業の花びら 詩群
1.対象作品
『春と修羅 第二集』
314 〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕 1924.10.5(定稿)
「文語詩未定稿」
2.賢治の状況
かつて吉本隆明氏は、「三一四 〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕(旧題「業の花びら」)」を評して、「且つてこのやうな詩を作った人もなく、又このやうなすさまじい諦念を体認した人もありません。彼の苦悩には近代的なニヒリズムの浅薄さと安価さがありません」と述べました。
ほんとうにこの詩は、「四一一 未来圏からの影」などとともに、『春と修羅 第二集』の世界における、極北を感じさせる作品です。
「三一三 産業組合青年会」と、この「〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」は、最終形態を見るかぎりでは、一見なんの関連もない作品のように思われます。
しかしたとえば、前者の「下書稿(二)第一形態」と、後者の「下書稿(二)手入れ」を較べていただくと、これらの二作品が、じつは共通の想念から枝分かれしてきたことがわかると思います。
この両者の下書稿の上では、「祀られざるも神には神の身土がある…」という謎のような言葉と、「億の巨匠(天才)が並んで生れ…」というフレーズが、何度も反響して現れては、推敲過程で消されるということが、繰り返されているのです。
また、「〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕(下書稿(一)手入れ)」の欄外書き込みを見ていただくと、これが童話「ポラーノの広場」とも、密接に関連していることがわかります。「つめくさのあかり」さえ出てきます。
いっぽう、「ポラーノの広場」の推敲過程においては、レオーノキューストの発言として次のような言葉が記入されて、後でまた削除されています。
「さうだ、諸君、あたらしい時代はもう来たのだ。この野原のなかにまもなく千人の天才がいっしょにお互いに尊敬し合ひながらめいめいの仕事をやって行くだらう。」
これはまさに、上の二つの作品の草稿に繰り返しあらわれる、「億の巨匠(天才)が並んで生れ/しかも互ひに相犯さない/明るい世界はかならず来る」というフレーズと、正確に対応するものです。
すなわち、童話「ポラーノの広場」も、この「業の花びら 詩群」と、深くつながった作品なのです。
すべての作品の基底にある「産業組合」という構想は、童話の世界のなかでは成功したことになっています。しかしそれでも、話の趣きは単純なハッピーエンドとは異なって、なんとも言えぬ孤独や疎外感にいろどられていました。(これについては「ポラーノの広場のうた」(歌曲の部屋)でも、すこし触れました。)
「業の花びら 詩群」においては、この影はさらに深く、「すさまじい諦念」にまで至っているわけです。「三一三 産業組合青年会」という作品は、「ポラーノの広場」の陰画とも言えるのではないでしょうか。
この「産業組合」の事業のひとつとして両者の草稿に出てくる、「山地の稜をひととこ砕き/石灰抹の幾千車を/酸えた野原に撒いたりする」という仕事は、1931年に賢治が「東北砕石工場」の技師(嘱託)として、実際に一翼を担おうとしたことでした。
賢治はこのときまさに、異様なほど「粉骨砕身」した結果、秋に出張先の東京(「トキーオ市」!)で倒れ、以後亡くなるまでの病臥に就くことになります。
この時の挫折感が、上記の諸作品のもつさびしさや暗さに、反映しているのかもしれません。
さて、「三一三 産業組合青年会」と「三一四 〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」の最終形態には、このような意味での絶望感がこめられているのかもしれませんが、いっぽうその初期形態である「(草稿的紙葉群)」と呼ばれる稿を見ると、これがもとはそれとは別の、もう一つまた違った心象をスケッチしたものでもあったことがわかります。
それは、「頬うつくしいひとびとの/なにか無心に語ってゐる/明るいことばのきれぎれを/狂気のやうに恋ひながら/…」という一節にもにじむような、エロス的なまでに熱く燃える焦燥です。
賢治の作品のつねとして、対象は抽象化されたり複数化されたりしていますが、やはりこの言葉の背景にあったのは、特定の女性に対する感情だったのではないかと、私には思えます。
このことは、この草稿の文語詩への改作形である「水部の線」においては、「きみがおもかげ うかべんと…」と、より具体的な言い方をされていることからも、うかがえるのではないかと思います。
言ってみれば、もともと「草稿的紙葉群」には、「祀られざるも神には神の身土がある」「まことの道は誰が云ったの行ったのとさういふ風のものでない」などという、何らかの会合における険悪なやりとりや絶望感と、その会合の後(?)に、一人で沼や北上川の岸辺を歩きつつ感じていた恋心のような思いと、まったく対照的な二種類の要素が含まれていたのではないかと思われます。
そして、後に前者の要素は口語詩の「産業組合青年会」と「〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」に、後者の要素は文語詩の「水部の線」に、それぞれ結晶していったということになるでしょう。