80年目の「異途への出発」(2)

 朝起きると、窓の外は雪景色でした(右写真)。知らないうちに、 夜のあいだにかなり降っていたようです。

 朝食をとってロビーで待っていると、8時30分に、花巻農業高校の阿部弥之さんが来られました。阿部さんとは、昨年後半から 「普代村に賢治歌曲のチャイムを作る計画がある」ということでご相談を受けて以来、花巻のりんごを送っていただいたり、 いろいろとご懇意にさせていただいていました。今回、私が三陸地方を旅行すると申し上げると、さまざまな便宜をはかっていただき、 本当に恐縮してしまうほどでした。

 今日はまず、阿部さんの車に乗せてもらって、イーハトーブ館に向かいました。 雪はまだどんどん降り積もっていくので心配になりますが、阿部さんによれば「今日はまだ優しい雪でよかったですね」ということです。 自動車は、昔の岩手軽便鉄道の跡に沿って走っていき、ここが昔の郡役所、稗貫農学校跡、女学校跡、などと阿部さんの解説つきです。 猿ヶ石川が北上川に注ぐあたりでは、木々はまさに「岩手軽便鉄道の一月」を彷彿とさせ、 「鏡を吊し」たように一本一本真っ白になっていました。
 イーハトーブ館の玄関前の石段は除雪してありましたが、一部は凍結してつるつるになっています。気をつけるように、 と阿部さんに言われながら館に入りました。2階の事務所に上がると、牛崎敏哉さんにお願いして、かなり昔に出ていた「原体剣舞連」 の宮澤清六さん朗読によるソノシートを聴かせていただき、ICレコーダに録音しました。朗読の最後の部分が、独特の節回しで歌曲 「剣舞の歌」 になっていくので、今度いつかこの曲を編曲する時の参考にするためです。
 2階の図書室から階下に降りると、「賢治曼陀羅展」というガラス絵の展覧会をやっていたので、しばらく見ていました。BGMとして、 私が昔に寄贈したCDが流れていて、 うれしいような恥ずかしいような変な気持ちです。

 イーハトーブ館をあとにすると、いよいよ三陸へ向かいます。そもそも今回の旅行で私は、 昨年秋に普代村にできた詩碑を見学するとともに、 ちょうど80年前の今ごろの賢治の旅の跡に、 ちょっとでも触れてみたかったのです。
 賢治のルートとは少しだけ違いますが、まず在来線で盛岡へ、盛岡からは新幹線で二戸まで行き、ここから太平洋岸の久慈まで、 バスに乗りました。雪に覆われた峠道を、バスはくねくねと進んでいきます。しかし天候は徐々に回復して、雪もやんできているようでした。
 久慈からは、三陸北リアス鉄道に乗って、南へ走ります。左手に見える海は、さすがに一面とても深い紺色をして、いかにも冷たそうです。 いくつかの鉄橋を渡り、午後4時頃に普代駅で列車を降りると、郵便局の職員の方が車で迎えに来てくれていました。 これも阿部さんからのご配慮の一環です。

 昨年の秋に建立された「敗れし少年の歌へる」詩碑は、 普代郵便局長の金子功さんが中心になり尽力して実現されたものですが、これからその金子さん運転の車で、北三陸海岸のドライブを楽しんだ後、 詩碑へも案内していただけることになったのです。
 ドライブは、まず「発動機船 一」に 「雑木の崖のふもとから/わずかな砂のなぎさをふんで/石灰岩の岩礁へ・・・」とある通称「ネダリ浜」(右写真) の白壁を黒崎の展望台から眺め、さらに夕暮れの北山崎海岸の展望台へと続きました。車の外に出ると、 とにかく北から吹きつける風がすごかったです。道路に電光表示される温度計には、マイナス5度と出ていました。

 金子さんのお話を聞きながらのドライブに、しばし時のたつのを忘れていましたが、さすがに北山崎海岸から国道に戻る頃には、 あたりは暗くなってきたので、この辺で引き返して堀内漁港の詩碑に向かいました。金子さんが詩碑を建立しようと思い立たれたいきさつや、 その後の苦労話についてもいろいろうかがいましたが、これはまた「石碑の部屋」で詩碑紹介のページを作成する時に、ご紹介することにします。
 漁港脇の「まついそ公園」にある詩碑に着いた時には、もう日はとっぷりと暮れて、フラッシュをたいて撮影するのがやっとでした。 しかし建立者じきじきに案内していただけるとは、詩碑フリークとしてこれに勝る光栄はありません。
 さて、ドライブはまだ終わりません。賢治が1925年1月6日の夜に宿泊し、「文語詩篇ノート」に「寒キ宿」として登場するのは、 野田村下安家にある現在の「小野旅館」の前身であるというのが現在の一応の通説となっていますが、「金子説」ではそうではなくて、 もう少し奥に入った「島川家」という旧家だったのではないかということで、その家の前にも車を走らせていただきました。少なくとも賢治は、 その家の裏手の旧道から山を越えて、下安家の集落に入ってきたのです。

 それから安家川の河口をまわって、今晩私が泊まる宿、問題の「小野旅館」に送り届けてもらいました。 金子さんには多大な感謝とともに、阿部さんからもらった花巻のりんごも、おすそ分けさせていただきました。
 今日のスケジュールはまだ最後にあと一つ、金子さんが帰られてからしばらくたった午後7時に、普代村の合唱団のメンバーの方が3人、 わざわざ宿に訪ねて来られました。お茶を飲みながら、詩碑の除幕式における合唱のこと、 そして賢治歌曲を題材とした普代村のチャイムの選考計画などについて、お話を聞きました。

 今日は最初から最後まで、本当にいろいろな方にお世話になり、イーハトーブの人情の暖かさに触れさせていただいた一日でした。 それに引きかえ80年前の賢治の旅は、まるでみずから進んで孤独を求めたようにさえ思えます。