押野武志『童貞としての宮沢賢治』

 今月の新刊、押野武志著『童貞としての宮沢賢治』(ちくま新書)という本を読みました。

 なかなか刺激的な題名ですが、中身はもっと強烈で、「オナニーをした(かもしれない)宮沢賢治」とか、「(賢治の)性交恐怖」とか、 賢治を聖人君子と崇める人が見たら卒倒しかねない言葉が並んでいます。
 本の内容は、宮澤賢治という人が抱えていた対人関係や心の問題について、その生涯や作品から解き明かそうと試みたもので、広い意味で 「病跡学」的なアプローチによる論考と言ってよいでしょう。
 目次を開くといろいろおもしろそうな見出しが並んでいるのですが、読んでみるとこれは、 著者が何かまとまった主張を論理的に展開するという趣旨の本ではありませんでした。

 著作の中では賢治をめぐって、「共依存」「対人恐怖」「醜形恐怖」「摂食障害」「トラウマ記憶」など、 興味深い精神医学的キーワードが並べられますが、そのいずれに関しても、 一般的な用語解説に続いて作品や生涯のエピソードから何となく連想される箇所が羅列的に挙げられるだけで、 各々をきちんと論理的に根拠づけるような作業は行われません。
 例えば著者は、賢治が21歳の時に徴兵検査で不合格になった体験がトラウマになって、後に摂食障害的な食に対する強迫観念を加速させたと 「診断」しています(p.173・179)。しかし本当にこれが賢治にとってトラウマと言いうるものだったのか否かという問題について、 実際に著者が根拠として挙げているのは、「この(徴兵検査の)結果は屈辱的であったに違いない」という著者の主観的な推測だけです (p.112)。
 もしも仮に、この体験以降、賢治が兵隊や軍について一切書かなくなったとか(「回避」)、 あるいは軍隊をことさら毛嫌いするようになったとか(「反動形成」)いうことであれば、 この件は賢治の心にかなりの影響を与えたと推論してみることもできます。しかし、実際にはそのようなことは起こらず、 弟が入隊した時には気軽に兵舎まで面会に行って遊んできたり、後年の作品でも軍というものに素朴な愛着を吐露しています。 もちろん不合格になった時には、がっくりきたり非常にバツの悪い思いはしただろうと思いますが、これが賢治の心理に「トラウマ」 とまで言える影響を及ぼしたとは、私には思えません。

 これ以外にも一つ一つ挙げればきりがないのですが、例えば著者は賢治とトシの関係を「共依存」であるとしていますが(p.89)、 本文の中でわざわざ共依存という語の定義を引用しておきながら、論旨の中ではその本来の意味は無視して話を進めてしまいます。実際のところ、 依存症者とその共謀的支え手の関係を指す「共依存」という概念を、賢治とトシの関係に当てはめるのは見当違いだろうと私は思います。

 本書のあちこちには、綿密な資料調査にもとづいた知見がちりばめられていて、ある面では魅力的なところもあるのですが、 結局のところ著者が何を言いたいのかはっきりせず、論理的な構成にも欠けているために、何かこれは 「興味本位にゴシップ的な論点を並べてみただけの本」というような印象になっています。もとからそういうつもりの本なら、 それとして読んで楽しめばよいのでしょうが、これは一見すると真面目な評論のような体裁をとっているので、 読者としてどういう心構えで読み進めればよいのか、ちょっと戸惑ってしまいました。
 まあ、あまり気にすることでもないのかもしれませんが、「ちくま新書」ということでたくさんの人が読む本なのだろうと思い、 おこがましいことですがここに私の個人的な感想を申し述べさせていただきました。