これまでのあらすじ
私は数年前に、「石碑の部屋」の「雲の信号」詩碑のページに、この「雲の信号」(『春と修羅』)という作品について、私なりに思うところを書いてみていました(詳細は「雲の信号」詩碑参照)。
ところが最近、「雁は冬鳥なので日本では繁殖行動はしない」とのご教示をいただき、さらに先日の記事では、この作品の日付である「5月」という時期には、そもそも日本には「雁」は存在しないということをやっと知り(重ね重ね無知でした!)、作品末尾の「きつと四本杉には/今夜は雁もおりてくる」という記述をどう解釈したらよいのか、途方に暮れていました。
記事を書いた時点では、「雁の繁殖行動」というイメージを、まだ私は完全にはぬぐい去れていなかったのですが、それに対して nenemu さんがコメントを下さって、「雁や鴨を身近に見ていた農村の人間ならば、五月の日本列島のさわやかな景観には、雁の繁殖行動はイメージしにくいと思います」と明快にご指摘下さり、私のもやもやも、ある面ではすっかり晴れました。
しかしその一方で、賢治が、「きつと四本杉には/今夜は雁もおりてくる」と書いたことの意味は、ますます謎として残ってしまいます。「雁」が5月の日本に存在しない以上、これは何か別のものの隠喩なのかとも思われました。
いろいろと考えたあげく、私は先日の記事への nenemu さんのコメントへのリコメントとして、自分なりの推測を書いてみましたが、ちゃんとまとまった形ではなかったので、ここにもう一度、記事として整理してアップすることにしました。
3.関連作品
「雁」が登場する賢治の作品で、「雲の信号」と何らかの関連がありそうなものとして、以下が挙げられます。
(1) 「ラジュウムの雁」
これは、「初期短篇綴」として分類されている賢治のごく初期の散文作品の一つです。その草稿には、題名下方に鉛筆で「大正八年五月」と記入されていて、これが、作品のもとになる体験のあった日付であろうと推定されています。
内容は、賢治が親友の阿部孝とともに、二人でとりとめのない会話をしながら夕暮れの散歩をしている情景のようです。その中に次のような一節があります。
ふう、すばるがずうっと西に落ちた。ラジュウムの雁。化石させられた燐光の雁。
停車場の灯が明滅する。ならんで光って寄宿舎の窓のやうだ。あすこの舎監にならうかな。
この箇所を見ると、「ラジュウムの雁」あるいは「化石させられた燐光の雁」という言葉は、「すばる」の詩的隠喩であることがわかります。夜空に燐のように光るその星団の形を、雁に見立てたのでしょうか。
(2) 歌稿〔A〕762
薄明穹まつたく落ちて燐光の雁もはるかの西にうつりぬ
これは、歌稿〔A〕の「〔大正〕八年八月以降」と題された項にあり、やはり「燐光の雁」が出てきます。ここでは「すばる」とは明らかにされていませんが、「薄明穹」「はるかの西にうつりぬ」という言葉から、やはり何らかの天体であることが示唆されています。
(3) 「〔冬のスケッチ〕」第22葉・第23葉
これらはおおよそ1921年(大正10年)終わりから1922年(大正11年)初めのある時期に書かれたと考えられている草稿ですが、その中に次のような箇所があります。
おゝすばるすばる
ひかり出でしな
枝打たれたる黒すぎのこずえ。
※
せまるものは野のけはひ
すばるは白いあくびをする
塚から杉が二本立ち
ほのぼのとすばるに伸びる。
※
すばるの下に二本の杉がたちまして
杉の間には一つの白い塚がありました。
如是相如是性如是体と合掌して
申しましたとき
はるかの停車場の灯(あかし)の列がゆれました。
ここでは、「すばる」が杉の木の梢の上に見えている様子が、3回にもわたって描写されています。
さらに、上の最終行には、「はるかの停車場の灯の列がゆれました」とあって、先に挙げた短篇「ラジュウムの雁」の一節(「停車場の灯が明滅する」)と、共通した表現が認められます。
(4) 「〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕」
これは、「詩ノート」に分類されている口語詩で、草稿には「五、七」と日付が記入されていますが、作品番号や前後作品との関係から、1927年(昭和2年)5月7日にスケッチされたものと思われます。つまりこの作品は、「雲の信号」よりも後に書かれたものです。
この中に、次のような一節があります。
むかしわたくしはこの学校のなかったとき
その森の下の神主の子で
大学を終へたばかりの友だちと
春のいまごろこゝをあるいて居りました
そのとき青い燐光の菓子でこしらえた雁は
西にかかって居りましたし
みちはくさぼといっしょにけむり
友だちのたばこのけむりもながれました
わたくしは遠い停車場の一れつのあかりをのぞみ
それが一つの巨きな建物のやうに見えますことから
その建物の舎監にならうと云ひました
これは明らかに、短篇「ラジュウムの雁」と同じ体験を、後年になってもう一度取り上げたものと思われます。「神主の子」は、鼬幣神社の宮司の息子だった阿部孝に違いありませんし、「春の今頃」との表現は、「ラジュウムの雁」もこの作品も、5月の日付を持っていることで符合します。「燐光の(菓子でこしらえた)雁」、「西にかかって」、「停車場の一れつのあかり」、「舎監にならう」の言葉も、「ラジュウムの雁」と一致します。
阿部孝との再会から8年がたった同じ5月、賢治は親友との散歩のことをふと思い出したのでしょうか。「ラジュウムの雁」でもそうですが、「寄宿舎」というモチーフには、盛岡中学の寄宿舎で生活をともにした阿部孝との交友からの連想も働いているのでしょう。さらに言えば、こちらの作品で上記の少し後には、「恋人が雪の夜何べんも/黒いマントをかついで男のふうをして/わたくしをたづねてまゐりました」という一節があるのですが、この部分は盛岡高等農林学校のやはり寄宿舎で一緒だった保阪嘉内のイメージに、はるかに重なるような気もするのですが、これはまた別の話です。
4.イメージの連鎖
上の4つの作品に登場するモチーフには、このようにいくつか共通するものがあり、それらが賢治の記憶の中で互いに連鎖しているように思われます。これを何とか表現してみようと、下のような図を描いてみました。複数回にわたって一緒に出てくるモチーフほど、太い線でつなげてあります。
賢治の具体的体験としては、「大正八年五月」と推測される阿部孝との再会と、「〔冬のスケッチ〕」に記された日時不明の出来事との、少なくとも二つが重なり合っているようです。そしてこの二つの記憶の塊は、「すばる」と「停車場の灯」という共通する二つのイメージによって、結び合わされているようです。
5.「雲の信号」の雁
さて、「雲の信号」に戻ります。この作品は、上に挙げた作品群とはかなり雰囲気が異なっているようですが、意識して見ると、いくつかの共通点もあります。
まず一つはその季節です。「雲の信号」も、「一九二二、五、一〇」と記されているように、五月の出来事です。
また、「山はぼんやり/岩頸だつて岩鐘だつて・・・」と賢治が眺めている山は、「岩頸」「岩鐘」という言葉から、花巻の西方に見える奥羽山脈系の山々であることがわかります。(花巻から見える山としては、東には北上山地、西には奥羽山脈に連なる山々があります。賢治にとっては両者は明らかに性質の異なった山々で、例えば「〔そゝり立つ江釣子森の岩頸と〕」という作品に見るように、西には昔の奥羽山脈の火山活動によってできた「岩頸」や「岩鐘」があり、東の北上山地は、長年の風化・浸食によってできた「準平原」なのです。)
さらに、この「雲の信号」という作品は、1922年の春に、それまでの「郡立稗貫農学校」が県立に昇格して、「花巻農学校」として新築移転するにあたり、職員と生徒が一丸となって新校舎敷地の開墾・整地作業に働いた際の体験にもとづいていると言われています。この、「学校が新たにできる」という出来事は、「〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕」において、「むかしわたくしはこの学校のなかったとき」・・・「そしてまもなくこの学校がたち」、という状況設定にも反映している可能性があります。
ということで、上の図においては、一連の作品群に登場するモチーフの中で「雲の信号」と関係している可能性のあるものに、黄色い色を付けてみました。
この詩に関連して、私はのような賢治の追憶を想像したりします。
“・・・5月の晴れた日、新校舎建設準備のために皆と一緒に心地よい汗を流した賢治は、ふと手を休めて西の山並みを眺める。3年前のやはり5月に、彼は親友の阿部孝と再会して、夕暮れにこの西の山並みに沈む「すばる」を見たのだった。あの頃の自分は、前途洋々たる親友がまぶしくて、あてもないままに「寄宿舎の舎監になろうかな」などと言ってみたりしたけれど、今は教師になって、生徒たちとともにこうやって働いている。今日整地した場所には寄宿舎も建つだろうし、きっと今後は、舎監の役割もまわってくるだろう。昔の空想が現実化するような、思えば不思議なめぐり合わせだ。
あの頃は、「すばる」のことを「燐光の雁」などと洒落て呼んでみたりしたものだった。そう言えば少し前には、すばるが杉の木の梢に懸かっているのも見た。
ああこの5月ならば、今夜あたり、すばる星はちょうど「四本杉」の上あたりの西の山並みに沈むだろう。”
こんなことを思ったりして、賢治は「雲の信号」の終わりに、「山はぼんやり/きつと四本杉には/今夜は雁もおりてくる」と書いたのではなかったでしょうか。
つまり、ここに出てくる「雁」とは「すばる星」のことだと、私は考えてみるのです。
6.四本杉に沈むすばるをどこから見たのか
上のように「雁=すばる」と考えてみるとして、ではどこから眺めれば、すばるが四本杉の上に沈むように見えるのでしょうか。賢治はその場所を知っていて、実際に5月にはその場所からそういう見え方をすることを、この時までに経験していたはずです。
そこで、素人が下手にこんなことをすると加倉井さんに笑われてしまいそうですが、Stella Theater Pro というソフトを使って、1922年5月10日の花巻の夜空を調べてみました。下の図は、このソフトからキャプチャーした、同日19時20分における西北西の方向の空です。
これは、プレアデス星団(=すばる)がちょうど沈もうとしているところで、縦の点線に「120°」と書いてあるのは、真南から時計回りに120°の方角です。この測り方では「すばる」は約119°の方向に、言い換えれば真西から29°ほど北西よりの方角に沈むことになります。後述する理由で、すばるの高度は2.5°の時点で見ています。
さて、下の図は、賢治の自宅((賢)印マーカー)から、現在の花巻中学校の北にある「四本杉」跡地((杉)印マーカー)を線で結んだものです。この青い線の指す方向は、真西から22°ほど北西へ向かっています。(ちなみに、「ぎんどろ公園」の場所が、当時の花巻農学校建設地です。もちろんこちらからも、四本杉は見えたのでしょう。)
つまり、賢治が自宅(の2階?)から四本杉の方を眺めれば、おおよそその延長線の方向に、すばるが沈んでいくのです。
なお、賢治の自宅の場所の標高は71m、四本杉の場所は標高94mで、地図上の直線距離は1500mです。杉の高さを10mとすれば、賢治の自宅から杉の梢までの高度差は34m、仰角は、1.3°になります。一方、西の山脈でだいたいこの方向には五間ヶ森があって、その標高は568.5m、賢治宅からの直線距離は12.68kmですから、仰角は2.24°になります。
つまり、すばるは四本杉の梢に懸かる前に、山脈の向こうに沈むことになります。上の星図で、すばるの高度2.5°の時点で方向を調べたのは、星団が山の端にかかる前の位置を見るためでした。
ということで、「雲の信号」の最後の、「きつと四本杉には/今夜は雁もおりてくる」という一節は、この日の帰宅後の宵の口に、自宅から四本杉の方を見た時の情景を想像して、書いたものではないかと私は思うのです。
7.おわりに
以上、四本杉におりてくる「雁」の正体について考えてみました。しかし、題名にもなっている「雲の信号」というのが、いったい何の「信号」のことなのかは、まだよくわかりません。
これは、今後の課題ということにしたいと思います。
プレアデス星団(Wikimedia Commons より)
かぐら川
「雁」や「四本杉」の刺激的なコメントを拝見して、最後の3行について、思いつきを少し書いてみることにしました。
その前に、全体の構成にあらためて目をとめてみたいのですが、「吹くし」「光ってゐるし」と、語尾「し」で終わっている眼前現在形の3行と、「山はぼんやり」という同じ詩句を頭に置く、二つの部分からなっている後半9行からなっています。
ここで、もう一つ留意したいのが「山はぼんやり」に導かれるこの二つの部分、「時間のないころ」という無限定過去の部分と、「今夜は」という近接未来の部分が、――二つの異時間異空間が、――字下げの部分を間において、対照的に配置されているということです。
そういう時間と事象に目を据えてみると、最後の3行の、推測未来であるはずの数時間後の雁の降下という自然現象が、「おりてくる」という現在形で語られていることの不思議さに、あらためて気づかされるはずです。私にとってだけではなく多くの読者にとっても、この部分は、本来断定的に語ることのできない未来の生物の行動を、期待感というより既視感をさえ伴った事実に近い感覚で読んでいる、――いや読ませられている――のではないかと思うのです。
それはどうしてなのでしょう。詩の分析としては、――しかけとしての「きっと」という語の配置のことや、冒頭のあまりにも鮮烈な現在形が全篇を支配している構造とか、――いろいろ語ることができるでしょう。が、賢治に時間も場所も特定して語り始めさせる明滅する「雁」の心象が何であったかを、あらためて探ることにも関心が向いてきます。そう考えると、hamagakiさんの「雁=スバル」説、(時間のつごうで中間省略になってすみませんが)私も乗っからせていただきたい気持ちでいます。
「雲の信号」についても、この詩の独特な「時間系」のなかであらためて考えてみたらおもしろいだろうなと、思っています。
hamagaki
かぐら川様、新鮮な視点からのコメントをありがとうございます。
4~6行めにおいて、山がぼんやりとゆめをみてゐる「時間のないころ」とは、人間によって慌ただしく「人間的時間」が持ち込まれる前の頃のことなのでしょうね。もちろん地球誕生以来、この頃にもはるかに悠々と「地質学的時間」は流れていたのでしょうが。
その前の1~3行めで賢治は、人間が働いたりするためにこしらえた「人間的時間」から、ふと離れて休憩しているうちに、4行め以降の「地質学的時間」にまぎれ込みそうになったということでしょうか。
10~11行目には、地球から見たすばる星の動きを規定するような、「天文学的時間」が流れているように思います。
先日の日食が正確に予言されていたように、天文学的時間は、悠々としているようでいて恐ろしく精密ですから、未来も「断定」できるのでしょう。