高山秀三著『宮澤賢治 童話のオイディプス』

 忙しくて、なかなか記事を更新できずにいましたが、そんな中でも、サイトの外観に少し手を加えたりしていました。
 宮沢賢治学会イーハトーブセンターからは、この5月17-18日に行われるセミナー「巨きなりんごのなかをかける 「青森挽歌」と「函館港春夜光景」への旅」の案内が届き、非常に魅力的な企画でぜひ行ってみたいのですが、スケジュール的に難しそうで、つらいところです。

 ところで賢治関係で最近出た本として、下のような本を読んでみました。

宮澤賢治童話のオイディプス 宮澤賢治 童話のオイディプス
高山 秀三 (著)
未知谷 2008-01
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 「オイディプス」というのは、ギリシャ悲劇「オイディプス王」のことで、それと知らずに「父を殺して母と結婚する」という行為をおこなったことから、フロイトがこれにちなんで「エディプス・コンプレックス」という概念の名前の由来としました。
 すなわち、この『宮澤賢治 童話のオイディプス』という本は、エディプス・コンプレックスなどを中心とした精神分析的な視点で、賢治の童話を解釈しようとしたものと言えます。宮澤賢治の父子関係というのは、独特なところがありますから、こういう論点そのものには興味を引かれるところです。

 ところが本書はその冒頭において、童話「よだかの星」を根拠としつつ、賢治自身がその執筆当時、「醜貌恐怖」という神経症(=自分の容貌が異常に醜い思いこんで、悩み苦しむ状態)に罹患していたと推定します。いったいどうしてそんなことが言えるのかと思いますが、著者の論理は、次のようなものです(本書p.21-22)。

 話を容貌の美醜という点に戻そう。『よだかの星』という童話が物語る醜さへのこだわり、異形の者であるという意識は、誇張を含んではいるだろうが宮澤賢治その人のものであったと考えられる。賢治については自然に没入して行く浮世離れした詩人、あるいは世のため人のために生きることに生涯を捧げた聖人で、まるっきり容貌のことなど意に介さない偉い人であると見なす向きもあるかもしれないが、実際には人並み以上に外見にこだわっていたことをうかがわせる証言が少なくない。たしかに生涯を通じてほとんどいつも坊主頭であったことはおしゃれとまるで無縁なイメージにつながるし、四六時中鏡を見て己の容貌をためつすがめつしていたという類の逸話も存在しない。服装もたいていは古ぼけた洋服にゴム靴といった地味ないでたちだった。ところがその一見かまわない服装のなかに賢治は独自の美学を忍ばせていた。つまり、それらはよれよれであっても実は大変清潔にしてあったし、そのなかにたとえばネクタイのとびきり上等なものをつけることで、全体が引き立つように工夫していた。
 賢治の服飾美学とはすなわち、「破れもなく垢もあまりつかぬもので、きちっと身につくもの」であればそれでよく、「そして何か一つ、上等なものをちょっと身につけさえすれば、それでぴしっと引き立つ」という類のものだった(佐藤隆房『新版宮沢賢治』)。つまり賢治は決して気障にならない、おしゃれの極意(?)を知る人だったのである。また、その言葉も教師をしていたころは、「礼節ある青年紳士のように、きれいで、りっぱで、田舎ナマリの少しもない、東京人のように、すっきりと、はきはきした言葉使い」(森荘已池『宮沢賢治の肖像』)だったという。『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』などにはしゃれた西洋趣味がちりばめられているが、そのダンディズムは作者の外見をもさりげなく飾っていたのである。こうした外見へのこだわりは、負の方向に反転すれば自分の表層の醜い部分への過剰なこだわりとなる。『よだかの星』が物語る、妄想レベルといってよい強度のこだわりは、賢治の容貌への固執が少なくともこの童話を書いた時期(二十代半ばと推定される)において神経症の域に達していたことを示すものといっていいだろう。

 「示すものといっていいだろう」と言われても、話についていけず当惑してしまいますが、結局この箇所で著者が根拠として挙げている証言は、「賢治は、普段の服装から受ける印象よりも、意外におしゃれな側面も持っていたらしい」ということを示しているだけです。これらからは、著者が問題にするほど賢治が服装に対して「人並み以上のこだわり」を持っていたとは私には感じられないのですが、たとえかりに彼が服装に強いこだわりを持っていたとしても、それは別に、「自分の容貌が異常に醜いと思いこんで悩む病的状態」に陥っていたと推定する根拠にはなりえません。教師時代の言葉づかいが洗練されていたことも、同様です。

 まともな根拠もなく、人を病気と決めつけてしまうのは、いったいどういう魂胆があってのことだろうと不思議でたまりませんが、その背景には、「病跡学」というものの影響があるのかもしれません。
 「病跡学(pathography)」とは、「芸術家や著名人の言動、作品、周囲の人の証言などをもとに、その人が精神医学的に何らかの病的傾向がなかったかということを検討し、それを通じてその人に関する理解を深めようとすること」、とでも定義できるでしょうか。賢治に関してこの分野では、福島章著『宮沢賢治 芸術と病理』(1970)という著作があり、賢治が「躁うつ病」の傾向を持っていたと結論づけて、これはそれなりに説得力があり、賢治の生涯を考える上で一つの視点を提供してくれました。しかし、同じ著者の本でも、後の『不思議の国の宮沢賢治』(1996)になると、内容的にあまり面白くありませんでした。

 近年、一見「病跡学」のような体裁をとりながら、論拠が薄弱な一方的な決めつけであったり中身が空疎だったりする論考を目にすることがあり、私としてはこれを「似而非病跡学」と呼びたいと思いますが、押野武志著『童貞としての宮沢賢治』(2003)も、先行的に賢治を「対人恐怖・醜形恐怖」あるいは「摂食障害」と論じて、その一翼を担うものであったと思います。
 今回の『宮澤賢治 童話のオイディプス』も、まさに「似而非病跡学」的な側面を持った賢治論と言えるでしょう。

 以下に、本書の典型的な表現を抜粋してみます。皆さんなら、どのようにお感じでしょうか。
 まず、「どんぐりと山猫」について。

 型にはまったものであるが、あえて精神分析風の解釈をすれば、とがり具合や大きさや長さを競って大騒ぎするどんぐりたちは屹立するファルスであり、陣羽織を着てしゃっちょこばった山猫はそれらを去勢しようとして容易になしえない父であるだろう。どんぐりたちの争いは一郎の権力意志がイメージされ外在化されたものとも理解できる。一郎は悟りすましたように借り物の思想を語って、実は自分の権力意志を表象化したものであるどんぐりたちの争いを他人事として裁いた。裁判好きの一郎は他人事を裁くのは大好きだが、自分のなかにある生臭い欲望には鈍感なのである。(p.80)

 「虔十公園林」について。文中に出てくる「グレゴール」は、カフカ『変身』の主人公の名前ですね。

 『虔十公園林』にも、オイディプス的なテーマは非常にねじれたかたちで内在している。従順きわまりない虔十は、父を殺すオイディプスとはまったく対極の存在である。母との関係にも近親姦的な癒着はなく、むしろ十分に愛されなかった印象がつよい。しかも、グレゴールやホモイの物語とは違って、虔十の物語は明らかに天に祝福された結末で終わっている。しかし、虔十は父と対立する息子の忌まわしい宿命ゆえに、あらかじめ知的障害者として、つまり絶対的弱者であるがゆえに父に逆らうことを封じられた存在として、生まれついているのだと考えることができる。グレゴールは、父権簒奪への「罰」として毒虫に変身するが、虔十は父権を脅かす息子であること自体の罪ゆえに、あらかじめ一切の牙を抜かれて誕生したのである。(p.272-273)

 このように「精神分析風」に解釈することで、作品や作者に対する理解がより深まるのならば、それはそれで有意義な営みであると思うのですが、私にはあまりそうなっているとは思えません。

 賢治と父親の関係というのは、奥深く興味のそそられるテーマであるだけに、こんな不自然なアプローチでなく、普通の理屈で論じていただければよかったのに、と思いました。